長崎県

 南山手(みなみやまて)/長崎市南山手町
 南山手-1
 南山手-2  南山手-3
▲いつ行っても静かな雰囲気  ▲建築が見え隠れします 
 ●素朴なたたずまい
 大浦天主堂やグラバー園などがあるにもかかわらず,その裏手に広がる南山手の洋館群を見るために歩く人はほとんどいません。急な斜面に建つ洋館,和洋折衷館などの町並みと港の眺望など,実にすばらしい光景が見られます。ただいくつかの空き地も目立ちます。
 著名な建物の周辺は,観光客相手の土産物店や喫茶,レストランが目立ちます。しかし南山手の良さは,一歩裏に入った旧居留地のたたずまいが感じられます。南山手は素朴です。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 路面電車で大浦天主堂下車徒歩10分
 東山手(ひがしやまて)/長崎市東山手町
 東山手-1
 東山手-2  東山手-3
▲近代建築が続きます  ▲オランダ坂/ロケ地としてよく登場 
 ●こぎれいな町並み
 南山手と違って遊歩道や洋館などは,きちんと整備されており,足下に気を配ることなく歩ける町です。観光客にも開放している洋館もあって,のんびりと歩けます。東山手は4〜5回訪ねていますが,道路が比較的直線になっており,歩きやすいのに気がつきます。とくにオランダ坂は誰もが訪れるところです。石畳は濡れていると,意外に風情があるものです。この東山手を歩き,そのあと南山手にある大浦天主堂,グラバー園に行くのが定番コースです。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 路面電車で大浦天主堂下車徒歩10分
 寺町(てらまち)/長崎市寺町
 寺町-1
 龍馬通り  幣振坂(へいふりざか)
▲龍馬通り/亀山社中へ通じます  ▲大音寺へ向かう静かな通りです 
 ●極端に少ない観光客
 2社14ケ寺が集まっているのが風頭山の麓に連なる寺町通りです。しかも枝道には龍馬通りや弊振坂など,趣のある坂町があります。ここまで足を伸ばす人は少ないようです。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 路面電車思案橋下車徒歩10分
 館内(かんない)/長崎市館内町
 唐人屋敷通り
 唐人屋敷通り  唐人屋敷通り
▲ 石畳と煉瓦壁が似合います  ▲唐人屋敷があちこちにありました 
 ●異国情緒・唐人屋敷通り
 江戸幕府は外国人との交流を避けるために,オランダ人は出島に,唐(中国)人は唐人屋敷と決めました。唐人屋敷は館内町全域にあたり,元禄2年(1689)以降,他の町に住むことを禁止しました。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 路面電車築町から徒歩10分
 丸山(まるやま)/長崎市丸山町
 梅園通り
 史跡・花月(現・引田屋)  長崎検番
▲史跡・花月(現・引田屋)  ▲今も残る長崎検番 
 ●かつて日本3大遊郭の一つ
 長崎一の歓楽街・思案橋に隣接する町です。なかにしれい原作の小説『長崎ぶらぶら節』の舞台で,吉永小百合主演で映画にもなりました。映画では料亭花月が舞台になりますが,今でも「引田屋」として江戸時代の姿をとどめています。
 丸山遊郭は京の島原,江戸の吉原と並ぶ3大遊郭の一つといわれています。丸山本通りには長崎検番が残されていますし,桃園通りへと入ると,格子窓のある木造2階建ての町家が続きます。ここは最も丸山らしい光景が見られます。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 路面電車思案橋から徒歩10分
 古町(ふるまち)/長崎市古町
 古町
 ●昔,遊女町と呼ばれた
 中島川沿いの町で,江戸時代は寄合町と言われましたが,その後古町と命名。ときにはこのあたり一帯を遊女町と言われたりしました。今では往時の面影は全くありません。近くに1986年に復元された古町橋があります。
 感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 電停公会堂前から徒歩5分
 端島(はしま)軍艦島(ぐんかんじま)/長崎市端島
 端島(軍艦島)
 ●上陸可能になった軍艦島
 かつて写真家・奈良原一高氏の軍艦島などをテーマにした写真集『人間の土地』を見て,からだがブルッと震えたことがあります。以後,観光船で島の周囲を回ったことはありましたが,上陸するのは今回が始めてです。端島が古い町並みに入るのかどうか疑問ですが,個人的には入れておきたいと思います。
 端島(通称・軍艦島)は三菱石炭の海底炭坑口にあたり,最盛期には人口5000人を超えており,鉄筋による高層アパート建築も日本初。そんな端島も1974年1月に閉山となりました。
 感動度★★★★
 もう一度いきたい度★★★★
 交通 長崎港から観光船(予約制)
 出津(しつ)/長崎市西出津町
 出津の歴史の道
   
 ▲県の文化財である出津教会/フランス人神父が設計した教会で明治15年に完成その後幾度か増改築が行われました
 ●隠れキリシタンの教会が世界文化遺産に登録
 キリシタン信仰の土地で,住民は極貧であった。明治に入ってフランス人のド・ロ神父が教会を建設すると共に,住民たちの救済に力を入れた。いま,教会のほか資料館や博物館を結ぶ道を歴史の道という。なおきょうかいがユネスコの世界文化遺産に登録されました。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★
 交通 クルマは出津教会の駐車場に停めました
 大村(おおむら)/大村市玖島
 小姓小路武家屋敷通り
 ●静かで清潔な感じです
 大村純忠は大村家第18代領主で,1563年に洗礼を受けて日本で最初のキリシタン大名になりました。そんな歴史のある町にもかかわらず,いつも長崎空港からそのままバスで長崎市内に向かっていたのです。改めて市内をじっくり歩き回ると,静かで清潔でとてもいい町並みであることに気がつきました。
 肥前大村藩2万7千石の城下町です。いくつかの武家屋敷街が残されています。石垣の植栽が大きいため,中をうかがうことはできません。しかし漆喰で固めた五色塀が見所です。
 感動度★★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは大村公園の無料駐車場に停めました
 国見(くにみ)/雲仙市国見町神代小路
 神代小路
 神代小路  神代小路
 ▲長屋門のある武家屋敷跡  ▲整然とした石積みのある小路
 ●高校サッカーで有名
 訪れたのは5月の暑い日でした。重要伝統的建造物群保存地区に選定されたことを長崎新聞で報じられているのを知って、飛んできました。駅から歩いたのですが、どこだかわからず、ウロウロしました。まだ駅からの案内標識がなく、まさに知る人ぞ知る、という感じの町並みでした(今は案内板があるとか)。
 国見といえば、高校サッカーであまりにも有名なのに、古い町並みの存在は知りませんでした。
本当に美しい町です
 それにしても、あまりの整備の良さに驚きました。石垣、竹の垣根など歴史的町並みにふさわしい光景が広がっていたのでした。
 特に神代小路(こうじろくうじ)は、佐賀鍋島藩の領地で、武家屋敷跡地や明治時代の建物、庭園、上水路などきれいに残されています。こんな田舎(失礼!)にこれだけのもが保存されているのは、本当にうれしくなりました。
駅近くにスーパーあり
 まだ観光客も少なく、土産物店や食堂もありません。神代駅近くにスーパーがあります。
 感動度★★★★
 もう一度行きたい度★★★★
 交通 島原鉄道神代駅下車10分
 富津(とみつ)/雲仙市小浜町富津
 富津
 ●島原半島・石垣の里
 島原半島の西側には,いくつものの小さな集落がありますが,ほとんどが石垣で造られています。急斜面に広がる民家は,1軒,1軒石垣の上に建てられています。四国や九州,瀬戸内のなど西日本の海岸で急斜面の集落に多く見られる光景でもあります。
 近くには大正末期から昭和の初めまで鉄道が通っていました。またミカン栽培や漁業が盛んで,比較的温暖な土地柄でもあります。また弘法大師が杖で大地の一画を突くと水が湧いたという井戸もあります。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは漁港沿いの空き地に停めました
 千々石(ちぢわ)/雲仙市千々石町甲
 旧千々石街道(千々石)
 ●旧道沿いに並ぶ古民家
 南北朝時代から続く歴史のある町です。千々石街道は島原から分かれて約21qの街道で,山中を一気に歩きます。
 また遣欧使節団の一人,キリシタンの千々石ミゲルの出身地でもあります。
 街道沿いには,出桁造りの町家が並んでいます。ただ開口部のほとんどがアルミサッシに変わっていました。住人の方に聞くと「私がお嫁に来たときからの家で,100年は経っています」とのこと。千々石は白砂青松100選に選ばれるなど風光明媚なところでもあります。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは千々石川沿いの空き地に停めました
 島原(しまばら)/島原市下ノ丁
 島原
 ●武家屋敷通りに水路あり
 武家屋敷通りにほとんどの観光客がやってきます。島原城に隣接していることからまわりやすい,ということでしょう。
 通りの中央に水路が設けられており,島原を特徴づけています。大内宿や海野宿などの通りにも水路があるように,きれいな水は気持ちのいいものです。
 下級武士の住まいだったそうで,短冊形の敷地にギッシリと並んでいたようです。
 また町の中心街を歩きますと,旧島原街道沿いに,わずかですが町家群が見られます。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 島原鉄道島原駅から徒歩15分
 福江(ふくえ)/五島市武家屋敷
 武家屋敷-2
 武家屋敷-1  
 ▲静かな武家屋敷通り  ▲五島きつねうどん(550円・遊麺屋)
 ●藩政時代の石垣が残る
 1634年,第2代藩主五島盛利は中央集権体制を目指し,各地に散在していた家臣を強制的に住まわせたのが,現在の武家屋敷通りで,当時の石垣として残されています。この武家屋敷通りは中級階級の武士が住んでいたそうです。
 約400mも続き,石垣を積み上げて,そのうえに「こぼれ石」と称する丸石積み重ねています。しかも両端はかまぼこ型の石で止められているのです。こんな石垣ははじめて見ました。なお二つの藩政時代の武家屋敷が残されています。
のどごしなめらかうどん
 五島うどんには椿油を練り込んであるそうで,のどごしがなめらかです。しかもコシの強いのが特徴。だしはいろいろあるようですが,アゴのスープが一般的だそうです。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 福江港から徒歩15分
 平戸(ひらど)/平戸市鏡川町
 みやんちょ一番街
 寺院と教会の見える風景  
 ▲瑞雲寺の石積み壁沿いを歩きますと、右奥に教会の尖塔が見えます  ▲刺身盛り合わせ(300円)と魚介類の巻き寿司(400円)
 ●和洋折衷の珍風景
 はじめての訪問です。石垣塀に沿って歩くと,瑞雲寺の塀であることに気づきます。そして遠くを見ると,教会の塔が見えるのです。和洋折衷の風景とはこのことでしょう。テレビ番組「ナニコレ珍百景」にあたるかも知れません。教会は,1931年に建設された聖フランシスコ・ザビエル記念教会です。
 いったん坂を下って街中に出ます。シーズンオフのためにか人出の少ない商店街を歩くと,2階建ての平入り,妻入りの混じった商家が並んでいます。ほとんどが戦後の建物でしょう。
新鮮な魚介類が格安
 漁協1階の駐車場を簡易レストランにして,とりたての魚介類を焼いたり,刺身にしたりと,観光客に販売しています。酒類も販売していますので,結構にぎわっているのです。格安です。
 感動度★★★★
 もう一度いきたい度★★★★
 交通 バス平戸市役所前下車すぐ
 神浦(こうのうら)/平戸市大島村神浦
 神浦
 神浦の入口  理髪店
 ▲神浦集落の入口にある雑貨店(右)  ▲理髪店もありました
 神浦湾  的山集落
 ▲神浦集落が重要伝統的建造物群保存地区に選定  ▲もう一つの的山(あづち)集落も落ち着いた集落です
 ●平戸港と薄香港から
 この日は風が強いために,平戸桟橋から裏側の小さな港,薄香(うすか)港からフェリーが出ることになりました。薄香港は,美咲フェリーも的山大島(あづちおおしま)と結んでいます。つまり2系統の会社があります。
江戸時代の24棟も残る
 的山大島には,主に二つの集落があります。的山集落と神浦集落です。人口は1500人前後で毎年50人弱が減少。
 かつて捕鯨で栄えた島で,江戸時代の網工場の遺構や鯨を解体した「鯨場」も見つかっています。3mほどの曲りくねった道の両側には,町家がギッシリと詰まり,江戸時代の区割りをそのまま残しているのです。建物も江戸時代が24棟,明治時代が34棟,大正時代が11棟,昭和時代が10棟を確認されたそうです。
これから発展する集落
 曲がりくねった狭い道を歩いていると,とても静かです。理髪店,酒屋,雑貨店などが目に付きますが,大半は空き屋です。重要伝統的建造物群保存地区に選定されたばかり。景観保護か町の発展かで対立していますが,両立は可能です。5年,10年と長い目で見ていきたいと思います。
感動度★★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 平戸港&薄香港からフェリーで神浦港へ
 
 波佐見(はさみ)/波佐見町井石郷
 波佐見宿
 ●「まちづくり景観賞」
 江戸時代,平戸街道川棚宿から波佐見,有田,武雄へと抜ける波佐見往還の途中に波佐見宿があります。近くには長崎街道も通っていますし,波佐見からは四方八方に往還が走っています。まさに交通の要所。
 波佐見宿は長崎県から「まちづくり景観賞」を受賞しているだけに,町並みがほどよく残されています。また蔵造りなど町家が残されており,特に今里酒造は国の登録文化財となっています。また白壁沿いの水路には,アブラボテの貴重な生息地になっています。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは空き地に停めました
 面高(おもだか)/西海市西海町面高郷
 面高
 ●天然の良港に沿う町家
 面高港はくの字形に大きく入り込んだ天然の良港です。江戸時代から大村藩の支配下にあり,大坂への定期航路も持っていたそうです。その後福岡や鹿児島,壱岐などへも航路が開かれました。また大村藩では,港の周辺に多くの城を築いて,海からの防衛に力をいれたとか。
 面高の街路には,商家や旅館などがありますが,建物自体は戦後のものばかりです。また漁村特有の路地の発達した町でもあります。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは空き地に停めました
 崎戸(さきと)/西海市崎戸町蠣浦郷
 崎戸
 崎戸  
▲港から続く1本の遊歩道です   ▲ちゃんぽん(600円/恵美福食堂)
 ●一時期は炭坑で繁栄
 歩いていて「おやっ」と思いました。古びたレンガ塀やレンガ造りの建物が残っているのです。これは明治末期から大正,昭和にかけて,炭坑が盛んになり人口も一時は2万人を越えるほど発展したなごりだそうです。廃業後は,炭坑住宅の廃墟群が映画のロケ地になったりもしました。レンガ造りの建物はその頃の名残なのです。
 江戸時代は,大村藩に属し,ひっそりとした漁村でした。わずかに捕鯨を中心に栄えたといわれています。江戸末期には人口500人前後だったとか。
遊歩道の両側に古民家
 崎戸港の近くから1本の遊歩道があり,その両側を古い建物が残されています。レンガ塀,白壁などが続きます。ただ,一般的な漁村風景とは違うことに気づきます。 
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは無料駐車場に停めました
 厳原(いずはら)/対馬市厳原町
 厳原
 厳原  厳原
▲石積みの町並みに味わいがある ▲石積みの高さに特徴がある
 ●独特の石垣に味わい
 建物自体はほとんどが戦後のもので、とりたてて古くはありません。でも高知県の吉良川町(室戸市)や愛媛県の外泊でもそうでしたが、台風の多いところで、強風から家屋を守るためでしょう。
 ただ、厳原の石垣はかなりの高さがあります。そのせいか、独特の光景を見せてくれます。古くから朝鮮半島との交易が盛んであったため、朝鮮文化のなごりではないかと思いますが。
 なお,強風から家屋を守るためなら,日本海側でも瀬戸内海や九州各地にも見られます。
 感動度★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 厳原港から徒歩20分〜30分