宮城県

一番丁(いちばんちょう)/仙台市青葉区一番丁
壱弐参横丁/メインの通りが二筋あります。 バラックが並ぶ壱弐参横丁
 壱弐参と書いて“いろは”と読みます。仙台空襲後,露天商たちが集まり中央公設市場を設立。昭和21年のことです。これが壱弐参横丁の前身です。生活必需品から飲食店まで約100軒余。主な二筋の通りは「青葉小路」,「松竹小路」と命名。昼間からお酒が飲めます。
▲天丼付きラーメン(500円・つるや)
南町通り横の路地裏/昭和20年の空襲で焼け野原となり,木造モルタルのつなぎ合わせたマーケット形態の建物が原型。昭和27年の大火で一新。現在の形になりました 仙台空襲後,仙台駅前に多くの露店が建ち並んだのが朝市の起源。今は仙台朝市商店街振興組合を結成して活動。
▲仙台銀座/仙台空襲の後の横丁 ▲仙台朝市/今では仙台の観光名所 ▲花そば(330円・福はら)仙台駅前
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR東北本線仙台駅から徒歩10分
 小田原(おだわら)/仙台市青葉区小田原
  かつて一大遊郭地でした
 仙台の中心地にあった常盤丁は多くの妓楼が立ち、一大遊郭を形成していました。ところが明治27年、陸軍第二師団の郊外に移転せよの要請に、現在の小田原(旧小田原北一番丁通〜三番丁通)に移転したのです。以後、仙台を代表する遊里へと発展しました。一部には新常磐町遊郭と呼ぶ人もいます。 江戸時代はのどかな田園地帯で、田畑、山林、馬の放牧などが広がっていたようです。しかし明治時代に様相は一変。さらに戦後になって鉄道が開通、住宅地として発展していきます。いま、遊郭の面影は全く見ることがありません。 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR仙山線東照宮駅から徒歩15分 
昭和町(しょうわまち)/仙台市青葉区昭和町              
  こぢんまりした仙台浅草
 昭和45年に旧荒巻などの町が集めてできて町です。もともと材木商の土地でしたが、戦後に廃業。その跡地に駅前交易センターができ、東京・浅草にあやかりたいと仙台浅草と命名。昼間は雑貨店や飲食店、夜は飲み屋街で、約30店ほどのこぢんまりした商店街。 
 
▲開運十二支のお守り本尊堂 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 地下鉄・JR仙山線北仙台駅から徒歩5分 
通町(とおりちょう)/仙台市青葉区通町
内部の詳細は不明ですが,屋根から察するに,重厚な和館,土蔵ながが点在しているようです わずかな古民家が点在
 奥州街道沿いの町です。藩政時代から畳職人,大工,瓦屋,左官など職人が多く住んでいました。もともと仙台城下の奥州街道の17の町全体が通町と呼ばれていました。しかし明治に入って,一部地域だけの呼び名になりました。
 奥州街道は青葉神社の参道と重なり,明治以降多くの参拝客で賑わいましたが,その後新たな鉄道の開通,新駅の誕生ですっかり寂れました。街道沿いには改修された古民家が点在。裏手にまわると腰板塀のある屋敷など散見できます。ところで青葉神社は、藩祖・伊達政宗をまつっている神社です。
創業は明治42年(1909),仙台市の景観重要建造物でもあります 伊達家のお供で岩出山から仙台にやってきたという歴史を持つ。江戸・伊達屋敷の畳替えをしたとか
▲横山味噌醤油店/大正9年築 ▲安田畳店/江戸時代から歴史あり ▲北仙台カトリック教会(昭和26年築
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 地下鉄南北線北四番町駅から徒歩10分
 子平町(しへいまち)/仙台市青葉区子平町
  「子平町の藤」で一躍有名
 戦後の新しい町名で、『海国兵談』の著者・林子平の墓が竜雲寺にあるところから命名。子平の名を一躍有名にしたのは、「子平町の藤」で、千田家に咲くフジのことです。江戸時代からすでに旧町名の「半小町の藤」として知られていました。今ほとんどブロック塀に変わりましたが古民家も多数。 
 
▲千田家住宅/仙台市の天然記念物に指定。毎年公開されます 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR仙山線東北福祉大前駅から徒歩15分
八幡(はちまん)/仙台市青葉区八幡
  作並街道沿いに古民家
 藩政時代、大崎八幡宮、龍宝寺の門前町として栄えました。また山形方面から来る作並街道の街道口でもありました。そのため信仰だけではなく経済、文化の要所。この広い街道から電柱、電線が消えたのが平成13年でした。そんな中で古民家が街道沿いに(国道48号)点在しています。 
 
▲みたらし団子セット(300円・鞍)大崎八幡宮休憩所内 
     
▲庄子屋醤油店/国の登録文化財  ▲大崎八幡宮/国宝  ▲龍宝寺/釈迦如来立像は重文
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR仙山線東北福祉大前駅から徒歩30分
 北山(きたやま)/仙台市青葉区北山
  樹林に囲まれた北山五山
 仙台城下の北端の台原段丘の西側を占めています。仙台城の鬼門にあたる北方の砦として注目したのがココ北山です。江戸時代、伊達氏縁故の寺々が防衛の意味を兼ねて配置されました。特に5つの寺が破格の待遇を与えられ、“伊達五山”と称しました。その後、丘陵の南麓に次々と寺が移転。門前町を形成していきます。いまは一般に“北山”、“北山五山”と呼ばれています。
 急坂や周囲の路地を歩いていますと、古民家は見られず、特に震災以降はほとんど建て替えられたとか。しかし樹林に囲まれた道はホッとします。    
     
▲光明寺/支倉常長の墓があります  ▲東昌寺/境内の大部分を青葉神 ▲覚範寺/慶長7年に開山 
     
▲資福寺/アジサイ寺といして有名  ▲輪王寺/山門は仙台市指定文化財 ▲青葉神社/潘祖伊達政宗を祀る
感動度★ もう一度行きたい度★★ 交通 地下鉄・JR北仙台駅から徒歩20分 
南材木町(みなみざいもくまち)/仙台市若林区南材木町
南材木町/奥州街道/針惣(はりそう)・明治時代から続く大地主。土蔵や昭和初期の木造建築の主屋が残ります。戦後は旅館を経営,多くの作家や学者が泊まったそうです 修景事業がすすむ土蔵群
 江戸時代は,仙台城下二十四町の一つで,奥州街道沿いに位置する町人町でした。藩政時代から木材の専売特権が与えられていた所です。またたばこの専売権も持っていました。南材木町は隣の河原町と共に城下町の南の入口にあたります。交通の要衝から,多くの商人が集まりました。針生家はコンニャク粉の問屋商売を独占。大正時代は秋保電鉄の創業者・小林家,仙台市営バスの前身,銀バスを走らせた伊勢家。
 歩いていますと,修景事業が進み,土蔵が甦っています。戦災をのがれた街並みだけに、古民家が残されています。 
奥州街道の1本裏の舟丁橋のたもとに立つ,明治18年(1885)創業の老舗 明治時代は味噌醤油の土蔵でしたが,いまはそのまま利用しています。祖先は秋保鉄道を経営。 丸木/200年続く薬屋で今は7代目。天明元年(1781)の建築といわれています。
▲石橋屋/仙台駄菓子の総本店 ▲小林薬局/明治時代は味噌醤油蔵 ▲丸木/南材木町で最古の土蔵
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 地下鉄南北線河原町駅から徒歩3分
新寺(しんてら)/仙台市若林区新寺 
  約30余が集まる寺町
 もともと八塚、八塚寺町とも呼ばれていましたが、そこえへ寛永12〜13年ごろ寺小路周辺のわずかな寺が移転してきました。その後、足軽屋敷も配置され、仙台藩の東方面の守りとなったのです。
 話はとんで昭和38年に都市改造計画が発表。というのも戦災を受けなかったため、道幅が狭く、街並みもゴチャゴチャしていたからだとか。墓地の移転など寺院側との激しい対立がありましたが、道路を拡張し美しい街並みができたのです。現在30余か寺が集中。季節の花々が咲き、仙台最大の寺町を形成しています。
     
▲正楽寺/山門は寛保2年の建築  ▲善導寺/庭園やサクラが美しい  ▲光寿院/仙台33カ所観音札所です 
     
▲孝勝寺/2代藩主夫人の菩提寺  ▲松音寺/鐘楼門が美しい ▲阿弥陀寺/時宗の寺は珍しい 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 地下鉄東西線宮城野通駅から徒歩15分 
五橋(いつつばし)/仙台市若林区五橋
  旧奥州街道沿いの集落
 江戸時代からの地名で、清水小路に五つの橋が架かっていたことが由来。旧奥州街道沿いの集落で、歩いて見ますと、今でも土蔵や店蔵などの古民家が残っています。また東北大学や、東北学院大学のキャンパスがあり、若者たちで賑わっています。 
 
▲たから家ラーメン(650円・たから家) 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 地下鉄南北線五橋駅から徒歩5分 
南鍛冶町(みなみかじまち)/仙台市若林区南鍛冶町
南鍛冶町 伊達藩時代からの職人町
 奥州街道沿いには,伊達政宗とともに岩出山から多くの鍛冶職人が移ってきました。そして荒町の東側に住まわせました。仙台藩には北と南の2つの鍛冶職人の町がありましたが,いまは南だけになりました。そして地名が残っているのはそのころの名残です。
 南鍛冶町にも幾つかの寺院が残されています。なかでも泰心院は伊達植宗夫人の牌所。特に山門は県の文化財に指定されています。また東漸寺には名横綱といわれた谷風の供養碑があります。
 ところで江戸末期には600余人が住んでいたそうです。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは離れた所の100円パーキングに停めました
荒町(あらまち)/仙台市若林区荒町
荒町の寺町 寺町を形成している
 仙台のほぼ中央を通る県道沿いに多くの寺院が建ち並んでいます。曹洞宗,日蓮宗,真言宗,神社,カトリック教会などあらゆる宗教が揃っているのです。ほとんどが仙台開府時に各地から移転してきたものです。
▲仙台駅(牛たん弁当/1100円)
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは付近の100円パーキングに停めました
長町(ながまち)/仙台市太白区長町 
  闇市の旧長町マーケット
  もともと天賞酒造の土地で、近くの材木商が借り受けて市場を造りました。戦地からの引き揚げ者なども加わり、雑貨、食品など日用品を中心に“闇市”を形成。その後、昭和50年代に土地の権利を各商店に譲渡。さらに今では9割が飲み屋になりました。こぎれいな木造モルタル2階建てが中心です。 
 
▲トーストセット(361円サンエトワール) 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR・地下鉄長町駅から徒歩3分 
気仙沼(けせんぬま)/気仙沼市魚町
魚町 登録文化財が続々誕生
 5回目の訪問です。気仙沼は旧市街地は寂れていますが,いまでは南気仙沼駅周辺のほうが賑やかです。しかし古い町並みは,魚町を中心にした旧市街に集中しています。
 気仙沼は大正4年(1915)と昭和4年(1929)の大火で,市内を焼き尽くしました。だからいまある建物の大部分が昭和初期に建てられました。平成14年に発足した風待ち研究会の調査で,文化財級の建物がたくさんあると報告されたのです。そして幾つかの建物が文化財として登録されたのです。ところで気仙は、計仙麻(けせま)の略で、アイヌ語のケセモイに由来とか。
魚町 気仙大工の腕前の高さ
 このあたりの建築群は長方形ではなく,不整地な敷地の上に建てられており,「気仙大工」の伝統的な技術の高さを証明しているといいます。また漁業を中心とした経済力の高さが示され、全国有数の漁港。特にマグロ、カツオ、イカ、サンマは抜群
▲ラーメンと餃子(850円やまと食堂
魚町 魚町
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★★ 交通 クルマは港近くの有料駐車場に停めました
有壁(ありかべ)/栗原市金成有壁
旧有壁宿本陣(重要文化財) 260年前の本陣が残る
 奥州街道沿いにある宿場町で、1619年に幕府の命により宿駅が置かれました。一関藩に属しています。本陣1軒,脇本陣1軒があり,松前,八戸,盛岡一関の藩主が参勤交代の際に宿泊しました。現存する本陣は,1744年(延享元年)に改築された後の姿がそのまま見ることができます。また明治に入って明治天皇が2度立ち寄られ,休息されたとか。
 有壁というのは,岩穂山の白岩が壁のように見えたからという説があります。それはともかく,街道沿いを歩きますと,農家の住まいが立派なこと。開口部が広くガラス戸が印象的です。
有壁宿 有壁宿
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました
志津川(しづがわ)/南三陸町志津川字五日町
志津川 大火や地震,津波で消失
 志津川まで来ると,なにやら遠くに来たなあ,という感じがします。江戸時代は赤穂から持ち帰った赤穂流の塩田法が成功。また養蚕,製糸業,漁業など,村はそれなりに発展していきました。それにしても交通の便が悪すぎます。陸の孤島と言われてが,昭和52年に国鉄気仙沼線がやっと開通しました。
 気仙沼に通じる東浜街道の宿場町でもあります。ただし明治から昭和にかけて何度も大火や地震,津波に襲われており,古民家は極端に少なくなったのは残念です。町名の由来は、当地を流れる川の古名・清水(しず)川が転じたものといわれています。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは南三陸商工会の駐車場に停めました
登米(とよま)/登米市登米町寺池
旧登米高等尋常小学校(重文) 宮城の明治村
 3度目の訪問です。登米はのどかな感じで,好きな町の一つです。今はどうかわかりませんが,最初に登米町役場を訪れたとき,バブル全盛期にもかかわらず木造のオンボロ庁舎だったことに驚きました。
 登米は明治期の建物が,たくさん残っています。ただ,結構広範囲に点在しています。旧水沢市庁舎,旧登米警察署,写真の旧登米高等尋常小学校などです。別名「宮城の明治村」と言われるゆえんです。ちなみに登米市は「とめ」,町名の登米町は「とよま」と読みます。とよまの由来は、古代陸奥国遠山(とおやま)村が転訛したものだそうです。
登米市 武家屋敷通り
▲看板建築が並ぶ一画もおしゃれな町並みです ▲武家屋敷通りに茶店があって,一気にタイムスリップ
警察資料館 水沢県庁記念館 とよまだんご
▲警察資料館 ▲水沢県庁記念館 ▲一串セット(280円/とよまだんご)
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました
古川(ふるかわ)/大崎市古川七日町
七日町 商家や酒蔵が残る
 奥州街道と石巻へ通じる脇街道の交差する宿場町として発展しました。特に七日町が中心地で酒蔵を改造した「みちのく古川食の蔵 醸室」となっています。緒絶川沿いの蔵は風情が感じられます。古川の町名由来は、中世以来の郷名が転訛
▲平安時代から悲恋の歌枕に使われた緒絶川にかかる緒絶橋
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは大崎市役所に停めました
松山(まつやま)/大崎市松山千石
松山 商家の残る町並み
 仙台藩伊達家の重臣茂庭家(1万3000石)の城下町として栄えました。また松山地区独特の蔵座敷は見ごたえがあります。特に内部の装飾には目を見張ります。
「一ノ蔵」酒造のあるところで,酒ミュージアムも見所です。
▲明治20年建築された座敷蔵
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは松山公民館の駐車場に停めました
三本木(さんぼんぎ)/大崎市三本木
三本木 北町に多い古民家
 南北の奥州街道と東西の中新田街道の交差する宿場町です。三本木は鳴瀬川を挟んで,北町と南町の二つ分かれています。北町には江戸時代の本陣,脇本陣が置かれていました。南町には鳴瀬川沿いには米倉が建ち並び,鳴瀬川の舟運を利用して石巻へ,さらに江戸へと米を運んでいました。ただ明治に入ってからは,少しずつ舟運も途絶えだし,鉄道からも離れ,町自体は過疎化の方向に進みました。
 どちらかといえば商家や町家は北町に多く残されています。町名の由来は、鳴瀬河岸にあった3本の榎木にあるとか。
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは鳴瀬川沿いの空き地に停めました
岩出山(いわでやま) /大崎市岩出山
岩出山 学問所・有備館が見もの
 伊達政宗の4男,当時2歳の宗泰が家老とともに移り,岩出山伊達藩となり1万4千石の知行を得た。地割りなど当時の城下町の雰囲気を残していますが,建物は有備館以外は,ほとんど残っていません。
▲有備館は伊達藩の学問所
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは旧有備館の駐車場に停めました
川渡温泉(かわたびおんせん)/大崎市鳴子温泉川渡
川渡温泉/藤島旅館 町家の屋根と庇に注目
 鳴子温泉郷の一つで「脚気の川渡」と言われている湯治場。古街道が江合(荒雄)川を渡った地であることから命名されたとか。仙台藩御用の湯で,藩主も利用したそうです。木造旅館のほかに,独特の屋根,庇を持つ町家が目に付きます。
▲庇を深く付き出した町家が多い
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR陸羽東線川渡温泉駅から徒歩25分
鳴子温泉(なるこおんせん)/大崎市鳴子温泉湯元
滝の湯/CMのロケ地にもなった共同浴場。向こうの木造の建物はゆさや旅館 わずかな古民家
 鳴子温泉駅前を中心に広がる歓楽的要素の強い近代的な温泉街。歴史は古く,藩政時代中期以降,仙台藩の御用湯となり,湯治場として繁栄しました。歩いてみますと,土産物店,各種飲食店などが並びますが,古民家はわずかでした。
鳴子温泉駅前
▲ブレンドコーヒー(400円・まるゆ)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR仙台駅発高速バスで鳴子温泉車湯から徒歩10分
藤ケ崎(ふじがさき)/美里町藤ケ崎町
小牛田駅前の旭館/元もと小牛田駅は,ここから北方1kmの所にあり山神社参拝客で賑わっていた。大正2年に藤ヶ崎に移転。同時に旭館も建設したわけです。 駅前に大正ロマンの旅館
 小牛田(こごた)駅前に立つと,大正2年創業の旭館が目に付きます。大正ロマンが香りますが,裏手にまわりますと,昭和初期と思われる幾つかの古民家も。鳴瀬川と江合川にはさまれた地域で,江戸時代は水害に悩まされていました。
▲日替わり弁当(650円・伊勢屋)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR東北本線小牛田駅から徒歩10分
中新田(なかにいだ)/加美町西町
中新田 酒屋さんも3軒あります
 中新田は旧町名。羽後街道と羽前街道の交差する交通の要衝にあり,酒造メーカーも3社あります。古い町並みは,途切れ途切れに残っており,歴史のある町だけに意外にも,見所も多いところです。
▲山和酒造店の酒蔵
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは加美町役場に停めました
大和(たいわ)/大和町吉岡
大和町 昭和初期の洋館
 吉岡は陸羽街道と羽後街道の分岐点で,江戸時代は参勤交代路としての役割を果たしていました。また大和武道館は,旧吉岡小学校講堂で,なんと瓦葺きです。窓がユニークで外壁は下見板張り。
▲昭和5年築の大和町武道館
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはスーパー西友の駐車場に停めました
富谷(とみや)/富谷町富谷
富谷宿 意外に多く残る町家
 秀吉の仕置きで豪族・黒川氏の支配が終わり,伊達領が確定しました。そこで仙台への直通道路・奥州街道が造られ,七北田と吉岡の間に,富谷宿が設けられたのです。かつてお宮が十もあり、そこから十宮(とみや)と呼ばれたそうです。
 西川に架かる御所橋を渡り,新町巡りの古い町並み見学コースが設けられています。のんびりと歩くと,意外にも古い町家が多く残されています。また本陣跡,脇本陣跡などの掲示板がありがたいです。
 ところで内ヶ崎酒造店は宮城県内では最も古い酒造店といわれているそうです。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは富谷町役場駐車場に停めました
中央(ちゅうおう)/石巻市中央
手前が旧東北実業銀行石巻支店(大正14年築),向こうが石巻市で最初に陶器を販売した旧観慶丸商店で今は市の所有になっています。 2棟の近代建築が健在
 東日本大震災の津波の影響を受けましたが,倒壊は逃れ,1階内部の流失のみで済んだようです。市内にも幾つかの近代建築が残されており,市も積極的に保存活用しようとしています。立町商店街もいまは寂れた感じですが,元気になるまであと一歩。 
▲石巻焼そば(520円・くるるん)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR仙台駅前から高速バスで石巻駅前下車徒歩7分
北境(きたざかい)/石巻市北境
北境 長屋門の豪華な造り
 とにかく豪華な造りの農家なのには驚きました。武家屋敷のような長屋門があるのですが,その奥行きの長さが4〜5mもあります。倉庫のような使い方をしているようですが,どの農家も造りが豪華なのです。漆喰壁の下半分が板張り,屋根は黒瓦葺きで,豪農といった感じがしました。一部屋根にスレート葺きが見られます。たぶん、江戸時代からの旧名主の旧宅ではないかと推察。
 人影のまったく見られない通りを約200mほど歩きました。長屋門の奥には,超大きな母屋があります。車が2〜3台停まっています。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは車は道幅の広いところに停めました
塩竃(しおがま)/塩竃市本町
浦霞醸造 土蔵や洋館,町家が多い
 銘酒『浦霞』の地元です。また本町,宮町の通りには格子戸のある町家が見ることができます。洋館も目に付きますが,これらは明治末期から戦後まもなく,塩竃石で造られたとか。塩釜港には倉庫群も目に付きます。
庄や
▲カツオ丼定食(730円/庄や)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは雲上寺の駐車場に停めました
青根温泉(あおねおんせん)/川崎町青根温泉
青根温泉/岡崎旅館 ガラス張りの歴史的建造物
 天文15年(1546)に砂金氏の家臣が大湯,同時期にその家臣の子が名号湯を発見したと伝えられています。新湯はもう少し後になるとか。仙台藩主・伊達家の隠し湯ともいわれ,藩士やその夫人,一門の武士,文人墨客などが訪れています。それらの記録としての文書,典籍等は,青根温泉で最も歴史のある不忘閣に収蔵。
 通りを歩いていますと木造の旅館が点在しています。ガラス張りが往時のハイカラさを表していたのでしょうか。廊下を歩くギシギシ音が聞こえてきそう。
いまは蔵王観光の登山と宿泊の基点になりました。
青根御殿/最も歴史ある青根温泉を代表する旅館 名号館 2階は作曲家・古賀政男の資料室。名曲『影を慕いて』は青根で着想したと言われています
▲不忘閣/青根御殿と呼ばれている ▲名号館/140年歴史の木造2階 ▲観光案内所/旧宣教師住宅
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました
村田(むらた)/村田町村田
村田 北国の「蔵の町」
 村田といえば、いままで東北自動車道のジャンクションのあるところぐらいしか認識がありませんでした。ところが行ってびっくり、蔵造りの商家がたくさん残っているのです。かつてそのほとんどが江戸時代の紅花商だったそうで、江戸、仙台、山形への街道の分岐点だったことから、豪商が集中しました。紅花や藍は、大坂や京まで出荷していたそうです。
 この日は、2度目の訪問でしたが,前回と違ってじっくりと見てまわりました。宮城県にこれだけの蔵造りの商家が残っているのは珍しいです。重要伝統的建造物群保存地区。
村田 1本の街道沿いに集中
 村田のいい点は,空き屋もありますが,ほとんどの土蔵に人が住んでいることです。数では喜多方の方が多いですが,ココは1本の街道沿いに集中していますので,歩きやすく見学しやすい。
松月
▲ラーメン500円・餃子350円(松月)
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました
大河原(おおかわら)/大河原町西浦
大河原 奥州街道沿いの宿場町
 大河原宿は奥州街道沿いの宿場町で,仙台から9里と近く,大勢の旅人たちの宿泊や休み処として栄えました。
 また江戸時代から,紅花の集積所としても栄え,多くの豪商たちを生みました。紅花は,江戸のほか,上方でも人気があり,京,大坂へも多量に出荷されています。ほかに煙草の村上屋,生糸の須藤屋などの問屋も栄え,奥州街道沿いの宿場としては,柴田郡内では最も栄えた町でもありました。江戸時代末期の店蔵がいくつか残っており,なまこ壁がとても美しい。現在は国や県の出先機関があり、広域行政の中心地。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは役場に停めました
柴田(しばた)/柴田町船岡西
柴田町 役場周辺に残る古民家
 明治維新まで柴田氏が居住した館跡を中心にした城下町です。現在の船岡公園が,柴田氏の居城があったところです。公園には、山本周五郎『樅の木は残った』の文学碑があります。また伊達騒動で知られた所。幕末,戊辰戦争で敗退し,家臣とともに北海道に移住したが失敗し引き揚げている。
 船岡公園は桜の名所として知られており,今回,その人混みに巻き込まれました。そのためクルマの渋滞と駐車場探しに本当に困りました。役場周辺に古い町並みが残っています。蔵造りやナメコ壁を施した町家など,しっとりとした感じの町です。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは柴田町役場の駐車場に停めました
岩沼(いわぬま)/岩沼市中央
岩沼宿・旧奥州街道 奥州街道沿いの店蔵
 奥州街道と陸前浜街道の交差する宿場として発展しました。現在も国道4号と6号の分岐点。南町には本陣が,中町には脇本陣が置かれ,東北地方の大名たちが利用しました。また竹駒神社の門前町として発展しました。特に年数回開催される馬市には多くの人たちが集まって,大変に賑わったそうです。そのため喧嘩,放火,押し売りなどの悪行がはびこり,仙台藩は厳しく取り締まりました。
 岩沼宿は旧国道4号線の奥州街道沿いにあり,商家の店蔵などが残されており,歴史の町並みとして興味深く歩くことができます。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは仙台銀行岩沼支店の駐車場に停めました
亘理(わたり)/亘理町中町
亘理 土蔵造りが多数見られる
 町名は『和名抄』に和多里(わたり)とあり、阿武隈川の渡しを意味したそうです。
 江戸時代は,伊達成実氏が支配し城下町として発展しました。この体制は明治維新まで変動がありません。町並みには商家が並び,江戸時代中期には呉服店,木綿,薬種,小物などを扱い,酒屋に至っては10軒近くあったとか。また阿武隈川の水運を利用することで,米や海産物を扱うことで,町は大いに発展し六斎市も開かれました。建物も蔵造りが多く,なまこ壁を見かけます。いずれも築100年以上もたっており,見どころの多い町並みでもあります。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは空き地に停めました
角田(かくだ)/角田市角田
郷土資料館 町割りは江戸とほぼ同じ
 江戸時代は伊達家筆頭の石川昭光が約270年間統治していました。居城は牛が臥している姿に似ているので、臥牛(がぎゅう)城と呼ばれました。また阿武隈川を利用した水運が盛んで,物資とともに仙台や江戸からの文化がかなり入ってきたと思われます。
 城下町と思われる町並みはほとんど見ることができません。城の周辺には上級の侍屋敷を置き,その外側に商人を住まわせたそうです。寺院や町家が仲町や本町にかろうじて残っています。ただし全体的に近代建築に変わりましたが,町割りは往時とほとんど変わらない。 
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは郷土資料館に停めました
丸森(まるもり)/丸森町
齋理屋敷 豪商・齋理と共に発展
 江戸から昭和にかけての豪商・齋理は呉服,養蚕,金融,醸造などを営んでいましたが,その後屋敷や古文書などの資料,商売道具などを丸森町に寄贈。いまは蔵の郷土館として利用されています。
▲齋理こだわり屋(こだわり屋セット430円・コーヒーと小判焼)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました
中町(なかまち)/白石市中町
壽丸屋敷 ひときわ目を引く壽丸屋敷
 藩政時代,白石七ヶ町といわれたうちの一つです。いまは市の中心にある商店街。幾つかの古民家が見られますが,ひときわ目を引くのが壽丸(すまる)屋敷です。豪商の家屋ですが,いまでは市に寄贈され数多くの催しを開催されています。
▲五目うーめん(510円・白石蔵王駅食事処)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR東北本線白石駅から徒歩6分
益岡(ますおか)/白石市西益岡町
武家屋敷 沢端川沿いの武家屋敷
 復元された白石城下の沢端川沿いに立つ,片倉家中武家屋敷の光景が美しい。しかし町並みはこの一画だけです。あとは白石城内を歩くと往時の雰囲気が漂っています。
▲うーめん(530円/うーめん番所)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは武家屋敷駐車場に停めました
鎌先温泉(かまさきおんせん)/白石市福岡蔵本鎌先一番
鎌先温泉/一条旅館 木造4階建て旅館は現役
 やはり「湯主一条」の木造4階建てが知られています。大正から昭和にかけて増築された建築ですが,いまも現役です。湯治の湯でもある最上屋旅館も昔ながらの“旅籠”の雰囲気を残しています。
 かつて農夫が水を飲むために鎌の先で岩をこじ開けたところ温泉がわき出たとか。鎌崎,釜崎とも書きます。600年の歴史を持つようですが,切り傷に効くといわれ仙台藩主をはじめ,武士階級に人気上昇。そのため御仮小屋まで建てられました。いま歩いて見ると,歓楽温泉街とは全く違う、湯治場の雰囲気を持つ静かな温泉地でした。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは観光客用駐車場に停めました
斎川(さいかわ)/白石市町屋敷
斎川宿/旧奥州街道 白壁の切り妻造が続く
 長く続く朽ち果てた土塀と医薬門をくぐると,意外に真新しい屋根の古民家・検断屋敷が目に入りました。住民の方は5年前に葺き替えたとか。また明治天皇の休憩所でもありました。本陣はなく,旅籠も数軒,百姓や町民が駄賃をとって泊めたといわれています。
▲検断屋敷/屋根が葺き替えられた
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上戸沢(かみとざわ)/白石市上戸沢
上戸沢宿 七ヶ宿街道最初の宿場
 七ケ宿街道沿いの宿場町です。奥州街道の桑折宿で分かれ,小坂峠を越えて仙台藩に入り,金山宿を超えて楢下宿に至る街道が七ケ宿街道にあたります。
 桑折宿(福島領)から仙台藩に入った最初の宿場町が,この上戸沢宿です。宿場といっても、小さなものでした。ココは他の領地と接するためか仙台藩の御番所が置かれていました。そのため,警備の武士や足軽なども常勤していたので,意外に発展。いまは茅葺きもなく(1軒だけ無人の茅葺きあり),ごく普通の田舎の光景を見せています。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは空き地に停めました
下戸沢(しもとざわ)/白石市下戸沢
下戸沢宿 数多く残る茅葺き屋根
 その昔,上戸沢宿を出ると次の宿場にあたります。現在の羽州街道(県道46号線)とは逆になります。念のため。
 今も残る茅葺き屋根の農家は,北から南へと街道の両側に立ち並んでいます。江戸時代の農家は,旅人宿も兼ねており,建物もかなり大きく,頑丈な造りでもありました。
 七ケ宿街道はもともと伊達藩から米沢藩への連絡路としての機能を持っていたのですが,参勤交代制度が確立すると,多くの諸藩が利用するようになったのです。しかし明治に入って鉄道が開通すると、宿場の役割は終わり、衰退していきました。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは空き地に停めました
横川(よこかわ)/七ヶ宿町横川
横川集落 “三角屋根”が続く集落
 通りを歩いていますと,「木地の里」という看板が目に付きます。先祖は木地師だったようです。お椀や盆などに使う良質な木材を求めて各地を渡り歩く人たちをさします。ただこの地に定住したのは江戸時代中期・元文年間といわれています。
 いま歩いていますと、チリ一つない清潔な町並みに気がつきます。そして茅葺き屋根のほとんどは,トタンなどの金属板屋根,瓦葺きなどに改造されています。もちろん茅葺き屋根の古民家も残り,大型の養蚕住宅も見られます。それにしてもほとんど人と出会うことのない静かな集落でした。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
関(せき)/七ヶ宿町関
関宿 古民家はわずかに点在
 七ケ宿街道沿いでは大きな宿場町。何を思ったのか本陣は昭和32年に解体されてしまいました。ココは公共機関等があるだけに賑やかな集落です。食堂もあります。それだけに古民家は少なく,街道沿いにわずかに点在するのみ。
▲中華そば(550円・まるみつ屋)
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滑津(なめつ)/七ヶ宿町滑津
安藤家住宅 「日本の道100選」
 下戸沢宿を出て渡瀬宿,関宿に続く宿場です。安藤家は260年の歳月を経てなお健在です。かつては本陣を勤めた名家でもあります。七ヶ宿街道は明治32年に奥羽本線開通後,急速に寂れました。いまは「日本の道100選」です。
土産物店&食堂
▲茅葺き屋根の食堂兼土産物店
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峠田(とうげだ)/七ケ宿町峠田
峠田宿 昭和初期の大火で“閑散”
 かつては茅葺き屋根だったと思われる古民家が点在しています。しかしいずれも屋根は葺き替えられており,街道沿いの建物も改装されています。昭和12年(1937)の大火で,宿場の大半が消滅しました。大火から逃れた家屋が,改装改築されたのです。いまは東端入口のくいちがい道路が旧街道の面影が見られます。
 慶長5年(1600),白石の役後,宿場が成立。伊達政宗は峠田と隣の湯原を横尾伊勢実光に治めさせました。宿場の長さは1丁48間(約200m),家数は34軒だったそうです。明治5年の宿駅廃止と共に町は変貌
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湯原(ゆのはら)/七ケ宿町湯原
湯原宿 所々に入母屋造を散見
 江戸時代は参勤交代や城米輸送,出羽三山詣で賑わいました。宿場の西2kmに追分があり,山形県の置賜地方,最上地方に通ずる要衝。村民は人馬継立てを主な生業としていました。いま,歩きますと改装された入母屋造が散見できます。
東光寺/たびたびの火災で本堂や庫裏は焼失しましたが,山門は残りました。七ケ宿町の文化財指定
▲東光寺/山門は江戸時代築
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稲子(いなご)/七ケ宿町稲子
稲子集落/限界集落です 養蚕住宅の名残り
 湯原から稲子へ稲子林道(町道湯原−稲子線と併用)を走ったのですが,途中道路が半分崩れており,軽自動車でギリギリ通れるというスリル満点のドライブでした。それにしても,限界集落の象徴のようなところ。現在、3世帯4人。最年少70歳。
 江戸時代は伊達藩警護の最南端で,足軽屋敷を設けていました。同じころ,木地師や炭焼で生業をたてる人が住むようになりました。昭和初期に100人前後まで増え、戦後の一時期小学校の分校もありましたが,今は相変わらずの過疎地。歩きますと養蚕住宅の名残も。コレは果たして町並みか!?
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは消防団稲子班の駐車場に停めました