君を護りたい

 ザザ・・・ン・・・ザザン・・・
 辺りに響くのは、静かな波の音。そして、そんな波に逆らって進む海竜が生み出すもう一つの波の音。
「ダメだっ・・・行く、な・・・っ!」
 震える膝を叱咤して、満足に動かない身体を無理矢理動かして、ファリスが砂を踏みしめて海に入ろうとする。
「シル・・・ドラっ・・・行くな・・・行かないで、シルドラァっ!」
 ボロボロに傷ついた海竜の姿が、どんどん小さくなっていく。
 見慣れた銀色の体には、無数の傷跡。いつも悠々と海を泳いでいた海竜の背中は、今はとても小さく、そして、弱い。
 ファリスにはわかっているのだ。シルドラは、もう生きられないこと。死に様をファリスに見せないため、ファリスの元を去ろうとしていること。
 頭でわかっていても、心は理解できていない。ずっと一緒に育ってきた親友だ。たった一人の親友だ。その親友が死のうとしているのに、落ち着いていられる人間がどこにいるだろう。
「シルドラー!死んじゃやだぁー!」
 ありったけの声で、想いで叫ぶ。すると、シルドラが一度だけ、こちらを振り向いた。
 オォ・・・ン・・・
 ファリスの声に応えるように、シルドラの弱弱しい咆哮が響く。そして、それを最期に、シルドラの姿が海へと消えた。
「シルドラ・・・嫌だ、シルドラァァァ!!」


「シルドラっ!」
 叫んで、がばりと身を起こす。
「あ・・・?」
 荒い呼吸を繰り返しながら、ファリスは辺りを見回した。そして、そこが宿屋のベッドの上だと理解する。
「なんで、俺・・・ああ、そう、だっけ・・・」
 自分がなんでここにいるのか、一瞬理解できずにいたが、すぐにファリスは状況を理解した。
(ガラフが、死んで・・・いったん、ムーアの村まで来たんだった・・・)
 ムーアの大森林でのガラフの壮絶な最期を思い出し、ファリスはぶるっと身体を震わせた。
「さむ・・・」
 寝汗をぐっしょりとかき、すっかり体温を奪われてしまったファリスは、手近にあったタオルで身体を拭き、いつも身につけている服を取り出した。
 そのままもう一度横になることもできず、ファリスは、部屋を出た。
 ちょうど部屋が空いていたので、バッツとファリスは一部屋ずつ、レナは、泣きじゃくるクルルの様子を見るからと一つの部屋で休んでいる。ファリスの右隣の部屋では、バッツが寝ているはず。ファリスは、一瞬バッツの寝ている右隣の部屋を見つめてから、そっと左隣の部屋のドアを開けた。
「・・・レナ?」
 部屋に入ると、一つのベッドで眠っているクルルとレナがいた。クルルを抱きかかえる形で眠っているレナの瞳に、うっすらと涙。クルルも、閉じられた瞳から涙を流している。
(唯一の肉親が、いなくなっちまったんだもんな・・・)
 ファリスが、そっとクルルの涙を拭ってやる。その時、
「ん・・・おじい、ちゃん・・・」
「ガラフ・・・」
 クルルとレナが同時に寝言を呟いた。2人とも、ガラフの夢を見ているのだろうか。
 突然、ファリスの胸を鋭い痛みが襲った。心臓を氷のナイフで突き刺されたような、冷たく、鋭い痛み。
「俺は・・・」
 小さく呟き、不意に俯く。握られた拳に力が込められ、小刻みに震え出す。
 ファリスは、唇をかみ締めて部屋を出た。そのまま、部屋には戻らずに宿屋の外に出ると、ファリスは月明かりの中足早に村の中を歩いていく。そして、村はずれにある大きな木の幹に、己の拳を強く叩きつけた。
「俺は・・・最低だっ・・・!」
 幹に額を押し付け、なおも拳を叩きつける。傷つき、皮膚が破れ、血が滲みはじめるが、それでもファリスはその行為をやめなかった。
「ちっくしょぉっ!」
 思いきり振り下ろそうとした拳が、誰かに手首を掴まれて宙で止まる。ファリスがはっとして振り返ると、そこには、怒ったような顔をしたバッツが立っていた。
「バ、バッツ・・・?」
「何やってんだ」
「・・・何でも、いいだろ。離せよ」
「嫌だね」
「っ、離せ!」
「嫌だ」
 ファリスが手を振り解こうとしても、バッツの手はなかなか振り切れない。
 こいつ、こんなに握力がつよかっただろうかという考えが一瞬よぎったファリスの体が、突然腕を引かれて前につんのめる。バランスを崩したファリスの身体を、バッツがそっと抱きとめた。
「なっ・・・?」
 突然の事に呆然となるファリスを、バッツはぎゅっと抱きしめた。
「何やってんだよ、ファリス」
「お、お前こそ何やってんだっ!離せよ、このっ」
「・・・嫌だ」
 思いのほか静かにそう告げられて、一瞬ファリスの動きが止まる。バッツは、ファリスの肩に頭を押し付けているため、その表情が見えない。ただ、何かを押さえるように、何かを吐き出すように、強く強く額を押し付けてくる。
「バッツ、痛いって・・・何だってんだよ」
「お前さぁ・・・もう少し、俺を頼ってはくれないのかよ」
「はあ?」
 突然告げられる意味不明な言葉に、ファリスは首を傾げる。
「もう少し、俺に頼ってくれたっていいだろ?甘えてくれても、いいんだぜ?」
「な、何を突然・・・」
「そうやって、1人で抱え込むなよ、ファリス」
 ファリスの翡翠の瞳が見開かれる。バッツは、ようやくファリスの肩から顔をあげ、ほんの少し腕から力を抜いて、真正面からファリスの瞳を覗き込む。蒼い瞳に見つめられ、ファリスが居心地悪そうに視線を泳がせる。
「お前、1人で何でも抱えすぎなんだよ。そうやって、1人で溜め込んで、全部抱え込むな。何のために俺たちが側にいると思ってるんだ?」
「・・・同情だったら、ぶん殴る」
「同情でこんなこと言えるか、バカ」
「じゃ、じゃあ、何だってんだよ。いつも通り、俺の事はほっといてくれればいいだろ?そ、それに、クルルの方がよっぽと今辛いんだぞ?クルルやレナの様子でも、見てきてやれよ」
「ほっとけるわけないだろ。こんな状態のお前を・・・見てらんないって」
 もう一度、ファリスを抱きしめる。こんどは、自分の肩に押さえつけるようにして、ファリスの頭を抱え込んだ。
「何があった?ファリス」
「・・・何もねぇよ。だから、離せ」
「何があった?」
 有無を言わせない言葉。バッツが、こんな言い方をするのは初めて聞いた。
 高ぶった神経に、人のぬくもりが気持ちいい。虚勢を張っていたファリスの心が、みるみる溶かされていく。
 しばらくそのままの状態でいて、ファリスはため息とともに体の力を抜いた。
「夢、見た」
 小さく、一言だけ告げるファリスに、バッツはやはり静かに尋ねる。
「・・・どんな?」
「シルドラが、死ぬ時の」
 バッツが、わずかに頭を動かした。けれど、何も言わずに続きを待つ。
「・・・ガラフが死んだんだぜ?それなのに、俺はシルドラの夢を見た。クルルやレナが、寝言でガラフの名前言ってんのに、俺は・・・大事な仲間が死んだってのに・・・最低だ」
 バッツの服に、熱い染みができる。歯を食いしばり、ファリスは涙をこらえようとしているようだ。バッツは、そんなファリスの背をぽんぽんと叩いてやると、傷ついた手を取り、ケアルの魔法で傷を癒してやる。
「ばっ・・・魔法力がもったいねぇだろうが!」
 ファリスがばっと腕を振り払い、ついでにバッツの抱擁からも逃れ、少し距離を置いてバッツをにらみつける。
「この程度、なんでもないよ。それよりな、ファリス・・・お前、最低じゃないぜ?」
「え?」
「俺さ、お前のその話聞いて、嬉しかったよ」
「は?」
 意味がわからないファリスは眉を寄せる。バッツは苦笑しながら、そんなファリスを見つめた。
「お前にとって、シルドラはかけがえのない親友で、家族だった。ガラフが死んで、そのシルドラが死ぬ時の夢を見たってことは、お前にとって、ガラフがシルドラと同じように大事な仲間になってたってことだろう?」
「・・・!」
「こんな時にシルドラの夢を見たってことで、お前は自分を許せなくなってる。だけど、そんな一番大事だった存在を思い出させる位、お前はガラフを失った事にショック受けてる。本当に最低な奴は、何も感じない。そんなに、自分を責めたりしないんだよ」
 バッツがファリスに手を伸ばす。ファリスは反射的に、バッツの手を振り払った。
「・・・ファリス」
「・・・悪い」
 ばつが悪そうな顔をして、ファリスが顔をそらす。そんなファリスに苦笑しながら、バッツはその隙をついて、再びファリスの身体を抱きしめる。
「バッ・・・!」
「頼む。今は、こうさせといてくれ」
 呟かれる声があまりに弱弱しくて、ファリスは抵抗をやめる。気付けば、バッツの腕がかすかに震えていた。
「お前・・・」
 ファリスは、それきり口をつぐんだ。けれど、それ以上何かするわけではなく、ただ、バッツの気が済むまでじっとしていた。
 それから数分が経った頃、バッツがそのままの状態で口を開いた。
「・・・ファリス」
「何だよ」
 ぶっきらぼうに答えるファリスに、バッツは小さく苦笑したようだった。
「お前もさ、泣きたい時は泣けよな。我慢しないでさ。俺が側にいるから・・・タオルか何かの代わりだと思ってくれればいいから、さ」
「バッツ・・・」
「お前だって、女の子なんだぜ?甘えてくれよ、こういう時くらいはさ」
「何を今更・・・そういうのは、レナにでも言ってやれよ」
「レナは、そういうことはしっかりできるから言う必要はないさ。お前は・・・本当に苦しい時でも、1人で抱えこんじまうからさ。見てる俺が辛い」
「そんなの、俺の知った事か」
「あ、ひでぇ」
 くすくす笑うバッツの腕から逃れようと軽く身体を捻るが、どうやら離してくれる気はないらしい。ファリスはため息をついた。
「いい加減、離せよ」
「嫌だ」
「・・・いい加減にしろよ、お前」
「お前が、素直に甘えてくれたら離してやる」
 なんだそりゃ、と思ったが、その言葉が半分以上本気だというのも、何となくわかってしまった。
 いつもならば即座に拳が飛ぶのだが、あいにく両腕は身動きが取れない。さらに言うなら、精神的にダメージを負っている今、いつもの調子がいまいち出ない。口だけ、なんとか気丈にいつものペースを保っている程度だ。
「・・・ファリスさ、俺の事嫌い?」
 また突然、バッツがそんなことを言い出すので、ファリスはさらに混乱する。
「き、嫌いだったらこんなに長く一緒に旅してねぇよ」
「じゃあ、好き?」
「・・・・・・・・・嫌いじゃない」
「じゃあ、好きなんだな」
「だから、嫌いじゃないって言ってんだろ」
「嫌いの反対は好きだぞ?」
「っ!うっせぇな!いいから離せっ!」
 じたばたと暴れ始めるファリスの体が、突然自由になる。ぽかんとしてバッツを見ると、バッツは今まで以上に優しい顔をして、そして、少しいたずら小僧のような顔をして笑っていた。
「元気、出たか?」
「!」
 その言葉に、ファリスは驚いて息を飲んだ。バッツは、にこっと人懐こい笑みを浮かべた。
「1人でいるより、2人でいた方が、元気出るのはやいだろ?」
「・・・てめぇ、謀ったな」
「何が?」
「甘えろとか頼れとか・・・好きだとか嫌いだとか!全部、俺を騙すための嘘だったんだろ!」
 今度は、バッツが驚いて目を見開いた。それから、顔を赤くして、ほんの少し瞳を潤ませたファリスに苦笑しながら、バッツはファリスに近寄ると、一瞬だけその頬に唇を寄せた。
「!?」
 ばっと顔を上げるファリスの瞳を至近距離で覗きながら、バッツは真面目な顔で告げた。
「嘘なんかじゃ、ないぜ」
「!」
「辛い時や悲しい時は、俺を呼べよ。いつだって、俺はお前を見てるから」
 それだけ言うと、バッツは踵を返して宿に向かって歩き始める。ファリスは、耳まで真っ赤になったまま、しばらくその場を動けなかった。
「おい、ファリス!置いてくぞ」
 振り返り、バッツが呼んでいる。ファリスは、ぎゅっと唇を結んでバッツの方に駆け出し、その背中を思い切り叩いてやった。
「いってー!」
 わめくバッツを軽く睨み付けながら、それでも、頬をほんの少し染めて、小さく小さく呟いた。
「サンキュ・・・」
 そして、そのままバッツを置いて小走りで宿に帰っていく。バッツは、そんなファリスの後姿を見ながら、もう大丈夫そうだとほっとため息をついた。
「できれば・・・泣かせてやりたかったんだけどな」
 思い切り、声を上げて。
 けれど、ファリスのプライドと性格上、きっとそんな弱い面は見せてはくれないのだろう。彼女は、どこまでも気高く、誇り高いから。
 それでも、もしもそんな状態になってしまったら、いつでも助けてやろうと誓う。必ず、その時は側にいると。そして、これから先、必ずファリスは守りきってみせる。
「おい、ファリス!待てよ!」
 ファリスを追いかけて、バッツも走り出す。ファリスによって軽くなった心のおかげで、その足取りはとても軽いものだった。
■結城慎 様■FF5■2004/11