岩手県

 紺屋町(こんやまち)/盛岡市紺屋町
 紺屋町-2
   
▲岩手銀行赤レンガ館/重文  ▲中津川沿いの岩手銀行赤レンガ館 
 ●国の重要文化財が立つ
 とにかく都心にあるだけに交通量の多さを考えて、日曜日の朝7時ごろ撮影しました。写真のようにしっかりと撮れました。
 赤れんが造り(写真上)で、東京駅と同じ設計者だそうです。明治末期に建てられたそうで、ルネッサンス風の外観は、盛岡市のシンボルにもなっています。いまは岩手銀行の中ノ橋支店として実際に使われています。平成6年に国の重要文化財に指定されています。
 この近辺には、明治・大正時代に建築された建物がいくつか残っています。ぜひ歩いてみてください。
江戸から明治の建築
 岩手銀行からすぐのところに「ござ九」があります。江戸後期から明治時代に建てられた豪商の家屋がそのまま残っています。格子戸のある低い屋根、平入りの2階建て瓦葺きで出桁造りです。ならだかな屋根の野勾配はやさしさを感じます。裏手に流れる中津川から見た「ござ九」も趣があります。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは有料駐車場に停めました
 鉈屋町(なたやちょう)/盛岡市鉈屋町
 鉈屋町
 ●ごく普通の町家
 このあたりは藩政時代の南玄関口として活況を呈していたそうです。そのため商家が多く残っていたのですが、明治17年の大火で大半が焼けてしまったのです。ただ立派な土蔵が残っているわけではありません。歩いていますと,2階建て平入で,出桁造りの町家が並んでいるのが目に付きます。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは道端に停めました
 北山(きたやま)/盛岡市北山
 寺町通り
 ●「日本の道100選」
 広い通りに面していくつかの寺院が建ち並んでいます。寺町通りです。歩道と車道のあいだに生け垣があってとてもきれいな街並みです。「歩いて楽しむ町」の名にふさわしいところです。「日本の道100選」の一つなのもうなずけます。この日は早朝だったので、参拝客が少しいた程度で、静かな町でした。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは寺院の駐車場に停めました
 二戸(にのへ)/二戸市福岡
 二戸
 ●店先は「こみせ」
 正直いって平凡な地方都市でした。しかし歴史的には約6万人の豊臣軍に対してわずか5千の兵力で戦ったのがこの九戸城跡あたりです。ここは奥州街道の宿場町でした。かつて物資の集散地で、商家、旅館などが往時のまま残されています。歩くと約10軒程度の歴史的な建物が見られます。小さな街並みです。商家の店先はひさしの突き出た小規模な「こみせ」が見られます。なおこみせは青森県黒石市が立派です。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは道端に停めました
 田瀬(たせ)/花巻市東和町田瀬
 
   
▲伊藤家住宅/国の重要文化財で 「内馬屋直家形式」の貴重な農家 
大規模開発から逃れたため、山村の原風景を偲ぶ
 地元の古老のなかには地名を「たんせ」と呼ぶようです。江戸時代は盛岡藩領。西側と南側は仙台藩と接しており、古民家も仙台藩に多い直家形式と南部藩領に多い曲り屋形式の家屋が混じっている地域でもあります。隣接する仙台藩を警戒するために、田瀬館を置かれていました。寛永年間に国境論争が起こったとか。歩いていますと田んぼよりも畑作が多く、牧草地率が高いようです。ここまでくると辺境の名にふさわしく、大規模開発から逃れたためか、山村の原風景を偲ぶことができます。民家もポツンポツンと点在し、ノンビリとした集落です。 
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 クルマは伊藤家住宅の駐車場に停めました 
 遠野(とおの)/遠野市六日町
 遠野
 ●町家や蔵造りの商家
 2回目の訪問です。1度目は宮古市で仕事を終えて、遠野でのんびりしようと、やってきたのです。自転車を借りてあちこちと走り回りました。この地はカッパ伝説が有名ですが、今回は歴史的建造物を見て回わりました。
 市内には武家屋敷があったり、蔵造りの商家や、板塀の町家などが残っています。大工町(写真)には歩道が木をふんだんに使った木道があって、景観の維持に努めています。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマはJR遠野駅前の駐車場に停めました
金ヶ崎(かねがさき)/金ヶ崎町西根 
 金ヶ崎-2
 金ヶ崎-1  
 ▲1400坪もある添田家住宅(左)  ▲伊藤家侍住宅/レストランを併用
 ●北の武家屋敷群
 伊達藩の最北の所領でした。武家屋敷が点在し,小路は江戸時代のままだそうです。大松沢家(写真上)は回遊型の庭園がありますが,見ることができませんでした。ほとんどが個人住宅ですので,しかたありません。重要伝統的建造物群保存地区です。
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマはまちなみ交流館の駐車場に停めました
 前沢(まえさわ)/奥州市前沢七日町
 前沢
 ●目立つ大幸邸
 「前沢牛」で知られた町です。でも駅近くに前沢牛の看板を下げたお店が意外に少なかった、というのが正直なところです。
 駅前通りから一本裏道に入ったところにあるのが、大幸邸(だいこうてい)です。岩手県の文化財に指定されています。庭園がすばらしいので、ぜひのぞいてください。町を歩いていると、蔵造りの商家や町家がところどころに見られますが、徐々に減っています。
 感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 クルマは駅近くの駐車場に停めました
 生母(せいぼ)/奥州市前沢生母
 
   
▲旧後藤正治郎住宅/築300年の仙台藩前期の田の字型農家建築
・屋根の崩落で、現在修復中。県指定文化財、内部見学は中止 
山間の小道沿いに古民家が点在
 このユニークな地名は、明治時代赤生津村と母体村が合併して生まれました。人口は2300余人だとか。江戸時代は仙台藩領で生母地区は大部分が山林原野で、木材の産出が多い。いま集落内を歩いて見ますと、完全な農村地帯ですが田畑は狭く、山間の道沿いに古民家が点在しています。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 クルマは旧後藤正治郎住宅の駐車場に停めました
 江刺(えさし)/奥州市江刺中町
 江刺-1
 江刺-2  江刺-3
▲土蔵のうまく利用して町造り  ▲土産物店や雑貨店も蔵造り 
 ●蔵をイメージした町
 いつも思うことですが、予想以上に古い建物が残っているとうれしくなります。この江刺もそんな町でした。中心部に蔵町モールがあって、蔵をイメージした景観を維持しています。また中町通りにの土産物店や各種お店も蔵造りに似せているのです。一種の町おこしの役割を果たしているのです。
 黒壁ガラス館、黒船オルゴールいわや堂なども見どころです。
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 クルマは観光客用の駐車場に停めました
 人首(ひとかべ)/奥州市江刺米里
 
地名に驚きましたが町並みは雪国特有の町家
 県道8号線をクルマで走っていますと、「人首」という地名を発見したときはギョッとしました。地図を見ますと、バス停「人首新町」や「人首小学校」、「人首川」などギョギョっとするような地名が連続します。うれしくなってきました。しかし町を歩きますと、やや平凡な地方都市の風情が広がっています。でも「人首城跡」の案内板を発見したときは、それなりに歴史のある町であることを確証。
 江戸時代は仙台藩領。慶長11年(1606)、沼辺重仲氏が北の藩境の警備のため人首要害(人首城)に派遣されてきました。以後幕末まで支配。村高2000石弱、人口も3000人弱とかなり大きな村に発展しました。町場も形成され、宿場町の様相を示していました。盛街道が開削され、盛岡藩領遠野への街道もあって、交通の要衝でもあったのです。いま歩いて見ますと、雪国に多いトタン葺きの2階家、板壁を中心にした町家が連なります。ところで地名の由来は、坂上田村麻呂が大成山(大森山)で大岳丸の手にある人首丸を討ったことにちなむとか。はじめは「人こうべ村」と称したという。 
 感動度★
もう一度行きたい度★★
交通 クルマは空き地に停めました
 大畑小路(おおばたけこうじ)/奥州市水沢大畑小路
 
   
▲高野長英旧宅/養父蘭・高野玄斎に学を学ぶ。明治9年改築  ▲武家屋敷高橋家/和洋折衷の母屋がめづらしい。明治7年築 
   
▲旧内田家/現在は武家屋敷資料館も併設されている(吉小路)  ▲後藤新平旧宅/母屋は18世紀中頃の建築。県の文化財(吉小路) 
多くのの歴史的建造物が「歴史回廊」で見られます
 江戸時代は仙台藩領。留守(るす)氏(1万6000石)が江戸期を通じて治めました。まず城下町の整備を行い、袋町、大町などの6か町からなる町人町、さらに大手小路、新小路、日小路など24か町からなる家中小路、足軽町などの武家居住地とで構成しました。大畑小路をそのうちの一つで、吉祥寺前小路、東大畑小路とも呼ばれてていたとか。実際に歩いて見て、大畑小路は長さ100m余の長さですが、2軒の歴史的建造物が見られ、往時の面影を感じさせてくれます。もうひとつ歴史的建造物を見せてくれるのが吉小路(きちこうじ)です。江戸時代は給主小路(きゅうしゅこうじ)と呼ばれており、上級家臣の武家屋敷が置かれていたところです。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 クルマは武家屋敷専用駐車場に停めました
 大町(おおまち)/奥州市水沢大町
 
大町川にかかるめがね橋のたもとに旧商家の土蔵群
 大町川にかかる長光寺橋、通称めがね橋は昭和4年(1929)に完成した戦前の橋です。しかし江戸時代の絵図では奥州街道沿いの大町から長光寺へ抜ける小道が描かれていますので、何かしら橋が架けられていたものと推定されます。この土蔵群のある大町川に西側は、江戸時代は町人町の置かれたところで、水沢の中心地でもあります。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★
交通 クルマは武家屋敷専用駐車場に停めました
 見分森(みわけもり)/奥州市水沢見分森
 
見分森公園からみた胆沢平野の山居村
 見分森公園には海抜113mの小高い丘にあります。さらに高さ20m前後の鉄筋の展望台があり、そこからの眺めが山居村(山居集落)を一望できるのです。山居村とは農家と農家の間隔が長く、あいだに田畑が広がっている状態をいいます。1軒の家のまわりを屋敷林が囲み、風よけになっています。全国各地に山居村は数多くありますが、胆沢平野もその一つです。見分森とは、室町時代中期、三宅氏が治めていた森というのが地名の由来だそうです。なお展望台から眺める夜景が、ふるさと名所50景に選ばれています。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 クルマは見分森公園駐車場に停めました
 世田米(せたまい)/住田町世田米
 
   
▲旧菅野家住宅(国登録文化財)/現在は地区の公民館としても活用 
蔵造りの町家が軒を並べています
 江戸時代は仙台藩領。しかし南部藩と伊逹藩の境界争いが絶えず、“境界塚”なるものが山並みに延々と造られたそうです。世田米村は盛街道と高田街道が交差し、宿駅として発展を遂げました。とくに黒沢尻などの内陸部と大船渡などの沿岸部とを結ぶ商品流通の中継駅としての性格を強めていきました。世田米村の幾つかの川筋では一時砂金が大量に採れたこともありました。また毎月3の付く日に市が立ち、大変な賑わいぶりを示していました。そのため、各種問屋や商家など豪商が誕生。いま歩いて見ますと、蔵造りの町家が軒を並べています。改築、改造されていますが、往時の面影を感じ取ることができます。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 クルマは世田米駅駐車場に停めました
 上有住(かみありす)/住田町上有住
 
小規模ながら古い町並みが存在します
 室町期は上有住郷と呼ばれ、数多くの山城が存在しました。やはり南部方と葛西方との争いの最前線であったことからでしょう。江戸時代は仙台藩領。伊達政宗は家康の命を受けて、一気に平定したとか。その後南部藩との藩界番所(二度成木・ふたなぎ)を設置しました。街道が通ると上有住宿は宿場町の性格が強まりますが、地勢の影響を受け、街道筋に多くの河川が分断し、上有住から大船渡まで17カ所の川渡りが存在しました。たいへんな思いをしながら物資を運んだとか。いま旧道沿いに土蔵や雪国らしい庇の深い出桁造りが見られます。世田米よりは小規模ですが、古い町並みが存在します。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★
交通 クルマは道端に停めました
 大町(おおまち)/一関市大町
 
蔵造りをリフォームしたオシャレな商店
 一関市の中心市街地で、とてもにぎやかなところです。江戸時代は、二関村の一部でもあり、一関城下の町人町の一部でもありました。江戸時代初期の慶長年間には町場が成立していたそうで。商人町で西端、東端はそれぞれ武家地に接していました。また奥州街道沿いに開けた町で、商いも盛んでした。明治に入ると、鉄道が開通し駅前商店街として発展していきます。歩いて見ますと、こぎれいなショップが続きます。意外にも蔵をリフォームしたオシャレな感じを受けます。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR東北本線一ノ関駅から徒歩6分
 田村(たむら)/一関市田村町
 
   
▲一関教会/国の登録文化財  ▲酒の民俗文化資料館/市文化財 
   
▲旧沼田家武家住宅/一関藩家老で江戸時代後期の茅葺きの住宅
「歴史の小道」に武家屋敷、教会、酒蔵が連なる
 奥州藤原氏の滅亡後、葛西氏が治めますが、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったために領地を没収、400年続いた名家も滅亡しました。しかし豊臣大名の木村吉清父子が新しい領主となりますが、木村氏の横暴に、旧葛西家家臣らと激しい攻防が繰り広げられます。それを治めたのが、仙台藩の伊達政宗でした。その後紆余曲折があって、名取郡岩沼から所替えを命じられた田村建顕が一関に入いり、一関藩が成立します。田村家は幕府の直参ではありますが、仙台藩でも伊逹一門に加わっています。ちなみに、田村家・江戸屋敷で、赤穂事件の発端となった浅野内匠頭が切腹したことで知られています。ところで地名の由来は田村氏が住んでいたからという説がありますが、定かではありません。
 「歴史の小道」と称して、酒蔵や武家屋敷が連なっています。平日の夕方ごろ訪れました。江戸時代の武家屋敷は、大部分が茅葺きですが、旧沼田家も同じです。また資料館は酒蔵を改造したものですが、あまりの大きさに驚きます。聞けば東北一ではないかとか。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR東北本線一ノ関駅から徒歩10分
 銅谷町(どうやちょう)/一関市銅谷町
 
「銅谷歴史の小道」に残るわずかな古民家
 秋田街道といえば盛岡藩にとっても秋田・佐竹藩とをつなぐ重要な街道でありました。しかしそれだけではなく、ココ一関にも地元の人が呼ぶ旧秋田街道があります。起点が銅谷町で、秋田県湯沢市院内までつなぐ道路です。ただ一般的には院内線と呼んでいるようです。そのためか途中で街道の呼び名が幾つか変わります。地名の由来を考えますと、歴史は古く、?屋(とうや/古代製鉄所の作業場)があったとか鍛冶職人が住んでいたからという説があります。古民家は、市役所近くの狭い街道沿いに、わずかに見られます。『銅谷歴史の小道・旧秋田街道(院内線)』の看板が壁に張り付けてあります。 
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR東北本線一ノ関駅から徒歩30分 
 薄衣(うすぎぬ)/一関市川崎町薄衣
 
気仙沼街道沿いに残る古民家
 江戸時代は仙台藩領。こんな山奥の集落でも、村高は2000石前後とかなりの穫れ高を示しています。新田開発などの開発が進みますが、何より北上川を主力とする船運の発展が大きな動機になっています。河川港のある集落でもあるのです。しかしながら砂鉄川、千厩川などが北上川に流れ込み、洪水が絶えませんでした。藩は築堤、堰の開削など積極的に行います。一方、気仙沼など海側へ通じる街道は、まだまだ未開拓で、気仙沼街道が本格的に開削されたのは明治に入ってから。でも2頭立ての馬車、また石油発動機船が導入され、交通は一段と発展。このころ「東山の横浜」などと言う人もいたとか。しかし鉄道が通ると船運も衰退していきました。いま国道284号線は、市街地を避け近代的な北上大橋を利用して北上川を渡ります。だからこそ旧道沿いに古民家が残されているのでしょう。 
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 クルマは川崎図書館の駐車場に停めました
 
 松川(まつかわ)/一関市東山町松川
 
街道沿いに重厚な土蔵群が散在しています
 江戸時代は仙台藩領。村高も1500石前後とまずまず。三陸海岸の陸前高田と一関城下や北上川の幾つかの河川港と結ぶ今泉街道(気仙街道とも呼ばれていた)の宿駅でした。つまり海岸と内陸を結ぶ要地で、通行人の検問、物資の検査を行う関所が置かれていたのです。多くの物資の集散地でもあることから、商家、砂鉄川を利用する廻船問屋など活動し、たいへんな賑わいを見せていたのです。実際に町を歩いて見ると、重厚な土蔵がいたるところに見られ、なかには豪商の象徴でもある黒漆喰の店蔵も残されています。 
 感動度★
もう一度行きたい度★★
交通 クルマは空き地に停めました
 猿沢(さるさわ)/一関市大東町猿沢
 
旧道沿いに蔵造りの町家が連なっています
 江戸時代は仙台藩領。三陸の海産物と内陸の農産物が行き交う交易の町で、小さな宿場町を形成していました。ただ気候変動による農産物の凶作は絶えず起こり、餓死者も多数出ていました。藩も年貢米の免除、米穀の貸与など数々の救済策をとったことはいうまでもありません。いま歩いて見ますと、旧道沿いに蔵住宅が点々とつながっています。またきれいに改装、改築されています。漆喰以外の土蔵がとても珍しい。地名は平泉藤原時代に、奈良の猿沢の池を模した大池を造ったことによるとか。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 クルマは猿沢市民センターの駐車場に停めました
 大原(おおはら)/一関市大東町大原
 大原
  ●蔵造りの商家
 平泉中尊寺と陸前高田今泉を結ぶ今泉街道の中間点にあたります。この街道沿いには、蔵造りの商家が残っていますが、この大原にはけっこうまとまっていました。しかも現役で,いまでも使われています。
 大原には300年以上も前から行われている奇祭・大原水かけ祭りが、毎年2月11日に行われています。氷点下のなかを水をあびながら男たちが走り抜けます。
  感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは大原郵便局の駐車場に停めました
 摺沢(すりさわ)/一関市大東町摺沢
 摺沢
 ●平凡な街並みに
 今泉街道と千厩(せんまや)街道が交わるところで発展した町です。蔵造りの商家が残っていますが、年々減っていきます。残念ですが仕方ないのでしょうか。蔵がなくなると、実に平凡な街並みになってしまうのがよくわかります。
 ただ古い建物ですが,道路側に面した部分は改装されています。ちょっと見ただけではわかりませんが,平入り,妻入りなどいろいろです。
  感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 クルマは道ばたに停めました