鹿児島県
名山(めいざん)/鹿児島市名山町 | |
●戦後の長屋街が残る ビジネス街の一角,終戦後に建てられた長屋がそのまま残っています。約1000坪に数十世帯に対して,戦後市から土地を各家庭に払い下げられたのです。いまでは,昭和の面影に懐かしい感じがします。 |
|
▲ラーメン(500円/喜楽) | |
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 市電谷山線朝日通駅から徒歩5分 |
甲突(こうつき)/鹿児島市甲突町 |
●懐かしき旧赤線地帯 かつての色街です。いまでは風俗街になっています。客引きも多く,ソープ嬢らしき人も昼間から歩いています。町なかを歩いていますと,建築物のデザインに、かつての面影が少し残っています。 |
|
▲きつねうどん(450円/高見馬場食堂) |
▲カフェ時代の建物に懐かしい感じがします | ▲いまや市内でも有数の風俗街を形成。撮影に注意 |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 市電谷山線新屋敷駅から徒歩10分 |
入来(いりき)/薩摩川内市入来町浦之名 | |
●玉石垣が整然と並ぶ 20年ぶり2度目の訪問。島津藩の外城の一つです。玉石垣が整然と並び,武家屋敷が並びます。植栽越しに建物の屋根のみが見えるのです。鹿児島県「三大武家屋敷群」の一つとか。旧増田家住宅は明治の廃仏毀釈により、延命院跡(推定)から現在地に移転。平成になって大正12年当時の増田家に修復復元されました。 |
|
▲旧増田家住宅/国の重要文化財 | |
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは観光客用駐車場(旧役場前)に停めました |
隈之城(くまのじょう)/薩摩川内市隈之城町 | |
●二福城跡周辺に散見 江戸時代は鹿児島藩直轄領で外城の一つ。宮里、東手、西手の3集落で構成されていました。当初、二福城付近に地頭仮屋が置かれ、その後その周辺に麓が形成されました。いま歩いて見ますと、旧武家屋敷が現代住宅のあいまに見ることができます。 |
|
▲二福城跡に旧武家屋敷が散見 | |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマはプラッセだいわ川内店の駐車場に停めました |
手打(てうち)/薩摩川内市下甑町手打 | |
●『釣りバカ日誌』のロケ地 江戸時代,異国船の監視,海上の取り締まりの拠点としての役割を持っていました。また1602年,スペイン人宣教師ドミニコ会教父一行5人が洗礼を受けた地元の船長レオキザエモンと共に長浜に上陸。 承久の乱(1221年)後、小川氏が地頭として領有。島津氏に代わってから、薩摩藩の外城。 この武家屋敷通りは,手打集落の入江に沿って約700mの路地がそれです。海岸の石を積み上げた玉石垣やきれいに刈り込まれた植栽に往時の様子を感じます。この通りの江口さん宅は,映画『釣りバカ日誌』のロケ地にもなりました。 |
▲武家屋敷通りを歩きますと往時の面影を見ます | ▲きれいに刈り込まれた植栽と美しい石垣 |
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 手打港から徒歩15分(市営バスもあり) |
里(さと)/薩摩川内市里町里 | |
●保存状態の良い玉石垣 薩摩藩政の時代で亀城を中心に地頭仮屋,郷士屋敷,番所,寺社などがきちんと区割りされています。この当時の武士は微禄のため,農業も兼業する半農半士でもありました。敷地は約200坪あまりで辺地の外城郷士として生活を考えると,決して裕福ではなかったでしょう。 上甑の里町は比較的大きな町で,飲食店も多くあるなか,これだけの石垣を保存しているのはたいしたものです。メインの通りは約200mほどですが,碁盤の目のように区割りされています。特に武家屋敷通りを歩きますと、玉石垣で屋敷を囲う光景は実に整頓されて美しい。 |
|
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 里港から徒歩10分 |
西の浜(にしのはま)/薩摩川内市里町薗中 | |
●住宅地にも玉石垣 里町の一部は砂州上に造られた町です。ココは西の浜公園に向かう途中にある住宅地。ほとんどがブロック塀に変わるなかで,玉石垣で囲まれており,なにやらホッとする空間です。 |
|
▲キビナゴの網焼き(甑島館) | |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 里港から徒歩10分 |
出水(いずみ)/出水市麓 | |
●ツルの町に古い町並み 出水市といえば,ツルの飛来地として知られています。毎年1万羽以上のツルがやってきて,3月になると北へ帰ります。 そんなツルの町に,武家屋敷群が残っているのです。薩摩藩のなかでは最大の外城で、いまではかなり大きな武家屋敷群として残されています。なぜ大きくなったかは、肥後藩(熊本)境に位置しており,防御上重要な役割を果たしていたのです。 それはともかく,ほぼ無人の町並みをのんびり歩けるのがいいです。苔むした石垣に密集した植栽があり,中をうかがうことはできません。重要伝統的建造物群保存地区でもあります。 |
|
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 JR出水駅から徒歩20分 |
大口里(おおくちさと)/伊佐市大口里 | |
●かやぶき屋根や薬医門 江戸時代は薩摩藩直轄領で外城の一つ。大口は15ケ村で構成され、里はその一つです。城山にある大口城跡の麓に広がる武家屋敷群ですが、今はわずかなかやぶき屋根、さらに薬医門が数カ所残る程度。大口小学校周辺に見られます。 |
|
▲祁答院家住宅/国重要文化財 | |
感動度★★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは伊佐市役所に停めました |
中ノ(なかの)/霧島市横川町中ノ | |
●国の登録文化財4棟 わずかな狭いエリアに国の登録文化財が4棟も建っているのです。古くは「中之」と書いたようです。また戦国時代の横川城跡が残されています。江戸時代の横川は外城の一つで、地頭仮屋が中ノにありました。また横川城主の北原氏の菩提寺・仙寿寺の跡は、中ノ川北地区にあります。加治木と大口を結ぶ東目街道が南北に通り、交通の要衝で、かなり賑わいました。 今は静かな街並みを呈し、石造りの古民家が目に付きます。骨組みは木骨で、瓦葺き。また石積みの基礎に漆喰塗りの土蔵もあります。 |
▲森山家住宅石倉/国の登録文化財 | ▲JR大隅横川駅/国の登録文化財 | ▲池田家住宅と石倉/国登録文化財 |
感動度★ もう一度行きたい度★★ 交通 クルマは大隅横川駅横の駐車場に停めました |
福山(ふくやま)/霧島市福山町福山 | |
●麓と浦町の二つの街並み 鹿児島藩直轄領で外城の一つ。廻城(めぐりじょう)を中心に麓を形成。石積みと植栽のある旧武家屋敷がわずかに残ります。旧福山村は、この麓と海沿いの浦町があり、内陸の物産等の移出港でもありました。特に黒酢の生産は今でも続いています。麓とは別に、海沿いを走る日向街道沿いにも旧商家が見られます。 |
|
▲旧田中家別邸/県指定の文化財 | |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは旧田中家別邸の駐車場に停めました |
恒吉(つねよし)/曽於市大隅町恒吉 | |
●薩摩藩・外城の一つ 江戸時代は、薩摩藩直轄領で外城の一つ。かつて賑わった藩の地頭仮屋付近の集落はことごとく寂れ、見る影もありません。遠矢家は島津義弘に仕え、吉田から転居し幕末まで続きます。昭和40年ごろ、親戚の蛭川家(写真下)に譲られ、現在にいたります。 |
|
▲蛭川家住宅/国の登録文化財 | |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは道端に停めました |
志布志(しぶし)/志布志市志布志町帖 | |
●石垣で囲った武家屋敷跡 志布志は2度目の訪問です。志布志港は大阪までの夜行フェリーの出発港でもあるからです。なお薩摩藩外城の一つ。 志布志津(前川河口部)を望むシラス台地の先端に中世山城志布志城が築かれました。志布志城は内城・松尾城・高城・新城の4つの山城で構成されています。 町を歩きますと、通りの片側に石垣があり,そして植栽があって,中を見ることができません。そんな武家屋敷群跡がいくつかあるのです。さらに武家屋敷の医薬門はたくさんあります。また石垣は見ものです。 |
|
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道端に停めました |
田神(たがみ)/垂水市田神 | |
●垂水麓の旧武家屋敷 江戸時代は、藩の外城の一つで、現・垂水小学校が林之城跡だったところ。で、その周辺に整然と武家屋敷群がありました。垂水島津家(1万8000石)は島津家の一門下で、明治維新まで続きました。いま、歩いていいますと、点々と旧武家屋敷が見られます。 |
|
▲お長屋/県指定の有形文化財 | |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマはタイヨー垂水店の駐車場に停めました |
新富(にいとみ)/肝付町新富 | |
●弓張城跡周辺に広がる 江戸時代は高山郷新留村。明治22年に新富に改名。高山(こうやま)は鹿児島藩の外城の一つで、旧武家屋敷群は弓張城の麓に広がっています。早朝に訪ねましたが、通勤者のクルマでラッシュでした。でも奥に入るとシーンとした集落。 |
|
▲二階堂家住宅/国の重要文化財、分棟型家屋。現在修復工事中です | |
感動度★ もう一度行きたい度★★ 交通 クルマは道端に停めました |
波見(はみ)/肝付町波見 | |
●石積みに植栽の塀が続く 肝付川河口付近に広がる小さな集落です。ところが右岸には波見浦があり、中世の時代から意外な発展を遂げたのです。大陸との交易が盛んになり、波見浦はその交易港でもありました。それは江戸時代に入っても続き、志布志とともに、大坂、大陸、南海方面との交易が盛んになりました。つまり藩公認の密貿港でした。しかも豪商も出現し、特に重(しげ)家はその代表例。大型船4隻を持ち、幕末の全国長者番付は28位というからスゴイ。いまは至る所に石積みに植栽を施した邸宅が見られ、かつての繁栄ぶりがうかがえます。 |
|
感動度★ もう一度行きたい度★★ 交通 クルマは道端に停めました |
脇元(わきもと)/姶良市脇元 | |
●海岸沿いに古民家が点在 鎌倉期は脇本と書いたとか。江戸時代は重富郷に属する一集落。鹿児島城下から重富をつなぐ国分筋(街道)がありましたが、白金坂の難所を避けるため海運が発達。その発着港として栄えました。海岸沿いの堤防を歩いていますと、漁港や古民家も見下ろせます。 |
|
▲白金酒造石倉/国登録文化財 | |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは白銀酒造の駐車場に停めました |
加治木(かじき)/姶良市加治木町朝日町 | |
●寂れた武家屋敷群 江戸時代は薩摩藩直轄領で外城の一つ。加治木島津家として島津家一門4家の一つで、総石高は1万石を超えています。集落内を歩いていますと、石垣だけの残る空き地や旧武家屋敷門が幾つか見られます。しかし大部分は朽ち果てています。 |
|
▲森山家住宅/2棟・国登録文化財 | |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは性應寺駐車場に停めました |
蒲生(かもう)/姶良市蒲生町上久徳 | |
●武家屋敷と石垣 鹿児島市から路線バスで延々とやってきました。石垣だけ残った廃屋もあったり、更地があったりとちょっと寂しい武家屋敷群でした。ただ石垣もいろいろあって、玉石垣もありました。医薬門だけが残された屋敷もあります。一本道の両側にそれらは残されています。そして突き当たりに前郷川が静かに流れているのです。 蒲生のもう一つの見どころは、日本一のクスの木でしょう。根回りが33.57mという巨木です。八幡神社にありますが、見上げると圧倒されます。 ところで蒲生も薩摩藩の直轄地で外城の一つでした。旧役場に地頭仮屋がありました。 |
|
感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 鹿児島市内からバスで蒲生役場前下車すぐ |
姶良(あいら)/姶良市東餅田 | |
●わずかな石造りの家屋 元もと島津藩の所領地でした。ところで石造りの家が点在するというので行きましたが,いまはほとんど見ることはなくなりました。JR帖佐駅からも近く、どんどん現代住宅にに変わっていきます。いまは鹿児島市内へ通勤,通学に便利なところとして発展しています。 |
|
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました |
知覧(ちらん)/南九州市知覧町郡 | |
●薩摩の小京都 4度目の訪問です。いつきても整然とした町、という印象を受けます。チリ一つ落ちていないので逆に「気味が悪いくらい美しい」のです。 ここは薩摩藩を代表する武家屋敷群です。城下に収容しきれくなった武士たちを,その周辺に半農半士(郷士)として分散させたのです。だから家は農家としての役割ももたせています。 もちろん建物自体はかなり修復されていますが、門や石垣,垣根、庭園などに往時の面影を見ることができます。特に石垣の上に茶を植えているのは,知覧だけではないでしょうか。実に珍しい光景でした。 |
|
●江戸時代そのままの風景 重要伝統的建造物群保存地区、日本の道100選、国の名勝庭園(7庭園)だったりと、全国的にも超有名どころです。街並みを含む風景は江戸時代そのままです。なお入園料はコンビニで払いました。ついでに知覧茶を購入、気軽に飲めます。 |
|
▲知覧茶(150円/ペットボトル) |
▲石積みの上には茶の植栽が見られます | ▲多くの武家屋敷には美しい庭園が残されています |
感動度★★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 鹿児島交通バス武家屋敷入口下車すぐ |
坊津(ぼうのつ)/南さつま市坊津町坊 | |
●石段のある海辺の集落 古くは遣唐船の発着地でもありました。そしてなにより,唐の僧侶・鑑真和尚が上陸したところでもあります。そのため江戸時代は南方の国々と交易が盛んになり,坊津には豪商たちの立派な家屋が建ち並んでいました。江戸時代は薩摩藩の密貿易港でもありました。地名の由来は、一乗院の僧坊説などいろいろあります。 集落を歩きますと,古いレンガ塀,石塀,石畳がそこかしこに見られます。急な石段を上って行くと,坊津の湾が一望にでき,潮風がとても気持ちいいです。かつて多くの異人たちが上陸した所か,と思うと感慨深いものがあります。 |
▲海岸通りにも美しい植栽と石垣、煉瓦塀が続きます | ▲江戸時代は密貿易商人で町は発展しました |
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道端に停めました |
大当(おおとう)/南さつま市笠沙町片浦大当 | |
●小ぎれいな石垣の里 片浦地区は、野間半島の北半分を占め、大当は字名です。各地の「石垣の里」を歩きました。なかにはほとんど無人の集落もありましたが,ここ大当集は,集落自体がかなり整備されています。急な石段も幅半分をつぶして舗装し,自転車を押して歩けるようにしています。また路地を軽自動車が入れる幅に広げたりと,無人になることを防いでいるのです。 石畳は約1250mもあり,地元の人が選んだ見学コースは700mほど。石畳(写真左)には,野間岳から採れる鉄平石を使用。加工しやすいのが特徴です。なお,店が1軒もないので注意してください。 |
▲とにかく坂道の両側には石垣が続くのです | ▲石垣の郷は軽自動車や車いす、自転車も通れます |
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました |
加世田(かせだ)/南さつま市加世田武田 | |
●植栽で美観を守る 竹田神社から徒歩10分のところに水路に沿って武家屋敷通りがあります。長さは100mほどです。かつて,別府城を取り巻くようにして,204軒の武家屋敷があったと記録されています。現在,残っているのはココだけ。 低い石垣の上に,九州や沖縄などに多いイヌマキを植栽しており,美観を守っています。武家門をくぐると,玄関へ通じる直角に曲がった通路があります。 さらに池泉庭園や枯山水庭園,各種灯籠,塔などがありますが,手入れの悪いのが難点。ところで加世田の語源は、古事記や日本書紀による「笠狭」が転訛し、さらにその後の開田の「田」が付いたとか。 |
|
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは竹田神社の無料駐車場に停めました |
指宿(いぶすき)/指宿市宮ヶ浜 | |
●大型の古民家が多数 指宿は今まで古い町並みとは縁のないところだと思っていました。しかし指宿にもありました。JR宮ヶ浜駅近くの国道226号線沿いを歩きますと,結構残っています。というのもかつて指宿の中心地がこのあたりだとか。もちろん藩政時代、外城の一つですが、松尾城跡近辺に武家屋敷の面影が見られます。 平入り,妻入りで南国特有の丸瓦を使用しています。もちろん普通の平瓦も見られます。ただ1階開口部が広く,ガラス戸を使っているのが明るい印象。 いま温泉地に向かう車が多いですが,完全に通過する町になっていました。 |
▲ 2階の雨戸は閉めっぱなしですが、大きな家屋です | ▲妻切妻型の住宅。漆喰で塗り固めた蔵のよう |
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはローソンに停めました |
枕崎(まくらざき)/枕崎市立神本町 | |
●酒蔵は歴史資料館 いも焼酎「白波」の薩摩酒造本社のあるところ。明治蔵は実際の酒造りが見られると同時に,歴史資料館としての役割を果たしています。レストランもあって試飲もOK。なお枕崎港は日本有数の遠洋カツオ漁の基地があります。 |
|
▲かつおらーめん(750円/香月) | |
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました |