秋田県

 花輪(はなわ)/鹿角市花輪上花輪
  国の登録文化財が1軒
 江戸時代は南部藩領。藩政時代から毛馬内と並んで鹿角の中心地でした。鹿角街道沿いに「こみせ」と呼ばれる雪国特有の町並みを形成。いずれも道路拡張のため、セットバックによる移転したことから、こぎれいな町並みとなりました。
 
▲旧関前酒店主屋(国登録文化財)
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマはハッピードラッグの駐車場に停めました
 横町(よこまち)/鹿角市花輪中花輪
  旧町名の武家地
 旧町名です。南北に細長い鹿角街道沿いの本町通りから、直角に東横に入ります。横に入るので横町と言われたようです。このあたりは、一般に内町(うちまち)といわれ、武家の居住地でもありました。今はわずかに古民家が残されています。
 
▲旧鹿角郡公会堂/大正5年築
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは鹿角市役所花輪支所の駐車場に停めました
柏崎(かしわざき)/鹿角市十和田毛馬内柏崎 
 二の丸通り  ●中世の城館跡に広がる
 毛馬内の中心街から東の急斜面を一気に駆け上ります。そこは南部藩重臣の桜庭氏の預かった柏崎(かしわざきたて)跡が広がります。いわゆる城館です。現在、個人宅やトタン葺きの大きな家屋があったりもしています。二の丸跡には藩直轄の米蔵がありましたが、家中屋敷のあった所は、現代住宅が建ち並んでいる
 一時期、柏崎町と呼んだようですが、地元民は略して‘’というようなりました。今でも「町内会館」が健在です。高台から眺める風景は絶景。しかし藩主たちは、その絶景を楽しむ余裕すらなかったかも。
 感動度★ もう一度行きたい度 交通 クルマは道端に停めました
 毛馬内(けまない)/鹿角市十和田毛馬内毛馬内
   ●雪国特有の町屋
 戦国時代は陸奥国鹿角郡に属し、江戸時代は南部藩の所領でした。いまでいえば岩手県です。毛馬内を一躍有名にしたのは、県内3大盆踊りの一つ「毛馬内盆踊り」です。毎年8月の一週間、夜更けまで踊り、秋田県の無形文化財に指定されています
 約200mほどの中心街の本町通りの両側には、わずかですが庇の突き出た雪国特有のこみせ(雁木)が面影を残しています。2階の窓は二重窓にしたり、できるだけ開口部を狭くしたりと、極寒の地特有の造りを見ることができます。‘建物散歩’にふさわしい所。
 感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 クルマは秋田銀行毛馬内支店に停めました
 石鳥谷(いしどりや)/鹿角市八幡平石鳥谷 
   ●旧城館周辺に残る
 地元の人たちは「いしとや」と呼ぶとか。戦国時代の永禄9年(1566)に秋田安東氏が攻めてきたとき、在郷の武士たちは高台にあった石鳥谷に籠城して奮戦。そのときの城館がいまの渡部家住宅のあったところです。屋敷林に囲まれており、周辺に古民家はわずかに残る。
 明治24年築。
▲渡部家住宅(国登録文化財) 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは渡部家住宅駐車場に停めました
 花岡(はなおか)/大館市花岡町根井下
  大型の切妻造が点在
 江戸時代、大館地方も例外なく貧しい。しかしながら花岡は41カ村のうち100軒を超える5か村の内に入っている大きな村。やはり戦国時代から続いている歴史あるせいか、枝郷も多い。歩いていますと意外に、旧名主宅の面影が見られます。 
 秋田県有形文化財に指定。昭和11年に増改築。主屋は宝暦年間に建築。庭園は秋田県の指定名勝。京都の大工、左官、造園師を招いて約5年の歳月をかけた。
▲鳥潟会館(旧鳥潟家住宅) 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは鳥潟会館駐車場に停めました
 曲田(まがた)/大館市曲田字曲田
   ●古民家はわずか
 「マガ」は歪みや悪を意味します。つまり、耕地は狭く、不良湿地帯だったことが、地名の由来。しかし江戸時代は開削、改田に力を入れ、村高は100石近くまでになったとか。いまは大曲市の郊外住宅地として発展しており、ほとんどがクルマで通勤する人たちの現代住宅です。
 秋田県の指定文化財です。明治25年築。秋田杉を巧みに使用した偽洋風建築で、東北地方の農村まで布教がなされたことがわかります。
▲北鹿ハリスト正教会聖堂
 感動度★ もう一度行きたい度 交通 クルマは教会前広場に停めました
浜田(はまだ)/八峰町八森浜田
北国のトタン葺きの町屋
 戦国時代から続く集落ですが、八森村の枝郷の一つ。また北隣の椿集落に初期の藩政時代から唐船番所が置かれた影響で、浜田も賑わったとか。
 ところで秋田大学教育文化学部地理学研究班の調査によれば、秋田県には61臨海集落があるそうです。しかも男鹿市以北はトタン屋根が圧倒的に多い。なるほど、見渡せばトタン屋根ばかりです。海沿いに密集した路村(全体で49集落)で、海岸段丘の影響が大きく影響しています。わずかな土地に、田畑、宅地がひしめき合っているのです。 街道沿いを歩くと、ほとんどが現代住宅でした。
感動度★ もう一度行きたい度 交通 クルマは空き地に停めました 
鵜川(うかわ)/三種町鵜川飯塚 
  大きな古民家が点在
 江戸時代は秋田藩で旧鵜川村。貞享元年(1684))の村の石高は1158石余とかなり多い。これは新田開発が盛んに行われている証拠。これは江戸時代一貫して行われます。農家の区画が大きいのが特徴。大型の古民家が点在しています。
 江戸時代末期の建築。曲り屋形式の簡素なデザイン。
▲大山家住宅/国の重要文化財
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 大山家住宅駐車場に停めました 
外岡(そとおか)/三種町外岡羽立 
  白壁の蔵や茅葺きが点在
 「そでおか」ともいうそうです。このあたり標高40m段丘地帯。中心部の台地を長峰台といいますが、その外側に集落が造られ外岡と呼んだそうです。JRの北金岡駅ができてから、駅周辺は能代市の郊外住宅に変貌しましたが、少し離れたこのあたりは農村風景が広がる。茅葺き屋根や白壁土蔵も点在。 
 
▲旧名主と思われる邸宅
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは道端に停めました 
 北浦入道崎(きたうらにゅうどうざき)/男鹿市北浦入道崎嶋畑
  断崖の上に続く町並み
 江戸時代は秋田藩領で北浦村。地名の由来は北岸の入江だったからとか。また北浦には10の集落があり、そのうちの一つが畠集落です。いま漁港「畠漁港」となって、当時の地名が残されています。そして昭和42年に「大字北浦畠」を、先端の岬の名を取り入れて北浦入道崎に改名したのです。嶋畑は小字にあります。
 町全体が河岸段丘から成り立っています。通りから漁港まで約30m近い急坂を下ります。逆にいえば町並みは断崖上にあるのです。古民家のほとんどが改装、改築されていますが、それでも幾つか見られます。
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは入道崎郵便局に停めました
 加茂青砂(かもあおさ)/男鹿市戸賀加茂青砂鴨
  トタン屋根と板張り
 人口140人弱の小さな集落です。地形は何段にも重なる河岸段丘で、集落へは県道から約50mほど下ります。集落の通りは幅4m程度、約800mの両側に町家が続きます。そしてもう一本、埋め立て地に加茂漁港と、海岸沿いに広い道が続くのです。
 昭和に入っても、県道59号線ができるまでは陸の孤島と呼ばれ、船運が中心。かつては北前船が行き交う時代には、風待ち港として利用されていました。町並みは、町家のほとんどがトタン屋根で、壁は板張りが多い。これは男鹿半島全体にいえることです。 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは道端に停めました 
七日市(なぬかいち)/北秋田市七日市囲ノ内
   ●街道沿いの集落
 交通量の多い阿仁街道沿いに広がる集落です。江戸時代初期は一揆が多発、洪水と相まって藩政は困難を極めたそうです。林業主体の地域で、経済の柱というべきでしょう。古民家は街道沿いや裏手にも何軒か見られます。
 文政13年(1830)に新築されました。秋田佐竹藩の本陣をもつとめたそうです
 ▲長岐邸/市の有形文化財
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました 
本城(ほんじょう)/北秋田市本城
切り妻造が散在します
 江戸時代は秋田藩。「本庄村」の記述も見られます。阿仁川の氾濫は、しばしば村民を困窮に陥れ、一時期村全体で高台に移転したことも。切り妻造の古民家がそこかしこ見られます。金家は阿仁地方のの゛三大旦那゛の一人だとか。往時の面影が見られます。
金家住宅/洋館と和館が一体となっています。昭和3年に竣工。ほかに文庫蔵、米蔵、表門、石垣も指定
▲金家住宅(国の重要文化財)
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
 阿仁銀山(あにぎんざん)/北秋田市阿仁銀山下新町 
  いくつかの古民家が残る
 江戸時代は秋田藩領。元和年間が金銀山の最盛期でした。明治に入って政府は、ドイツ人技師を招き、採掘の近代化を図ります。街道筋には多くの古民家が残されており、往事を彷彿させてくれます。
 国の重要文化財です。明治15年に建てられた県内最古の洋風建築。
▲異人館(国の重要文化財)
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは鉱山資料館の駐車場に停めました
根子(ねっこ)/北秋田市阿仁根子 
マタギ発祥の地
 四方を山々に囲まれた辺境の地でしたが、根子トンネルの開通で環境は激変。古民家も改築や改装で茅葺きはなくなり,トタン葺きになりました。でもマタギ発祥の地、国の重要無形文化財「根子番楽」の地で知られています。一度はぜひ訪ねたい集落です。 
築100年を経過。現在農家レストランとして活動中。管理は「阿仁の森ぶなホテル」が行っているそうです。
▲旧渡部家(現・農家レストラン)
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
笑内(おかしない)/北秋田市阿仁笑内
笑内の家並み 北国特有の玄関構え
 秋田県内難読地名の一つですが,地名の由来はアイヌ語説が有力だとか。阿仁地方の地名の語源はアイヌ語説が多いようです。
 歩いていますと駅周辺の古民家は,北国特有の玄関構えが見られます。寒風を防ぐための2重トビラがソレ。
なお隣の根子集落へはこの駅が最寄り駅。
▲秋田内陸線笑内駅(無人)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは秋田内陸線笑内駅前広場に停めました
打当(うっとう)/北秋田市阿仁打当
打当の集落/打当の語源は,アイヌ語からきているのではないかという説もあります わずかな古民家
 かつては日本の秘境ともいわれ,豪雪地帯でもありました。阿仁の最奥の地。4月下旬でも積雪が見られ所です。いまは「マタギの里」と,そして温泉,熊牧場の3点セットで売り出し中。古民家を探しましたが,ほとんど見ることができません。というのも多くの宿泊施設などは廃屋となって痛々しい。打当川の源流に沿った集落です。
マタギ資料館/入口はマタギの湯から入る。マタギが使用した猟の道具などの資料展示。獲物の剥製など
▲マタギ資料館/マタギの湯に併設
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマはマタギ資料館駐車場に停めました
角館(かくのだて)/仙北市角館町東勝楽丁
角館 黒塀の武家屋敷群
 何度も訪ねた町です。いつもは2,3時間で帰るのですが、今回は初めて泊まりました。早朝、歩きました。いろんな季節に撮った写真もありますが、いちばん新しい、雪の風景ということでUPしました。カラーで撮ってもモノクロ風です。
 重要伝統的建造物群保存地区に選定。茅葺き屋根の屋敷もありました。新緑の時期は、木々で通りが覆われていました。武家町が形成されたの元和6年(1620),秋田潘の支藩で,地割りは往時のまま。幾つものの薬医門と黒塀が、多くの観光客を引きつけ「みちのくの小京都」と呼ばれています。
石黒家 岩橋家
▲石黒家/武家の格式を示しながら簡素なたたずまい ▲岩橋家/角館の中級武士の典型的な家屋です
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 JR角館駅から徒歩15分
外町(とまち)/仙北市角館町下新町
安藤醸造の座敷蔵。仙北市指定文化財 土蔵や煉瓦貼り,石造…
 武家屋敷街の内町に対して商人町を外町(とまち)といいます。火災を恐れて造られた土蔵や煉瓦貼りの古民家が多く見られます。江戸初期には350軒もの商家があったとか。秋田潘支藩では最大の城下町を形成。明治、大正、昭和の近代木造建築の宝庫といえます。
▲かつお醤油ラーメン(750円・風雅)
石造りの店舗 5つの蔵と1つの主屋が健在。
▲伊保(いお)商店/大正13年築 ▲西宮家/明治43年築の米蔵 ▲旧坂本薬局/明治43年築の店蔵
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはハローワーク角館の駐車場に停めました
大神成(おおかんなり)/大仙市大神成字フカウジ
築150年以上の茅葺き屋根のある母屋。4世代8人家族の大所帯。 水板倉のある茅葺きの里
 大神成の最奥地に位置する水板倉は,人工池の中に造った高床式倉庫のこと。内部は2階になっており,食糧や家財道具などを保管。泥棒やネズミ,火災から守ることができる先人の知恵です。もうココ1棟だけ。
市の指定文化財
▲水板倉/明治42年築(個人所有)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
増田(ますだ)/横手市増田町増田
増田 切り妻屋根の飾り
 田舎町を走っていると、突然古い家並みが現れました。もちろん前もって調べていましたが、それにしても突然でした。突然、というのはうれしいものです。町のいたるところに切り妻屋根のある商家が建ち並んでいます。もちろん現役です。切り妻屋根から突き出た飾りが特長です。
 一歩通りの裏道へ入りますと、路地の奥に板塀で囲まれた蔵がそこかしこに見られるのです。また登録文化財の酒蔵もあります。今度は雪の日に訪ねたいです。
 ちなみに桜の名所の「真人(まと)公園」は『リンゴの唄』の発祥の地といわれています。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました 
横手(よこて)/横手市羽黒町
横手市 みごとな武家屋敷群
 どんよりした日でした。路線バスで隣の六郷町(現・美郷町)からやってきました。豪雪地帯ですが、今日はそれほど雪が深いというわけではありませんが、雪の武家屋敷は見応えがあります。黒板塀、生け垣などがきれいに整えられています。
 横手市は「山と川のある景観の町づくり条例」を定めて、街並みを保存しょうという活発な動き。もともと横手城跡は,別名を朝倉城といい,稲庭城主の小野寺氏の領土でした。広大な横手盆地の地の利を得て勢力を伸ばし,各所に枝城を設けました。なお羽州街道の宿場町としても発展しました。
感動度★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 羽後交通バス南町小学校下車徒歩5分
鍛冶町(かじまち)/横手市鍛冶町
屋根から突き出た棟端
 江戸時代は秋田藩領。羽州街道に沿った町人町で,横手城や武家屋敷のあるところから見ると,川向こうで外町(とまち)と呼ばれていました。切妻の商家の屋根から突き出た棟端の飾りが,簡素で美しい。でも数は激減しており,ポツンポツンと散見される程度です。
▲こうじ庵/商家を代表する建築
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマはこうじ庵駐車場に停めました
浅舞(あさまい)/横手市平鹿町浅舞浅舞
浅舞 美しい意匠の切り妻造
 江戸時代は秋田潘領。浅舞城を廃城にしましたが,後に交通の重要性の高さに,陣屋を設けました。さらに宿駅や六歳市が設けられ,全国から物資が集まり,大いに発展しました。
 いま通りを歩きますと,切り妻造で伝統的で美しい真壁の古民家が幾つも見られます。
浅舞酒造/店舗や各種蔵,作業場などが登録。大正6年創業。
▲浅舞酒造/国の登録文化財
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは平鹿防災センターの駐車場に停めました
西馬音内(にしもない)/羽後町西馬音内
左の建物は盆踊り会館です。 美しい切り妻造り
 やはり西馬音内盆踊りが有名。黒覆面をした「ひさこ頭巾」は亡者を連想させます。一方京風の優雅な踊りは編み笠をかぶり素朴なエロティシズムを表現。国の民俗無形文化財に指定されています。本町通りは商家が多く建ち,切り妻が美しい。地名はアイヌ語説もあります。
▲黒澤家住宅/県の文化財指定
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは観光客用無料駐車場に停めました
田代(たしろ)/羽後町田代
茅葺きの里ともいわれています 茅葺き屋根の民家が残る
 かつて87件の茅葺き屋根の民家が残っていたようですが,この20年で激減。もう十数軒になったとか。いま町は保存運動に力を入れているせいか,歩いているだけで,目撃率は高い。このままぜひ残してほしい。
 江戸時代は旧田代村,秋田藩領。江戸初期に猛烈な新田開発が行われ,村の石高が驚異の1000石近くまでになったとか。江戸時代から良質の秋田杉。 
現在は,羽後町総合交流促進施設として,町民に開放しています。
▲旧長谷山邸/主屋は明治15年築
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは旧長谷山邸駐車場に停めました
石脇(いしわき)/由利本荘市石脇
石脇 酒屋が登録文化財
 江戸時代は石脇村で,もともと亀田藩の外港として栄えました。子吉川の河口の町で,良質の水と米で,多くの造り酒屋が生まれ,秋田の銘酒の一翼を担ったのです。写真の建物は齋彌(さいや)酒造で,文化庁から有形文化財として登録されています。いずれも明治時代の建物です。さらに歩きますと,醤油屋も目に付きます。ところで対岸の本庄潘と川境論争がしばしば起こったとか。
 新山の麓に広がる石脇は,比較的古い建物が建ち並んでいますが,交通量が多すぎて、のんびりと見学もできません。十分に気をつけてください。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは齋彌酒造の駐車場に停めました
亀田(かめだ)/由利本荘市亀田
棟飾りが特徴的です 茅葺き屋根ある民家
 JRの駅名が羽後亀田といい,松本清張の『砂の器』の舞台の一つになっています。「カメダ」という言葉から,2人の刑事が羽後亀田駅に降り立つのです。清張ファンにとっては欠かせない町でもあります。
 亀田のほとんどの古民家は天鷺村というテーマパークに移築されています。それでも,町家筋にはいくつか残されていました。また1本裏手に入ったところに茅葺きの民家がありました。実際に人が住み,しかも手入れが行き届いています。意外に観光客の多い町でした。
 江戸時代は岩城氏の城下町で、亀田地織り知られます。
亀田-2 亀田-3
▲手入れの行き届いた茅葺き屋根の民家 ▲近代木造建築(看板建築)も見つけました
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは亀田郵便局に停めました
松ヶ崎(まつがさき)/由利本荘市松ヶ崎
風除け,砂除けの柵が続く
 江戸時代は亀田藩の重要な港で,羽前街道と仙北往還の分岐点で賑わっていました。いまは静かな海辺の集落ですが,日本海岸沿いの民家や畑は防風柵が巡らされ,砂も防いでいます。それにしても波の音の大きさに驚きます。
▲防風柵/板や竹などで風を防ぐ
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
芦川(あしかわ)/由利本荘市芦川
芦川集落 竹を使った防風対策
 江戸時代は亀田藩の領地で,芦川村と称する。藩政時代から由利・本荘から庄内を結ぶ酒田街道が海沿いを通ります。特に冬場は明治時期に入るまで最難所でした。このあたりの防風柵に,竹が多く使用されています。江戸の災害に御用金を課す。
旧酒田街道
▲日本海側に防風柵が続きます
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
中高屋(なかたかや)/由利本荘市西目町出戸中高屋
『秋田県における景観要素から見た臨界集落の特色と分類』(永田由香子著) “河岸砂丘”麓に立つ塊村
 塊村(かいそん)とは,民家が不規則に集まり,ひとかたまりに形成された集落のことです。地図を見て,ひと目で塊村とわかりました。
 秋田大学教育文化学部の研究班の調査によれば,秋田県の臨海地区には61集落があり,そのうち塊村は6集落。なかでも瓦葺き,防風林,防風柵の3点セットの塊村は中高屋のみだそうです。
 町内を海岸に向かって歩くと,ゆるやかなカーブと坂になっており,砂丘の頂上に至ります。迷路のような道の両側に町家が続きます。頂上に行くほど暴風柵が密になってきます。 
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマはマックスバリュ新西目店に停めました
上高屋(かみたかや)/由利本荘市西目町出戸土花
“塊村”の形が崩れた集落
 上高屋は縄文時代の土花貝塚が発見されて知られたとか。また中高屋と同じく集落の形は塊村(かいそん)ですが,かなり崩れています。その分、現代住宅が多くなっています。
 周囲はクロマツの防風林,防風柵が目に付きます。大部分は切り妻で,千鳥破風の玄関を構えています。
コミュニティバスの発着地でもあります
▲上高屋公民館/集落の中心地
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
前郷(まえごう)/由利本荘市前郷字前郷
前郷集落 旧役場周辺に古民家
 旧由利町の中心地で政治,経済,文化に関する建物が集中。また戦国時代,領主滝沢氏の居館があったところで,前郷駅近くの由利小学校にありました。歴史のあるところだけに,古民家もそこそ残されており,市役所支所周辺に散在しています。
望楼風の3階建ての養老閣と呼ばれる大正10年築の和風建築。ただし細部は洋風デザインを取り入れています。主屋は大正3年,文庫蔵は明治33年の建築です
▲佐々木家住宅/国の登録文化財
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは市役所支所駐車場に停めました
前森(まえもり)/湯沢市前森
伝統美・真壁が連なる
 江戸時代は秋田藩領。町人町ですが農民も混在していました。明治に入って伊藤仁右衛門商店が銘酒「両関」の製造をはじめ,町は一気に発展しました。羽州街道沿いに日本古来の伝統美を持った切妻型で真壁造りが並びます。
▲両関酒造/国の登録文化財
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは両関酒造駐車場に停めました
大町(おおまち)/湯沢市大町
大町商店街 旧羽州街道に看板建築群
 「江戸時代から続く町名で歴史を感じさせます」といいたいのですが,なんと旧羽州街道沿いに看板建築がズラリと並んでいます。“見事な美しさ”です。
 今まで湯沢市の中心市街地でしたが,経済的に地盤沈下が顕著となり,平成7年に近代化を図るために大改造を開始。ネオロマネスクというテーマで木造2階建ての“疑似洋風建築”となったのです。訪れたのは早朝の8時半ごろのせいかちょっと静かな町並みでした。古民家ではありませんが,日本独特の看板建築が美しいのです。ちなみに看板建築は藤森照信氏の命名で、江戸東京博物館館長。 
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは北都銀行湯沢支店に停めました
吹張(ふっぱり)/湯沢市吹張
吹張の北端に流れています 湯沢大堰沿いに古民家
 享保期には羽州街道の両側に90軒弱の町家が並び,町人町を形成していました。町の北端に湯沢大堰,南端に一里塚が目印。そして,明治,大正と酒造業を営む商人たちが現れて,町自体が活発化します。
 旧街道沿いには切り妻造の古民家が点在していますが,実際は湯沢大堰(ゆざわおおぜき)沿いのほうが歩いていて楽しい。約400年前に雄物川からの分水路として開削。新田の開拓や物資の運搬にも役だったのです。いま水路沿いには,蔵造りや板塀が続く静かな遊歩道になっています。歩いていて飽きることはありません。
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはコンビニ・ローソンに停めました
院内(いんない)/湯沢市下院内
旧羽州街道沿いに切妻造
 秋田藩は銀山経営に乗り出し,銀山町,上院内村,下院内村の3集落全体で人口は15000人にまでふくれあがりました。食料や日用雑貨等の供で発展。現在は旧羽州街道沿いに古民家が見られ,切り妻造で往時の面影が見られます。 
地元産出の院内石を使って大正12年に造られました
▲旧院内町役場倉庫/大正12年築
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは日帰り温泉ほっと館駐車場に停めました
大竹(おおたけ)/にかほ市大竹前谷地
「千年の村」の異名を持つ
 細い小径を挟んで、両側に寄り添うように古民家が立つ集落です。歴史は古く、平安時代に加賀国から三兄弟がやってきて,竹を伐採して家を建てたので大竹の名が付いたとか。それが千年前。集落全体に四季の花が咲く花の里でもあります。
広々とした庭には300種類以上の花が咲き乱れます。同時に花にまつわるイベントを開催し,大竹集落の情報発信基地にもなっています
▲ガーデンカフェ・タイム/情報発信
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは大竹会館広場に停めました
象潟(きさかた)/にかほ市象潟町三丁目塩越
羽州街道沿いに古民家
 象潟は俳人・松尾芭蕉が奥の細道で訪れた最北の地として知られています。句碑や記念碑が見られます。芭蕉が“松島”と賞賛したが,江戸末期の大地震で海岸が隆起し陸地に変貌。それからは観光客が激減したとか。いまは旧羽州街道沿いに古民家が少し見られます。
旧象潟町役場/ココは同時に松尾芭蕉が宿泊した能登屋跡でもあります
▲象潟公会堂/昭和9年築
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
荒川(あらかわ)/大仙市協和荒川上荒川
白壁と鴨居,柱の組合せ
 羽州街道から分岐した繋(つなぎ)街道(角館街道)は荒川村を貫いていました。江戸時代は秋田潘で旧荒川村。鉱山の開発などで,賑わいました。いま街道沿いに切り妻の美しい壁を見せている古民家が連なっています。また茅葺きの屋根も残されているのも珍しい。
▲茅葺き屋根のある農家
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道端に停めました
二日町(ふつかまち)/大仙市長野字二日町
二日町 いまは2軒の造り酒屋
 二日町は玉川沿いの荷揚げ港でもあります。玉川から雄物川を経て日本海へ出られるのです。米や大豆,小豆,酒などの大きな市が立ち,かなり繁栄しました。
 特に良質の米と水を利用した酒造りは,明治36年には9戸に達し,その頃の石高は2,055石,税額は31,000円と,郡内でも群を抜いていました。しかし,現在では2戸にまで減り,昔ながらの方法で操業しているそうです。歩いていると,2軒の酒屋さんを見かけます。立派な建物です。江戸時代は秋田藩領。町名は定期市の開催日に由来し、軒数は78とか。かなり多い方です。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは中仙郵便局に停めました
角間川(かくまがわ)/大仙市角間川町
角間川 舟運の盛んな時代を彷彿
 江戸時代は秋田藩領で、旧角間川村。古くは河隈川、河熊川とも書いたようです戦国時代から雄物川を利用した舟運が盛んな土地柄でもあります。角間川は秋田藩の時代から,米を中心にした一大物量の拠点でもありました。
 現在,中心と思われる町を歩いて見ました。一部,写真のような武家屋敷風(?)の建物が約100mほど続いているだけです。弊は漆喰の壁に下半分が板張りです。なにやらちょっと寂しい感じがしました。
 舟運の盛んな土地柄だけに,蔵などもたくさんあったでしょうが,全部取り壊されたとか。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは角間川郵便局に停めました
六郷(ろくごう)/美郷町六郷
六郷 酒造業が発展しました
 角館から早朝のバスでやってきました。豪雪地帯ですが、町内は雪が少なく除雪も行き届いていました。羽州街道の宿場町です。小さな町ですが、酒造業や呉服業が活動しており、明治、大正時代の建物がたくさん残っています。
 六郷は東北地方でも有数の名水の土地で、町内に60カ所以上も遊水池があります。酒造業が発展したのもおいしい水があったからでしょう。
 江戸時代は秋田藩領。慶長7年に藩士の2人が六郷城を受領。まもなく佐竹氏の支配となるが,領民との争いが絶えなっかたゆです。
感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 羽後交通バス六郷米町下車すぐ
六郷寺町(ろくごうてらまち)/美郷町六郷
寺町通り 中世の歴史ある寺院
 元もと県下でも有数の穀倉地帯でした。秀吉の時代,太閤検地が行われましたが,農民たちの反対による一揆が発生しました。江戸時代に入って,佐竹氏が入城。その佐竹氏に反対した一揆がまたもや発生しましたが,まもなく鎮圧。そこで一揆に懲りた佐竹氏は,郡内各地の寺と中世の時代からあった寺を併せて21ヵ寺を集め,農民一揆の鎮圧の拠点造りにしました。しかし異説として、街造りのために寺院を集めたという説もあります。
 現在は26ヵ寺に増えていますが,寺町通りには歴史ある10ヵ寺前後が続いています。 
▲照楽寺/県指定の重要文化財 ▲本覚寺/県指定の重要文化財 ▲眞乗寺/町指定の史跡
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは観光客用駐車場に停めました
小坂(こさか)/小坂町小坂鉱山
明治百年通り 異国のような明治百年通り
 見た目の風景がとてもきれいです。道幅も広く,どこか外国にでもいるような感じがします。『日本のかおり風景100選』に選定されています。また『手づくり郷土賞』も受賞されています。
 ココはアカシアの並木と明治時代の雰囲気が醸し出すのが明治百年通りなのです。3つの大きな建物のなかで康楽館では,常にいろいろな催し物を行なっているので,観光バスでの団体客が姿が絶えません。こんな小さな町に,全国からたくさんの観光客が訪れるのもわかるような気がします。
 明治時代、小坂銅山自体にドイツ人技師などが住み、比較的外国慣れしていたのでしょう。
康楽館 天使館 小坂鉱山事務所
▲重要文化財の康楽館 ▲国有文化財に登録された天使館 ▲重要文化財の小坂鉱山事務所 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました