埼玉県

浦和(うらわ)/さいたま市浦和区岸町
中山道浦和宿 かろうじて残る浦和宿
 秀吉の時代にはすでに市が立つなど,かなり発達し宿駅の原型が見られました。江戸時代には,紀伊徳川家の鷹場に指定されたのをきっかけに中山道の宿場町が設立されたのです。
 天保14年(1843)には本陣1,脇本陣3,旅籠15を数え本陣は星野権兵衛家が勤めていました。また毎月2,7の付く日には六歳市が開かれ,交易が盛んであったそうです。
 いまは浦和駅から10分ほどの所に,わずかに古民家が残り,往時を偲ばせますが,いつかは消えて行く運命か……。
 ところで市名は、中世以来の郷村名から、そのまま名付けられました。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR京浜東北線浦和駅から徒歩10分
沼影(ぬまかげ)/さいたま市南区沼影 
  大きな屋敷が点在
 駅前の高層ビル群を抜けると、すぐ地方都市の光景になります。街道沿いに幾つかの大きな屋敷が目に付きます。なかでも細渕家は歴代の名主で、多くの古文書が残されているとか。江戸時代は幕府領、農村地帯で村高は350石前後。 
 
▲細渕家住宅/国の登録文化財 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR埼京線武蔵浦和駅から徒歩5分 
 大戸(おおと)/さいたま市中央区大戸
  旧名主や豪農の面影
 JR埼京線が開通していらい、住宅地として爆発的に発展しています。それでも歩いていいますと旧豪農や旧名主と思われる住まいが、あちこちに散見されます。江戸時代は新田開発が盛んで、かつて「○○新田」の地名が多く見られます。 
 
▲料亭・二木屋/国の登録文化財 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR埼京線南与野駅から徒歩15分 
 大門(だいもん)/さいたま市緑区大門
  本陣、脇本陣の残る宿場町
 日光御成街道の宿場町です。日光御成街道は本郷追分(東京都文京区)で中山道から分岐し、幸手宿(幸手市)の南で日光街道と合流するまでの街道です。江戸から3番目の宿場。江戸時代末期の天保14年(1843)当時は戸数180軒、896人で旅籠6軒でありました。大門宿本陣は会田家が勤めており、名主でもあり、問屋、旅籠も経営していました。いま街道を歩いていますと、塀のほとんどがブロック塀ですが、長屋門や板壁の古民家が見られます。
 地名は、大きな門、すなわち大興寺か大門神社に由来するのではないかと推定されます。 
     
▲大門宿本陣表門/ 県の指定史跡 ▲大門宿脇本陣表門/市指定文化財  ▲ バーガー(470円・モスバーガ)
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR武蔵野線東川口駅から徒歩20分
大間木(おおまぎ)/さいたま市緑区大間木
  赤山街道沿いに長屋門
 江戸時代は幕府領。特に紀伊徳川家の御鷹場の支配を受けていました。化政期は家数は18軒で村内を赤山街道が通っており、今も旧農家の長屋門があちこちに見ることができます。地名は、古代の牧場に由来するとかで、定かではありません。 
 
▲大熊家表門(旧浦和宿表門)/市の文化財 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR武蔵野線東浦和駅から徒歩20分
芝原(しばはら)/さいたま市緑区芝原 
  旧家の土蔵や屋敷林
 江戸時代、旧三室村の一集落です。当時は山崎、宿、松ノ木、芝原、馬場の五つの集落から成り立ち、それぞれ名主がいました。さらに見沼新田のなかにそれぞれが新田を持っていましたが、天保年間に三室新田として分村。芝原の地名の由来は、単純に芝(柴)の原が広がっていることから。
 芝原の西端に江戸時代に造られた灌漑用水・見沼代用水(みぬまだいようすい)が引かれており、自然に恵まれています。郊外の住宅団地の合間に旧名主と思われる旧家や屋敷林、土蔵などが点在しています。 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR武蔵野線東浦和駅からバスで芝原下車、徒歩10分
蕨(わらび)/蕨市中央
蕨宿 江戸を出て最初の宿場町
 何もないだろうと思っていたら,意外にも古い町家が残っていました。旧中山道沿いの江戸を出て最初の宿場町です。歩いていると所々に古建築が見られて,うれしくなります。市名は藁火(わらび)が転訛したとか。
▲煎茶セットくず餅(400円/萬寿屋茶房)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR蕨駅から徒歩20分
白子(しらこ)/和光市白子
川越街道 急な坂道に残る宿場町
 川越街道は中山道の板橋宿の追分から始まる街道で,距離は10里ほどです。しかし江戸への生活物資等の供給路として重要の役割を果たしています。上板橋宿,下練馬宿につぐ3番目の宿場町です。白子大坂の急坂を上り,台地を超え次の膝折宿へと向かいます。
 天平宝字2年(758),帰化した新羅の僧が住み着き,新羅(しらぎ)が転訛して白子になったという説があります。江戸時代、家康の入国の翌年に、伊賀衆に恩賞として当地を給付したとか。また五と十の日に六斎市が立って,たいへんなに賑わいぶりだったようです。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 地下鉄成増駅から徒歩15分
志木(しき)/志木市本町
志木(引又宿) 宿場町と河岸港の町
 古くは引又宿と呼ばれていて,鎌倉と奥州に通じる小さな宿場町でした。ところが明暦2年(1656),川越藩主の命により,引又河岸ができてからは,六斎市が立ち賑わいをみせるのです。つまり河岸港から大消費地江戸へ米,麦,大豆,小豆,そばなどを運び,帰りには米ぬか,灰などの肥料,日用品を積んでくるのです。一種の港町ともいえるでしょう。しかし鉄道の開通と同時に舟運も衰退し、野菜栽培が中心となりました。
 志木駅からまっすぐ志木市役所方面に歩くと両側に蔵造りの商家がポツンポツンと見ることができます。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 東武東上線志木駅から徒歩20分
 膝折(ひざおり)/朝霞市膝折町
  旧川越街道の宿場町
 中世末には宿場が形成されていたが、江戸時代になって川越街道の重要性が高まり、現在地に移転したそうです。奇妙な地名は、小栗小次郎なる者が名馬で逃れてきたが、その馬が膝を折って死亡したという由来があります。 
 
▲高麗家住宅(旧脇本陣) 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 東武東上線朝霞駅からバスで朝霞警察署前下車、徒歩5分
 根岸(ねぎし)/朝霞市根岸台
  国の重要文化財1軒
 語源は台地の周辺部にあって、張り出したところを根岸といい、一段と高いところを根岸台という。歩いていますと、都心に通勤する人の郊外型住宅がギッシリ。そのなかに土蔵や漆喰の白壁などが見られます。金剛寺には市内最古の木造建築・山門が残っています。  
 
▲旧高橋家住宅/国重要文化財 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 東武東上線朝霞駅から徒歩20分
 大和田(おおわだ)/新座市大和田
  川越街道の宿場町
 江戸と川越を結ぶ道筋にあり、柳瀬川の渡河地が宿場になりました。駅付近から歩きましたが、旧道の「大和田中町」の交差点から先に古民家が見られます。茅葺きをトタンに張り替えた農家や土蔵、植栽に囲まれた土蔵など散見できます。 
 
▲鎌倉古道/善光明寺の横に残る 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR武蔵野線新座駅から徒歩20分 
片山(かたやま)/新座市片山 
  旧農家の片隅に残る
 黒目川の開けた沖積低地に位置し、「黒目の里」と呼ばれていました。江戸時代は黒目川沿いに幾つかの村々が成立。「片山七騎」と呼ばれる旗本たちに知行され、明治維新まで幕府領でした。いま古民家はほとんど見ることもありません。旧農家の片隅に見られる程度です。 
 
▲新座市立歴史民俗資料館 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 西武ひばりヶ丘駅からバスで片山小学校下車、徒歩15分
道場(どうじょう)/新座市道場 
  古民家が点在
 旧片山村の大字でしたが、分離独立して現町名に。法台寺が創建時、念仏道場として多くの学僧たちが学んだことが町名の由来とか。歩いていて、古民家もわずかになりましたが、一歩裏手に入ると土蔵や板壁の民家を見ることができます。 
 
▲法台寺/創建時は念仏道場 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 西武ひばりヶ丘駅からバスで片山小学校下車、徒歩10分 
 金山町(かなやまちょう)/所沢市金山町
  街道沿いに残る商家
 所沢駅周辺は、高層マンションが林立。特に小金井街道沿いの古民家群は崩壊寸前です。しかし元町からさらに金山町を過ぎると、店蔵などの商家が見られます。所沢は江戸時代、秩父と江戸を結ぶ重要な宿場で、多くの市が立ち、物資の集散地。 今はわずかに街道沿いに古民家が見られます。
 
▲野老澤町造商店(元町)/江戸末期 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 西武新宿線・池袋線所沢駅から徒歩15分
寿町(ことぶきちょう)/所沢市寿町
裏手に古民家群
 確かに駅付近や主要街道沿いは、高層マンションが林立しています。ところが一歩裏道に入ると、御幸町などと同様に、昔ながらの木造住宅が残されているのです。江戸時代の区割りがそのまま路地となって見られます。 
 
▲ラーメン(500円・早池峰亭) 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 西武新宿線・池袋線所沢駅から徒歩6分
久米(くめ)/所沢市久米 
  古民家も散在しています
 地名の由来は、久米某という者が居住していたからというが定かでない。戦国時代の古文書に、久米川畔に「久目河宿」があったと明記。かなり賑わっていたようです。鎌倉古道が通るなど、交通の要所。古民家もあちらこちらに見られます。 
 
▲ 所沢郷土美術館主屋/旧平塚家住宅(国の登録文化財)
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 西武池袋線西所沢駅から徒歩20分
 林(はやし)/所沢市林
  茶畑のなかに土蔵が点在
 地名の由来は、『新編武蔵国風土記稿』によれば、旧林村には林が多くあったとか。江戸幕府の直轄地で、江戸時代中期から本格的な開墾が進んだようです。狭山丘陵の北側に位置します。歩いていますと「狭山茶」の看板や幟が、広大な茶畑のあいだから見え隠れします。小売店や問屋も散在し、土蔵や美しい植栽も目につく。 
 
▲小野家住宅/江戸中期・国重要文化材
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 西武新宿線新所沢駅からところバスで林下車、徒歩13分
 三ヶ島(みかじま)/所沢市三ヶ島
  土蔵が見られます
 地名の由来は、『新編武蔵国風土記稿』によれば、開墾以前は原野で、人家が3区に分かれて集落を作っていました。それが三つの島のようであったことからとか。武蔵野台地は一般的に水利が悪く、陸稲や畑作、養蚕が中心でした。しかし今は、この辺りは茶畑が一面に広がっています。その中に土蔵などの古民家が散在。 
 
▲旧和田家住宅/国の登録文化財 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 西武池袋線小手指駅から西武バスで大日堂下車、徒歩6分
坂之下(さかのした)/所沢市坂之下
  屋敷林のなかの古民家
 江戸時代は幕府と旗本の知行。武蔵野台地上の集落ですが、旧城村から見ると全体として坂の下にあるところから命名。しかし集落自体は台地上にあります。急坂を上ると茶畑が広がり、深い屋敷林が点々とします。なかをのぞくとかつての養蚕農家を想像します。 
 
▲黄林閣(柳瀬荘)/国重要文化財 
  感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 西武新宿線・池袋線所沢駅からバスで西側下車、徒歩10分
 大井(おおい)/ふじみ野市大井
  川越街道の宿場町です
 川越街道大和田宿(現・新座市)に続く宿場町。次はいよいよ川越城下です。本陣は有力農民大井4人衆の系譜をひく新井家が務めていました。明治に入って3度の大火(明治6年、14年、15年)にあい、いまは往時の面影はほとんど見られません。ただ裏道に点在しています。 
 
▲旧大井村役場/国の登録文化財 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 東武東上線ふじみ野駅からバスで上苗間下車、徒歩15分
川越(かわごえ)/川越市幸町
一番街 重厚な蔵造りに驚く
 何度も訪れましたが,祭りにぶつかったのは初めてです。ただ歩行者天国になったので,写真は撮りやすかったです。
 蔵の町といわれていますが,日本でもその規模はかなり大きいほうです。川越は,1893年の明治の大火でそのほとんどが焼き尽くされました。ところが大沢家住宅の蔵が残っているのを見て,普通の商家が競って蔵造りにしたそうです。
 江戸に近いだけあって,商いも大きくその繁栄ぶりを彷彿させています。蔵も重厚で,あまりの立派さに驚かされます。
 市名は古代の河越(河肥)荘の名に由来します。
大正浪漫夢通り 明治・大正・昭和・平成へ
 1番街は明治の建物が中心ですが,さらに南側の裏道を大正時代の建物を復元しています。なかなかおしゃれな喫茶店があったりします。さらに南側を昭和時代を,さらに駅近くは平成を表すとか。
 近年,蔵だけではなく,銀行などの近代建築も注目されています。これら市民による街並み、景観保護を守ろうという意識の表れでしょう。一度じっくり見てまわりたいと思います。ところで,一時的に日曜日歩行者天国が実施されました。クルマと観光客の接触事故が多かっただけに,朗報でした。今後も続けられるといいのですが。
川越-4 川越-3
▲「時の鐘」は蔵の町・川越のシンボルです ▲大沢家住宅は明治の大火にも残りました
おぼろ豆腐ごはん 焼きだんご(松山・蓮馨寺境内) 抹茶クリーム
▲おぼろ豆腐ごはん(780円/近長) ▲焼きだんご(1本80円/松山) ▲抹茶クリーム(315円/悠々庵)
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★★ 交通 小江戸巡回バスで蔵の街下車すぐ
西小仙波町(にしこせんばまち)/川越市西小仙波町
西小仙波町 大正時代の妓楼も残る
 江戸時代は川越潘領でしたが,慶長17年(1612)に家康の命により喜多院領(約580石)となりました。このとき力を発揮したのが天界和尚といわれています。これにより幕府役人の干渉を受けず,御神領ともいわれました。小仙波は喜多院が中心となっていますが,特に西側の西小仙波町1丁目は,料亭,旅館などが軒を並べていました。いわゆる遊郭です。
 ほとんどが建て替えられて,一般住宅になりましたが,それでも大正時代の妓楼も残されています。手すりや破風などの玄関回りを,ひと目で旧遊郭とわかります。
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 小江戸巡回バスで喜多院下車,徒歩15分
久保町(くぼまち)/川越市久保町
久保町/路地が建物と建物の間にあります 裏手に屈曲した「七曲がり」
 喜多院の北側に位置する町並みです。また成田山別院の不動尊があります。そのため県道沿いには参拝人を相手にした土産物店,仏具屋,絵馬屋、だんご屋など並びます。看板建築や木造2階建ての棟割り長屋など,ごく普通の光景です。
 ところが県道北側の裏手に入りますと,道が細く路地のような迷路となります。かつて武家地であった所。川越潘は,襲撃に備えて屈曲した路地,いわゆる「七曲がり」を造ったのです。地割りは江戸時代のままですが,都市計画等のセットバックで,一部広くなったりしています。七曲がりは今でも見られます。
七曲がり/区割りは江戸時代のままです 隣家との間が空いています JR川越駅にあります
▲今ではやや広くなった七曲がり ▲七曲がり(路地)の出入り口 ▲醤油ラーメン(550円・日高)
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 小江戸巡回バスで喜多院下車徒歩10分
藤間(ふじま)/川越市藤間 
旧川越街道 川越街道沿いの集落
 川越と江戸を結ぶ旧川越街道沿いの集落です。明治に入って藤馬から藤間に改名,現在に至ります。未だに古民家が残り,横道に入ると往時の面影が感じられます。かつて名物だった杉並木も,今は寂しい限りです。
上福岡駅前
▲目玉焼き定食(200円・なか卯)
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 東武東上線上福岡駅から徒歩20分
岸(きし)/川越市岸町
岸町も旧川越街道沿いの集落 わずかに残る古民家
 江戸から歩いて不老川にかかる田代橋を渡ると岸の集落に入ります。また不老川はまもなく新河岸川と合流するのですが,江戸との物流は街道と舟運が中心。特に新河岸から積み込んだ,川越周辺の農産物は,そのまま江戸まで直行。また新河岸で陸揚げされた荷物は,市内の問屋へ運ぶときは,必ずこの先の急坂の難所,烏頭坂(うとうさか)を超えます。坂の途中には地元の守り神・熊野神社があり,いまは桜の名所です。
 もともと、畑作を中心の農家が多かったのですが、今は郊外型住宅地。古民家は,街道筋と裏道にわずかに残る程度。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 東武東上線新河岸駅から徒歩15分
笠幡(かさはた)/川越市笠幡
高麗街道沿いの長屋門のある農家 高麗街道沿いの長屋門
 江戸時代は川越藩領。高麗街道沿いの集落で,いまでは数軒の長屋門のある農家が見られます。また街道沿いにある尾崎神社は杉の木で覆われ,森閑とした雰囲気。このあたりは下の宿,神田宿とも言われています。
地元の人たちが,サザンカで生け垣を造られており,「さざんか通り」と呼ばれています
▲このあたりは愛称さざんか通り
横道に入ると植栽に囲まれた民家が多く見られます 長屋門は何軒かあります 町の守り神・尾崎神社
▲笠幡駅近くで横道に入りました ▲高麗街道でのもう一つの長屋門 ▲笠幡の守り神・尾崎神社
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR川越線笠幡駅から徒歩25分
高麗本郷(こまほんごう)/日高市高麗本郷
高麗本郷の集落 豪華な古民家と巾着田
 なんといっても巾着田(きんちゃくだ)で知られています。高麗川の蛇行で造られた田んぼで,その形が銭を入れる巾着袋に似ている所から名付けられたとか。その巾着田へ行く途中にわずかな古民家が見られます。
 また県道15号線沿いには,大きな石垣で造られた立派な古民家がそびえています。江戸時代末期から明治時代にかけて造られた住宅で,主屋,客殿,納屋,土蔵などで構成。平成20年,日高市が約1億6千万円で買い上げました。今後は観光の拠点にするとか。「高麗」とは、駿河、甲斐、相模などに居住していた高麗人を武蔵国に移住させて、高麗郡を設置。
旧新井家住宅 巾着田/秋は蔓珠沙華が咲き乱れます 阿里山/高麗川の畔の鹿台橋のそばにあります
▲5棟が残る旧新井家住宅 ▲春は桜と菜の花の巾着田 ▲ブレンドコーヒー(420円・阿里山)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 西武池袋線高麗駅から徒歩15分
飯能(はんのう)/飯能市仲町
飯能宿 点々と残る蔵造りの商家
 仲町から本町にかけて、市内でも飯能銀座のある最も賑わうところです。通りに沿って蔵造りの商家や瓦葺きの出格子窓のある町家も残り、それらが混在している町並みです。ただ、ずーっとつながって残っているのではなく、あちこち散らばっているのです。
 ほとんどが明治時代中期の建物です。ただ、都市化の波が押し寄せており、いずれの古民家も消えゆく運命です。また洋館も少し残っている程度。
 市名は、中世の武蔵七党の一つ丹(たん)党に属する判乃(はんの)氏が所領することに由来するそうです。
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 西武飯能駅から徒歩10分
吾野(あがの)/飯能市坂石町分
吾野宿 山間の小さな宿場町
 元禄13年(1700),坂石村のうち秩父往還沿いの宿場部分が分村し独立したのです。宿場といっても当初は馬継ぎとしての役割りでしたが次第に発展,盆と正月には市が立ちました。それでも山間地域だけに,わずかな畑地の他に炭焼き,木材の伐採,荷物担ぎなど。また女たちは養蚕,機織り,紙漉などで日銭を稼ぎました。
 秩父往還沿いには,いくつかの宿場の面影を感じるところがありますが,吾野宿はもっとも色濃く残しているところでしょうか。吾野は合併前に上我野郷に属していたことから命名。正丸峠下に位置した静かな宿場町です。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 西武池袋線吾野駅から徒歩10分
東松山(ひがしまつやま)/東松山市本町
東松山 二つの街道の宿場町
 徳川家康の関東入国にともない,松山城には松平家が1万石で入封。しかし慶長6年(1601)に浜松城に移封され,松山城は廃城となります。しかし,日光裏街道や比企松山道の宿場町として,在郷町として,依然賑わいを見せていたのです。江戸の後期になると,杉戸宿,桶川宿はもちろん,遠くは品川宿,藤沢宿への助郷を命じられ,徐々に農民の疲弊が始まりました。
 本町1丁目や材木町周辺には,蔵造りの商家や昭和初期の近代住宅等が混在している光景を見られます。ところで、なぜ東松山かというと、愛媛県松山市と区別するためだとか。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 東武東上線東松山駅から徒歩20分
桶川(おけがわ)/桶川市寿
桶川 蔵造りの商家が残る
  旧中山道の宿場町の一つで,江戸時代から良質な麦や紅花の集散地として栄え,市のシンボルにもなっています。本陣や脇本陣は残っていませんが,蔵造りの商家や町家は点在し,往時の面影をあちことに残しています。
▲レンガ造りの倉庫も残る
桶川 桶川
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR高崎線桶川駅から徒歩10分
鴻巣(こうのす)/鴻巣市本町
鴻巣宿 中山道7番目の宿場町
 鴻巣といえばひな人形で有名です。天正年間(1573-1644年)京都から伏見人形師が移り住んだためとか。今でも人形感謝祭が毎年開催されています。
 さて鴻巣宿は,江戸時代に整備され,中山道・日本橋から数えて7番目の宿場町です。また4,9日の六斎市場町としても発展。ところどころに蔵造りの商家や町家などが見られます。
 鴻巣宿には二つの名刹があります。一つは瓦に葵の紋所を入れた徳川家ゆかりの勝願寺,瓦に加賀藩の紋所を入れた法要寺があります。地名の由来は、古代武蔵国の国府で「国府の洲」(こうのす)だそうでが、諸説入り乱れています。 
法要寺 鴻巣
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR高崎線鴻巣駅から10分
草加(そうか)/草加市神明
草加宿 日光街道2番目の宿場
 東京のベッドタウンとして,大きく発展していますが,日光街道の千住宿についで2番目の宿場町であることは,あまり知られていません。草加宿が開かれて400年になり,「今様,草加宿」と称して,数々のイベントが実施されています。
 とはいうものの,往時の面影を探すのは難しいのが実情です。旧日光街道を歩きましたが,古い町並みは残っていません。かろうじて点在する程度で,ほとんどが明治の建物です。歩いていると名物の草加せんべいの看板が気になりました。地名の由来は、松尾芭蕉『奥の細道』の第一宿である草加宿からだそうです。
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 東武伊勢崎線草加駅から徒歩10分
越谷(こしがや)/越谷市越ヶ谷
越谷宿 蔵造りの商家が点在
 草加宿につぐ江戸から3番目の宿場です。東京からすこしずつ離れると,さすがに古い建物が残るようになってきました。というのも越ヶ谷宿は埼玉県内でも最大規模を誇る宿場町です。徳川家康も,鷹狩りでたびたび訪れたそうです。そのせいか本陣,脇本陣などがありました。
 越谷は人口約32万人と県下では5番目に人口の多い町でもあります。地名の由来は、“越しの谷”、すなわち台地の麓の低湿地帯に位置したから。
 越谷駅を出て,旧日光街道を歩きます。交通量は意外に多く,ところどころ蔵造りの商家が目に付きます。しかしその数は意外に多い方です。 
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 東武伊勢崎線越谷駅から徒歩10分
粕壁(かすかべ)/春日部市粕壁
粕壁宿 土蔵造りも見られます
 日光街道の粕壁宿は,千住宿から数えて,4番目の宿場町でもあります。1636年に日光東照宮が完成してからは,将軍家や諸大名の参拝で宿場はたいへんなにぎわいとなります。
 粕壁宿は,上宿,中宿,下宿,新宿など8つの集落に分かれており,名主3軒,本陣,寺院8軒,旅籠45軒もあり,さらに商家,農家の家並みなど159軒にのぼった大きな町を形成していました。いまは,土蔵などが点在する程度で,ちょっと寂しいですが,少し離れた所には木造の古民家群も元気で見ることができます。地名・春日部の由来は、新田義貞の家臣・春日部氏によるそうです。
     
▲浜島家住宅土蔵/国登録文化財  ▲古民家/裏通りに多く見られる  ▲サンドイッチセット(411円・VIE DE FRANCE) 
   感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 東武伊勢崎線春日部駅から徒歩10分
倉常(くらつね)/春日部市倉常 
  広い田畑に屋敷林が点在
 沖積地で比較的肥沃な土地ですが、江戸時代の村高は約800石。広々とした田畑を歩いていますと、遠くに雪をかぶった富士山が見えます。広く見えるのも屋敷林が点々とあり、奥行きが感じられるからでしょうか。散居村の典型が見られます。地名の由来は、人名とも言われますが、詳細は不明。
 
▲新井家住宅/国の登録文化財 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 東武スカイツリーライン東武動物公園駅からバスで中椿下車、徒歩25分
 立野(たての)/春日部市立野
  旧家が点在しています
 江戸時代は幕府領で、初期から新田開発が盛んでした。当初の立野新田から立野村に改名したのは延宝3年(1675)と推定。村高は580石の農業地帯ですが洪水の被害が絶えなかったとか。いま広々した畑作地域を歩いていますと、旧家を思わせる農家が点在しています。 
 
▲旧名主を思わせる大きな旧家 
  感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 東武スカイツリーライン春日部駅からバスで立野下車、徒歩10分
 樋籠(ひろう)/春日部市樋籠
  金野井往還沿いに旧家
 江戸時代は幕府領で幕末続きます。寛永年間に下総国から武蔵国に編入されました。ところで村名の由来は、諸説ありますが、「ヒゴメ」が本来の読み方。樋とは用水の樋、すなわち水を遠くへ運ぶとい、管など。「コメ」とは集まるという意味で、用水の管などが集まるところ。
 集落の端を金野井往還が通ります。今の県道321号線(樋籠−西金野井)とほぼ重なります。旧往還沿いに旧家が点在します。かつては名主クラスだと推定。外塀が石積みの上に腰板塀と瓦葺き、重厚さを意識させてくれます。
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 東武スカイツリーライン春日部駅からバスで東高校入口下車すぐ
杉戸(すぎと)/杉戸町杉戸
杉戸宿 県道373線沿いを歩く
 日光街道粕壁宿の次の宿場が杉戸宿です。千住宿から数えて5つめです。天保14年の調査によると,当時は本陣1軒,脇本陣2軒,旅籠46軒,家屋数は365軒あったと記されていました。また人口は男789人,女874人だったそうです。また月の5と10の付く日に市が開かれていて,かなり賑わっていました。
 杉戸駅を出てると,県道373号線に出ます。そこを左折してしばらく歩くと,古い町家などが見ることができます。土蔵や格子のある商家が懐かしいです。地名の由来は、近世の宿場町からとったそうです。でも語源は日光へ杉並木が続く入口にあたるという説もあります。
感動度★★ もう一度いきたい度★ 東武伊勢崎線杉戸駅から徒歩15分
 椿(つばき)/杉戸町椿
  典型的な散居村です
 中川左岸の沖積地に位置する農業を中心とした集落。古墳時代の住居跡も確認されており、比較的肥沃な土地だったと思われます。
 いま歩いていますと、屋敷林があちこちに点在しています。そしてその周囲は田畑で、つまり典型的な散居村といえます。もちろん現代住宅や、物流センターに転用されたりと、一部の景色に変化が見られますが、散居村の姿をとどめているのは珍しいといえます。屋敷林のなかをのぞきますと、土蔵などの古民家も見られます。ところで地名の由来は、崖地の「つばける(崩れる)」の転訛説。    
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 東武伊勢崎線東武動物公園駅からバスで中椿下車、徒歩10分 
幸手(さって)/幸手市中
右端が小島商店・昭和12年築(1937),当時,練炭,繭糸商 かなり残っている商家群
 江戸中期には,本陣1,旅籠27,人口も4000人弱と大きくふくれあがりました。これは日光街道と日光御成街道の合流点の宿場であったことが大きいでしょう。しかも農民や有力な商家の層も厚く,かなり繁栄しました。
 今、改装した建物を加えると古民家はかなりの数が残っています。地名はアイヌ語説もあり。
▲ミートソース(430円)・コーヒー(300円)/ディスカフェ
岸本家住宅/江戸末期築。元醤油醸造業・上埜屋の屋号/木造つし2階建て,桟瓦葺き。正面が切り妻造り,背面が寄せ棟造り。特異な外観 平井家/元米穀商「味噌噌」の屋号あり 代々医・薬種業,「大坂屋」の屋号あり
▲岸本家住宅(国の登録文化財) ▲平井家住宅・大正11年築(1922) ▲飯村医院・大正12年築(1923)
高浜商事/今も続く肥料商 竹村家/元石炭商 酒類販売業/荷さばき用トロッコ「横丁鉄道」あり
▲高浜商事・昭和9年(1934)築 ▲竹村家住宅・昭和初期築 ▲永文商店・築年不明
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 東武日光線幸手駅から徒歩10分
栗橋(くりはし)/栗橋町東
栗橋宿 日光街道で唯一関所あり
 江戸時代は利根川を越えるための旧日光街道・宿場町として発展しました。本陣,脇本陣,旅籠などが多く存在しました。また北の外れに,日光街道ではただ一つの栗橋関所がありました。また渡船場もあり,現在は碑が建てられています。
 現在も多くの古民家が点在していますが,ほとんどが看板やシャッターなどで,建物全体を見ることができないのが残念。
 栗橋宿は静御前の終焉の地だそうです。栗橋駅前に墓(碑)が立っており,花が絶えません。町名の由来は、江戸時代初期、栗橋村(現・茨城県五霞町)の移住者によって開墾されたことからだそうです。 
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 東武日光線栗橋駅から徒歩20分
加須(かぞ)/加須市中央
加須宿 古民家も残る宿場町
 江戸時代は、加増とも書かれました。また河洲(かす)の転訛説もあります。中山道の脇往還(鴻巣宿〜栗橋宿)の宿場町で,近隣の宿場への人馬継立をする役目もありました。毎月5と10日の六斎市が開かれ,賑わったそうです。
▲しょうゆらーめん(500円・たかせ)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 東武伊勢崎線加須駅から徒歩10分
騎西(きさい)/加須市騎西
騎西 城下町から在郷町へ変遷
 寛永9年(1632)騎西城の廃城となり,城下町から在郷町として変換していきました。その後幕府直轄から川越藩へ移るのです。いま国道122号線沿いに,少し古民家が散見できる程度で,残念です。
婦人会館として復元
▲騎西城跡・江戸初期まで存続した
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 東武伊勢崎線加須駅からバスで、騎西総合支所前下車すぐ
行田(ぎょうだ)/行田市行田
足袋蔵 珍しい足袋蔵の町
 城下町,宿場町,古墳の町でもありますが,足袋(たび)蔵の町でもあります。一時は足袋の生産額は全国で7割を占めたこともあります。市内には約70棟の足袋蔵が残っているとか。
▲ゼリーフライ(100円/忠次郎蔵)
横田酒造 長井写真館(右端)と新町会館(最奥の洋館)
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★★ 交通 秩父鉄道行田市駅から徒歩10分
熊谷(くまがや)/熊谷市仲町
  旧中山道の宿場町
 創業100年を超える地元の老舗百貨店・八木橋の近くに旧中山道の碑が建っています。江戸時代は宿場町として発展しました。いまのんびりと歩ける距離はわずかですが、幾つかの古民家を見ることができます。また八木橋の裏手には、国の登録文化財の聖パウロ教会、熊谷寺があり、歴史の中心地。また一ノ谷の戦いで名をはせた熊谷直実ゆかりの地でもあります。
 市名の由来は、この地が荒川の扇状地で、なおかつ氾濫源だったところから、“曲谷”(くまがや)が転じた説など諸説あります。
     
▲熊谷聖パウロ教会/大正9年築。
設計はウイリアム・ウイルソン
 
▲熊谷寺/“ゆうこくじ”と読みます。
建久6年(1195)の創建
 
▲星渓園/回遊式庭園を中心に
数寄屋風建築が並ぶ 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR高崎線熊谷駅から徒歩10 分
 妻沼(めぬま)/熊谷市妻沼
  妻沼聖天山の門前町
 この一風変わった地名は、中世、利根川右岸に洪水によって2つの沼ができました。女体様を祀る沼を女沼といい、近世になって目沼となり、さらに妻沼となったわけです。
 しかし妻沼を関東一円に一躍有名にしたのは、妻沼聖天で、町は江戸時代からの門前町として発展しました。近代になって、本堂の「聖天堂」は国宝に指定されており、参拝客が1年中絶えません。
 古民家は、聖天様南通り沿いにあり、雑貨店、土産物店などが並んでいます。さらに通りから一歩裏手にも土蔵や商家、旧養蚕住宅などが散見。 
     
▲坂田医院旧診療所/国の登録文化財  ▲妻沼聖天山/本殿聖天堂は国宝 ▲温玉ぶっかけうどん(500円・熊たまや) 
 感動度★ もう一度行きたい度★★ 交通 JR高崎線熊谷駅からバスで、妻沼聖天前下車すぐ
樋春(ひはる)/熊谷市樋春 
  国の重要文化財が1軒
 町名は旧樋口村の「樋」と旧春野原村の「春」を組み合わせて命名。荒川の右岸にあり、農業が盛んで、大麦の生産が多かったようです。大正時代までは乗合馬車が一日数便通っていました。戦後は近代農業経営に変わりました。いま蔵や旧養蚕住宅などが見られます。 
 
▲平山家住宅/江戸中期の建築 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR高崎線熊谷駅からコミュニティバスで「JA直売所・なご味」下車徒歩5分
冑山(かぶとやま)/熊谷市冑山 
  『新編武蔵国風土記稿』
 冑山の豪農で名主の根岸武香は内務省地理局から『新編武蔵国風土記稿』の出版と販売を獲得。さらに明治22年に15年間の期限付きで版権を譲受。図版の版木の一部が残されています。今このあたりに農家があちこちに見られます。 
 
▲友山武香ミュージアム/根岸家住宅長屋門の一部をを改造 
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR高崎線熊谷駅からコミュニティバスで箕輪下車、徒歩10分 
深谷(ふかや)/深谷市田所町
深谷宿 看板の後ろに蔵造り商家
 旧中山道の宿場町で江戸から数えて9番目にあたります。旅籠,各種商家などが多く,商人の町と言えます。本陣1軒,脇本陣は4軒あったと伝えられています。また造り酒屋も多く,現在でも『菊泉』が頑張っています。
 歩いていますと,いくつかの蔵や格子戸のある町家を見ることができます。しかし多いのが,看板に隠れた商家です。正面から見るとわかりませんが,斜めから見ると蔵造りであることがわかります。またレンガ造りの建物が目につきますが,これは日本最初のレンガ工場ができたからです。地名は台地の下に位置する深い谷が由来だそうです。
深谷宿 深谷宿
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR深谷駅から徒歩10分
中瀬(なかせ)/深谷市中瀬
中瀬 大型の旧養蚕住宅
 豪華なレンガ風の深谷駅前から,市の100円バスに乗ります。車窓からは,名産の深谷ネギの育った光景が広がり,とてもいい気分です。
 利根川沿いに広がる中瀬地区には,通常の2階建ての屋根の上にさらに小降りな長い屋根が造られています。いわゆる越屋根というもので,その大きさに驚きます。川沿いのため屋内の通気性を保つためとか,明かりとりの役割があるとか。しかし養蚕住宅であったことに気づく人は少ないようです。
 歩きながらや,車窓から数えて,ざっと5軒ほど目に付きました。まだあると思います。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR深谷駅からくるりんバスJA中瀬支店前下車徒歩10分
本庄(ほんじょう)/本庄市中央
本庄 町や街道沿いに蔵が多い
 中山道の本庄宿は,江戸日本橋を出発して10宿目にあたります。そして越後,信州の分岐点となったところだけに大きく発展します。天保14年(1843)には人口4500余人,家数1212軒にまでふくれあがるのです。文句なしに中山道では最大の都市へと発展します。それは同時に養蚕の町としても発展します。
 旧中山道を歩いていますと,驚くことは蔵がいたるところに見られるのです。商家,寺院も多く,ところどころ洋館や看板建築もたくさん見ました。県や市指定の文化財の多いのが特色。地名は武蔵七党の一つ、児玉党に属する庄氏の末裔・本庄氏の居城名からも由来説。
煉瓦造りの菓子の家 本庄
旧本城警察署 安養院 金鑚(きんさな)神社
▲明治16年築の旧本庄警察署 ▲安養院と門前の棟割り長屋 ▲藩主の信仰の厚かった金鑚神社
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 JR本庄駅から徒歩15分
児玉(こだま)/本庄市児玉町児玉
児玉 古民家が看板で隠れる
 町名は産出した銀砕の小玉や蚕玉(こだま)に由来するという説があります。戦国時代,武蔵七党の一つ児玉党ゆかりの地で,鎌倉街道の宿駅でもありました。また古来は所沢から藤岡(群馬県)へ通じる児玉往還の道筋で,藤岡から先は信濃,越後へと通じました。しかし江戸時代に中山道が整備されると,中山道の脇往還に。
 江戸後期は穀物や絹などの商いが盛んで,市が立ち大変な賑わいでした。特に付近でとれる良質の粘土を原料とした児玉瓦は有名。いま古民家は多いのですが,看板等で覆われているのが残念です。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR八高線児玉駅から徒歩12分
川口(かわぐち)/川口市本町
宿場とキューポラのある町
 江戸時代は日光御成街道の宿場町,市場町として栄えました。しかし川口の名を一躍全国に広めたのは,吉永小百合主演の『キューポラのある街』の舞台になったからです。近くを流れる荒川の水運は鋳物で作った日用品生産を飛躍させました。しかし,騒音や地盤沈下で軽工業は衰退。キューポラ(鋳鉄溶鉱炉)の数も激減しました。
 いま本町にはかろうじて蔵造りの古民家が残されています。またキューポラも一部で残されており、工場見学で運が良ければ見られるかもしれません。ただ隣の金山町には,鋳物で繁栄した当時の豪邸が残されているのが注目されます。
近代木造建築です
▲銅板葺きの町家2軒が川口宿入口の目印です ▲鋳物工業で財をなした人の家屋が見られます
▲錫杖寺は徳川将軍の休憩所 ▲川口の守り神・川口神社 ▲川口宿本陣門を移築されました
鋳物産業の電力不足を補うために造られました。 永瀬家住宅・3代目は川口市長にもなった地元の名門。アメリカ人が設計,大正11年に完成。壁はモルタル,窓にはステンドグラスがはめ込んでいます 現在は川口市母子福祉センターとして活用されています
▲レンガ造りの発電所跡 ▲永瀬家の3代目が居住 ▲旧鋳物問屋鍋平邸・国の登録文化財
キューポラのある工場は激減していますが,毎日稼働しているのはココだけと言われている
▲永瀬留十カ工場・明治4年操業 ▲けんちんうどん(650円・なごや) ▲温玉鶏つくねそば(480円・中山道)
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR京浜東北線川口駅から徒歩15分
鳩ヶ谷(はとがや)/川口市桜町
鳩ヶ谷宿 日光御成道の宿場町
 旧鳩ヶ谷市です。日光御成道というのは,日光街道と中山道の中間にある街道で,江戸の駒込追分から岩渕宿,川口宿を経て,鳩ヶ谷宿へと続いたのです。本陣は真光寺に移築されており,残っているだけでも幸いです。
 鳩ヶ谷駅から10分ほど歩くと,日光御成道に突き当たります。郷土資料館で資料をもらって,のんびり歩けばいいのですが,この日は突然の豪雨で,しばらく雨宿り。蔵造りの建物や石造りの洋館などが点在していました。市名の由来は、『和名抄』の発度郷(はつどごう)の発度が鳩に転訛したという説。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 埼玉高速鉄道鳩ヶ谷駅から徒歩15分
小川(おがわ)/小川町大塚
小川町 「武蔵野の小京都」
 小川町といえば「小川和紙」で知られています。小川和紙は,江戸時代商人の大福帳としての需要が拡大し,一大産地として発展しました。そのような和紙を中心に発展しただけに,商家も和紙が中心で,紙漉き屋は1000軒もあったとそうです。
 今は往時のほどの生産されているわけではないですが,和紙が見直されているのも事実です。和紙の工房も多くなりました。駅周辺を歩きますと,土蔵や格子戸のある商家などが目に付きます。「武蔵野の小京都」といわれるゆえんです。
 地名は町内を流れる兜川を小川とよんだことが由来です。
小川町 駅前に情報センター
 駅前にある壱押屋は,喫茶店でもありますが,市内の各種パンフレットなどがたくさん置いてあって,情報センターの役割を果たしています。
 この日はたまたま暑い日だったので、かき氷を注文して一息つきました。
壱押屋
▲かき氷グレープ(300円/壱押屋)
小川町 小川町
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 東武東上線小川町駅から徒歩10分
越生(おごせ)/越生町越生
越生 絹織物産業繁栄の名残り
 越生といえば梅林が有名です。毎年シーズンになると大勢の花見客で賑わいます。そんな越生は,江戸時代から養蚕が盛んに行われ,市場が開かれていました。特に明治,大正,昭和の初期までは,絹織物の集散地として繁栄したのです。
 町を歩きますと,1200年の歴史を誇る法恩寺なども見られますが,かつての絹織物の盛んだったころの蔵造りの商家などが,点在しています。
 なおモダンな大正時代の洋館・絹織物組合会館は,新築中でした。町名の由来は、鎌倉時代の武蔵七党の一つ児玉党に属する越生氏の所領・越生郷からきたとか。 
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 東武越生線越生駅から徒歩5分
秩父(ちちぶ)/秩父市本町
秩父 裏道が面白いです
 夜祭りや札所巡り、セメント業などで知られた町です。国道299号線(旧秩父往還)が町の中央を走り、その両側に町家や蔵造りの商家などが見られます。また地下水が豊富なためか、造り酒屋も多い。
 この街道沿いのにぎやかさとは逆に、ちょっと裏道に入ってみますと、昔ながらの町家が多く見られます。町並みは裏道が面白いです。秩父市では伝統的建築物を登録文化財として、積極的に保存に乗り出しました。市名の語源は、イチョウの木を古語で“チチ”といい、イチョウの生える地、チチ生(ちちぶ)からきたという説もあり。
秩父 秩父
秩父 秩父
秩父鉄道を走るSL かき氷 しゃくし菜そば
▲秩父鉄道を走るC58蒸気機関車 ▲かき氷抹茶(350円・仲見世) ▲しゃくし菜そば(450円・そばうどん処)
感動度★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 西武秩父駅から徒歩15分
贄川(にえがわ)/秩父市荒川贄川
贄川宿 秩父甲州往還の宿場町
 秩父甲州往還では秩父に次ぐ宿場町。上州や甲州への分岐点であったために,物資の集散にも好都合で,六歳市や雛市も開かれました。
 古い町並みは、街道に沿って短冊状に並んでいます。
▲山菜丼(750円・福島屋)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 秩父鉄道三峰口駅から徒歩10分
小鹿野(おがの)/小鹿野町上町
小鹿野 上州街道の宿場町
 どのような町なのか、全くわからずに行きました。「小鹿野歌舞伎」で有名だ、と言われてもわからなかったのです。秩父往還から分岐した上州街道沿いの町です。どちらかといえば,中山道の裏街道の役割を果たしていたようです。
 現在,小鹿野役場前から原町交差点までに集中的に残っています。江戸時代末期の蔵が残されており、町の文化財に指定されています。また代官の本陣も残されています。
 意外にも古い町並みが残されていたので、驚きました。ちなみに地名の由来は、『和名抄』に見える巨香(おが)郷の地であることからだとか。
感動度★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 西武秩父駅からバス小鹿野役場前下車5分