奈良県

 奈良町(ならまち)/奈良市元興寺町
 奈良町
 奈良町  奈良町
 ▲格子窓と虫籠窓が美しい  ▲瓦葺きの低い家並みに風情
 ●「寺町」から「ならまち」へ
 誰が付けたのか「ならまち」とは絶妙の名前です。手元にある20年前のガイドブックには、「奈良町」という地名は出ていません。私の知る限り、このあたりはいくつかの寺があった、「寺町」の印象が強かったのが実際です。それはともかく、たいへんなにぎわいぶりです。ほとんどの建物が、喫茶店、土産物店、手作りの店、各種資料館、ギャラリーに変身。今回は早朝に訪れたためか静かでした。
 格子戸、虫籠窓など統一された形はなく、建物にちょっと雑然とした感じを受けました。それが「奈良町」という枠の中で生きているのでしょうか。 
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★
 交通 近鉄奈良駅から徒歩15分〜30分
 今御門(いまみかど)/奈良市今御門町
 今御門
 ●池畔の飲み屋街
 奈良町から北の方向に歩いて10分、猿沢池のほとりにある町です。正式には「北御門商店街」といいます。一般の商店もありますが、どちらかといえば飲み屋街といったほうがわかりやすいでしょうか。
 江戸時代は「南都の旅籠町」と言われるくらい旅宿が多く,しかも他町と客の奪い合いが繰り広げられ,奈良奉行所に訴えが絶えなかったそうです。格子戸によしす張り、古都のイメージを出しています。町家特有の低い2階建てです。明かりの灯る頃が美しいのかもしれません。
 感動度★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 近鉄奈良駅から徒歩10分
 元林院(がんりいん)/奈良市元林院町
 
   
▲明治、大正から戦前にかけて市内で最も近い遊郭があったところです 
江戸時代は絵師や仏画師などが住んでいました
 興福寺別院の元林院があったことが町名の由来だそうです。また江戸時代に絵師や仏画師が住んでいたことから絵屋町とか、画屋町ともいったそうです。またいわゆる奈良町と隣接しているので、商家がずらりと並んでいます。だがちょっと違うのは、スナックやバーなどの飲み屋が点在していることでしょうか。明治初期から花街となり、大正年間から昭和の戦前期にかけて市内で最も近い遊郭でもありました。置屋12軒、最盛期の芸者は200余人を数えたそうです。もちろん娼妓も含まれています。料理屋などは昭和40年代でほぼ壊滅、今はわずかに往時の風情を町並みに留めています。 
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 近鉄奈良駅から徒歩10分
  油阪(あぶらさか)/奈良市油阪町
 
 ●標準的な商家の造り
 地名の由来に、春日大社に油を納めたあとの空き樽を坂で転がしていたからという説があります。真偽のほどはわかりませんが、春日大社で使う灯明だったようです。油商家が並んでいたことは事実。今は切り妻造の平入りで、本瓦葺きの標準的な2階形式。かつて近鉄奈良駅が地上駅だったころ、ココに油阪駅がありました。
 感動度★★
 もう一度行きたい度★★
 交通 近鉄奈良駅から徒歩10分
 門前町(もんぜんちょう)/生駒市門前町
 
   
▲戦後の建物です。平日の夕方はガラ〜ンとしていましたが、ときおりアジア系外国人観光客が通ります 
旧赤線地帯「生駒新地」の面影を探しました
 文字通り宝山寺の門前町です。大阪方面からも参拝する人も多く、「生駒の聖天さん」として知られています。国の重要文化財など数多くの寺宝があります。それはともかく、「聖と俗は隣合わせ」のことば通り、「生駒新地」と呼ばれ、旧赤線地帯でもありました。「宝山寺新地」と呼ぶ人もいます。石段の両側には旅館、料理屋、土産物店がギッシリと並び、シーズンになると多くの参拝客でにぎわいます。宿泊客が宴会で芸者を呼ぶこともできますが、娼妓が来ることもあったようです。しかし宴会客も減り、旅館の廃業が相次ぐなか、いまでは外国人観光客、特にアジア系外国人客の宿泊に活路を見いだし、成功しているようです。
 感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 生駒ケーブル宝山寺駅から徒歩5分
 紺屋町(こんやまち)/大和郡山市紺屋町
 紺屋町
 ●町家が続きます
 大和郡山市は、県下最大の城下町でした。そのせいか、町のいたるところに武家屋敷、町家、商家が点在しています。ただまとまっているところが少なく、町並みを形成している、という感じではないのです。
 紺屋町は、中央に水路が通り、その両側に町家が続きます。そのうちの1軒、江戸時代の町家を改造して「紺屋」という名の店を開き、藍染めを展示しているのです。
 感動度★★
 もう一度行きたい度★
 交通 近鉄大和郡山駅から徒歩5分
 稗田(ひえだ)/大和郡山市稗田町
 稗田
 環濠集落内  環濠集落内
 ▲道は狭く迷路になっています  ▲土塀が残されています
 ●珍しい環濠集落
 環濠集落というものをはじめて見ました。村の周囲に掘り割りを造り、外敵を防いだのです。行政は整備再現しようと賢明になっています。まだ半周ほどしか出来ていませんが、それでもここまで残っているのは珍しいそうです。
 おもしろいのは環濠内です。クルマも通れない細い通りが迷路のようになっていて、土塀に囲まれた民家が残されています。江戸時代の土蔵や民家も残っています。近くに、もう一つの環濠集落・番条もあります。
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 近鉄大和郡山駅から徒歩25分
 櫟本(いちのもと)/天理市櫟本町
 
   
▲櫟本駅/駅舎(木造)と跨線橋は明治31年(1989)開業当時の原型をほぼ保つ  ▲櫟本分署跡参考館/天理教教祖・中山みきが拘留されていた 
江戸時代は東大寺2000石領!の大きな村
 奈良時代の荘園名として残されています。また「一本」、「市本」とも書いたそうです。というのは、上街道(上ツ道)と高瀬街道の交差するところで古から市場が開かれ、商業が活発だったところから小名にも「市場」が付いていました。上街道から東へ高瀬街道に沿ってのびた部分を「馬出」(うまだし)とよび、主に大和高原(oZ方面)から薪炭を乗せて下り、この地で荷を降ろし帰りに食料品や日用品を買って帰る人馬で賑わったところでもあります。ところで江戸時代の村高は2000石を越え、人口も1250余人とかなり大きな村でした。そのうち東大寺が2000石と大部分を占めています。大きな村のために各集落ごとに大庄屋を置きました。いま町並みを歩いて見ますと、虫籠窓や細い格子のある旧商家が散見できます。このあたりを、天理市では「馬出」の町並みと名付けています。なお地名の由来は、「市場」からの説と巨大な櫟(いちい)の根元があったという説などと専門家のあいだでも分かれています。 
感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 JR桜井線櫟本駅から徒歩12分
 
 丹波市(たんばいち)/天理市丹波市町
 
   
▲これだけの歴史的建造物をまとめて見られるのも珍しい 
古代の官道・上ツ道(上街道)沿いの町並みです
 平安時代にすでに「丹波庄」という荘園名として存在していました。その後中世に入って市場町として江戸時代まで繁栄を続けます。南北に貫く上(かみ)街道沿いの集落で、江戸時代に入ると幕府領でその後伊勢津藩領となります。一時期お伊勢さんへの「おかげ参り」でかなりの人で賑わったようです。それはともかく上街道は古くは上ツ道(かみつみち)と呼ばれ、古代日本における官道の一つ。奈良盆地を南北に縦断するために整備された道です。平安遷都後、利用者は激減しますが、江戸時代になってさらに街道として整備されました。歩いていますと、デザインの違った虫籠窓や出格子、庇の突き出た出し桁、袖壁など町家特有の形を残した建造物が見られます。一部改築、改造はされているものの、往時の面影は十分に感じ取れる町並みといえます。 
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 JR桜井線天理駅から徒歩20分
 三輪(みわ)/桜井市三輪
 
今西酒造本店付近に古民家群
 三輪そうめんや最近では超パワースポットの三輪山などで三輪の名が知れ渡っていますが、地名の由来を考えますと、はるか昔にさかのぼり、諸説入り交じっています。それらの説明ははぶくことにします。では江戸時代は、大神(おおみわ)神社、平等寺、大御輪寺の門前町でもありました。しかし、奈良から初瀬、伊勢への上街道沿いの集落としても発展したのです。中世の三輪市、そして門前町が合わさってたいへんな賑わいを見せたのですが、宿駅ではありませんでした。もちろん人馬の継立てもあったのですが、「宿駅に準じる」扱いになったのは、もっとあとになってからです。
 産業にひとつ三輪そうめんの生産は女の仕事だったようです。いま町を歩いていますと、ところどころに三輪そうめんののぼりを立てた飲食店や土産物店が見られます。そして格子のある商家が軒を並べています。ところで人に流れはJR三輪駅を出て右方向の大神神社へ向かいます。しかし古い町並みは、駅から左方向へむかって歩き、今西酒造(本店)付近に集中的に見られます。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 JR桜井線三輪駅から徒歩7分
 初瀬(はせ)/桜井市初瀬
 
 ●初瀬街道沿いに古民家が軒を並べています
 文字通り長谷寺の門前町として発展しました。参拝客用の旅篭屋も多く、ねずみ屋、ごま屋、高田屋、扇子屋、吉野屋などかなりの数の宿が古文書に書き上げられています。また高取藩主の参勤交代用に本陣、脇本陣が置かれ、町場として繁栄しました。長谷寺詣では平安時代から盛んに行われ、多くの貴族や文人たちが書き記しています。『源氏物語』、『枕草子』、『更級日記』、『蜻蛉日記』などにも登場します。江戸時代に入って、従来の長谷寺詣で加えて伊勢神宮参拝の順路にあたり、これが後の伊勢本街道に発展していきます。このため門前は多くの人たちで賑わい、同時に飴売り一つとっても場所や利権争いとなったようです。この日は朝から雨が降り続いており、参拝者の歩く姿も無く静かな町並みを呈していました。蔵造りや格子窓、虫籠窓のある漆喰の美しい町家が軒を並べています。
感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 近鉄大阪線長谷寺駅から徒歩15分 
 今井町(いまいちょう)/橿原市今井町
 今井町
 今井町  今井町
▲中橋家住宅/国の重要文化財 ▲文化財がギッシリ詰まっています 
豪華な町家に驚く
 一般的な奈良の町家とちょっと違うような気がしました。今井町のほうが、豪華で重厚な造りなのです。たぶん、豪商がたくさん住んでいたのでしょう、というのが歩いて感じたことです。しかも碁盤の目のようにきちんと区割り、整備されており、かなり力の強い人たちが居たと思います。
大半が江戸時代の建物
 建物の大半が江戸時代のものだそうです。重要文化財も多数あるとか。とにかくかなり古いのに、きちんと保存されているのです。これは住民がかなり苦労されているなあ、ということがわかります。例えば道路は極端に狭いので、消防車も入れません。そのため防火体制もきちんと整えられているそうです。
 もともと環濠集落、すなわち町の周りを堀を巡らして、外敵からの進入を防いだのです。これは、大和郡山市,木津川市(京都府)でも同じような集落を見てきました。ただし、今井町の環濠は道路になってしまったのが残念です。
外は暑くても中は涼しい
 訪ねたのは真夏の暑い日でした。奈良の夏は盆地のせいか、めちゃくちゃ暑いのです。風もなく汗を拭きながら歩きました。ただ公開されている町家に入ると、風が通り、比較的涼しいのです。
 公開されている町家はたくさんあります。私のふるさとでもある奈良市の旧市街地とは若干違っているので、興味がありました。今井町のほうが、お金持ち、という感じです。なお重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
 感動度★★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 クルマは今井町周辺の駐車場に停めました
 八木(やぎ)/橿原市北八木町
 
   
▲河合家住宅/国の登録文化財  ▲河合源七郎家住宅/国登録文化財 
   
▲谷三山生家/幕末の儒学者 ▲福島家住宅/高取藩の下屋敷 
   
▲西の平田家住宅/旧旅篭 ▲八木札の辻交流館/市指定文化財
伝統的な上質の町家が300軒近くも残る「町家の宝庫」
 古代、政治の中心地でもあった奈良盆地には、早くから多くの幹線道路が整備されていました。例えば都から大陸への玄関港である難波の津(大阪)を結んでいた横大路。また藤原京から北に向かって中ツ道(なかつみち)、下ツ道(しもつみち)と呼ばれる道路が存在し、八木は横大路と下ツ道との交差点を中心に形成された町なのです。江戸時代は高取藩領で河内(大阪)から伊勢に通じる道・横大路は「伊勢本街道」、「初瀬街道」と呼ばれ、下ツ道は「中街道」と呼ばれ吉野、熊野方面へ通じていました。つまり古代から近世にいたるまで多くの人たちで、町は賑わいを見せていたのです。
 いま八木を歩いてみますと、蔵造りの商家が多く残り、美しい格子窓、虫籠窓、時代を帯びた看板などが見られ、約300軒近い伝統的な町家が残っています。しかもいずれも人々が住み、生活を営む生きた町並みなのです。なかには高校の校舎、旧銀行など近代建築も残されており、“建築の博物館街”といった様相を見せています。 
感動度★★★★
もう一度行きたい度★★★★
交通 近鉄大阪線大和八木駅から徒歩10分
 
 小房(おうさ)/橿原市小房町
 
●おふさ観音の門前町として発展
 古くは旧下ツ道(中街道)沿いに発展した集落です。江戸時代は高取藩領。集落の中心にある小房(おふさ)観音は癪通に悩む人に御利益があるというので、江戸時代中期から多くの人が押し寄せ、門前町の様相を見せています。吉野、熊野方面への旅人とおふさ観音の参拝者が押しかけたことで、街道筋は賑わいました。いまは「バラまつり」や「風鈴まつり」などの行事があると、善男善女で境内はいっぱいになります。中街道を歩いてみますと、蔵造りや袖壁のある商家、長い板塀のある旧家など古民家がギッシリ並んでいます。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★★★
交通 JR桜井線畝傍駅から徒歩10分
 五条(ごじょう)/五條市新町
 五条新町
 五条  五条
▲立派な商家が続きます  ▲色の塗った漆喰は豪商の証 
 ●約120軒中80軒!
 それにしてもこれだけの数の歴史的建造物が残されているのも驚きです。約1qの街道筋に約120軒の建物のうち、80軒が江戸時代の建物とか。宿場町でもあり,街道筋には和歌山藩の本陣も置かれました。多くの商家,旅籠などが並び,陸路,河川交通の要衝でもありました。新町には2カ所の船着場あったようです。
 見て歩いているうちに,隣の大和二見駅に着いてしまいました。平成23年(2011)に「五条新町」の名で重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
 感動度★★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 JR和歌山線五条駅から徒歩10分
 名柄(ながら)/御所市名柄
 名柄-1
 名柄-2  名柄-3
 ▲白の漆喰と板塀が似合います  ▲街道沿いに続く古民家群
 ●葛城の道沿いに並ぶ
 バス停を降りて龍正寺を目指して歩きました。その近辺が歴史的建造物が集中しているところです。ここは、葛城古道と大坂からの街道が交わる宿場町だったところです。商家が多く、江戸末期から明治にかけての民家が多く残っています。
 国の重要文化財「中村家」(写真右)、醤油工場(写真下の左)などもあり、往時の活況が彷彿させます。いまはハイキングコース「葛城の道」として親しまれています。
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★
 交通 近鉄御所駅から五条行バスで寺田橋下車徒歩20分
 竹内(たけのうち)/葛城市竹内
 竹内-1
 竹内-2  竹内-5
 ▲宿場町としても栄えました ▲難波と大和を結ぶ街道 
 ●日本最古の官道
 飛鳥の都と難波(大坂)を結ぶ古代の道で、「日本書紀」にも記されており、日本最古の官道と言われています。遣唐使や遣隋使も通ったほどです。
 竹内街道沿いには、寺院や古代の遺跡も多く、さらに独特の大和棟の民家も多く建ち並んでいます。
 ゆるやかな坂道を歩きます。途中、県道を渡ると一段と古い町並みの密度が高まります。県境を越えて大阪府側(太子町)に入ると、そこにも古い町並みが存在します。
 感動度★★★★
 もう一度行きたい度★★★★
 交通 近鉄南大阪線磐城駅から徒歩15分〜40分
 宇陀松山(うだまつやま)/宇陀市大宇陀区上中
 黒川家住宅(寛政年間に建築)
 大宇陀  大宇陀
▲奈良県での城下町は珍しい  ▲間口も奥行きも広い町家 
 ●蔵造りの商家群
 奈良県内ならどこにでも見られる建物群であります。ただこれほどたくさん保存整備されていると,重要伝統的建造物群保存地区に選定されるのも当然といえます。
 この町はちょうど,吉野への入口にあたるので,吉野くず,薬草,和紙の集散地として発展しました。豪華な蔵造りの商家を見ていますと,うなずけます。交通の便の悪いところだっただけに,保存状態が良かったのでしょうか。町の入口でもある西口関門からのんびりと歩くといいかと思います。
100軒以上の登録古民家
 緩やかなカーブを描いて伸びる街並みです。気づくのは,古民家の玄関横に「登録古民家」の看板が立っています。これは地元の保存会と行政が一体となって保存運動を行なっているのです。
 感動度★★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは道の駅大宇陀に停めました
 高取(たかとり)/高取町上土佐
 夕暮れの高取
 薬店  高取
▲歴史ある壷阪漢方堂薬局です  ▲まさに歴史的建造物の宝庫
 武家屋敷  今は石川医院
▲土佐街道は歩くだけで楽しい所 ▲町の小さなクリニック石川医院 
 高取  武家屋敷
▲高鳥町観光案内所・夢創舘 ▲坂を上がると建物が大きくなる 
 ●歴史的建造物の宝庫
 これだけ歴史的建造物が残っているのに重要伝統的建造物群保存地区でないのも驚きです。植村氏3万石の城下町で、山城のせいか土佐街道の麓は商家や町家、寺院、高取城に近づくにつれ、武家屋敷(写真下)になってくるのです。
 高取は薬の町で、薬品会社や薬店を見かけます。富山の売薬は昔から有名ですが、大和の売薬も江戸時代からの歴史を持っています。これは大峰山、大台ヶ原が薬草の宝庫だったからです。
 感動度★★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 近鉄吉野線壷阪山駅から徒歩10分〜30分
 西里(にしざと)/斑鳩町西里
 西里
 ●清潔感のある集落
 法隆寺の西側にあるために、観光客の運転する車が、駐車場探しで迷い込むらしい。狭い道だけに、クラクションの鳴らしあいになるとか。
 昔は多くの宮大工が住んでいて,この地から巣立っていったそうです。
 民家中心の構成になっています。ときおり手入れに行き届いた垣根や土塀が見えます。とても清潔感にあふれた集落です。住民たちが、美しい町を保存しよう、という心意気がかいま見える町でもあります。
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★
 交通 JR大和路線法隆寺駅から徒歩20分
 龍田(たつた)/斑鳩町龍田
 龍田
 ●江戸から大正の建物
 西里から徒歩20分のところに龍田の集落があります。途中の「業平の道」は宅地開発でズタズタでした。残念です。地元の人は「たった」と呼びます。龍田神社を中心に広がる門前町です。法隆寺から竜田川方面へ向かう街道沿いに、町家、商家が連なっています。江戸時代末期から大正時代にかけての建物が多く残されています。国道25号線を北へ一歩入った通りです。
 人やクルマの交通量は、格段に多く、あまりのんびりと歩くわけにはいきません。
 感動度★★
 もう一度行きたい度★
 交通 五条方面行きバス斑鳩交番前下車徒歩5分〜20分
 岡(おか)/明日香村岡
 明日香-1
 明日香  明日香-3
▲蔵造り3階建ての町家もある  ▲美しい格子のある町家が続く 
 ●美しい集落が続きます
 岡寺(おかでら)参道入口近くの町並みです。明日香は古代遺跡ではあまりにも有名ですが、美しい集落もたくさんあります。バスの車窓からは、それがよくわかります。特に飛鳥(あすか)寺付近も見事です。
 この集落は岡寺の門前にふさわしい商家が並び、さらに町家がそこかしこに見られます。黒瓦ぶきの2階建てで、ときおり蔵造りの3階家も見かけます。のんびりと歩きたいものです。
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 橿原神宮前駅からバス岡寺下車徒歩すぐ
 飛鳥(あすか)/明日香村飛鳥
 
 ●静かで美しい街並み
 飛鳥寺(1196年焼失)を中心に発展した町です。現在は本尊の金銅丈六仏(重文)のみが残っています。このあたりは写真や絵画で紹介される美しい街並みを形成。黒瓦葺きに下見板張りの塀が続きます。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは飛鳥寺駐車場に停めました