徳島県

鮎喰(あくい)/徳島市鮎喰町
鮎喰 重厚な町家がそこかしこ
 江戸時代から四国の玄関口で,伊予街道は京・大坂から江戸へ向かう四国各藩にとって重要な街道でもありました。鮎喰はその起点となったところです。鮎喰は鮎を食べていた人が多かったことから命名されたとか。
 表通りの現伊予街道(国道192号線)は騒音と渋滞でクルマがあふれています。しかし一歩なかにある旧伊予街道沿いの町並みは,とても静かです。重厚な町家もそこかしこに残っています。また地酒『眉山』,『南国一』の吉本醸造の建物も歴史的景観に花を添えています。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマはコンビニに停めました
撫養(むや)/鳴門市撫養町南浜
撫養街道 ほとんど改築された古民家
 徳島藩の時代,阿波五街道の一つ撫養街道の起点となった村です。撫養街道は吉野川左岸沿いに池田に至る道です。
 江戸時代,貧しい畑地でしたが一方では塩浜を築き,良質の塩が取れることで,塩屋12カ村と称するほど豊かになりました。文政年間には16カ村にまで発展しました。元もと,淡路や播磨からの移住者が多く,塩田の技術を持っていたからでしょう。
 いま町並みを歩きますと,格子窓のある家や蔵造りの建物が多くの残っていますが,ほとんど改築,改造されていました。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは西楽庵臨時駐車場に停めました
山川(やまかわ)/吉野川市山川町西久保
旧郵便局 旧伊予街道沿い旧郵便局
 江戸時代から稲作は乏しく,耕地面積の90%は畑作でした。勢い他の産業へと手を伸ばしますが,特に手すき和紙と凍み豆腐は,藩の奨励もあって一大産業へと発展しました。さらに他の町と同じように,平坦地では藍作も盛んになりました。
 町名は阿波富士と言われる高越山の「山」と吉野川の「川」を合わせて「やまかわ」と命名。意外と単純な名付けでした。いまは県道244号線,旧伊予街道沿いに細々と古民家が残されていますが,旧郵便局(写真)が見ごたえがあります。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
穴吹(あなぶき)/美馬市穴吹町穴吹
穴吹 かろうじて残る蔵造り
 江戸時代は徳島藩領で,穴吹川沿いを木屋平街道が通っていました。かつては剣山本街道ともいい,剣山講に向かう信者で賑わったものです。穴吹川上流は木屋平川と名を変え,川沿いは今では超過疎地で,限界集落も数多くあります。
 交通は吉野川に沿った伊予街道が中心で,JRもありますが,バスで高松に行けるなどバス交通の要となっています。この吉野川の反対側にある脇町は観光客で賑わっているのと対照的な町並みです。今はわずかに蔵造りの家屋が残る程度です。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは平野整形外科駐車場に停めました
脇町(わきまち)/美馬市脇町
脇町 うだつのある街並み
 10年ぶりの2度目の訪問です。整備、修復中だった建造物もきれいになっていました。江戸時代は藍の積出港として、吉野川を利用していました。京や大坂、徳島、高松への交差点のような町で、大いに発展し、豪商たちが豪華な土蔵造りの建物を建てたそうです。
 全国に「卯建」(うだつ)はありますが、脇町のそれは豪華です。防火の役目から美術的な側面ももっているように思えます。重要伝統的建造物群保存地区です。
脇町 脇町
感動度★★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 JR穴吹駅から町営バス15分脇町下車5分
井川(いかわ)/三好市井川町辻
井川の古民家群 多様な造りの古民家群
 古い町並みは辻地区の真ん中の約1kmに渡って続きます。実際に歩いて見て,これほど古民家が残っていると思いもしませんでした。虫籠窓のある蔵造り,庇の突き出た造りなど多様な形の町家があります。
 もともと江戸時代から明治にかけて,刻み煙草の生産,販売で繁栄した集落で,周りは生産農家が多かったのです。そのため比較的裕福な農家が多かったようです。それは,辻町水力電気(株)を設立し,四国ではじめて電気を販売したのもココということでもわかります。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは空き地に停めました
池田(いけだ)/三好市池田町
池田 うだつのある町です
 脇町もそうですが、この池田もうだつの町でした。多くの土蔵造りの民家は、明治時代の建物です。とくに葉たばこを扱う商家が多いことから、けっこう裕福な家だったのでしょう。(写真下右)うだつの家でありたばこ資料館として公開しています。
 この日は、ずっと小雨が降り続き、駐車場探しも苦労しました。県職員専用の広大な駐車場がありまして、そこにゆったりと停めました。
池田 池田
感動度★★ もう一度行きたい度★★ 駐車場 県職員専用駐車場に停めました
落合(おちあい)/三好市東祖谷落合
落合集落 急斜面でクルマが必要
 2006年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された集落です。どうもいままでの古い町並みと趣が違うので、現場に立っても、とらえどころがないのです。しかも全体としてとらえるためには、反対側の斜面に立たなくてはいけませんこれがまた疲れるので、クルマがないと回れないのです。
建物や石垣の分布に注目
 祖谷は平家の落人の里として知られており、日本の三大秘境の一つだそうです。家屋自体が急斜面に建てられているので、まずしっかりと石垣を積み上げています。石垣は350カ所もあるそうです。それも4種類にわかれています。
 落合集落を回っていると、とこどころ廃屋や荒れ放題の敷地があったりします。やはり過疎の村の宿命みたいなものでしょうか。急坂が続くので、息が切れてしまって歩けないのが都会人の弱点であります。
駐車場は『そば道場』近辺 
 なお落合での駐車場は、道路が極端に狭いため、停めるところがなかなか見つからないのです。とりあえず蕎麦屋『そば道場』付近が唯一広いので、ここで停めました。落合集落でただ一つの食堂です。
そば道場
感動度★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 クルマはそば道場近辺の道端に停めました
中庄(なかしょう)/東みよし町中庄
中庄 空き屋の古民家が多い
 中庄の江口渡船場は舟運の中心地で,吉野川を利用して徳島,鳴門方面へ藍,薪,木炭や旅人などを搬送していました。船宿も数軒ありました。
 吉野川沿いや山奥の村々は,江戸時代から困窮が続き,特に中庄を中心とした農民一揆は,一部の豪農への打ち壊しからはじまり,周辺地域までアッというまに広がり,世に言う加茂山騒動と呼ばれました。
 いま歩いて見ますと,完全な過疎の集落で,空き屋が多く,自然消滅を待つのみと言った感じです。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは国道192号線沿いの空き地に停めました
椿泊(つばきどまり)/阿南市椿泊町椿泊
椿泊 1qも続く漁師町
 江戸時代,阿波水軍の本拠地でした。クルマ1台通るのがギリギリという狭い道が1qほど続きます。木造2階建ての町家が両側に建ち並んでいますが,同じ徳島県の漁港の鞆浦や甲浦と違って,ミセ造りが見られません。ミセ造りはたためば雨戸になり,開けば縁台になるという,理にかなったもの。
 建物はほとんど戦後の建物ですが,地割りはむかしのまま。古くなった民家も改築されています。それでも漁師町の雰囲気はたっぷり残っています。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 適当に停められます
日和佐(ひわさ)/美波町日和佐浦
日和佐 寺町とウミガメの町
 日和佐といえば,ウミガメの上陸地点として有名です。最近では平成7年に119頭が上陸して以来,きわめて少なくなっています。平成20年(2008年)はわずか39頭です。ウミガメはともかく,日和佐は漁師町でもありますが,もう一つ門前町という顔を持っています。四国88カ所の23番札所・薬王寺が駅裏の高台にあります。
 町内は,漁師町らしく古い町並みを形成していますが,わずかながら寺町をも形成しています。薬王寺から離れると,のんびりと歩けます。 
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR日和佐駅から徒歩10分
牟岐(むぎ)/牟岐町牟岐浦
牟岐浦の集落 重厚な蔵造りが残る
 もともと一本釣りの沿岸漁業のさかんなところで,魚介類のほかカツオ節や布海苔なども徳島・大坂へも送っていました。蔵造りの重厚な商家は,回船問屋の名残りでしょうか。歴史的建築物が見られます。
▲ちらし寿司(330円・うえむら)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは牟岐町役場に停めました
出羽島(でばじま)/牟岐町牟岐浦
出羽島 ミセもある独特に古民家群
 島に上陸してもごく普通の離島の情景です。でも歩くにつれ,奥に入り込むにつれ情景は変わってきます。庇の突き出た瓦葺きの古民家が続くのです。そしてミセ(蔀張)もあって,海南地方独特の光景が広がります。
 江戸時代,徳島藩は各種の減免など奨励策や保護政策で移住を勧めました。寛永元年(1624)には50戸だったそうです。しかし寺の過去帳や墓などから,以前から少数の住民がいたことがわかっています。
 いまはすっかり釣りのメッカになりました。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 牟岐港から定期船で15分出羽島下船すぐ
鞆浦(ともうら)/海陽町鞆浦
鞆浦 ミセ造りが見られます
 海岸に面した通りから一歩なかに入った通りを歩きました。道幅が狭くクルマの通れる感じではありませんが,やや薄暗い中を歩く,ミセ造りがありました.それも何カ所かで見られたのです。
 写真のように,見た目は長いすですが,折りたたむと雨戸になります。逆に開くと縁台になるのですが,昔は漁具を干したりしていたのですが,今は野菜などが干されています。
 鞆浦は平安時代から続く,歴史のある集落なのです。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 無料駐車場があります
一宇(いちう)/つるぎ町一宇
一宇の集落(一宇街道) ホコリの中に古民家が…
 地元の人は「いっちゅう」と言います。江戸時代は徳島藩領で一揆の絶えない貧しい農村でしたが,明治に入り一宇街道を拡充,整備。葉たばこ,シイタケ,ソバ,干し柿など農産物を積極的に販売しました。
▲きつねうどん(500円・玉木食堂)
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは一宇公民館に停めました
半田(はんだ)/つるぎ町半田
半田 半田商人時代の面影なし
 江戸時代からいろいろな産業が発展しましたが,なによりも素麺がその後の半田経済を支えていきました。天保年間,吉野川の貨物運搬船の船頭が作り出したのが最初で,アッというまに広がりました。吉野川の川面を吹く冬期季節風は適度な湿気を含み,素麺の乾燥に適していたそうです。同時に鉄分の少ない良質の湧水にも恵まれていました。また他の産業から手延素麺製造業に転職する人たちが絶えず,半田商人が生まれる素地があったのです。いま当時の面影は見られません。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは建神社に停めました
貞光(さだみつ)/つるぎ町貞光
貞光 もう一つのうだつの町並み
 2度目の訪問です。当初,こんな山の中に古い町並みがあるなんて信じられませんでした.脇町を小振りにした感じです。貞光のうだつは,脇町ほどの派手さはありませんが,それでも立派な造りです。観光客もチラホラと見られます。
 江戸時代初期に町作りが始まり,中期になって繁栄しました。山村で収穫した葉たばこ,繭,こんにゃくなどと引き替えに,農具,日用品,薬品などを購入するために多くの人たちでにぎわっていたのです。それでも生産農家は苦しかったとか。
貞光-2 貞光-3
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 JR貞光駅から徒歩10分