大分県

戸次本町(へつぎほんまち)/大分市中戸次
本町通り 江戸末期から昭和初期
 日向街道筋に立つ臼杵藩の在郷町です。江戸時代末期から昭和初期にかけて,蔵造り,商家,町家など様々な歴史的家屋が建ち並んでいます。大分市はこれら歴史的町並みの環境整備を積極的に実施。
▲慶応元年創業の帆足本家酒造蔵
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 無料駐車場があります
生石港町(いくしみなとまち)/大分市生石港町
生石港町の妓楼建築群 久しぶりに見た妓楼建築群
 これだけの数の妓楼建築を見たのは久しぶりです。窓や玄関周りにアルミサッシなどで改装されていますが,往時の面影はたっぷり残っています。
 かつて菡萏(かんたん)と呼ばれた地区で,いまはバス停の名前に残っています。かんたんとは華やかな様子,蓮の花を意味するとか。明治17年に港が完成してから船員や乗船客相手の遊郭が軒を連ね,最盛期には200人近い娼妓がいました。しかし昭和33年の売春防止法成立とともに,町は衰退していきました。
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは生石港に停めました
鉄輪(かんなわ)/別府市鉄輪上
富士屋旅館/国の登録文化財で明治31年築 別府最古の木造温泉旅館
 鉄輪温泉は別府八湯のひとつで地獄の名の付いた温泉が多い。昔から土地の人々が温泉のことを地獄と読んでいたことから,仏教でいう鉄輪(かなわ)地獄にちなんだとか。
 別府石を積み上げた板塀に囲まれ,石畳み道と植栽が似合う坂道が続きます。別府市内で最古の木造温泉旅館が富士屋旅館(写真)です。寄せ棟造りの2階建てで,さらに周りにも古民家が散在します。賑やかな温泉街から少し離れた所に位置するため,格別の静けさを誇っています。
感動度★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは大谷公園駐車場に停めました
浜脇(はまわき)/別府市浜脇
浜脇 かつての歓楽街の面影
  江戸時代から湯治客中心の温泉場でしたが,明治35年,それまで船だまりであった,朝見川右岸を埋め立てて旅館,料亭,妓楼が建てられました。その後大正,昭和と浜脇温泉を中心とした浜脇遊郭として歓楽街を形成。しかし昭和33年の売春防止法施行で急速に町は衰退していきました。
 今は湯都ピア浜脇という大きな温泉ビルが建っているその先に,ひっそりと旧妓楼群が残されています。大部分は普通の民家に転用。路地を歩いていますと,往時の面影を感じます。
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
竹瓦小路(たけがわらこうじ)/別府市元町
竹瓦小路/屋根は木造でガラス葺き ガラス葺き木造アーケード
 木造のアーケードは全国にも幾つか残っていますが,ガラス葺きは珍しい。平成21年に近代化産業遺産に認定されました。両側には2階建ての棟割り長屋が続き,隣には竹瓦温泉が建っています。大正10年築です。
市営の共同浴場です
▲竹瓦温泉(国の登録文化財
感動度★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは100円パーキングに停めました
鶴川(つるがわ)/国東市鶴川
鶴川商店街 商家が続く商店街
 かつて中心地を形成する商店街でした。国東半島東部の中心ともいえます。とはいうものの,やはり賑わいは感じることもなく,ちょっと寂しい限りです。むしろ国道213号線沿いに飲食店や小売業,官公庁が林立しており,西側に重心が移っています。文化財は多く800年の歴史を持つ旧県社桜八幡神社には,多くの文化財があります。
 鶴川商店街を歩いていますと老舗らしき雰囲気の店が続きます。ほとんどが改修,改築されていますが,往時の雰囲気は感じられます。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは大分銀行鶴川支店に停めました
豊後高田(ぶんごたかだ)/豊後高田市新町
新町商店街 昭和30年代の輝き
 現存する昭和時代の建物を生かして,「昭和の町」として売り出したとたん,今や全国的にその名が知れ渡りました。特に昭和30年代の輝きを取り戻したのです。全長559mほどの商店街に「1店1宝」「1店1品」などと,各店の特徴を店頭に並べたのです。
 建物はごく普通の黒瓦葺き平入の2階建てです。漆喰で固めた白壁が清潔な感じがします。確かに昭和の時代を彷彿させます。『昭和の絵本美術館』,『駄菓子屋の夢博物館』なども見所です。
豊後高田-1 豊後高田-2
▲ギターを弾きながらのイベントも盛んです ▲店先には駄菓子がずらりと並んでいるのです
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 無料駐車場があります
田ノ平(たのひら)/豊後高田市鼎田ノ平
小さな田ノ平集落/田ノ平は明治以前の字名と思われます。「鼎岩の下」や「鼎大辻」も同様に消えた字名です。人口減や人為的に他の字に吸収されていったのでしょうか。 沈み橋を渡って行く集落
 桂川の支流・都甲(とごう)川沿いの県道29号線を走っていると,川の向こうに石垣を巡らした集落が一瞬見えたので,早速探索しました。都甲川に架かる沈下橋歩いて渡りましたが,大分県は沈下橋の多い所で,200カ所以上あるといわれています。もっとも大分県では沈み橋というそうです。
 石垣を巡らした家屋が続きますが,小さな集落でした。市の「急傾斜地崩壊危険箇所 田ノ平地区」の看板が不気味です。なお山腹には天明2年(1782)造の庚申塔があります。 
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは都甲川沿いの空き地に停めました 
長洲(ながす)/宇佐市長洲
長洲 区画整理で消える古民家
 宇佐は日出に出る道と国東へ向かう分岐点でもあります。また伊勢神宮に次ぐ第2の宗廟として崇拝された宇佐八幡宮があり大変な賑わいでした。もう一つ周防灘に面して漁業が盛んでした。明治に入っても長洲の産業別人口は,1位の漁業と2位の商業で町を支えていました。江戸時代に何回かの大火災,駅館(やっかん)川の氾濫で危機に瀕しましたが,その都度立ち立ち直りました。いま町は区画整理で道路が拡張され古民家が消えつつありますが,外れたところに商家が残っています。
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは長洲漁港に停めました 
下市(しもいち)/宇佐市安心院町下毛
下市の本町通り/重松家別邸・宇佐市指定文化財。壁には富士山(明治17年),望楼には「虎と富士山」(明治17年)が描かれています。富士山は豊前富士のことです。 本町通りに鏝絵と古民家
 鏝絵(こてえ)のふる里といわれ,約100カ所に点在しているとか。鏝絵は左官が白壁の漆喰を塗ったあと,絵を立体的に盛り上げ,なおかつ色を混ぜた色漆喰を更に塗りつけます。いまでは明治,大正,昭和の鏝絵が残り,平成に入っても住民たちは描き続けています。
 このあたりは道路拡張工事や大火災,戦災にも遭わず,古民家ともども残ったわけです。同時に江戸時代から比較的裕福な商家が多いせいか,蔵造りの建物が多く,とりわけ本町通りには集中的に見られます。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは下市観光駐車場に停めました
竜王(りゅうおう)/宇佐市安心院町龍王
龍王集落 かろうじて残る蔵造り商家
 竜王の左官たちが鏝絵を広めたといわれています。いまは少なく寂しい限りです。江戸時代は竜王城の城下町でしたが,寛永17年(1640)に廃城,町は次第に衰退しました。
▲親子丼(580円・光長亭)
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道端に停めました
大(だい)/宇佐市安心院町大
大集落 明治の鏝絵が数点残る
 地元の古老たちは通称の「おおむら」と呼んでいます。これは深見河内守一族の大村城があるからでしょう。もっとも大永3年(1523)に大友義鑑らに攻められ,深見一族は全員自決したそうです。
 集落は深見川沿いの平坦地にあります。歩いて見ますと,蔵造りの家屋が残されていますが,ほとんどが無人でした。道路の端には疎水があり,静かに流れています。この集落にも明治時代製作の鏝絵が数点残されています。『雁と人』,『浦島太郎』は傑作といわれています。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
中津(なかつ)/中津市金谷西
中津-1 ●中津城下の情緒
 金谷武家屋敷跡は土塀や白壁が残っています。またここから2分ほどのむろや醤油(写真左)の周辺にも古い町並みが続いているのです。中津城・城下町の面影が見て取れます。
▲金谷武家屋敷跡です。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 車は適当に停められます
臼杵(うすき)/臼杵市二王座
臼杵 いろいろな造りが混在
 大分県の古い町並みは、いずれも規模が大きい。臼杵もそうですが、城下町で、寺院、町家、商家、武家屋敷が混在しています。だから町並みがにとてもぎやかで、おもしろのが特色です。メインは二王座(写真左)です。ゆるやかな坂道が続く、静かな町です。
 町家も狭い路地に密集している感じで、迷路のようです。作家・野上弥生子はこの町の造り酒屋・小手川酒造で生まれました。それにしてもかなり広い地域なので、急がずのんびりと回りことです。
臼杵 臼杵
感動度★★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 JR日豊本線臼杵駅から徒歩20~30分
湯平温泉/ゆのひらおんせん(由布市湯平温泉)
湯平温泉 共同浴場5軒あります
 JR湯平駅に着いたら運行したばかりのボンネットバスが停車していたのがラッキーでした。このバスは、JR由布院駅バスセンターから運行されており、のんびりと走っています。
 湯平温泉は、鎌倉時代の開湯といわれていますが,諸説あります。鉄骨造りや木造3階建てなど、ほとんどが戦後の建物です。狭い石畳が、ゆるやかな坂道を造っています。石畳(一部)は亨保年間(いまから約300年前)のままだそうです。こんな小さな温泉町なのに、共同浴場が5軒もあるのがいいですね。
湯平温泉 ボンネットバス
感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 JR湯平駅からボンネットバスで20分
日田(ひた)/日田市豆田町
日田 天領祭りの当日でした
 まったく偶然に、「天領祭り」の日の早朝に来ました。各商家では幕を張り、提灯に灯が入っていました。日田は江戸時代に天領として栄えたとかで、豪商が経済を握っていました。建物をみるとその力がわかります。特に花月川寄りの白壁の土蔵造りに当時の豪商たちの力を感じさせられます。
 豆田地区は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。御幸通りと上町通りの2本の通りの両側が見どころになります。特に御幸通りに豪商たち商家や格子のはまった町家など、いろいろな建物が混在しています。
 また、電線類などはすべて地中化され、すっきりとした町並みになっていいます。
早朝撮影はつまらな
 JR日田駅から徒歩でたぶん20分以上かかると思います。前夜のホテルから30分以上かけて歩きました。早朝なので、人はそれほど歩いていません。重要伝統的建造物群保存地区に選定されたばかりなので、今後は観光客が増えることが予想されます。あまり早い時間帯の散策は、店が閉まっているのでおもしろくありません。それは常々思っていることです。
日田
日田 日田
感動度★★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 JR九大本線日田駅から徒歩20分
隈(くま)/日田市隈
隈 歴史的建造物が多数残る
 日田温泉のど真ん中で,城下町でもあります。しかも幕府直轄地として栄華を極め,町人文化が花開いたところ。日田祇園祭やお雛さまなどの行事も残っています。町には蔵造り,格子のあり町家など古民家多数。
▲韓国ラーメン(600円・食通苑蘭)
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★★ 交通 クルマは市営駐車場に停めました
竹田(たけた)/竹田市殿町
竹田 滝廉太郎もいました
 一度きてみたかった町です。作曲家・滝廉太郎のふるさとでもあるからです。生家も古い町並みの地域にありました。駅を出てパンフレットの道順に歩きます。途中の滝廉太郎トンネルには驚きました。蓮太郎は12歳から14歳まで住んでいて、「荒城の月」は、竹田の岡城をモデルにしたと言われています。
 武家屋敷群のほかに、町なかの古町や本町にも蔵作りの商家が点在していました。殿町は上級武士の居住区といわれました。一方寺町には多くの寺院が集中しています。
竹田 竹田
感動度★★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 JR豊肥本線豊後竹田駅から徒歩10分
玉来(たまらい)/竹田市玉来
玉来の集落/肥後への往還筋にあります 肥後街道の旧宿場町
 肥後(熊本)への交通の要所として,14世紀ごろには数十軒の町家が並ぶ宿場町を形成していました。そこへ志賀氏房が飛田川の騎牟礼(きむれ)城に入ってから城下町としてもさらに発展したのです。ところがその後中川氏によって,53軒の商家を竹田に移転,玉来は急速に寂れました。しかし岡藩が京の島原,長崎の丸山を模して遊郭を設けて大きく繁栄しました。
 蔵造りの商家や瓦葺きの町家など,アルミサッシで改装はされていますが,往時の面影を見ることができます。
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはスーパーサンリブに停めました
久住(くじゅう)/竹田市久住町久住
久住の町並み 肥後藩五宿の一つ
 加藤清正公が江戸への出府に備えて肥後往還に5宿場を設けた1つです。本陣,御茶屋などを設け,後の細川公もこれを継承しました。いま改築,改装が行われていますが,蔵造りの商家が見られます。 
塔屋が印象的です。大正6年創業で,『千羽鶴』は作家川端康成が命名したとか。
▲昭和元年(1926)築の佐藤酒造
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道端に停めました
杵築(きつき)/杵築市北台
杵築 県内町並みは大きい
 なんと表現していいかわかりませんが、”重量級”の古い町並みといっても過言ではありません。杵築だけではなく、大分県内の古い町並みは規模が大きく、それでいてきちんと残っているのです。
坂の多い町並みです
 それにしても杵築を歩くと疲れます。坂道が多すぎるのです。10月の土曜日でしたが、まだ日差しが強く汗だくだくでした。坂道の両側には、白壁や土塀が続き、歩いていてもその昔にタイムスリップした感じです。
 武家屋敷群、商家群、寺院群、町家などがうまく分かれており、構造自体はとりたてて珍しいものではありません。それにしても、これだけの規模の町並みが残されていることに驚きました。でも重要伝統的建造物群保存地区ではありません。一部の住人のなかに選定に反対する人たちがいるのでしょう。残念です。文化庁の内規では,関係住民の80%以上の賛成がないとだめだそうです。
空港からも直行可能
 大分空港から直行の路線バスが出ていて便利です。もちろんJR杵築駅からもバスが出ています。
杵築
杵築 杵築
感動度★★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 大分空港からバス30分
犬飼(いぬかい)/豊後大野市犬飼町犬飼
犬飼 蔵造りの町家が多く残る
 岡藩藩主が鷹狩りのとき,猟犬が病気にかかり,それを看護したところから犬飼という名が付いたという説もあります。実際は真偽のほどは不明。さて大野川に沿った集落ですが,江戸時代初期,参勤交代船の船着場が大野川に造られると同時に,多くの町家も築造され賑わったとされます。寛文2年(1662)までには,藩の屋敷,御茶屋,蔵所などが設けられ,同時に多くの町家も築造されました。つまり河川港として発展した町。
 今は蔵造りの豪壮な町家が多く残されています。 
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは豊後大野市犬飼支所に停めました
三重町市場(みえまちいちば)/豊後大野市三重町市場
麻生家住宅/国の登録文化財 国の登録文化財が目に付く
 古代から日向-三国を結ぶ交通の要衝で,「三重駅」がありました。駅馬は5疋に決められていたそうです。江戸時代になるとますます利便性が高まり,六歳市が立つわけですが,他の地域から勝手に入り込んで商売をするため,地元民は「よそ者は軒下や村はずれでの商売を禁じる願い」を提出して認められました。それほどにぎやかな町でもあったのです。
 豪商も多く,蔵造りの町家が今でも目に付きます。ほとんどが明治の建物で,麻生家住宅は登録文化財に指定。 
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは豊後総合庁舎に停めました
下自在(しもじざい)/豊後大野市緒方町下自在
水路の里・下自在 落ち着いた水路のある町
 緒方平野を穀倉豊かにしている原因の一つに,縦横にはりめぐらされた井路(いろ)にあります。井路とは地方によって呼び名がちがいますが,感慨用水にあたります。江戸時代,岡藩では財政の困窮を救うために早くから井路の開削を行なったそうです。また明治に入ってサイフォン式水車なるものを導入,50m離れた高台の田んぼに送水するなど,最盛期には先を争うように造ったそうです。いまは遺産として残されいます。
 造り酒屋があって,幾つかの古民家が残っています。 
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道端に停めました
佐伯(さえき)/佐伯市城下西町
佐伯 「日本の道100選」
 意外にも整備保存されていました。「歴史と文学の道」と名付けられています。石垣と漆喰の塀で仕切られた武家屋敷が連なります。「日本の道100選」にも指定されています。のんびりと歩ける町並みです。
▲お茶セット(150円/なごみ茶屋)
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 無料駐車場があります
小野市(おのいち)/佐伯市宇目小野市
小野市の町並み 古代官道“駅”があった所
 旧宇目町の中心地でした。古代の官道が三重駅から日向の長井駅にかけて通り,小野市はその中間点に“駅”があったところです。後の日向道の原型となった街道です。水田は少なく,林業とシイタケ栽培が主要産業でもあります。戦国時代は,薩摩と豊後との戦いが続き,豊薩戦争とも呼ばれました。
 いまは山間のとても静かな町並みです。空き家も多く,寂しい感じがします。ただ町家は立派な家屋が多く,改装,改築されていますが,かつての問屋など商家の面影を残しています。 
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
木浦鉱山(きうらこうざん)/佐伯市宇目木浦鉱山
木浦鉱山の集落 鉱山町の繁栄が偲ばれる
 鉱山は今から約850年ほど前に発見され,江戸時代に入って本格的に開発されました。鉱脈は多く,錫,銅,銀などが産出。開発当初は数千人が働いていたといわれ,ほぼ露天掘りに近い採掘法だったそうです。錫は本邦無二,銀は我が国四大銀山の一つとして栄えました。住人全員が鉱山で働き,さらに近隣各地,中には日向から10歳前後の多くの娘たちが,子守のため年季奉公に来ていました。さらに遊郭も立ち,たいへんな賑わいでした。いまは旧遊郭や町家が目に付く程度です。
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは木浦名水館に停めました
帆波浦(ほばうら)/佐伯市鶴見有明浦帆波浦
帆波浦 壁と石垣が一体となる
 佐伯湾に面する小さな漁村です。この小さな漁村を有名にしたのは,鎌倉後期の作と言われている三尊仏の入った一石五輪塔は珍しく,特に内部に穴が空いているのは国内ではココだけという。江戸時代は佐伯藩領で伊能忠敬が当地を測量したという記録があります。
 町を歩いていると,建物の海側に面した壁と石塀が一体となっているのに気がつきます。全国各地の海沿いの集落に多い造りで,暴風対策のためです。しかし帆波浦もそんな建物は少なくなってきました。 
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは帆波浦漁港に停めました
日野浦(ひのうら)/佐伯市鶴見有明浦日野浦
日野浦 強風除けの石垣のある町
 佐伯湾沿いの県道604号線を快適なドライブ中で見つけた石垣の町並みです。強風の多い町で見かける光景ですが,草木が覆い,かなり年季の入った強風対策の石垣に見えました。石垣は海岸沿いだけではなく,横丁に入っても続きます。
 江戸時代は佐伯藩領。この地も伊能忠敬が測量したそうです。この県道沿いの町は旧鶴見町で,当時漁業中心の産業構造をいっそう発展させるために,水産センター等の研究機関の誘致。今では海岸沿いに日水の研究施設が建っています。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは日本水産大分海洋研究センターに停めました
吹浦(ふきうら)/佐伯市鶴見吹浦大河原
吹浦 板壁の多い漁師町
 吹浦集落は比較的大きく,人口も150人を超えるとか。なかでも海岸沿いの大河原地区に板壁を張り巡らされた家屋がポツンポツンと散在しています。路地を入っていきますと,廃屋があったりしますが,漁具があったりして,海の匂いがします。
 江戸時代は佐伯藩領で,漁業を中心にした集落でもありました。なかでもイワシ漁は盛んで,干したイワシ,つまりメザシの出荷が多いようです。いまは後背の斜面ではミカンの栽培が盛んで,半農半漁地区といえるでしょうか。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
日出(ひじ)/日出町本町
日出 いまは石垣と門…
 慶長6年(1601),播磨の姫路城主・木下延俊が5000石を加増されて入封。以後,築城にかかり,翌年に完成しました。断崖の上に三層の天守閣,それを取り囲むようにして二の丸,三の丸を配置しました。今は石垣と藩校の致道館,武家屋敷の地割り,門,塀などが残っています。日出藩は以後,16代270年間にわたって幕末まで領有しました。
 本丸下の海岸は,通称・城下海岸と呼ばれており,全国的に有名な城下かれいは,この城下海岸からきています。 
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 無料駐車場があります
豊後森(ぶんごもり)/玖珠町森
玖珠町森 小さな城下町でした
 森藩の城下町です。といっても,1万4000石の小藩で,三島公園に城郭(陣屋)の面影が残す程度です。城下自体は小さく,現在残っているのは,中町付近に蔵造り,平入の町家などが残っています。また寺院もたくさんあります。
 この日はたまたま祭りにぶつかり,とても素朴な祭りでした。石畳の両側に歴史的建造物が残り,蔵造りの町家が続きます。その正面の小高いところが森藩の陣屋のあった三島公園にあたります。久留島記念館も見所の一つです。 
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました