福井県
東郷(とうごう)/福井市東郷二ケ町 | |
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●福井市の里川に認定 東郷の名は鎌倉時代の荘園・東郷荘として初めて現れます。貞治5年(1366)朝倉高景にこの地の地頭職が与えられます。その後朝倉氏滅亡後,天正13年(1585),長谷川秀一が東郷に入府し,城下町として形成。 しかも大野街道と東郷街道の交差する交通の要衝で,江戸時代は宿場町としてますます発展しました。 町並みは,古民家は多くはありませんが,堂田川沿いに残されており,美しい水の流れに心が洗われるようです。福井市の里川として認定されています。 |
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▲串かつ(450円/文ちゃん) | ▲米粉えび餃子(665円/福龍飯店) | ▲醤油ラーメン(500円/福龍飯店) |
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは東郷郵便局に停めました |
勝山(かつやま)/勝山市本町 | |
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●商家や料亭などが並ぶ 江戸時代は小松原2万2千石の城下町でした。市役所の脇道がおたね坂といい,お種と若侍の悲話が残されています。その後メインの本町通りに出ますと,城下町らしく古民家が多く残されています。庇や軒が突き出た2階建ての町家で,歩いているだけで楽しくなります。 本町通りは歴史は古く,柴田勝安の時代に本町,郡町,寺町を形成。その後元禄4年,小笠原貞信が高須より入府,商家が建ち並ぶようになったそうです。なお河原通りは料亭,置屋,遊郭が並んでいました。 |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは勝山市役所の駐車場に停めました |
永平寺(えいへいじ)/永平寺町松岡春日 | |
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●歴史のある山間の町並み 永平寺といえば曹洞宗の大本山として知られています。いまから約760年前道元禅師によって開創され,町は門前町として発展,多くの信者が参拝します。 町並みは永平寺役場のある勝山街道(国道416号)の一本裏手にある旧街道沿いに建ち並んでいます。造り酒屋,や商家,寺院などがあって落ち着いた町並を形成しています。 この近くには天龍寺があり,初代松岡藩主が祖母の冥福を祈るために建立したとか。また松尾芭蕉の立ち寄った寺としても知られています。 |
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはスーパー・ラッキーに停めました |
吉江(よしえ)/鯖江市吉江町 | |
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●七曲がりが往時を彷彿 文禄年間に活躍した文豪・近松門左衛門は吉江藩士を父にしていたことから,2〜15歳ごろまで吉江に住んでいたそうです。その吉江藩もわずか29年で廃藩となり,福井藩に吸収されました。同時に武家屋敷や寺院なども福井城下に移転させられたのです。 当時,町人町の一つ新町から藩主の住む館(陣屋)まで行くのに大回りさせ,制札場を設けるなどして,七曲がりしていたといわれています。歩きますとカギ型の通りが現存し,長屋,商家などが往時を思い起こさせる。 |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはJAたんなん鯖江北支店に停めました |
水落(みずおち)/鯖江市水落町 | |
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●北陸道の宿場町 江戸時代は福井藩領。近くに神明社(約50石)があり,後に枝郷宮村として分村していきます。15世紀末には市が立ち,住民の大部分は農業と馬喰を営んでおり,北陸道沿いの宿場町として発展しました。 さらに松平忠直による開発が進み,町並みが形成しました。朝倉氏の旧臣で水落に土着した清水藤右衛門家は,代々本陣や伝馬問屋を務めました。 いまは閑静な住宅地となっていますが,石碑を中心に蔵造りや庇の突き出た町家が所々残っており,風情を感じさせます。 |
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは旧宿場跡駐車場に停めました |
旭町(あさひまち)/鯖江市旭町 | |
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●かつて貧乏藩の陣屋町 江戸中期の享保5年(1720),越後村上より間部氏が入封し,鯖江藩が成立しました。しかし貧乏藩で,実際の石高は800石といわれ,北国街道沿いの寒村に過ぎなかったのです。しかも,領地は飛び地を集めて成立したもので,それぞれの支配地に6人の大庄屋を置きました。さらに家臣をそれぞれの飛び地に住まわせ,陣屋町を早急に形成させる必要がありました。 旭町付近は,陣屋町の一つとされています。いまは石畳みを敷き詰め,板塀が続き,往時を彷彿させます。 |
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは一乗寺駐車場に停めました |
宿(しゅく)/越前町宿 | |
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●道幅の狭い漁村らしい光景 江戸時代は福井藩領で,ほとんどが漁業で生計を立てていました。しかし隣の新保集落と漁場の境界線での争いが絶えず,屋敷地や山の境界線も含めて明治まで続きました。 宿は若狭湾に面した細長い集落です。反対側は崖地になっており,集落内はクルマ1台がやっと通れる道幅です。家屋はひと目見て立派です。なかには木造3階建ても見られますが,狭い敷地を有効に利用しようとしたからでしょう。さらに裏道に入りますと,道幅は狭くなり,漁村らしい光景が見られます。 |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは漁港に停めました |
今庄(いまじょう)/南越前町今庄 | |
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●約1kmもの大きな宿場町 北国街道と北陸道が交差する宿場で,かつては軍事・交通の要衝でもありました。天正11年(1583),敗走する柴田勝家軍を追って北上する羽柴秀吉軍は,まず「板取,今庄,いのお」付近に陣を張って,柴田勢の反撃に備えたそうです。 京や江戸,伊勢参りも必ず今庄を通ることから,かなり繁栄しました。天保年間で旅籠が55軒もあったとか。 約1kmの町並みは江戸時代初期に形成されました。建物は庇が突き出てた豪雪地帯らしさを感じます。 |
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは空き地に停めました |
板取(いたどり)/南越前町板取 | |
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●4棟の茅葺きの民家 天正6年(1578),柴田勝家が北ノ庄から信長の居城安土に赴く最短路として,栃ノ木峠の大改修を行なうと人馬の往来が多くなり,板取宿を設けたました。その後北国街道の玄関口として,近江−越前を結ぶ要の宿として発展しました。江戸時代は,関所を設けたそうです。 石畳みの両側に4軒の甲造りや妻入り型の茅葺きの民家が残っています。また役場の募集をみて,東京からKさん一家が移住されて十数年になります。移住の条件が「家の周りの整備といろり焚くこと」だったとか。 |
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは板取宿駐車場に停めました |
河野(こうの)/南越前町河野 |
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●右近家と中村家 江戸時代時代は福井藩領。何より江戸時代中期から明治にかけて北前船の活躍が著しいものがありました。特に右近家と中村家の2大船主は,大きな力を持ち,地元に対しても,道路の建設,水道の施設など大きな力を発揮したのです。 慶応元年には右近家は,大型船5艘,中村家も大型船5艘を持ち,河野浦をほぼ独占していました。しかし北前船の衰退と共に右近家は火災海上保険の分野へ,中村家は北洋漁業の分野へと進出。なお建物は京風の本瓦を使った豪勢な造り。 |
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▲北前船主の右近家 | ▲右近家の西洋館(国の登録文化財) | ▲中村家(非公開・国の重要文化財) |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはシーサイドパークに停めました |
金ヶ崎(かねがさき)/敦賀市金ヶ崎 | |
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●レンガ倉庫は登録文化財 1905年アメリカの石油会社が貯蔵庫として建設,県内で最大規模のレンガ建築物です。柱の内側に壁を設け,柱が出ない設計になっており,平成21年に国の文化財に登録されました。 少し離れた所には黒板塀や鉄筋の古い倉庫群があり,現在も使われています。 |
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▲板張りの倉庫はまだまだ現役 | |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは金ヶ崎緑地の無料駐車場に停めました |
相生(あいおい)/敦賀市相生町 | |
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●敦賀で最も歴史のある地 敦賀でも最も歴史のあるところで,古代以来,気比神宮の社領ともいわれ,共に発展してきました。江戸時代は36町とも41町ともいわれ,この地は金ヶ辻子(かねがずし)と呼ばれ,鉄問屋,刀鍛冶屋,糀屋,酒屋などがありました。現在でも造り酒屋の敦賀酒造(寛永元年創業)が残っています。 また戦前はヨーロッパへシベリア鉄道,航路を併用すると最短距離で行けるというので,敦賀は国際港として賑わいました。なお古民家はこの三叉路付近に残っているいます。 |
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▲市立博物館(昭和2年築) | ▲鯖のへしこ焼き(400円/まごころ) | ▲にしんそば(490円/あまの) |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは市立博物館に停めました |
疋田(ひきだ)/敦賀市疋田 | |
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●敦賀と京・大坂を結ぶ要衝 江戸時代から交通の要衝で,西近江路,塩津道などの分岐点にもあり,また本陣も置かれ郡内で最大の宿場町に発展。 しかし何より疋田が知られるようになったのは,敦賀港と琵琶湖を水路で結ぶという計画でした。これは平清盛の時代から念願で,江戸時代に入って幾度か計画され,実際に工事が行われました。川幅は2.8mで牛車で荷物満載の舟を引くというものです。川底には丸太を敷き詰め,舟が滑りやすいようにしたそうです。これらも慶応2年の大洪水で崩壊したそうです。 |
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは空き地に停めました |
早瀬(はやせ)/美浜町早瀬 | |
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●板張りの土蔵や民家 南北朝時代は早瀬浦と呼ばれた地域。地頭職が支配地を京都の臨川寺に寄進,まもなく天竜寺の支配も始まりました。風光明媚な荘園だったのでしょう。江戸時代は小浜藩の所領でした。文化4年(1807)の人口は1024人,203戸で,漁業が盛んなのはいうまでもありません。現在でも6割が中京や京阪神に出荷されているそうです。また北前船の寄港地でした。 道は入り組み,裏に入ると狭くなります。土蔵は風雨に強い板張り,なまこ壁。町家は2階屋も低く,オール板張りです。 |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは早瀬漁港の空き地に停めました |
日向(ひるが)/美浜町日向 | |
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●約1kmの細長い集落 日向浦と呼ばれ,弘安年間(鎌倉時代),奈良・春日社が荘園とした,という記録があります。日向湖に沿って約1km以上の細長い集落で,漁村特有の板張りの民家が続きます。日向橋の袂にへしこの里の碑。 |
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▲鯖に糠を塗って保存するへしこ | |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは漁港の空き地に停めました |
佐柿(さがき)/美浜町佐柿 | |
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●商家と農家の混合型町家 秀吉の家臣・木村常陸介定光が国吉城主となった天正11年(1583)から,本格的な町づくりが始まりました。丹後街道の向きを変えて,新たな街道に短冊型の町割りを整えたのです。なかには表構えは商家でも,奥には土蔵や牛小屋のある町家も見られます。これは商家と農家の両方の機能を持った,きわめて珍しい町家といえます。 慶長5年(1600),入封した京極高次は若狭と越前の国境に関所を設けました。その後の小浜藩主・酒井忠勝も佐柿の重要性から町奉行を置きました。 |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは国吉城址駐車場に停めました |
小浜(おばま)/小浜市小浜香取 | |
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●NHK『ちりとてちん』舞台 2度目の訪問です。NHK『ちりとてちん』の舞台となったところで,爆発的な人気となりました。 若狭の小京都と言われ、古い町並みや寺院などがたくさんあり、かなりの歴史的な建造物が残っています。国民宿舎小浜ロッジから古い町並みの「三丁目」(写真上)まで徒歩3分ぐらいとすぐです。夜になる三味線の音が聞こえる、お茶屋街です。クルマ1台がやっと通れる狭い道を歩きながら、格子の向こうからにぎやか嬌声が聞こえてきそうです。 ●町並み資料保存館 「三丁目」が西の端で、ここから東のJR小浜駅方向へのんびりと歩きます(写左)。道幅も広くなります。格子のはまった2階建ての町家がそこここに見られます。 途中「町並み保存資料館」があります。小浜は北前船の寄港地で、資料館は江戸時代の町家を再現したものです。 ●鯖街道の起点 若狭はかつては朝廷に海の食材を送っていたところで、小浜はその基地でもありました。「鯖街道資料館」もあります。サバにひと塩して、一昼夜かけて京都に運ぶと、ちょうどいいというわけであります。 |
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感動度★★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 国民宿舎小浜ロッジ横に無料駐車場あり |
遠敷(おにゅう)/小浜市遠敷 | |
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●街道と参道の町 若狭姫神社(写真),若狭彦神社と共に発展した町並みです。若狭姫神社の歴史は古く,創建は奈良時代養老5年(721)といわれています。また現在の本殿は享和2年(1803)の造営されました。 若狭姫神社の前に,中世に市が立ったところでもあり,南北朝時代の建武元年(1334)には遠敷市と呼ばれていたそうです。 いまは「街道と参道の町」と呼ばれ,幾つかある鯖街道の1つが通り,門前町と相まって風情のある町並みを形成しています。 |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは若狭姫神社前に停めました |
下竹原(しもだわら)/小浜市下竹原 | |
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●若狭塗りの箸の生産地 丹後宮津街道沿いに古民家が残っています。江戸時代は小浜藩領で,人口の95%が漁業で生計。明治に入って伝統工芸の若狭塗りの箸生産に転職していきました。 |
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▲堀屋敷地区は江戸時代の武家屋敷の地割りが残っています | |
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは小浜漁港に停めました |
和田(わだ)/高浜町和田 | |
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●戦国時代は荘園でした 文献によれば12世紀ごろから成立した荘園だったそうです。和田は戦国時代から海運の要衝だったところで,特に小浜へは「和田通舟」と呼ばれていました。江戸時代は小浜藩領で,人口は1100余人で,当時としては比較的大きな集落でもありました。また郡内を治めるための陣屋も置かれており,800坪に及ぶ広さだったとか。 現在の町並みは,海水浴場の裏手に広がっており,黒瓦の切り妻屋根に板壁の戦後の建物で,漁村らしい光景が広がっています。 |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは和田浜海水浴場の無料駐車場に停めました |
三明(さんめい)/高浜町三明 | |
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●旧丹後街道沿いの町並み 旧丹後街道の宿場町・高浜宿の一画でもあります。もちろん城下町としての性格も持ち合わせています。また町内で最大の繁華街でもある中町商店街から三明に至る通りに土蔵造りの商家など古民家が点在しており,往時の面影が見られます。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは中町商店街駐車場に停めました |
大野(おおの)/大野市元町 | |
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●名水百選のトップクラス 大野市は2回目の訪問です。名水百選のトップクラスで、浄水のわき出る町です。10数年前に訪ねたときは、もっとこぢんまりしていたような気がします。石畳でも道がも広く、他の町の古い町並みとはいささか趣が違います。 町並みはきれいな碁盤の目状で、わかりやすいのが特長。市内各地に水に関する名所があって、素朴な光景を見ることができます。 |
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感動度★★ もう一度行きたい度★ 駐車場 無料駐車場あり |
武生(たけふ)/越前市武生京町 | |
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●おしゃれな蔵の辻 北陸街道沿いの城下町です。街道の西側は寺町(写真下右)になっています。特に京町界隈は、たくさんの寺院が集まっているところです。 しかし最初に目に付いたのは、石畳を敷き詰めた大きな広場でした。蔵の辻(くらのつじ/写真下左)と呼ばれているところで、蔵作りの建物を集めて、市街地活性化の一環として整備されたところです。おかげでちょっとおしゃれな広場になったせいか、若い人たちが集まりだしたそうです。 |
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感動度★★ もう一度行きたい度★ 駐車場 旧武生市庁舎駐車場があり |
五箇(ごか)/越前市新在家町 | |
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●岡本川沿いの閑静な町家 五箇地区では良質な越前和紙の生産販売は,天正9年(1584)に隣の大滝村が,佐々成政に許可を願い出ていたので,岩本村(当時)も生産販売しました。昭和初期,大蔵省印刷局の出張所があったくらい。岡本川沿いの閑静な古民家群。 |
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▲紙の文化博物館 | |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは紙の文化博物館に停めました |
広瀬(ひろせ)/越前市広瀬町 | |
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●板張りの土蔵群が目立つ 南北朝時代から広瀬の地名が見られる歴史のある町です。江戸時代は福井藩の所領。府中と河野・今泉浦を結ぶ西街道沿いの,宿場町とはいえない小さな集落でした。 明治に入って,当初は石川県でしたが,上広瀬村と下広瀬村が合併して広瀬村が誕生,明治14年に福井県に所属が決まりました。 歩いていて目立つのは,土蔵です。雪国らしく土壁に板を横に張り付けて補強しています。これは風雪対策のためです。また寺院や町家など楽しいもの。 |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは空き地に停めました |
三国(みくに)/坂井市三国町神明 | |
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●三国にも思案橋が… 北前船の寄港地です。往時はかなりにぎわったようです。かつて出村(写真左)あたりは遊郭だったようです。そして辰巳川にかかる思案橋は、「出村に行こうかもどろうか」と思案したところとか。長崎市の思案橋と同じ言い伝えです。 三国は、九頭竜川に沿って細長く1本の道が連なっています。格子が連なる町並みもあれば、福井県でいちばん古い鉄筋の建物・旧森田銀行本店(写真下右)は大正時代の建築です。 |
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感動度★★★ もう一度行きたい度★★ 駐車場 九頭竜川の堤防沿いある |
三方(みかた)/若狭町三方 | |
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●街道沿いに残る古民家 風光明媚な三方湖に面した町です。江戸時代は小浜藩所領で,参勤交代時は必ず三方で中食をとっていたそうです。 国道27号線に沿った裏道の旧街道に格子のはまった歴史的建造物が所々に残っています。京を結ぶ主要な街道。 |
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▲らーめん(550円・梅の木) | |
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマはふるさと会館に停めました |
熊川(くまがわ)/若狭町熊川 | |
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●若狭街道は別名・鯖街道 若狭と近江,京都とを結ぶ若狭街道沿いにある宿場町です。江戸時代には,あらゆる物資がこの町に集まり,ここから都へ運ばれました。 酒井氏の時代は,鯖など水産加工物以外にも小浜藩の年貢米を納める蔵が12棟もあり,近くの村々から3万俵の貢米が運び込まれたそうです。そのため宿場は発展し,問屋,酒造業,さらに明治に入っても銀行,郵便局,警察などが設けられ,この地方の中心地でもありました。なお手造り郷土賞,平成の名水百選にも選定。 |
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●山間の地にある宿場町 通りを歩いていますと,側道に豊かな前川(用水路)が流れています。建物は中心部は,平入りで瓦葺きが多いようです。格子戸のある建物も多く,やはり京都の影響が色濃く感じさせられます。 |
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▲葛そば(700円/まる志ん) | |
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 道の駅の無料駐車場に停めました |