宮崎県

高岡(たかおか)/宮崎市高岡町
高岡 わずかに残る遺構
 旧島津藩の武士たちの居留地(麓集落)として発展しました。島津藩直轄領ですが,大・中・小ある郷のなかでも大郷にあたります。地元周辺の郷士だけではなく,島津藩各地から集められて高岡郷が形成。
 ただ今はあまり武家屋敷の面影はありません。石垣,長屋門,武家門など数カ所にとどまっています。去川には去川関所も置かれていました。遺構はほんの少しだけなので,歩いてもすぐに見終わります。時間があれば山城の跡に建つ歴史民俗資料館に行くといいでしょう。
 明治に入って、鹿児島県、美々津県を経て宮崎県になりました。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは宮崎市高岡総合支所に停めました
上田島(かみたしま)/宮崎市砂土原町上田島
佐土原 かろうじて往時の面影
 戦国時代から佐土原城の城下町として開けた町。江戸時代は佐土原潘領,とはいうものの島津氏の領地でもあります。しかし今は蔵造りの商家,板塀や植栽など,わずかに古民家が残り,往時の面影を感じられます。
旧阪本家/江戸時代から続いた味噌・しょう油醸造販売を営む商家。入母屋屋根の平入で,町人町に建っています。市の有形文化財指定。
▲旧阪本家(商家・明治38年築)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは佐土原地区公民館駐車場に停めました
早鈴町(はやすずちょう)/都城市早鈴町 
  塀の上から古民家
 明治維新後、都城島津家が移転してきました。元は早鈴三社大明神の跡地で、明治44年に早鈴区が命名されるほど、なじみのある社でした。今ブロック塀で囲まれた住宅地ですが、元は武家屋敷が多く、石積みや植栽は消えましたが、塀の上から古民家がのぞいます。 
 
▲都城島津別邸本宅/国登録文化財 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは都城島津邸に停めました 
高城(たかじょう)/都城市高城町高城
高城 江戸時代の武家門が残る
 地名は、中世以来の三股(みまた)院高城が由来とされています。
 秀吉の九州統一により,伊集院氏の支配下に入り,その後伊集院氏の反乱を島津氏が抑え,江戸時代をとおして明治維新まで鹿児島藩直轄領となったのです。高城は外城のひとつで麓集落を形成しています。
 町は土蔵や武家屋敷の一部などが見られますが,広範囲にわたっています。そのなかで特質すべきは,武家屋敷の門が江戸時代の姿のまま残されています。これらは腕木門(うできもん)といい,地元の工高生や建築家たちで調査,図面を作成し門前に掲示されています。
旧五藤家(明治33年築/国の登録文化財)
▲旧五藤家商家交流資料館(登録) ▲吉田誠邸の腕木門 ▲青出木邸の腕木門
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは不動寺跡駐車場に停めました
前田(まえだ)/都城市高崎町前田
鹿児島藩の外城の面影
 古代から水豊かな地で、水田が広がり、前から田であったが地名の由来だとか。
 豊臣秀吉の九州出陣により,島津氏領となり,以後,江戸時代を通じて鹿児島藩領となりました。島津氏は,潘を堅固にするため,麓(ふもと)という外城を100以上造ったといわれています。そのうちのひとつが前田です。前田の谷川地区に城館を設け,高崎城(別名谷川城)と呼ばれました。高崎城跡は高崎川沿いに残っています。
 それにしても1区画の大きさに目を見張ります。石垣をめぐらした屋敷は要塞堅固そのもの。鹿児島藩の半農半士(外城士)につながる人たちの家屋か。
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
 山之口(やまのくち)/都城市山之口町山之口
  往時の石垣や医薬門
 江戸時代は薩摩藩の外城の一つで半農半士(郷士)の集落。外城のなかでも小規模と推定されます。藩士による真宗に対する宗教弾圧はすさまじく、隠れ念仏や拷問石などが残されています。また石垣が続き、さらに医薬門や土蔵に往時の面影が見られます。 
 
▲文弥節人形浄瑠璃資料館
 感動度★★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
 大河平(おおこうびら)/えびの市大河平
  朽ちつつある黒木家住宅
 戦国時代の居館もあった大河平城跡もあります。江戸時代は鹿児島藩直轄領。ところで大きな屋敷林に囲まれた黒木住宅(国登録文化財)が朽ち果てようとしていました。持ち主の世代が変わると、意識も変わるとか。残念。また付近には文化財級の古い石橋が多数あります。めがね橋はその代表例です。
 
▲JRえびの駅/国の登録文化財 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは道端に停めました 
飫肥(おび)/日南市飫肥
飫肥-1 石積みの塀が多い
 2度目の訪問です。静かな城下町です。一時は、NHK連続テレビ小説『わかば』の舞台になったせいかたいへんな賑わいでした。歩いていて気がつくのは、周囲に石垣を使った家屋が多いことです。武家屋敷はもちろんですが、他の町家にも基礎に石積みがされています。そこには戦国時代に伊東家と島津家の百年にわたるの争いが秘められています。
 1977年に九州では最初に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。他の町にも、整備、保存法などの影響を与えたそうです。道沿いの水路のコイの泳ぐ姿は、町のたたずまいに落ち着きを与えています。
飫肥-3 飫肥-2
▲飫肥城/正面の大手門に向かう通り  ▲合屋家/江戸時代の長屋門としては唯一 
     
▲旧山本猪平家/市の文化財指定 ▲高橋家住宅/国の登録文化財  ▲商家資料館/市の文化財指定
 感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは飫肥城近くの無料駐車場に停めました
油津(あぶらつ)/日南市油津
マグロ通り 往時の繁栄ぶりを散見
 堀川資料館の2階は,映画『男はつらいよ』のロケ風景の写真が展示してあります。全国各地に寅さんが歩いていることがよくわかります。
 油津はマグロの水揚げや木材の搬出でも繁栄した港町です。特に江戸時代から飫肥杉の積出しで豪商が誕生。商家や町家,レンガ造りの倉庫,遊郭などが建ち並んだ町でもあります。路地は赤レンガ通り,マグロ通り(写真左),花街通り,漁師町通りなどと案内板が立っています。
 さらに看板にはQRコードが付いており,携帯電話で情報を知ることができます。スゴイ! 
油津 油津-3
▲国の登録文化財・木造3階建ての杉村金物本店 ▲油津赤レンガ館のある赤レンガ通り
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは堀川資料館前の無料駐車場に停めました
西町(にしまち)/日南市西町 
  板張りの切妻型住宅
 護岸に沿って歩きますと、材木商を営んでいた超豪商の服部家別荘が目に付きます。服部家の石垣は、道路が建設されるまでは堀川運河の護岸を兼ねていました。『男はつらいよ』のロケ地でもある、通称“筏通り”を歩きますと、切妻型の板張り古民家が見られます。 
 
▲旧服部家別荘/国登録文化財 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは道端に停めました 
 西方(にしかた)/串間市西方
  旧農家、商家の古民家
 旧志布志街道沿いの集落で、江戸時代は高鍋藩の所領。西方村だけで、2800石前後の石高にみるように、かなりの大きな集落。現代は政治経済文化の中心地です。通りを歩きますと、古民家がかなり多く見られます。商家や旧農家と思われる屋敷、名主宅など。 
 
▲旧吉松家住宅/国重要文化財
感動度★ もう一度行きたい度★★ 交通 クルマは串間市役所に停めました 
宮ノ浦(みやのうら)/串間市大納
  板張りの古民家が多数
 都井のいくつかの港と並んで歴史のある漁港です。『日向地誌』には戸数54とありますので、そこそこの規模だったと思われます。宮之浦川の河口付近に広がる集落ですが、後背地が狭いため、これ以上の発展は望めないのも事実です。
 かつて鳥羽上皇が漂着し病死したと伝えられ、近くの恋ケ浦は、上皇一行が都の空をはるかに望み、都をしのんだそうです。川沿いの細い道から急坂を上ると、方形の板壁の古民家が見られます。地元の人に「古い家はもっと上にある」と教えられ急坂を進みますと、石垣のある古民家ですが廃屋。 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
美々津(みみつ)/日向市美々津
美々津 土蔵造りの回船問屋
 何度も訪問しています。耳川の河口に開けた港町です。江戸時代は高鍋藩の交易港として発展しました。重要伝統的建造物群保存地区に選定。整備された石畳を歩きますと回船問屋を中心に町家、商家が建ち並んでいます。しかも洗練された建物であることに気がつきます。京、大坂との交易が盛んだったことから、都の影響を受けているのでしょうか。平入り2階建ての土蔵造り、縁台や格子戸も美しく、往時の繁栄をいまに伝えています。
 また日本海軍発祥の地で、祭りになると「奉祝」という文字が掲げられます。
日向市歴史民俗資料館 美々津
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 日南から宮崎交通バスで立縫の里下車すぐ
細島(ほそしま)/日向市細島
細島みなと資料館 木造3階建ての高鍋屋
 古来,天然の良港として知られており,「壇ノ浦から逃れた安徳天皇一行が上陸した」などの伝説。室町時代は日明貿易の中心港。江戸時代は各藩の参勤交代の出入港として利用。そのため高鍋屋,飫肥屋,薩摩屋などの屋号を持った旅籠もあり,一部は現在も残る。幕末には寺田屋事件で捕らえられた3人の尊王の志士が薩摩藩へ護送中,この地で惨殺。
 いま旧高鍋屋旅館がみなと資料館として改修,木造3階建ての本館は近代木造建築として評価が高いようです。
 いまは川崎市や大阪市とフェリーが運航されており、重要な航路となっています。 
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは海の駅ほそしまに停めました
川北(かわきた)/都農町川北 
  豊後街道沿いに古民家
 旧豊後街道沿いの集落です。現在でも瓦葺き屋根の古民家が多く残されています。特に江戸時代の赤木家は本陣でもあり、高鍋藩や島津藩の藩主が宿泊した記録も見られます。ところで、明治に入って大字都濃は、大字川北に吸収。結局川北のみとなりました。 
 
▲赤木家住宅/国重要文化財 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは町営駐車場に停めました
南高鍋(みなみたかなべ)/高鍋町南高鍋 
  旧武家屋敷が並びます
 地名の由来は、高鍋の南に位置するから。で、高鍋は江戸初期まで財部(たからべ)と呼ばれていましたが、秀吉の時代には高鍋と書かれていたので、藩主秋月氏が幕府に願い出て高鍋と改めたそうです。明治に入って高鍋村が、北と南、さらに蚊口浦村の3村に分村して成立しました。
 さて高鍋図書館のある付近は“筏”(いかだ)と呼ばれた地域で、旧旛時代、武家屋敷が並んでいたところでした。いま歩いて見ますと、切妻型屋根をのせた薬医門とそれに続く石垣と漆喰塀が、往時の名残を見せています。 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 クルマは高鍋図書館に停めました
椎葉(しいば)/椎葉村十根川
椎葉 秘境・平家落人の地
 椎葉の地に立ったとき,「それにしても遠くへ来たなあ」と感慨にふけったものでした。バスも考えたのですが1日に2便程度,全くの秘境の地です。
 江戸時代は幕府領でしたが、人吉藩の預かり支配。もともと平家落人伝説の地があちこちにある一つでもあります。南側の斜面に石垣を築き,そのうえに家屋を建て,馬屋,納戸などを併設しています。村内の道路から屋敷内へは,きちんと積み上げた石段で入ります。かつて,日本の山村はみなこんな風だったのではないかと思いました。重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 熊本空港からクルマで約2時間半,道端に停めました
戸川(とがわ)/日之影町戸川
今は7軒が残る 山深い石垣の村
 2度目の訪問です。日之影川に沿った戸数7の小さな集落。江戸時代に積まれた石垣も残ります。宅地,耕地,石蔵から暴風垣にいたるまで整然と積まれています。「日本の棚田100選」にも選定されています。
▲月見うどん(400円・日影茶屋)
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 日影茶屋駐車場に停めました