泡沫の月

久しぶりに町で宿を取り、ゆっくり休む事になったバッツたち。夜も大分更け、そろそろ寝ようかとカーテンを閉めようとしたバッツが、宿をでていくファリスを見つけた。
「こんな時間に、どこに・・・?」
 街中とは言え、一応女性のファリスを1人歩きさせるわけにもいかないと、バッツは部屋を出た。
「おい、ファリス。どこ行くんだよ、こんな時間に」
 ファリスはバッツを振り返ると、「別に」と短く答える。
「月が綺麗だったからさ。月光浴がてら散歩」
「なぁ、俺も一緒していいか?」
「別に構わないけど・・・」
 ファリスがくるりと背を向け、先に歩き出す。いつものペースよりも随分と遅い。バッツもそれに合わせて、ファリスと肩を並べる。
「綺麗な満月だな」
「ああ・・・久しぶりだな、こんな見事なのは」
 村はずれまできて、バッツが足を止め、月を見上げる。雲ひとつない夜空に煌々と輝く満月は、バッツの言葉通り、見事なものだった。ファリスも、足を止めて月を見上げた。
「満月ってさ、なんか普通の月と違うと思わないか?」
「は?なんだよ、それ」
「んー・・・なんていうか、不思議な事が起こるっていうか」
 くすっと小さく笑うバッツに、ファリスは視線をバッツに移す。バッツは月を見上げたまま、どこか遠くをみているようだった。
「俺が1人で旅を始めてすぐぐらいの満月の夜にさ、ほんとに不思議なことにでくわしたことがあるんだ。ボコと2人で、トゥールの村付近の森で休んでた時、どっかで鈴の音が鳴ってさ。最初は気にしてなかったんだけど、妙に気になり始めて。で、1人でその鈴の音の出所を探しに行ったんだ」
 バッツが、手近にあった小さな岩の上に腰を下ろす。ファリスは立ったまま、バッツの話の続きを待っているようだ。バッツが話を続ける。
「森の中の開けた空間で、小さな焚き火を見つけた。その横では・・・何かの儀式で使うような綺麗な赤い服を着た女の子が踊ってた。鈴は、その女の子の腕についている飾りだったんだ。女の子の後ろでは、何人かの男が何かの歌を歌ってた。俺の知らない歌だったけど、すんごく綺麗でさ。俺、今でもその歌好きなんだ」
 バッツが息を吸い込み、小さく歌い始めた。けれど、歌詞はなかった。ただメロディだけを口ずさむ。
 ファリスは、黙ってそのメロディに耳を傾けていた。聞いたことのない者でも、どこか懐かしいと思ってしまうような、温かいメロディ。
 歌い終えると、バッツは照れくさそうに笑った。「俺、音痴なんだよな」と。
「もっと、ほんとは綺麗な曲だったんだけど」
「・・・それで?」
「うん。俺、しばらくその子の踊りと歌を聴いてた。また、その子が綺麗でさ。肩ぐらいまでの髪が、炎と月明かりに照らされて、何ともいえない色してた。踊りもすごく綺麗で、その後、その子も歌い始めたんだけど、声も綺麗だった。一目ぼれ、みたいな感じだったなぁ」 
 くすくすと笑うバッツ。ファリスは、やはり何も言わないままバッツの話に耳を傾け、月を見上げていた。
 バッツの話は続く。
「俺、知らない内に寝ちゃってさ。俺を探しに来たボコに起こされたんだけど・・・あの子も、男たちも誰もいなかった。夢だったのかなって思ったけど、焚き火の跡は残ってたから、夢じゃないよなぁと思って。夢じゃないんだったら、また会えるかなぁと思って、満月の夜に森で休む事があると、鈴の音が聞こえないかと思ってずっと起きてたりした。たまにその歌を歌ってたりもしたよ。うろ覚えだけどさ」
「・・・で?会えたのか、その子には?」
「それが、全然。あの歌も、あれ以来聴いてない。あれ、何の歌なんだろーな」
 たははと笑うバッツに、ファリスは複雑な表情を向けた。困ったような、照れているような顔をしているファリスに、バッツは笑いを引っ込めて首を傾げた。
「ファリス?どうしたんだ?」
「お前さ・・・その子に会いたいか?」
「え?」
 突然のファリスの言葉に、バッツはきょとんとする。ファリスは、そんなバッツに少し眉を潜めて、先ほどより少し大きな声で聞き返した。
「だから、会いたいかって言ってんだよ」
「そりゃ・・・もちろん会いたいに決まってるだろ」
 何故、ファリスがそんなことを言い出したのかわからなかったバッツは、首をかしげながらそう答えた。
 ファリスは少し困ったように月を見上げていたが、やがて目を閉じ、小さく歌い始めた。その口から紡がれるメロディは、先ほどバッツが歌ったもの。ファリスはそのメロディに、きちんと歌詞を載せて歌ってみせた。
「お前、何で知って・・・!?」
「歌ってろ」
「は?」
「いいから、お前、メロディだけでいいから歌っててみろよ」
「あ、ああ・・・」
 バッツが再びメロディを口ずさむ。それに合わせ、ファリスがすっと姿勢を正したと思うと、ゆっくりと踊り始めた。驚いたバッツが一瞬メロディを中断させるが、続けろと目で促され、慌てて再開する。
 くるりくるりとゆっくりターンを繰り返し、手が何かを撫でるようにして空を切る。その度に揺れるアメジストの髪が、月明かりに照らされて違う色に見えた。
 バッツの耳に、あの時の鈴の音が聞こえてきた。涼しげな音の鳴るタイミングと、ファリスの腕が揺れるタイミングが一致する。バッツの目の前で踊るファリスと、あの赤い衣装を着た少女が重なった。
「ファリス・・・?」
 メロディを完全に中断し、思わず立ち上がるバッツに、踊りをやめたファリスはやはり困ったような顔を向けた。
「まさか・・・あの子、お前なのか?」
「・・・まぁな」
 満月を見上げるファリスの頬が、微かに赤い。それを見て、バッツは自分が言った台詞を思い出し、自分も思わず赤面した。
「これは・・・オレたち海に生きる者たちが神に捧げる歌と踊りなんだ」
 先ほどのバッツの問いに対する答えを、バッツに背を向けながら告げるファリス。バッツは何とか平常心を保とうと、混乱しかける頭を必死に落ち着かせようとしている。
「自然ってのは、海も森も空も、全て何らかの関係を持っている。海の水が蒸発して雲となり、雲は雨を降らせて風と共に森を育てる。山に降った雨は川となり、川はやがて海に繋がる。そういった自然を納める神を崇拝するのが、オレたちの慣わしだったんだ。まあ、海賊の全てがそういうことやってるわけじゃないみたいだけど・・・オレんとこは、なんかそういうのがあってさ」
「で、でも、なんで森の中で・・・?」
「海を祭る神には、海辺で毎年そういう儀式はするんだ。ただ、その年は森が火事になったりとか、大雨で土砂崩れがあったりとか、そういう被害が多かった。だから、森の神に対しても儀式を行うことになったんだ」
 言われて、バッツは思い出していた。その年の春先に、トゥールの村付近の森で火事があったという。また、その年の夏には、大雨による土砂崩れが相次いだと。
「自然は繋がってる。この災害が海にも影響したら困るから、森の神に助力を請うたってわけさ」
「・・・で、なんでファリスが?」
「他に、やる奴がいなかったんだよ。元々、儀式を行うのは頭領の役目だったし・・・」
「じゃあ、他の年は?」
「他の海賊団から女を呼んだって聞いてるけど」
「他の海賊団には、女海賊もいるのか」
「数は少ないけどな。頭領の女房だとか・・・」
「へぇ・・・なら、お前も女のまま海賊でいればよかったのに」
 バッツの言葉に、ファリスがきっとバッツをにらみつける。その鋭さに、バッツは一瞬息を飲んだ。
「バカか、お前は。女海賊ってのは、基本的に敵からバカにされるんだよ。頭の女房となれば話は別だが、海賊は男がやるもんだって思ってるからな、皆。そこに女海賊が頭だっていう海賊団が現れてみろ。舐められるに決まってんだろうが」
 ファリスが不意に俯く。髪に隠れる一瞬、辛そうな、悲しそうな瞳が見えた。バッツは自分の心が締め付けられるような痛みを覚えて、失言したのを悟る。
 自分は知らない、そうすることができなかった何かを、ファリスは経験している。だからこそ、男物の服を着て、男のような言動をして、女であることを隠す必要があったのだろう。
 バッツは、静かにファリスに近寄っていった。手が届く位置まで近づいても、ファリスは俯いたまま動かなかった。バッツも、それ以上近づくのをやめ、ただじっとファリスを見つめた。
 少しして、ファリスが苦しそうな声で話を再開した。
「・・・若い女が海賊として生きていくには、頭の女房になるのがてっとり早い。そうすれば、他の部下たちからは身を護ることができる。けど、もしその頭が他の海賊団の頭に負けた時は、その頭の女房となるか、または下っ端たちに遊ばれた後、どこかに売り飛ばされるかしかないんだ」
「遊ばれる・・・?」
「わからないか?」
 顔を上げたファリスには、自嘲するような笑みが浮かんでいる。時間をおかず、バッツはファリスの言っている意味を理解した。
 バッツの表情からそれを読み取ったファリスは、ふいっとバッツから視線を外した。
「所詮そんなもんなんだよ、海賊の世界での女ってのは。まあ、うちは他の海賊団とは少し違ったからな。そんなことにはならなかったけど・・・何度か、他の海賊団とやりあった時に思い知らされる時はあった」
「ファリス、まさか・・・!」
 血の気が引くバッツに、ファリスは遠い目をした。それから、ゆっくりと首を振った。
「その前に・・・きっちり始末してやったよ」
 ファリスの言葉の意味を理解したバッツが、今度こそ言葉を失う。色をなくすバッツに、ファリスは無表情な顔を向けた。
「夢をぶち壊して悪かったな」
 それだけ言うと、くるりと背を向け、ファリスはその場を立ち去ろうとした。バッツが慌ててそのファリスの腕を取る。ファリスは振り返らず、その場に立ち止まった。
「ごめん」
「・・・なんで、謝る?」
「嫌な事思い出させて・・・辛い思いさせたから」
「別に、もう慣れたことだ。辛くはない・・・」
「嘘つけ!」
「嘘なもんか!」
 バッツを振り返るファリスの目には、怒りが灯っていた。哀しい、切ない怒りが。
「喧嘩を売られるのも、買うのも、慣れたことだ。命のやりとりなんて、数え切れない程やった。相手の命を奪う事もな!」
 はっきりとした言葉で告げられて、思わずバッツは小さく息を飲んだ。けれど、ファリスの腕を掴んだ手の力は緩めない。逆に、バッツの意志とは関係なく力が強まる。
 彼女の目に涙はない。けれど、バッツには彼女が泣いているようにしか思えなかった。
 バッツがファリスの腕を引き、倒れこんできたファリスの身体を抱きしめる。ファリスはびくっと身体を強張らせるが、バッツは構わずに強く強くその華奢な身体を抱きしめた。
「我慢、するなよ・・・」
 胸が痛くて、うまく声が出ない。ようやくそれだけ言えた。
「・・・お前に何がわかる」
 ファリスのくぐもった声が聞こえた。何かを無理矢理押さえつけたような声に、バッツの心が締め付けられるように痛む。
「わかんないよ。お前の辛さは、お前にしかわからない。だから・・・もっと話して、ファリス。少しでも、俺がわかってやれるように」
「わかるわけないだろ。お前は男だ。それに・・・お前、人殺したこと、あんのかよ」
 バッツは唇をかみ締め、ファリスの身体を解放した。けれど、ファリスがどこかへ行ってしまわないように、細い手首を捕まえておく。このまま、ファリスがどこかへ行ってしまいそうな気がしたから。そうして、それはきっと、気のせいではない。
「人を殺したことはない・・・女であるお前の苦悩をわかることはできないかもしれない。でも、一緒にいることはできるんだぞ、ファリス。一緒にいて、苦しみを軽くしてやることはできるかもしれない」
「一緒にいる?人殺しのオレとか?」
 歪んだ笑みを浮かべるファリス。自嘲しようとして、涙に飲み込まれそうになっているファリスに、バッツははっきりと頷いた。
「一緒にいるよ。俺は、ずっとファリスと一緒にいる」
 これには、ファリスも少し驚いたようだ。絶句しているファリスに、バッツは尚告げた。
「辛いなら、悲しいなら、我慢しないで泣けばいい。叫んだっていい。辛いって、痛いって・・・言っていいから。俺が、受け止めてやるよ。だから、1人で我慢するな。頼むから、泣いてくれ。そんな顔するくらいなら・・・」
 ファリスの頬に手を添える。強張った頬は、夜風に吹かれて冷たく冷えていた。
 何も言えなくなってしまったファリスに、バッツは囁くように言った。
「言っただろ?俺は、お前に一目ぼれしたんだって。俺、ずっと会いたかったんだぜ、お前に。ずっと探してたんだ」
「な、何を・・・」
「でも、それを抜きにしても、俺、お前の事ずっと気になってたんだ。無理してるように見えて・・・いつも、自分の感情だとか、そういうの後回しにしちまうから。もっと自分を大事にしてくれよ。そうやって自分を傷つけるな、ファリス」
 ファリスが頬に添えられている手を跳ね除け、バッツから逃れようと、捕らえられている腕を軽く引っ張る。けれど、バッツはその腕を離さなかった。
「ファリス・・・俺、お前の事が好きだ」
「!?」
 ファリスがばっと顔を上げる。ファリスの腕をつかんだまま、バッツは真剣な顔で告げる。
「俺は、お前の事全部わかってやれるほど立派な奴じゃない。わからないことの方が多いと思う。だから、教えてくれ。お前がどんな想いでいるのか。どれだけ辛かったか。どれだけ悲しかったか。どうしても嫌なことは言わなくてもいいけどさ。嬉しい事も、楽しい事も、全部俺に教えてくれ。俺は、お前と一緒に生きていきたいんだ」
「お前・・・本気かよ」
「本気じゃなきゃ、こんなこと言えるかよ」
「オレは・・・お前が探してた女じゃない。お前が一目ぼれして、お前の中で作られた綺麗な女なんかじゃないんだぞ!?オレの手は・・・オレの身体は、綺麗なんかじゃないんだ!お前とは違う!!」
「違わない!!」
 激昂したファリスの叫びに、バッツも負けずと叫び返す。
「俺にとって、大事だと、大切だと想う女はお前しかいないんだ!そうじゃなきゃ・・・そうじゃなきゃ、こんなことできるかよ!」
 ファリスの腕を掴む手に力が篭る。痛みに顔をしかめたファリスは、突然視界と共に唇をふさがれた。柔らかい感触のそれに、ファリスの思考が一瞬で飛ぶ。呆然となったファリスが、強い力で引かれてバランスを崩す。倒れかけた身体は、バッツの腕に抱きとめられていた。
「バッ・・・?」
 声を失うファリスを、バッツが強く抱きしめる。痛いほどの抱擁の中、バッツのぬくもりにファリスが戸惑う。
「ファリス・・・」
 耳元で囁かれて、ファリスがびくっと身体を震わせた。それから、まるで何かに恐れるように、ファリスはバッツから逃れようとした。バッツはぎゅっと目を瞑り、そんなファリスの身体を固定して、動きを封じる。
「は、離せ!」
「俺と一緒にいてくれ」
「ふざけんな!オレは・・・人殺しだぞ」
「ファリスがそう望んだわけじゃない」
 きっぱりと告げられた内容に、ファリスが息を飲むのがわかった。それから、ファリスの体が小刻みに震え出す。
「オレは・・・レナみたいに、女らしくなんてない」
「構わない。それが、ファリスだから」
「海賊、なんだぞ・・・」
「だから?」
「オレは・・・オレは・・・」
 必死に拒絶する材料を探すファリスの髪を、バッツの指がゆっくりと梳いてやる。
「ファリスはファリスだ。今ここにいるのが、お前だ。いろんな思いをしてきて、いろんな過去を歩んできて、それで、ここにいるのがファリスだ。俺は、今ここにいるファリスが好きだぞ」
 バッツの言葉が、ファリスの心にある氷の壁に罅を入れる。海賊として、男として生きていくと誓ってから、ずっと封じ込めてきた自分を覆う氷の壁に。
「バッツ・・・」
「ん?」
「オレ・・・ほんとは・・・」
 バッツの背に手が回される。おそるおそる服を掴み、しばらくして、ぎゅっと強く強く握った。
「ずっと・・・辛かった・・・」
「うん・・・もう、いいよ。我慢しなくていい。偽らなくてもいい。お前はお前のままでいろ。俺も、みんなも、その方が嬉しいから」
 ファリスの中で、凍り付いていた壁が崩れた。
 言って欲しかった言葉。欲しかったぬくもり。偽り、押さえ込むしかなかったものを、ファリスはやっと自分の中で認めることができた。
 ファリスが力を抜いて、身体をバッツに預けた。バッツは、しっかりとファリスの身体を抱きしめる。今度は拘束するためではなく、彼女を包み込むために。
「裏切ったら、容赦しないぞ」
「構わない。むしろそうしてくれ」
 こくん、と微かにファリスの頭が動いた。バッツは少し力を緩め、ファリスの背をそっと撫でてやった。気持ちよさそうに、ファリスが微笑む。そして、甘えるようにバッツの胸に顔を埋めた。


「なあ、歌詞を教えてくれよ」
「え?」
「あの歌の。気に入ってるんだ。ちゃんとした歌詞が知りたい」
「うん・・・いいけど、その前に一回だけ躍らせて貰っていいか?」 
「え?いいけど・・・歌えないぞ、俺。音痴だし・・・」
「構わないって。メロディだけで十分だから」
 そう言うと、ファリスはバッツから離れ、呼吸を整えた。バッツは少々抵抗があるようだが、思い切って口を開く。バッツの紡ぐメロディに沿って、ファリスが踊りだす。
(綺麗だな・・・)
 あの時見た少女を思い出す。あの時も綺麗だと思ったけど、あの時の少女は、どこか儚くて、強そうだけど脆くて、すぐ壊れてしまいそうな雰囲気があった。
 月明かりの中、目の前で踊るファリスは、あの時に比べて生き生きとしている。表情も優しげで、柔らかい雰囲気で、あの時と比べてもずっと綺麗だった。
 踊りが一段落すると、ファリスはバッツの歌声に乗せた。歌い終わると、ファリスは月を背にしてバッツに微笑んだ。それは、今までのような力強い、豪快な笑みではない。ファリス本来の、柔らかい優しい笑みだった。
「そっちのがいいな」
「え?何が?」
「お前の笑った顔。綺麗だったよ、今」
 かっと、ファリスの顔が赤くなる。
「ば、バカなこと言ってんなよっ!」
「いやいや、ホントのことだし」
「ふざけんな!」
「だから、ふざけてなんかないって」
「ばっ・・・もう、知るかっ!」
 照れて耐えられなくなったファリスが踵を返す。慣れたことだったので、バッツは苦笑しながらその後を追う。
 しばらくずんずんと歩いていたファリスが、ぴたりと立ち止まる。バッツもファリスの後ろで足を止め、首を傾げた。
「どうした?」
「・・・言うの、忘れた」
「え?」
 振り返ったファリスの顔が赤い。困ったように眉を寄せているが、多分、恥ずかしいのだろうとバッツにはわかる。
「あの・・・」
 ファリスが自分に何かを言いたいのだが、うまく言えないというのもわかったので、黙って続きを待った。
 いつもハキハキとしたしゃべり方をするファリスからは想像できないほど、たどたどしく言葉が紡がれる。
「お前の、言葉・・・嬉しかった」
「ファリス・・・」
「・・・ごめん。今は、これだけしか言えない。おやすみ」
 視線を外し、それだけ言うと宿に駆けていく。残されたバッツは、素直になりきれないファリスの可愛さにくすくすと小さく笑いを洩らした。
「いいよ。十分だ」
 そう呟くと、バッツもファリスの後を追って宿に駆け出そうとした。その前に、足を止めてもう一度満月を見上げた。
 満月の夜は不思議なことが起こる。昔から、月には人を惑わす力があるというが、それは、人の心にある余計な壁を取り払う力なのではないだろうか。だから、満月の夜には、人は余計なことに捕われず、本当の心が曝け出されるのではないか。
「ま・・・野生が目覚めるとかいう話もあるから、気をつけないとかな」
 せっかく想いが通じた相手を傷つける真似はすまいと、バッツは固く心に誓う。そして、宿に向かって駆け出した。
 宿につくと、ファリスが入り口で待っていた。バッツの姿を確認すると、ふいっと素っ気無い態度で中に入ってしまう。どうやら、なかなか来ないバッツを心配していたらしい。
 きょとんとしてから、小さく笑う。
「あー、もう。んっとに可愛いなぁ、あいつ」
 にやにやする顔を押さえることなく、宿に入っていく。その後、そんなバッツの表情に気付いたファリスに、思い切り殴られる羽目になるのだった。
■結城慎 様■FF5■2005/01