はじめに-なぜ古い町並みなのか |
■かつて見た「白壁と夏みかん」の光景に感動しました |
日本の古い町並みを歩いてみたいと思うようになったとのは、いまから約十数年前でした。仕事の合間や休みを利用して、少しずつ各地に出かけていました。かつて旅行雑誌の編集を担当していたとき、初めての出張地が「萩・津和野」でした。 観光パンフレットで見た白壁と夏みかんの光景が、眼前に広がっていて「あっ、同じだ…」と妙な感動を覚えました。 |
■声高に「古い町並み」を守れ、とは言えなくなりました!? |
私自身(大西脩平)、奈良市に生まれで、近所にも古い町並みがありました。何よりも親戚等の家屋自体が古い町並みの一画を占めているのです。古い家屋を維持するのは、たいへんな努力とコストがかかります。住民のある意味での「犠牲」も必要になってくるのです。 多くの人たちが「古い町並みや建物を守れ!」「守るのは住民の義務だ!」などといいますが、私にはとても言えません。そこに生活をしている人たちがいるのです。もちろんだからと言って「住民の勝手にまかせてもいい」というものでもありません。 奈良市の旧市街地で、近鉄奈良駅から15分~20分程度の町、奈良女子大付近ですが、昔からの住民は、近鉄沿線の富雄駅、生駒駅、あやめ池駅など郊外に「逃げて」行きます。過疎地は、田舎だけではないのです。知り合いが「ここは未亡人と老人の町」というのも、あながち嘘ではありません。 コンビニもありません。空き地は駐車場になりますが、それも埋まりません。大阪の通勤圏でありながら、この状態です。 |
■それでも古い町並みや建物は後世に残さなくてはいけない |
全国各地を歩いていて、このままにしておくと消えてしまうという町並みがたくさんあることに気が付きました。それを防ぐには、行政による多額の税負担となりますが、それ以上に地域住民の意識が問われると思います。住民の協力が得られないまま消えていった町並みもたくさんあります。それだけに行政と住民の意識が一致したときに、初めて古い町並みが再生されるものと信じています。 あれやこれやと考えながら、古い町並みを歩きました。歩いていると、本当にホッとします。やはり、古い町並みや建物は残さなくてはいけないのです。 |
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薬品の業界紙での雑用からはじまり、住宅、スポーツ、旅行から、カメラ関係の雑誌、ムックの編集にフリーで携わっています。古い町並み以外のテーマでも、けっこう歩いています。一時期,駅弁の連載記事を書いたこともありました。今回の★印は、ひとつの目安になれば、と思います。 現在,地域活性学会,NPO法人全国町並み保存連盟,(財)日本ナショナルトラストに所属。また中国古镇游(古鎭遊)研究会代表。 |