三重県

 一身田(いっしんでん)/津市一身田町
 一身田
 高田本山専修寺  環濠
▲真宗高田派専修寺/力があります   ▲寺内町を形成した環濠
 ●環濠のある寺内町
 町自体は千年の歴史があるわけですが,真宗高田派専修寺が建立されたのが16世紀後半です。以来,寺内町として発展し現在の形になったのが,17世紀初頭です。建物や仏像など数多くの重要文化財をかかえ,近年,観光客も多くなりました。
 寺内には町家,商家,蔵,土塀,長屋門などが残されています。また寺内を守った環濠も一部に残されています。多いのが格子のはまった平入本瓦造りです。商店もたくさんあります。また専修寺の規模の大きさにも驚きました。
 感動度★★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 近鉄高田本山駅から徒歩15分
 八町(はっちょう)/津市八町
 八町
 ●伊賀街道沿いの古民家群
 津城から伊賀上野城を結ぶ伊賀街道沿いに小さ集落だったところです。もとは伊賀越えで月本(現・三雲町)へ出る参宮道でした。それを城主・藤堂高虎が美里村の五百野(いおの)から前田宿を経て津城を至る道を官道にしました。
 近鉄の津新町駅から国道163号線を西に向かって歩き,途中右折すると,そこは旧伊賀街道です。所々商家,町家などが続きます。八町は,津城下の西の入口で,商人や学者,文人が多く住んだところでもあります。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 近鉄津新町駅から徒歩10分
 上多気(かみたげ)/津市美杉町町屋
 谷町
 ●山あいに佇む宿場町
 大坂から伊勢に向かうもっとも短い道であったのが,伊勢本街道です。上方からの伊勢参りの善男善女で賑わったところです。この上多気集落は,伊勢の国司・北畠氏の本拠地でした。
 上多気は谷町と町屋の連続した町並みから成り立っています。江戸時代から明治にかけて毎日30〜70人の団体が行き交ったとか。旅籠はもちろん,商家,さらに仕立屋,足袋屋,油屋などの屋号も残されています。いまでも蔵,本瓦葺き平入の建物が残っています。なお三多気の桜が有名です。
 感動度★★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは美杉ふるさと資料館に停めました
 吉津屋町(よつやちょう)/桑名市吉津屋町
 
旧東海道沿いの町筋です
 江戸時代は桑名城下の一つでした。桑名城の西側に位置し、集落の南北を旧東海道が貫いていました。江戸初期は鍛冶町を含んでおり、多くの職人たちが住んでいましたが後に分離。明治に入って、堀に面した所が河岸となり、船の発着が盛んになりました。船問屋もできて町が賑やかになったのです。そのおかげで桑名でも最大の商店街となり、なかでも大型家具店が軒を並べました。それも昭和20年の戦災で消滅。往時の面影は消えました。いま歩いて見ますと、古民家はポツポツと街道筋に見られます。 
 感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR関西本線桑名駅から徒歩15分
 京町(きょうまち)/桑名市京町
 
   
▲京町毘沙門天堂/京町見附の近くにあって地元の守り神です  ▲石取会館(旧桑名信用金庫京町支店)/大正14年(1925)築・国登録文化財 
近代建築がひときわ目立ちます
 桑名城下の一町。東海道沿いの集落ですが、江戸時代に西端に京町番所があって旅人を監視していました。毘沙門堂のすぐ近くです。明治になって京橋が架橋。しかしその後の伊勢暴動で破壊されました。大正時代は町役場、警察署、電話交換局、銀行、鉄道会社などが集中し、行政、金融の中心地なりました。
 古民家はポツポツと点在し、蔵造り、棟割り長屋などが見られます。それにしても、角に立つ石取会館がひときわ目立ちます。ところで町名の由来は、毘沙門天を京都の毘沙門堂から勧請したことによるとか。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR関西本線桑名駅から徒歩20分
 寺町(てらまち)/桑名市北寺町
 
   
▲本統寺/真宗大谷派・桑名別院 ▲常信寺/陶板塀に圧倒されます 
   
▲海蔵寺/薩摩藩士24人の墓所です  ▲寺町通り/定期市も開かれています 
寺町通りにわずかに残っています
 江戸時代は桑名城下の一町。慶長年間(1596-1615)、町割りに際し、寺院を集めて町を形成しました。そのため多くの参拝客が集まり、見世物小屋や各種商店ができ、門前町としての発展していくのです。寺の数は他市と比較してそれほど多くはありませんが、著名な寺が多く、特に本統寺は桑名の中心的存在で、力を持っていました。本統寺には松尾芭蕉が宿泊し句を残しています。
 しかし古民家は少なく歩いていても気がつきません。寺町通りには残されていますが、表だけ改築、改装されている町家が多いようです。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR関西本線桑名駅から徒歩20分
 本町(ほんまち)/桑名市本町
 
その昔、春日大社と遊郭が隣合わせ
 江戸時代は桑名城下の一町。元禄年間は家数は72軒だったそうです。しかし町の発展は、春日大社(桑名宗社)に寄るところが大きい。旧東海道沿いで門前町としても発展しました。江戸時代から大変な賑わいぶりだったのです。明治になると桑名遊郭がさらに大きくなり、本町はその中心地でもありました。まさに“聖と俗の隣合わせ”の見本といえます。昭和2年に市街電車が開通し、ますます賑わいました。しかし昭和19年に国策により廃止されました。もちろんいまは遊郭の面影はありません。歩いていますと古民家らしき建物が散見できます。  
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR関西本線桑名駅から徒歩20分
 
 江戸町(えどまち)/桑名市江戸町
 
旧東海道沿いで桑野遊郭の中心地のひとつでした
 旧東海道筋にある町で、桑野城下の一町にあたります。町名の由来は江戸から渡辺忠八という人がやってきたからといますが、よくわまりません。江戸時代初期は本陣1軒、天保年間の幕末期には脇本陣が3軒もありました。明治16年の調査によれば、家数が51軒あって、人口が男子89人に対して、女子が202人と圧倒的に女が多いのです。大部分が娼妓で、宿屋、妓楼、料理屋が多かったといえます。まさに桑名遊郭の中心地といえます。明治19年の大火で町の半分は焼失しますが、遊郭は衰退することはありませんでした。
 いま歩いてみますと、かつての面影はありませんが、かつての宿屋、妓楼とおもわせるような建物が散見できます。 
   
▲旧東海道沿いには、かつての面影を見ることができます 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR関西本線桑名駅から徒歩20分
 川口町(かわぐちちょう)/桑名市川口町
 
往年の輝きも無く、静かな町並みです
 地名の由来は、全国の川口と名の付く地名と同じで、川に臨んだ玄関口からきています。熱田から渡船で東海道をつないでいます。北の端の「七里渡跡」碑があります。桑名は伊勢国の北の玄関口でもあります。そのため、本陣、旅篭屋、人馬問屋、舟役所などありました。さらに明治に入ると、郵便、船会社、物流会社なが林立。まさしく桑名宿の中心地でもありました。同時に遊郭も大きく発展しました。江戸町と同じで、女子の人口が圧倒的に多かったのも娼妓が多く住んでいたから。
 しかしながら実際に歩いて見ますと、やはり寂しい町並みです。もちろん往年の輝きはありません。店舗もなく古民家もポツンポツンと見られる程度です。明治19年の大火、明治24年の濃尾大地震で壊滅的な影響を受けたことが大きかったようです。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR関西本線桑名駅から徒歩25分
 船馬町(せんばちょう)/桑名市船馬町
 
   
▲船津屋/明治8年創業。昔から著名人の利用の多い料亭旅館  ▲七里の渡跡/旧東海道・熱田からの渡船での伊勢国に入る玄関口
いまも高級料亭旅館が並びます
 江戸時代は桑名城下の一町。地名の由来は、参勤交代制の確立により、伝馬、渡船の仕事を引き受けるために川を埋め立ててできた新開によるという。もとはかなり大きな遊郭でもありました。
 渡船場として確立しますと、船番所、高札場などができ、本陣、脇本陣もできました。川沿いには倉庫が林立、俗に蔵前とも呼ばれるようになったとか。明治に入りますと、伊勢暴動、濃尾大地震、大火と続きます。また旧大塚本陣が「船津屋」に、脇本陣は駿河屋からさらに今の「山月」に変遷。まさに江戸から明治へと激動の歴史を体現した町並み。一方、泉鏡花『歌行灯』の舞台となったところでもあります。「歌行燈句碑」が船津屋の板塀に沿いに残されています。ちなみに小説では湊屋として登場します。 
 感動度★
もう一度行きたい度★★
交通 JR関西本線桑名駅から徒歩25分
 太一丸(たいちまる)/桑名市太一丸
 
   
 ▲諸戸邸御殿/国重要文化財 ▲諸戸邸本邸/国重要文化財 
   
▲諸戸邸推敲亭/県指定文化財  ▲諸戸邸煉瓦蔵/県指定文化財 
   
▲六華苑・和館/国重要文化財  ▲六華苑・洋館/国重要文化財 
国や県、市指定の文化財の宝庫
 このユニークな地名の由来は、江戸初期、慶長年間に大きな船「太一丸」を造ったことにちなむそうです。元はといえば、この辺りは町人地で、藩士の屋敷がわずかにあったそうです。藩主の御座船を収容する御船小屋があり、享保8年(1723)に御座船の乗員や家族などが集団移住してきました。また桑名で最大の豪商。山田彦左衛門の屋敷があり、初代彦左衛門は、極貧から身をたて材木商として財を蓄え、京、大坂、江戸などに店を構えたそうです。明治になって山田家の土地・屋敷は諸戸家の所有となり、米の取引で財を蓄えて大地主になりました。いま諸戸家の屋敷や庭は戦災からも逃れて、往時の雰囲気をそのまま残しています。和館だけではなく大正時代の洋館も見どころです。
 太一丸を歩いて見ますと、一般の住宅がギッシリ並んでいます。しかし蔵を構えた旧家と思わせる家屋も見られます。 
 感動度★
 もう一度行きたい度★★
 交通 JR関西本線桑名駅から徒歩30分
 矢田(やだ)/桑名市西矢田
 
旧東海道に沿った集落に町家が残ります
 江戸時代は桑名城下の一町。東海道筋の町人地でもありました。茶店や宿屋が多くありました。街道沿いにある善西寺は矢田城主・矢田氏の子孫が建立しました。明治になると東海道は少しずつ寂れていきますが、商店街として生き抜きます。昭和6年に国道1号線が開通。そのため矢田町は東西に分裂します。さらに昭和20年の戦災で、東側の矢田町が消滅。西側の矢田町は運良く戦災から逃れました。そのため西矢田は昔ながらの町家が残ることになったのです。虫籠窓や格子のある町家が点在し往時の面影を見ることができます。
 ちなみに地名の由来は、白羽の矢が田地に落ちてきたとか、伊勢神宮領の八太御厨(やだみくりや)があったからとか、諸説あります。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★
交通 近鉄名古屋線益生駅から徒歩8分
 馬道(うまみち)/桑名市矢田
 
商家や土蔵、料亭旅館、棟割り長屋などいろいろ
 江戸時代は矢田村といい、その後明治に入って幾つかの村が合併して益生村となったりしました。さらに離合集散を重ねていますが、この辺りに地名は複雑に入り組んでいます。そして馬道は近鉄名古屋線で東西に分離。東側が馬道1丁目で今もそのまま、西側の馬道2丁目が消え、いまは矢田になっています。馬道2丁目の町名表示の看板が残されています。で、古民家群はその旧馬道2丁目の馬道筋に見られます。歩いて見ますと、商家や土蔵などの商家、棟割り長屋、さらにかつて遊郭だったと思われる建物などいろいろ見られ楽しい。
 ところで地名の由来ですが、@近くに馬場があったから、A街道を武士が馬で通っていたから、B土地の名士が馬に乗って遊郭に通っていたから、C近くで馬市(駒)が開かれていたから、D近くに農家の馬小屋が多くあったから、など諸説あります。ここでは、北勢線が開通するまでは、桑名から阿下喜(あげき)まで馬車が通じていたからという説が有力だとか。いわゆる“馬車道”にあたるのでしょうか。 
感動度★★
もう一度行きたい度★
交通 三岐鉄道北勢線馬道駅から徒歩3分
 
 星川(ほしかわ)/桑名市星川
 
濃州道沿いの集落です
 江戸時代は桑名藩領。新田開発が盛んに行われた地域でもあります。濃州道沿いの集落で、星川観音は伊勢国巡礼30番札所で、参拝客でも賑わいました。平安時代から鎌倉にかけての歌人・鴨長明もこの地に歌を残しています。濃州道というのは、桑名市から濃州(いまの岐阜県)へ向かう街道で、桑名市では員弁街道と呼ばれました。
 歩いてみますと、一見古民家とわかりにくいですが、ほとんどが改築、改装されています。庇が2重になっていたり、外壁に合板を張り付けたり、開口部をアルミサッシにしたり。しかし歩き続けると古民家が点々と見られるようになります。ところで地名の由来は、大和国山辺郡星川から移住して星川氏が開発されたことによるとか。 
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 三岐鉄道北勢線星川駅から徒歩5分 
 森忠(もりただ)/桑名市森忠
 
美しい植栽と古民家が点在
 古くは守忠、盛忠とも書きました。また古代から中世にかけて数多くの遺跡が残ります。江戸時代は桑名藩領。集落に濃州道(員弁街道)が通り、美濃街道の脇往還の役割を果たしていました。昭和40年代から一気に郊外住宅地として開発され、街道沿いもかなり影響を受けています。 それでも美しい植栽の向こうに古民家が見え隠れする光景を見るにつれうれしくなります。
 ちなみに地名の由来は、その昔、森忠と称する人の所領であったから、と言われていますが定かではありません。
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 三岐鉄道北勢線星川駅から徒歩20分
 芳ヶ崎(はがさき)/桑名市芳ヶ崎
 
黒板塀や黒板壁、格子や虫籠窓のある町家が見られます
 黒板壁や板塀、土蔵などを見かけます。また格子戸、虫籠窓のある町家もチラホラと見られます。江戸時代は桑名藩領で、森忠村の枝郷で、村高も370石前後と小さな村でした。濃州道沿いのいわゆる街村です。このあたりも、宅地開発がドンドン進んでいます。ところで地名のいわれですが。羽笠城があったところとか、川に突出した丘陵の端が、アであったことによるとか、詳細は不明です。 
 感動度★★
 もう一度行きたい度★
 交通 三岐鉄道北勢線七和駅から徒歩8分
 五反田(ごたんだ)/桑名市五反田
 
開発が進むなかでも往時の面影が見られます
 江戸時代は桑名藩領で、集落の真ん中を濃州道が通っています。いわば街道沿いの集落です。地名の由来は、古来中央から派遣された国司の下で働く郡司の職田(給料として支給される田)の広さが五反あったからとか。街道沿いには、改築、改装されたりした古民家が見られますが、往時の雰囲気は残っています。いま街道からちょっと離れると、大規模な宅地開発が進んでいます。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
 交通 三岐鉄道北勢線七和駅から徒歩5分
 
 穴太(あのう)/東員町穴太
 
旧道から一歩横道に入ると古民家が見られます
 江戸時代は桑名藩領。阿奈宇とも書いたようです。村高は800石弱と濃州道沿いの他の集落と比較して多い。古くから農村地帯ですが、常に水不足に悩まされていました。そこで領主・本多忠勝など歴代の藩主は河川の改良工事を行い、なおかつ新田開発も積極的だったことがあげられます。いま旧道を歩いてみても、現代化が進みます。たまに古民家を見つけても、改築、改装されています。しかし旧道から脇道にそれますと、土蔵や板壁の古民家が多く見られます。  
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 三岐鉄道北勢線穴太駅から徒歩10分
 鳥取(とっとり)/東員町鳥取
 
黒板塀や板壁、蔵のある集落です
 東員町のなかでも、近年最も変貌の大きい集落といえるでしょうか。もともと農業地帯だったのが、金属・鋳物工場が進出、さらに商店や飲食店、金融などもやってきました。旧道を歩いていますと、古民家が途切れると、いきなり現代住宅群が連なり、大規模な宅地開発を目の当たりにします。いま北勢線沿線で最も開発が進んでいる地域といえます。とはいうものの、濃州道沿いには古民家が残されており、往時の面影を見ることができます。なお地名の由来は、鳥取塚と鳥取神社があり、鳥取連の子孫が在住していたからにちなむとか。鳥取連とは、鳥を捕まえて朝廷に献上する技能集団を指しています。
 感動度★
もう一度行きたい度★

交通 三岐鉄道北勢線東員駅から徒歩20分
 南大社(みなみおおやしろ)/東員町南大社
 
   
▲大部分が改築、改装されています  ▲旧東員郵便局/昭和初期(?)築 
大神川沿いに長く続く古民家群
 駅を出て県道14号線を北へ坂を下っていきます。延々と歩きましたが、数台のクルマが通過しただけで人間とは出会うことはありませんでした。両側には麦畑が広がり、とてもきれいな光景でした。そして突然の古民家群に驚きました。員弁川支流の大神川沿いに、町家がズッと続いています。江戸時代は、桑名藩に始まり忍(おし)藩、幕府領、また忍藩へと変遷します。戦国時代末期、紀伊国の清水重光がこの地に移住し、員弁川両岸を開拓しました。そのため員弁川の北側を北大社村、南側を南大社村になったといわれています。大社とは地域の守り神・猪名部神社の氏子たちで形成された集落によるとか。
 たとえ小さくても川沿いを歩くのは気持ちのいいもの。商家や棟割り住宅、格子、虫籠窓のある町家が続きます。大部分が改築、改装されていますが往時の面影は十分に残ります。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 三岐鉄道三岐線北勢中央公園口駅から徒歩20分
 石仏(いしぼとけ)/いなべ市員弁町石仏
 
古民家は石仏通りにわずかに点在するのみ
 旧道沿い(石仏通り)にはわずかに商店がありますが、中心は市役所のある国道421号線沿いに移っています。そのため交通量も少なく、静かな町並みです。この奇妙な町名ですが、北勢線の南側に石仏墓地があります。美濃国守護の土岐大膳太夫親子の墓で、高さ92cmの五輪の塔三基があり周囲に石仏があることが地名の由来だとか。またこの地は水不足で農民一揆が絶えず、その都度犠牲者がでたことから、農民たちは石仏で祀ったとかの説、また雨乞い説もありますが定かではありません。ただ石仏通りを歩いても、石仏は見当たりませんでした。古民家もところどころに点在するのみ。
感動度★
もう一度行きたい度★

交通 三岐鉄道北勢線楚原駅から徒歩15分 
 楚原(そはら)/いなべ市員弁町楚原
 
意外にも古民家が多く、連なっています
 戦国時代は曽原御厨(そはらみくりや)といい。伊勢神宮の領地といわれていました。特に外宮領であったそうです。朝廷から任命された地頭職も鎌倉幕府から安堵されていました。江戸時代は桑名藩領。村高は300石弱で小村ですが、米以外にも大豆、茶、稗など多くの作物を生産していました。
 旧道筋を歩いて見ますと意外に古民家が多く、連なっているところも見られます。しかも商家も多く、活気が見られます。 
 感動度★
もう一度行きたい度★★

交通 三岐鉄道北勢線楚原駅から徒歩10分
 阿下喜(あげき)/いなべ市北勢町阿下喜
 
   
▲幾つもの通りに古民家が見られます  ▲路地にも板塀の町家が続きます 
   
▲旧阿下喜郵便局/昭和14年築  ▲旧阿下喜小学校/国の登録文化財 
北勢地区最大の古民家群
 古くは上木とも書きました。ゆえに地名の由来は、お上に納める御用木材を扱っていたことから上木の転訛説が出てきましたが定かではありません。江戸時代は桑名藩領。村高は1500石を越える大きな村でもありました。米のほかに、麦、茶、大豆、稗、渋柿、草わらなど商品作物を多く生産し、高瀬舟を利用して桑名に搬送していました。人口も1000人近くに達し、家屋も200軒を越える大集落でした。
 阿下喜駅を降りて坂道の上りますと、古民家が連なる町に出ます。本町や西町通りなど、濃州道が貫き、両側に往時を思い起こさせる建築物がギッシリ並んでいます。旧商家が多いのも、商人の町であったことを思わせます。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★★★

交通 三岐鉄道北勢線阿下喜駅から徒歩20分
 東村(ひがしむら)/いなべ市北勢町東村
 
手入れの行き届いた植栽と黒板壁とが似合います
 三岐鉄道阿下喜駅から歩いて三岐線伊勢治田駅(いせはった)まで向かう途中で見つけた町並みです。左側に古刹・円福寺があり、その裏手一帯に旧家と思われる古民家が林立していたのです。円福寺は三重県下に多い真宗大谷派の寺院。東村は7つの村が合併して、明治22年に治田(はった)村が誕生しました。東村は旧治田村の中心地でもあります。江戸時代、桑名藩の積極的な新田開発により、大いに発展しました。いまは静かな農村といった感じです。
 歩いて見ますと、手入れの行き届いた植栽が美しく、黒板塀ととてもよく似合います。 
 感動度★
もう一度行きたい度★

交通 三岐鉄道三岐線伊勢治田駅から徒歩10分
 千代田(ちよだ)/四日市市千代田町
 
   
▲旧平田家住宅/国の登録文化財  ▲旧道には古民家が点在しています
朝明川の堤防下と平田家周辺に古民家
 朝明(あさけ)川を渡って堤防下の旧道に入ると、古民家が連なります。といっても無人のようです。たまにクルマが通る程度の静かな道です。対岸の平津と違って、千代田はどこまでいっても平地です。千代田は鎌倉時代から見られる歴史ある地名です。かつて北西の谷に、鶴が舞い降りたことから鶴沢と称したが、のちに千代田と改名したそうです。いまは鶴沢神社としてその名を残しています。
 堤防下の集落は短く、さらに10数分ほど歩くと本集落に到着。こちらは現代風に改築、改装された住宅が多いが古民家も見られます。そのなかに旧平田家住宅があります。平田家は江戸末期に庄屋を務め、その後議員や村長を務めた旧家。明治9年の伊勢暴動では真っ先に標的になり、屋敷内には刀傷が残されています。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★
交通 三岐鉄道三岐線平津駅から徒歩15分
 平津(へいづ)/四日市市平津町
 
   
▲堤防上の八風街道沿いの集落です  ▲朝明川堤防下の古民家群です 
八風街道沿いの集落です
 平津駅を出ると土蔵があって、なにやら期待できそうな町です。正面に朝明(あさけ)川の堤防にぶつかり、その堤防上の道路が八風(はっぷう)街道です。桑名市と八風峠を越えて滋賀県の東近江市とつなぐ重要な街道です。平津は街道沿いの集落で、いまでいう街村を形成。いまは堤防上に幾つかの古民家が連なり、さらに堤防下にも町並みが形成されています。とくに堤防下には、旧家かと思わせる屋敷や町家など往時の面影を見ることができます。
 地名の由来は、古来朝明川の水深が深かったころ、河川港で周辺の物産などを四日市に移送していたころ、このあたりは平地であったからという。 
感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 三岐鉄道三岐線平津駅から徒歩5分
 
 亀山(かめやま)/亀山市西丸町
 亀山
 ●武家屋敷の蔵,長屋門
 東海道・江戸から数えて46番目の宿場町で,なおかつ関氏の城下として発展した城下町でもあります。
 この亀山宿,隣の関宿と同じように,距離が長いのです。その長さ2.5kmもおよびます。にもかかわらず,本陣,脇本陣が各1軒,旅籠も21軒とちょっと寂しい感じです。というのも伊勢神宮へ向かう,伊勢詣での街道から外れているため。
 町家は出格子で出桁造りが定番です。城下には,家老職だった加藤家の長屋門,土蔵,母屋の一部が残されています。
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは亀山市役所駐車場に停めました
 関宿(せきじゅく)/亀山市関町
 関宿-1
 関宿-2  関宿-3
▲約200軒の歴史的建造物が現存  ▲間口は狭いが奥行きがあります 
 ●現存する最長の宿場町
 歩いていてあまりの距離の長さに驚くと同時に疲れました。東西方向に1.8qもある古い町並みって,関だけではないでしょうか。東海道,伊勢別街道,大和街道の交差するところだけあって,大規模な宿場になりました。そのせいか,いまでも歴史的建造物だけで200軒前後が残っています。
 切り妻造りの平入り2階建ての多いのが特徴です。しかも他の宿場町と違って統一感がありません。デザインにしてもバラバラです。たぶん,当時の職人たちが,自らの腕を競ったのではないでしょうか。
 感動度★★★★
 もう一度いきたい度★★★★
 交通 JR関西線関駅から徒歩10分
 伊賀上野(いがうえの)/伊賀市上野三之町
 伊賀上野
 伊賀上野  寺院町
▲格子のある町家が目に付きます ▲きちんと整備された寺町 
 ●町家が多く残る
 何度も訪れました。忍者の町、芭蕉の生誕地としても有名です。そのため最初の訪問では、城や忍者屋敷、芭蕉にまつわるところばかりでした。
 町なかは今回が初めてです。格子模様のようにきちんと区画されており、歩きやすい。ほとんどが町家で、瓦葺き2階建、平入りの建物が主流。ところどころに豪華な武家屋敷が目に付きます。ただ、連続して建っているわけではありません。寺町はきちんと整備されています。
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★
 交通 クルマは上野公園大駐車場に停めました
 名張(なばり)/名張市新町
 名張
 ●「旧町」界隈の古い町並み
 初瀬街道の宿場町として栄えた名張は,昔ながら・古い町並みがそこかしこに残っています。中町,本町,新町と広く残っているのです。これは近鉄名張駅の西側にあたり,「旧町」にあたります。戦前までは,商業の中心地でもありました。いまは若干寂れた感じもありますが,老舗がずらりと並んでいます。
「ひやわい」と呼ばれる細い路地が張り巡らされています。民家,商家が建て込んで人一人がやっと通れますが,今も利用されています。
 感動度★★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは総合福祉センターふれあいに停めました
 松阪(まつさか)/松阪市殿町
 武家長屋
 松阪  松阪
▲料理屋がけっこう多いです  ▲古民家が数多く見られます 
 ●武家長屋が珍しい
 松阪は父親の出身地であるためか、子どもの頃から何度も訪ねています。でも殿町や魚町は初めてです。クルマで市内の伊勢街道を走っていますと、まだまだ歴史的な建築物がたくさん残っています。
 殿町を代表する建築物が、武士が住んだ長屋です(写真左)。一棟のなかに複数の武家の家族が住んだという珍しい長屋です。安中市(群馬県)には茅葺きの武家長屋が復元されています。さて松阪ですきやきを食べると、1人前が最低1万円以上します。念のため。
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 クルマは松阪城址周辺の駐車場に停めました
 市場庄(いちばしょう)/松阪市市場庄町
 市場庄-1
 市場庄-2  市場庄-3
 ▲伊勢街道の宿場町でした  ▲明治初期には家数は99軒とか
 ●街道沿いに圧巻の古民家群
 2度目の訪問です。訪れる人の少ない、静かでとてもきれいな町並みです。先の大戦で伊勢湾沿岸が軒並み攻撃されたのに、市場庄が残ったのは幸いでした。
 建物は町家が中心ですが、写真でもわかるように、ほとんどが妻入り形式です。周辺は農家が多く,米蔵も街道沿いに建っています。
 伊勢街道のゆるやかな美しいカーブに沿って約1qも建ち並んでおり、重要伝統的建造物群保存地区に選定されてもおかしくないぐらいです。
 感動度★★★★
 もう一度いきたい度★★★★
 交通 クルマは道端に停めました
 中万(ちゅうま)/松阪市中万町
 中万
 ●格子模様の板塀囲みの蔵
 もともとこの地は江戸で財をなした松阪商人(射和商人)のふるさとでもあります。とくに化粧品のおしろいや綿布を産業としました。今では商人たちの邸宅が残っています。
 櫛田川沿いの町並みで,一歩中に入ると実に静かな町並みです。格子状の板塀で囲んだ蔵が連続して建ち並んでいます。さらに歩くと,植栽で囲まれた立派な家屋も目につきます。
 この中万町からさらに隣の射和町まで,古い町並みが切れ切れで続きます。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは中万公会堂の駐車場に停めました
 波瀬(はぜ)/松阪市飯高町波瀬
 浪瀬本陣
 ●お伊勢参りの宿場町です
 市町村の大合併で,このあたりまで松阪市になったのかと感無量です。というのは,国道166号線でまもなく和歌山県という,山奥の町並みなのです。
 かつて紀州候が伊勢参拝や江戸に向かう場合に通った街道でもあります。いまでも浪瀬本陣(写真)が残されています。土蔵や出桁造りの町家も残っています。
 いまは山奥の小さな集落ですが,かつてはお伊勢参りの人たちで賑わった宿場町であったのだろうと想像します。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは道端に停めました
 おはらい町(おはらいまち)/伊勢市宇治中之切町
 おはらい町
 おはらい町  
▲改築、改修を重ねてできました  ▲早朝は静かでした
 ●瓦葺き妻入り2階建て
 伊勢神宮周辺の町にはよく行きました。しかしこんなに整備されたのは、ここ20数年来のことです。ほんとうに歩きやすくなったのです。テレビドラマの舞台にもなった名物・赤福をよく食べました。
 建物は瓦葺きの妻入りです。木の壁や塀がぬくもりを感じさせます。この日は早朝の7時半ごろに訪れたでいか、人出もなく静かでした。そのためほとんどの店が閉まっていました。10時ごろから開店するようです。町並みは改築、改装を重ねて復元できました。
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 クルマは伊勢神宮内宮前の駐車場に停めました
 二見(ふたみ)/伊勢市二見町茶屋
 二見
 ●木造の旅館街は今も健在
 子どものころから何度も訪れています。二見と言えば,夫婦岩で知られています。伊勢神宮参拝のあと,二見浦で泊まるのが定番でした。しかし,今は志摩半島のリゾートホテルで泊まることが多いとか。
 二見の旅館街も少しずつ客足が衰えつつあるようです。妻入りの木造の旅館街は,今でも健在ですが,櫛の歯が抜けたようになっていました。木造3階建ての旅館もありましたが,3階部分は使われていないようです。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは二見総合支所の駐車場に停めました