佐賀県の古い町並み

佐賀県

柳町(やなぎまち)/佐賀市柳町
柳町/旧古賀家住宅 凝縮された古建築群
 長崎街道沿いに広がっています。歩いていて気がつくのは,旧古賀銀行の近代建築,馬場家や中村家住宅の町家,武家屋敷風の古賀家住宅などさまざまなど年代を超えた歴史的建造物が凝縮していることです。
▲いかしゅうまい(650円・金柑)
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは佐賀市歴史民俗資料館に停めました
八幡小路(はちまんこうじ)/佐賀市八幡小路
八幡小路にある豪華な長屋門 豪華な長屋門が立つ
 江戸時代からの呼び名です。佐賀城の北側に位置する高級武士たちの武家地です。弘化2年(1845),居住する武士は28人で総石高は1707石だそうです。ところが,このあたりは度々の出火で,多くの家屋が焼失しています。そのこともあるのか,文化年間の古地図を見ると,北半分が町家になっています。町方役所が設置されたからです。
 いま歩いてみますと,各役所や国の出先機関などが集まっていますが,長屋門などいくつかの古民家も見られ,落ち着いた町並みを見せています。 
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは護国神社駐車場に停めました
水ヶ江(みずがえ)/佐賀市水ヶ江
水ヶ江 武家屋敷のあったところ
 佐賀城の東側にあり,長崎街道から南に下がる位置にあり,江戸時代は水ヶ江小路ともいいました。弘化2年(1845)には,武士数が54人,総石高3120石,中級武士は23人で,諸小路のなかで最大級の武家地。
 明治に入ると佐賀−諸富間に馬車鉄道が当地を経由しています。ところでここで忘れてはいけないのが,大隈重信です。旧宅は国の重要文化財に指定されています。このあたり,武家屋敷の門だけが残ったりしていますが,往時の面影は薄くなっています。
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは佐賀県立病院好生館駐車場に停めました
与賀(よか)/佐賀市与賀町
水路のある町 水路のある旧武家地
 地図を広げると佐賀城の西側は水路の多いのがわかります。江戸時代は武家地でしたが,いまは住宅地になっていますが,水路は江戸時代とほとんど変わらず残っています。
 もうひとつ佐賀市の西半分の守り神だったという与賀神社がど真ん中に鎮座。祭神は与止日女大神で,朱塗りの楼門は室町時代後期に建立とされています。なお楼門は重要文化財です。この与賀神社の周辺に,幾つかの古民家が残されており,散歩にはいいかもしれませんが,交通量の多さが難。
島薬局/モルタル2階建てで黒瓦葺き。和洋折衷タイプ,設計・施工は柳。 与賀神社
▲島薬局(昭和12年築)偽洋風建築で円形が特徴 ▲与賀神社/朱塗りの楼門は国の重要文化財です
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは護国神社駐車場に停めました
長瀬(ながせ)/佐賀市長瀬町 
佐賀 ノコギリ型の家並み
 佐賀城の北側に折れ曲がりながらも続いている長崎街道が通っています。そのなかで長瀬町,八戸町あたりにノコギリ型の家並みがあります。のこぎり型は全国各地の城下町に見ることができます。
 戦いのときに,家の鉤の部分に隠れ,外敵を防いだという説もあります。このあたりには白壁の土蔵,レンガ造りの蔵,黒塀の商家など,かつての面影をみることができます。また街道沿いには,エビスの石像も見られますし,長瀬町には「長崎街道」の道標もあります。
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 佐賀バスターミナルからバスで長瀬町下車徒歩5分
蓮池(はすいけ)/佐賀市蓮池町蓮池
蓮池藩の城下でした くど造りが残る町並み
 江戸時代は蓮池藩の旧城下町。城内に旧蓮池藩館跡(現蓮池公園)がありました。そして城下町の町並みの一画にくど造りの建物が残されています。窓はアルミサッシに改造,屋根は茅葺きから鉄板葺きに改築。
 くど造りとは佐賀平野に広がる特徴のある建物で,竈(かまど)のくどの意味や苦土で地盤が弱いという意味など諸説がありますが,かまど説が有力。
 この通りだけで5軒ありました。地元のご婦人は「台風に強いですよ」と説明。間近で見ると建物の大きさに圧倒されます。
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道端に停めました
早津江津(はやつえつ)/佐賀市川副町早津江津
コの字型のくど造りです ところどころにくど造り
 筑後川の支流の一つ早津江川沿い右岸にある集落です。江戸時代は佐賀藩領。そして漁業の町でもあります。有明海の海苔養殖の根拠地でした。また魚問屋,各種販売業,運送業などが盛んでした。集落を南北に歩きますと,いまでもくど造り(いまはトタン貼り)があちこちに見られ,往時の面影を偲ばせます。特にコの字型(写真)のくど造りは典型的で,見ものです。
 また日本赤十字社創立の佐野常民の出身地で,豪華で近代的な佐野常民記念館が建っています。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは早津江川堤防上に停めました
上無津呂(かみむつろ)/佐賀市富士町上無津呂
上無津呂の集落 県下で最古の吉村家住宅
 山間の小さな集落です。田畑が少なく林業が主要な産業です。細い一本道を歩いていますと,甲造りの大きな農家が続きます。今はトタン葺きです。その先の吉村家住宅も梁もかなり大きく豪農であったようです。
吉村家住宅/天明9年(1789)築で,佐賀県下では最古の民家と推定。
▲吉村家住宅(重要文化財)
感動度★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは吉村家住宅駐車場に停めました
小城(おぎ)/小城市小城町
旧小城城下町 裏通りに集中する古民家
 小城藩の城下町です。小城城は城はなく館(陣屋)でした。これは佐賀鍋島本藩に対する支藩という位置づけだったので,城を築くことができなかったとか。
 いまでは小城の中心地で,官庁や金融機関などが集中しています。というのは,いま小城駅前の県道42号線の拡幅工事が行われ,町の改造を実施。
 歴史的建造物群がは,この駅前大通りの一歩裏に入ったところの南北の通りに集中しています。大手口の石垣や伊万里実業銀行小城支店などが往時を彷彿させてくれます。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
八本木宿(はちほんぎじゅく)/鹿島市浜中町
八本木宿 近世から昭和まで
 長崎街道の一つ、多良海道(たらかいどう)の両側に、近世後期から昭和に至るさまざまな時代の建物が建ち並んでいます。特に醸造業を中心にし発展した町で、酒蔵や町家などが残されています。また洋風建築、武家屋敷などもあり多様性が特徴です。
 駅を出てしばらく行くと、崩れかかった土蔵がいきなり並んでいます。まずこの光景に驚かされるのです。特に土蔵2階建ての大型のものが十数棟残っています。重要伝統的建造物群保存地区に選定。
八本木宿 八本木宿
感動度★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 JR肥前浜駅から徒歩10分
浜金屋町(はまかなやまち)/鹿島市浜町
浜金屋町 茅葺き屋根の町家
 八本木宿の多良海道を抜け、浜川を渡ると、浜金屋町です。そして通りは狭くなりますが、何よりも茅葺き屋根の民家が、何気なく建っているいるのです。しかも現役で、表札もあります。それがあちこちに見られるのです。茅葺きの町家と瓦葺き町家とが混在しており、なんとなく気分的にも落ち着きます。
 長崎街道多良(たら)道沿いの集落ですが,有明海の海上交通の要所としても発展した町です。また,万一長崎に異変が起こったときの“出動基地”の役割も持っていました。
浜金屋町 浜金屋町
感動度★★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 JR肥前浜駅から徒歩20分
高津原(たかつはら)/鹿島市高津原
武家屋敷通り 面影を残す武家屋敷通り
 「たかつばる」ともいいます。もともと鹿島城は低湿地で水害の多い北部にありました。そこで文化4年(1807)に丘陵地帯であったこの地を開墾し新築移転したのです。このとき家臣たちも移り住んだのです。この通りと,大手門から表門(赤門)の間に武家屋敷が建ち並んでいました。特に,城近くには高禄の家臣を配し,約400坪の土地を支給。
 屋敷の周りは石垣を構え,茅葺きの主屋に多数の部屋を備えました。屋内は土間面積の割合が少なく,大黒柱は細く,極めて珍しい造りになっています。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは空き地に停めました
三河内(みかわうち)/鹿島市三河内
三嶽神社の鳥居 神社参道に茅葺き屋根
 この地の氏神である三岳(三嶽)神社は,はじめ蔵王権現,のちの吉野水分神を祭ると言われ,御嶽信仰と関係が深いと言われていました。それはともかく,その三岳神社参道に幾つかの茅葺き屋根の農家がありましたが,いまはわずかです。また少し離れたところに,茅葺き屋根の農家が点在します。
 また丘陵地でもあることから米作のほかにミカンなどの柑橘系の栽培が多いとか。
 いずれにせよ,茅葺き屋根の衰退は時間の流れでもあるようです。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
有田(ありた)/有田町幸平
皿山通り 「手づくり郷土賞」
 2度目の訪問です。1620年前後,朝鮮陶工・李参平が陶石を発見して以来,町の歴史を一変させました。今も町自体,陶磁器産業で成り立っているため、建物もメインの皿山通り沿い(約700m)は江戸から明治にかけての2階建て妻入り型が残っています。また洋館風の建物があったりと歩いていて楽しいです。
 また有田は裏通りを歩くのもおもしろいです。登り窯を解体したレンガで造ったトンバイ塀、白壁の蔵などがあります。旧建設省からは手づくり郷土賞も受賞しています。 
有田 有田
感動度★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 JR西有田駅から徒歩10分
唐津(からつ)/唐津市大名小路
唐津 すがすがしい大名小路
 それにしてもきれいな小道です。すがすがしく,ゴミ一つ落ちていません。ふだん清掃が行き届いているのでしょう。
 ここは唐津城下の町です。武家屋敷がかつて並んでいたのであろうと思わせます。石垣,笹垣などが多く残っています。ただし武家屋敷は残っていません。
 一方,大石町には町屋がそこかしこに残っています。さらに駅近くの中央商店街には,蔵を利用した商家が残されています。
 唐津は唐津城を中心にした歴史の香りが残っています。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR唐津駅から徒歩15分
五反田(ごたんだ)/唐津市浜玉町五反田
五反田の集落(旧浜玉町) 旧道沿いに並ぶ古民家
 古代には,このあたりまで海が迫っていて,遣唐使の船が着いたという説があります。真偽のほどは別にして,多くの遺跡があり出土品の多いのも事実。
 旧浜玉町ですが,明治から昭和30年代まで玉島町(村)で,いまでも玉島の名前があちこちに見られます。玉島川両岸の飲食店ではアユ,ツガニ,シラウオなどの川魚料理が名物になっています。またミカンなどの果実栽培も盛んです。
 国道から一歩なかに入った旧道沿いに蔵造り,格子窓,出桁造りなど見られます。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました
呼子(よぶこ)/唐津市呼子町呼子
呼子-1 朝市以外にも見所あり
 朝市で有名ですが,漁師町としての町屋も見所です。玄海の豊かな漁場を背景に発展した町ですが,唐津市の指定文化財の住宅地もあります。他の漁師町と違うのは,道路も広く密集度が低いことか。
呼子-2
▲呼子漁港の,イカの天日干し
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 唐津バスターミナルから呼子行終点下車
伊万里(いまり)/伊万里市伊万里町甲
伊万里・仲町観音通り 土蔵造りの商家がズラリ
 江戸時代,有田焼の積出港として発展しました。積み出した有田焼が伊万里焼とも言われたのも,ちょうどこの頃です。特に酒井田柿右衛門の赤絵は長崎の出島を経て,海外に輸出されましたが,たいへんな評判を得たのです。明治に入って鉄道が開通すると,積出港の役割は終えますが,伊万里焼は有田焼(有田町)とともに,伝統工芸品として発展していくのです。
 観音通りの両側は約1kmにわたって焼き物に携わる白壁や土蔵造りの商家が並びます。一見すると白い町という感じ…。
伊万里 伊万里
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは市営中央駐車場に停めました
大河内山(おおかわちやま)/伊万里市大河内町乙
大河内山 石畳みとレンガ造りの煙突
 伊万里焼という名前が生まれる前,鍋島藩の御用窯として造られたのが「鍋島」でした。格調高く,販売目的ではなく将軍家への献上品や諸大名への贈答品。坂道の向こうに煉瓦造りの煙突が見え,まさに焼き物の里
伊万里焼でコーヒーが飲めます
▲コーヒー(500円・伊万里鍋島焼会館)
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★★ 交通 クルマは伝統産業会館駐車場に停めました
神埼(かんざき)/神埼市神埼
神埼 櫛田宮周辺が目印
 長崎街道の宿場町です。神埼駅から歩くこと約15分,櫛田宮にやってきます。この周辺に商家や町屋が残されています。土蔵造りでも,実際は大きな看板や開口部のアルミサッシによる改装などで,見た目はちょっとわかりません。 
神埼-2
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR神埼駅から徒歩15分
白石(しろいし)/白石町堤
白石 妻入り土蔵造り
 静かな田園地帯をクルマで走りました。なかなか気持ちのいいドライブです。ところが堤というところ探すのに苦労しました。広いのです。堤は鎌倉時代に築いた須古城の麓に位置し,室町,江戸と受け継がれてきました。江戸時代は須古鍋島の知行で,商家の集まりでもありました。妻入りの土蔵造りで,往時の城下町の雰囲気を彷彿させます。堤は小さな集落で,周りは田んぼです。また杵島山の中腹にある歌垣公園には,7万本のツツジと240本の桜が咲き誇るとか。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 どこにでも停められます
塩田(しおた)/嬉野市塩田町
塩田 土蔵造りが中心です
 バス停を降りてすぐのところが宿場町の入口です。電柱や電線などは一切地中に埋めていて,すっきりとしています。おしゃれな街灯が気に入りました。
 佐賀鍋島藩の領地で、長崎街道の脇道だそうですが、政治経済の中心地だったそうです。水運、陸運が盛んだったせいか商家が多く、土蔵造りの建物が中心でした。豪商が多かったせいか,いまもその面影が残っています。きちんと整備され,タイムスリップした感じです。西岡家住宅など、重文に指定の建物もあります。
塩田 塩田
感動度★★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 JR肥前鹿島駅からバス塩田役場前(当時)下車