和歌山県

雑賀崎(さいかざき)/和歌山市雑賀崎
雑賀崎-1 幅1m未満の迷路の町
 ちょっと驚きました。幅1mの道路が迷路になっているのです。郵便局も床屋さんもお寺も用品店も乾物屋さんも店先はすべて狭いのです。古い家も新しい家もごちゃごちゃに混じっています。建築中の家がありました。トラックは海岸に停めて、そこから資材を運ぶのです。
 もともと急斜面に密集して集落が作られてきました。ほとんどが漁業で生計を立てています。江戸時代は和歌山藩領。村の西側の海は荒磯で魚が集まるため、城下からの釣り客で賑わいました。またこの集落だけで、200隻余の持ち船があったそうで、典型的な漁村です。
雑賀崎-2 雑賀崎-3
▲バイクならギリギリ通れます  ▲路地を上ると寺院にぶつかります 
感動度★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 和歌山市駅前からバス30分雑賀崎下車5分
古佐田(こさだ)/橋本市古佐田
古佐田の集落 旧料亭,商家,旅籠……
 天正年間(1573-92)にはすでに高野往還の宿所が形成。紀ノ川の橋もあったとか。江戸時代は伊勢街道の宿場,紀ノ川を利用した水運の要衝でもありました。いま迷路のような町並みで,かつて料亭,旅籠,問屋などが混然一体となっています。
▲柿の葉ずしセット(780円・三角亭)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 南海高野線橋本駅から徒歩3分
紀見峠(きみとうげ)/橋本市柱本
紀見峠集落 東高野街道沿いの峠集落
 古老は「きいみとうげ」とも言います。近世以降の高野街道は,現在の国道371号に沿って南下し,紀ノ川を越えました。いわゆる東高野街道(京街道)と呼ばれ,京,大坂方面からのメインルートです。紀見峠は和泉山脈のなかで最も低い位置(標高380m)にあったからです。
 入口の紀見峠は,慶安年間(1648〜1652)に和歌山藩が伝馬所を置くことで,峠集落ができ,発展しました。
 紀見トンネルを避けて国道371号線に入り,バス停紀見峠付近で脇道に入ります。土蔵などの町家が少し残っています。地名の由来は、紀州の国を一望できるからとか。
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは空き地に停めました
高野口(こうやぐち)/橋本市高野口町
高野口町 葛城館と前田邸
 参拝者の通う高野街道と大和街道の交わるところにあるために、昔から栄えた町です。いまでも街道沿いには、黒色の土蔵造りの商家が残っています。
 高野口駅前には、木造三階建ての旧旅館・葛城館が立ち、大和街道沿いには、江戸時代から続く旧家の町家・前田邸が残されて、貴重な資料が展示されています。しかし大正末期、南海鉄道の開通後、高野山参拝道としての機能が薄れ、衰退しました
 訪れた日は猛暑、しかも和歌山線の車両は冷房がきかず、扇風機が熱風をかき回している状態でした。本当に暑かった!
感動度★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 JR和歌山線高野口駅から徒歩10分 
紀伊清水(きいしみず)/橋本市清水
清水 ふるさと景観賞受賞
 特急の停まらない駅なので、訪れる人もなく、ひっそりとした町です。予想以上に古い建物が残されていました。JR橋本駅からだと徒歩30分の距離です。とりあえず紀ノ川沿いを歩きました。暑さで倒れそう。
 高野街道沿いの町で、重厚な屋根瓦、落ち着いた格子戸の光景が心を落ち着かせます。ほとんどが町家で、ところどころに土蔵造りの商家が見られます。生け垣も美しく、「和歌山県ふるさと建築景観賞」を受賞していました。さて中世の時代から高野山参拝者で賑わい、高野街道の宿駅でした。地名は常に清水を湧出するから。
感動度★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 南海電鉄紀伊清水駅から徒歩10分
真土(まつち)/橋本市真土
大和街道・真土集落 残された古民家群
 橋本駅前の観光案内所で初めて知りました。たまには寄ってみるものです。それにしても列車,バスの本数が少なく,そのうえ駅からかなり離れているのです。隅田駅から寂しい山道を抜けると,意外にも格子窓のある町家がズラリと残されており,うれしくなってきました。
 伊勢とつなぐ伊勢街道(大和街道)が集落を通り,伊勢参りの参宮道として賑わいました。江戸時代の初期は小さな宿駅だったとか。また紀州藩の参勤交代や松阪藩への連絡路としても利用されました。古くは大和国と紀州国の境の地として、万葉集など数多く歌われました
感動度★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 JR和歌山線隅田駅から徒歩20分
九度山(くどやま)/九度山町九度山
九度山 NHK大河ドラマの舞台
 町を歩いていますと,「真田の里」と書かれたピンク色の幟が目立ちます。関ヶ原の戦いの後に,真田昌幸・幸村親子がこの地に寄せていた関係で,町おこしのシンボルとなっています。昌幸の墓が善名称院にあり,真田庵と呼ばれています。
 また弘法大師が槙尾山神社に九度も詣でたことから名付けられたとか。中・近世は高野山詣での参詣路の一つが通る宿場集落でもあったのです。その集落も南海電車の開通で寂れました。蔵造りの商家,旧旅籠など古民家が残っています。
 地名の由来は、弘法大師が槇尾明神へ月に9度参拝したというが真偽は不明です。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 南海高野線九度山駅から徒歩15分
名手(なて)/紀ノ川市名手市場
名手宿 旧紀州藩名手宿本陣
 奈良と和歌山を結ぶ大和街道沿いには、いまでも多くの古い町並みが残されています。この名手もその一つです。平安時代からある村名。国の重要文化財に指定されている旧紀州藩名手宿本陣(無料)を中心に100mほどに、商家や町家が残されています。
 名手本陣は、大正時代に一部改築されたり、その後大規模な復元改修をされていますが、ほとんどが往時のままです。訪れた日は、たまたま祇園祭で、あちこち提灯が下がっていました。なお古代の歴史本には「右手」、「石手」なる名が出てきますが、写本の誤りで江戸時代の歴史家に指摘されています。
感動度★★★ もう一度行きたい度★★ JR和歌山線名手駅から徒歩5分
御坊(ごぼう)/御坊市御坊
東町筋 意外な所に古い町並み
 御坊市にこれほどの町並みが残っているとは驚きました。浄土真宗日高別院を中心に発展した門前町でもあります。その後日高地方で唯一商業地として発展。今では商家,町家などがひとかたまりになって残る。
▲あっさりラーメン630円(天下一)
御坊-2 御坊-3
▲格子や虫籠窓が見られる町家が残ります ▲明治、大正期は繁栄しましたが、戦後は衰退します 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは御坊市役所に停めました
黒江(くろえ)/海南市黒江
黒江 京風格子のある町家
 一本裏に入ったところに古い町並みがありました。昔はこの当たりまで堀が迫っていたそうです。そして多くの各種職人が住んでいて、海運を生かして上方地方と交流がありました。格子の町家は、なにやら京風のようです。また、地割りがノコギリの歯のようになった町家も、この町にありました。ノコギリに歯形の地割りは,いろんな説があるようですが、全国各地に見られます。地名の由来は、黒い牛に似た石がある入江という説、潟が土砂のため黒く見えるという説、潟から見える山が黒牛が伏せているように見えるからという説など、諸説あります。
黒江 黒江
▲格子「紀州連子格子」のある町家が軒を並べています  ▲板張や土蔵など商家としての町並も見られます 
感動度★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 クルマは道端に停めました。
湯浅(ゆあさ)/湯浅町湯浅
湯浅町 土蔵と町家が一体
 歴史的な建物がかなりまとまって残っています。ちょうど訪ねたとき、朝日新聞記者が、町の再生・保存に力を入れてるボランティアグループを取材しているところにぶつかりました。
 元々、湯浅は日本の醤油醸造の発祥の地として知られています。またみその醸造も盛んで、蔵造りの建物が多いのもこのためです。土蔵と瓦葺きの町家が一体となった町です。長年、住民たちによる重要伝統的建造物群保存地区選定への運動が実って喜んでいるとか。
 地名の由来は、古名の「湯傘」(ゆかさ)が転訛したという説がありますが詳細は不明。
湯浅町 湯浅町
▲地元野菜の無人販売も見られました  ▲美しい町並は心に残ります 
感動度★★★★  もう一度行きたい度★★ 交通 クルマは酒蔵見学者用の無料駐車場に停めました
湯峰(ゆのみね)/田辺市本宮町湯峰
湯の峰温泉 低層の旅館街の風情
 古くは「湯ノ峰」、「湯之峰」とも書きました。温泉が開かれて1800年という,日本でもまれにみる歴史を持っています。もともと聖なる地で,熊野詣する前に,湯垢離(ゆごり)する地として知られていました。特に古代から中世、京や大和の貴族たちが足繁く通ったとか。
 湯ノ谷川沿いに発展した温泉地です。建物はほとんど戦後になって建て替えられたのものです。大部分が2階建てで,高層ホテルはありません。そのせいか湯の町のイメージがぴったりだと思いました。川沿いに東光寺や谷間に湧く天然の岩風呂・つぼ湯もあります。
感動度★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました
樫野(かしの)/串本町樫野
樫野 強風から家屋を守る石垣
 串本町の沖合にある紀伊大島にある集落です。この地は,まさに台風銀座と呼ばれるくらい,風の強い所です。しかも島の高台にあるため,より風当たりが強い集落でもあります。
 その強風よけのために石垣を組んで,家屋を守ったのです。日本各地には,竹塀,板塀などを使った例は多いですが,石垣は沖縄県や香川県の沖合にある女木島が知られています。江戸時代は古座浦との漁業権の争いが絶えなかったとか。
 地名の由来は、字の大樫野というところに大きな樫の木があって、これが後に大を略して村名になったという。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは集落の入口付近の空き地に停めました
 阿須賀(あすか)/新宮市阿須賀
  阿須賀神社付近に古民家
 平安時代からある集落です。平安時代後期の公家・藤原宗忠の記した『中右記』にも阿須賀が出てきます。また『平家物語』や『源平盛衰記』にも見られます。いま古民家は、阿須賀神社周辺に見られます。木造2階建ての棟割り長屋風です。 
 
▲阿須賀神社/世界遺産に追加登録 
 感動度★ もう一度行きたい度★★ 交通 JR新宮駅から徒歩20分