高知県

北本町(きたほんまち)/高知市北本町
蛸蔵 保存運動の末13棟が残る
 将来高知市北部の中心地になるだろうと,旧市の中心地・本町に対して昭和11年(1936)に名付けられました。江の口川北岸は,比較的早くから開けていましたが,それでも全体的にはのどかな田園地帯でした。
 いま蛸蔵と名付けられていますが,かつては藁製品の備蓄販売用で「藁工倉庫」といいました。現在13棟が残されていますが,NPO法人など多くの団体の保存運動の結果です。アートセンターとして美術館,写真展示,映画,音楽演奏など幅広く利用されています。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通クルマは道端に停めました
玉水(たまみず)/高知市玉水町
旧玉水新地 旧遊郭がそのまま残る
 江戸時代は高知城下の西の端にあたり出入口になっていました。またこの水路も城下町の用水路につながっていました。明治に入り,料亭や遊郭,劇場(高栄座)が建ち,玉水新地として賑わいました。娼妓も200人を超えた時代もあったとか。このあたりは,地割りも昔のままで,旅館も幾分残っています。
 旧遊郭は市内の東側(稲荷新地)にもありましたが,戦災で焼失し,いまでは往時の面影を残すのは玉水だけとなりました。ただ電車通りからマンション群が迫っているのが気になります。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはスーパーマルエツの駐車場に停めました
高岡(たかおか)/室戸市室戸岬町
高岡の石塀 台風銀座の風よけ塀
 国道55号線を走っていますと,突然石塀が続きます。これは,風よけのために造られたものです。このあたりは台風銀座と呼ばれるくらい,台風の襲来のところで,家を守るための住民の知恵なのです。石塀やブロック塀,少なくなりつつありますが石垣もあります。
 もともと耕地の乏しいところで,沿岸の各集落は,江戸時代から漁業の盛んなところでしたが,高岡は狭い土地での農業と磯漁程度の産業でしたが,明治以降になって定置網,沿岸漁業が盛んになってきました。 
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは高岡漁港に停めました
室津(むろつ)/根室市室戸岬町
室津 水切りの付いた蔵造り
 静かな漁村だと思っていましたら,たいへんな賑わいでした。それもそのはず,四国霊場25番札所の津照寺があり,その参拝客でした。小さな港町なのにクルマがあふれていました。
 室津港は承平5年(935),紀貫之が寄港したとの説もあり,歴史のある港なのです。室津の古い町並みは,港周辺に広がっています。
 蔵造りの商家も残っています。土佐造独特の水切り瓦や土佐漆喰も見られます。改造されている古民家も多いですが,まだまだ雰囲気があります。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは室津漁港に停めました
元(もと)/室戸市元
石垣の町並み 台風から家々を守る石垣
 ウミガメの産卵地として知られていますが,近年は激減しているようです。国道55号線に沿った小さな集落ですが,江戸時代は捕鯨基地でもありました。特に奥宮家は長宗我部氏の家臣団の一つでしたが,領主山内氏の懐柔策により郷士に取り立てられ,捕鯨の網元として成長し,元の発展の礎をつくったそうです。
 さて町並みは台風銀座にあたることから,昔から石垣を積み上げて風よけとしていました。いまは所々に残る程度ですが,かなり立派な造りになっています。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
吉良川(きらがわ)室戸市吉良川
吉良川 強風から家を守るため
 土佐くろしお鉄道の終点・奈半利(なはり)駅からバスに乗り換えてやってきました。バスから降りた瞬間、「う〜ん、田舎にきたなあ」という感じです。この瞬間が好きなのです。吉良川の街は、山側の丘地区と海側の浜地区に別れています。観光駐車場(無料)は国道55線沿いにあります。
 とりあえず丘地区に入ります。石垣の続く民家が見えてきます。この石垣を「いしぐろ」といいます。強風から家を守るためのものです。室戸は台風銀座と言われるくらい、台風の通り道になっています。狭い道は軽自動車が通るのがやっと、というくらいの幅しかありません。もっと狭い道もあります。石垣が壊れたり、普通のブロック塀の民家もあります。たまに自転車に乗った住民があいさつをしながら通り過ぎます。ひと気のない、のんびりとした町です。重要伝統的建造物群保存地区です。
蔵の庇がおもしろい
 丘地区から下って、浜地区にもどります。国道55号線の一本中に入った道路沿いです。そこは旧土佐街道です。そして目につくのが豪華な蔵造りの民家です。
 このあたりは、明治から昭和初期まで大阪との取引が多く、物資の集積地でもありました。そのせいか富豪の商家が多かったのでしょう。それにしても蔵が変な形をしています。これは豪雨から白壁を守るために「水切り瓦」と「土佐漆喰」を仕込んだのです。そんな蔵が、通りのあちこちに建っています。
 ところで、ここは室戸の中心地から離れているせいか、食堂などの店が一軒もありませんでした。何も食べずに早朝に高知駅を出たので腹が減って気を失いそうでした。やっと小さな食料品店を見つけて、五目ご飯にありつけてホッとしました。
吉良川
吉良川
感動度★★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 土佐くろしお鉄道・奈半利駅からバスで吉良川学校通り下車
伊野(いの)/いの町幸町
伊野 蔵造りの商家
 いの町紙の博物館がありました。そこでわかったのは、伊野は土佐和紙発祥の地だ、ということでした。で、この周辺に古い建物が散在しています。紙問屋さんのなごりかも知れません。
 伊野は仁淀川という水運を利用して、京阪神への出荷も多かったのでしょう。ただ古い家屋が何十mもつがっているわけではありません。だから街並みという感じではありませんが、それなりに落ち着いた町でした。
 防火壁(設備)を施した蔵造りの商家が目につきます。造り酒屋もありました。
動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR土讃線伊野駅から徒歩10〜15分
甲浦(かんのうら)/東洋町甲浦
「ぶっちょう」造り
 江戸時代は参勤交代の休憩所にも使われた町でもありました。町は,「ぶっちょう」という,ひなたぼっこや魚介類を干したりする造りです。徳島県の椿泊,鞆浦のミセ造りと同様です。
▲跳ね板を降ろすと椅子になります
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 国道55号線沿いに無料駐車場があります。
奈半利(なはり)/奈半利町乙
奈半利 予想以上の古民家数
 奈半利はごめん・なはり線の終点でもあるせいか,今回で3度目の訪問です。でも古い町並みがあるとは気がつきませんでした。
 ところが今回町を歩いてみると予想以上にレトロな古民家が多く残っているのです。吉良川町でも見た土佐漆喰や石造りの壁,水切り瓦の土蔵(写真),レンガ造りの蔵など,たくさんあるので,実にうれしかったです。
 古くから捕鯨,製糸業で栄えた町だけに,規模の大きい立派な建物が多いのもうなずけます。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 奈半利町役場に停めました
田野(たの)/田野町田野
田野-1 ●豪商・岡御殿
 藩主が東部巡視の折りに本陣として使われたのが岡御殿。もともと田野五人衆の一人,豪商・岡家の屋敷です。現在は資料館になっています。また,川沿いに建つ濱乃鶴酒造の倉庫も見応えがあります。
▲濱乃鶴酒造の倉庫
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 田野駅横に無料駐車場があります
安田(やすだ)/安田町安田
安田 美しい土佐漆喰の白壁
 鮎やアメゴの宝庫でもある安田川の流域に広がる町です。そんな安田川の恵みを生かした酒造りが昔から盛んでもありました。いまは川の水を使うことはありませんが,質の高い地下水は,酒造りに適していることはいうまでもありません。
 酒造りから湿気やほこりを遮断するのに効果が高いとされるのが土佐漆喰といわれる白壁です。また高知県の東部地方で見かける水切り瓦のある土蔵も多く,安田には伝統的な建物が,現在でもたくさん残っています。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 安田町役場の駐車場に停めました
安芸(あき)/安芸市土居
安芸 整然とした武家屋敷の塀
 2度目の訪問です。変わったところは,シンボル的な存在の畠中家の野良時計の前が,田んぼではなかったことでした。なにやら味気ない風景になりました。それはともかく,中世の時代から碁盤の目のような地割りで,江戸時代は土佐藩の安芸奉行が治めました。玉垣,竹,土塀などで屋敷を囲み,実に整然とした武家屋敷群を形成したのです。
 野良時計は,明治20年(1887年)に当主が農民のために製作したそうとか。重要伝統的建造物群保存地区です
安芸 安芸
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 土佐くろしお鉄道安芸駅から徒歩30分
本町(ほんまち)/安芸市本町
本町 水切り瓦の蔵造り古民家
 国道55号線から海側に入ると古民家群の続く旧土佐街道があります。土佐藩主は海沿いを通り京・大坂に向かいました。江戸時代は安芸浦といい,沿岸漁業の盛んなところで,四季折々にいろいろな魚が取れていました。そのせいか水主385人,廻船73隻,漁船13隻を保有する一大漁港でもありました。
 古民家群は旧土佐街道沿いにあり,数軒続いたり,ポツンポツンと建っていたりと,結構おもしろい町並みです。水切り瓦の付いた蔵造りの商家が結構残っているのはうれしいものです。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは安芸商工会館駐車場に停めました
夜須(やす)/香南市夜須町坪井
夜須 商家もポツンと残る宿場町
 高知城下から安芸郡甲浦を結ぶ街道を土佐東海道といいます。奈良時代の官道だったという説があるほど,重要な街道でした。藩主は参勤交代で甲浦まで行き,そこから海上ルートで大坂へ,陸上ルートなら阿波,大坂へ向かいました。しかし江戸期の半ばから,土佐北街道に代わり,土佐東海道は次第に衰退していくのです。
 いずれにせよ夜須は宿場町で,馬継所でもありました。また近くかなり大きな手結港もあってかなり発展し,商家も数多くあったようです。 
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
赤岡(あかおか)/香南市赤岡町本町
小松与右衛門宅跡 ひときわ目立つ赤レンガ塀
 江戸時代後期,多くの文人・学者が輩出しました。なかでも教育行政,治水などに力を入れた酒造家小松与右衛門(写真)の活躍には目を見張るものがあります。旧居跡は赤レンガ塀がひときわ目立っています。
▲カツオの刺身(1000円・海園)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは四国銀行赤岡支店に停めました
土佐山田(とさやまだ)/香美市土佐山田町西本町
土佐山田町 土佐地方独特の蔵が目印
 藩主・山内一豊氏は新田開発政策を積極的に行いました。奉行の野中兼山が用水路を整備するために,物部川に山田堰を築いたのもその一つ。また物部川の上流域と高知城下を結ぶ水運の中継河川港であったことから物資の集散地としても発展しました。
 古い町並みがあるのは,土佐中街道で,土佐山田を起点に富岡(現徳島県阿南市)までで,国道195号線とほぼ一致します。JR土佐山田駅からすぐのところで,土佐漆喰に水切り瓦のある独特の土蔵が目印です。  
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
高岡(たかおか)/土佐市高岡町甲
高岡町 蔵造りの商家が見られます
 江戸時代,高知城下と中村を結ぶ中村街道沿いの集落で,馬継場でした。最も奈良時代の官道だったという説もあります。さらに南北の仁淀川を利用した水運の中継地でもありました。そのため村内の商家に繁栄をもたらし,野田屋,白石屋などの屋号を持った豪商が次々と誕生しました。商品は,伝統の紙,鋳物,農具のほか酒,醤油,日用雑貨など多岐にわたり,賑やかさが想像できます。
 いま町を歩いていますと,蔵造りの商家を見ることができ,往時を彷彿させます。
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
須崎(すさき)/須崎市東古市町
須崎市 土蔵造りが見られます
 戦国時代以後は津野荘など山間部の物資の積出港として発展。また高知県屈指のカツオ漁港でもありました。市内にはカツオ節を作る老舗もあり,土蔵造りの商家も多く残ります。
須崎の名物に早朝から営業している鍋焼きうどんがあります。
▲醤油ラーメン(530円・豚太郎)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは高知信用金庫須崎支店の駐車場に停めました
佐川(さかわ)/佐川町甲
江戸時代から続く酒造家・竹村家住宅(重要文化財) 酒蔵の白壁が続く
 江戸時代,土佐藩筆頭家老・深尾氏の支配地。深尾氏は文教政策に力を入れ,6代の重澄は郷校・名教館を創設,幕末に数多く輩出しました。
 また佐川盆地は良質の米がとれる所。そのため酒造りも盛んで,『司牡丹』はこの地で誕生。酒蔵の白壁が続きます。
元宮内大臣・田中光顕の寄贈で設立。皇室や明治維新に関する資料は1級品です
▲青山(せいざん)文庫
酒蔵/司牡丹の白壁 黒塀が続く
感動度★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは高知銀行佐川支店に停めました
口目ヶ市(くちめがいち)/津野町芳生野丙
口目ヶ市地区 急斜面に建つ石垣の里
 江戸時代は土佐藩領。歴代藩主・山内氏の藩政は厳しいものであったそうです。家屋は急斜面に建ち,石垣を築いているのが特徴。板張りの古民家が多く,旧後藤診療所は,往診用に馬を利用していました。
五藤家は江戸後期に建てられたもので,馬屋は明治23年に増築されました。8代目当主は,愛媛や兵庫で開業。軍医や警察医として活躍しましたが,晩年はふる里のこの地で開業したのです。
▲五籐家住宅(往診の馬屋を併設)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
船戸(ふなと)/津野町船戸
船戸集落 わずかな古民家
 「四万十川源流のまち」の幟がいたるところではためいています。まさに源流域の山間部に位置します。集落を国道197号が貫き,わずかな平坦地に古民家が点在しますが,ほとんど戦後の建物です。
▲船戸橋から見た四万十川
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
久礼(くれ)/中土佐町久礼
久礼の町 蔵造り商家が往時を彷彿
 歴史のある町です。中世は九条家領(荘園)で津野氏らと共に南北朝時代は北朝に属していました。そのころから陸上,河川,海上交通の結節点,重要な位置にありました。そのため,浦方,村方にそれぞれ庄屋を置かれました。魚介類,畑作物,林業と実にバランスのいい経済を構成していたわけです。
 特にカツオ漁はずば抜けており,漁船100隻のうち50隻がカツオ船というくらい盛んでした。
 町のなかを歩くと,至るところに蔵造りの商家があり,かつての賑わいぶりを思わせます。
酒蔵ギャラリー/高知県で最古の酒蔵が現存。西岡酒造店です 牟礼大正町市場/明治時代から続く市場で,いまは新鮮な鮮魚を求めて観光客でいっぱい ハモはもちろん湯引きしてあります。鮮魚店で魚を買って,食堂で調理してくれる,という仕組みです
▲酒蔵ギャラリー(西岡酒造店) ▲久礼大正町市場 ▲ハモ定食(600円・田中鮮魚店)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはスーパーマルナカ久礼店の駐車場に停めました
興津(おきつ)/四万十町興津
興津 理にかなった竹垣
 地元で獲れた竹を植栽して塀の代わりにするというのは,全国各地で見られる光景です。しかし,ブロック塀に変わるのがほとんどですが,この奥津は,珍しく集落全体で竹の生け垣が見られます。土用竹と呼ばれており,高さ1m70p程に切りそろえ,横には太い竹竿を通して支えます。竹垣は町並みが落ち着いて見え,なおかつ清潔に感じられます。
 夏の暑さ,台風時の風よけなど高知県の気候風土に合っているのです。ただ興津もブロック塀が増えて来たのも事実。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは適当に停められます
窪川(くぼかわ)/四万十町本町
四万十町本町 蔵造りの古民家が残る
 窪川というのは旧町名で,このあたりは窪川町窪川といい,駅名などに残っています。また四国霊場37番札所・岩本寺のある町でもあります。
 戦国時代は津野氏と一条氏に挟まれ苦しい立場に立たされました。しかし江戸期に山内一豊の支配下となり城はます。その後窪川山内氏の断絶で,一時期荒廃しましたが,潘の郷士取り立てにより復興。また中村街道と宇和島街道の分岐点で,交通の要衝となりました。いま国道の裏手に,蔵造りの古民家が残されています。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマはプラザ高南の駐車場に停めました
大谷(おおたに)/土佐清水市大谷
防風林の役割を果たす 椿の防風林が美しい
 土佐藩は足摺山金剛福寺の石高をかつての20分の1程度の100石にまで減らしました。生活に窮した寺衆たちは,寺領内の丘陵地帯を開拓,その結果大谷村が誕生したのです。寛保3年(1743)に人口は73人,12軒だったそうです。
 台風銀座にあたるところから防風林は必要で,生け垣として軒の高さまでの野生の椿を植えました。新田開発当時の樹齢250年以上の椿も生存しているそうです。いま歩いて見て,清潔感のあるとても美しい村であることがわかります。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
 松尾(まつお)/土佐清水市松尾
石垣の里 急斜面に立つ石垣の里
 江戸初期から紀州の漁船群がやってきて根を下ろしました。そのため漁業法も進化し,たいへんな発展を遂げました。いまは県道にへの取り付け道路のない地域は廃屋が多く,道路のある地域とは大きな差。
高知県の近代和風建築の傑作といわれています。明治34年(1901)築。足摺の自分の持山から良材を選び抜いたそうです。漁業,鰹節製造,金融業などで巨万の富を築く
▲吉福家住宅(国の重要文化財)
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは吉福家住宅の駐車場に停めました
柏島(かしわじま)/大月町柏島
柏島の集落 板の塀や壁を張り巡らす
 大月半島の先端に位置する周囲4kmほどの小さな島です。昭和42年(1967),柏島橋の完成でバスが島内まで運行され,一気に便利になりました。
 江戸時代,異国船が通過するというので,土佐藩の遠見番所,火立塔を設置,幕末には烽火場,大砲も置かれました。ところで御念寺には土佐の民謡『坊さんかんざし』に歌われた破戒僧・慶全の墓があります。
 集落は漁村らしく板で張り巡らした民家が多く,海の香りがしました。しかし廃屋や空き地も目に付きました。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました