新潟市

鍋茶屋通(なべちゃやどうり)/新潟市中央区東堀通 
 鍋茶屋/鍋茶屋通の由来となった料理屋/弘化3年(1846)創業。スッポン鍋を名物にしたようです。
  羽目板張りは,雪の滑りをよくするために板を縦に張ったものと思われます。 
 ▲路地には旧妓楼など多くの
歴史的建造物が見られます
▲鍋茶屋通のほとんどが飲食店で,
夜の街です
羽目板張りの古民家群
 幕末期に創業した鍋茶屋が通り名の由来だとか。かつては東新道といい,一大遊郭でした。その後幾多の変遷を経て,現代の飲食店街に定着しました。板壁を注意深く見ますと,ほとんどが羽目板張りです。積雪と関係があるのでしょうか。 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 JR新潟駅から観光循環バスで本町下車徒歩8分
 
西大畑町(にしおおはたちょう)/新潟市中央区西大畑町 
白壁通 
旧伊藤家の別邸だった建物を博物館として開館。會津八一が晩年の10年間過ごしたところです   豪商齋藤家の4代・齋藤喜十郎が大正年間に建てた別荘。庭園と建物が一体となっている
▲北方文化博物館新潟分館  ▲旧齋藤家別邸/大正時代の建築 
料亭は江戸時代から続く行形亭。旧新潟刑務所は,現在公園になっています。  金井彌一が東京で写真の勉強をしたあと,明治20年(1887)に建てた金井写真館。現在は個人宅で非公開です。設計は中島泉次郞 
▲地獄極楽小路/旧新潟刑務所前  ▲金井文化財館/明治20年(1887)築 
近代建築が凝縮!
 江戸時代は牢屋敷が置かれ,明治にも刑務所として引き継がれた所。砂丘と松林に覆われた土地でしたが,別邸などの個人宅として急速に開発。洋館や近代建築が多く見られます。楽しい町並みです。 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 観光循環バスで北方文化博物館新潟分館入口下車徒歩10分
 
旭町通(あさひまちどおり)/新潟市中央区旭町通 
旭町通/新潟大学医学部のある文教地区 
新津記念館/昭和13年(1938)築。出雲崎町出身の石油王・新津恒吉が外国人用迎賓館として建てた西洋館です。   
▲新津記念館/国の登録文化財  ▲イタリアン(320円/みかづき) 
静かな文教地区
 新潟大学医学部付属病院に出入りするクルマの多さに驚きます。しかし静かな文教地区であることは,裏側に回ればわかります。丘陵上にある町で,都心からすぐの所。新津記念館など、木々に覆われた大きい建物が目に付きます。 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 観光循環バスで新津記念館前下車徒歩5分
 
湊町通(みなとまちどおり)/新潟市中央区湊町通 
湊町通 
   
▲旧第四銀行/国の登録文化財  ▲旧新潟税関庁舎/国の重要文化財 
   
▲石山味噌醤油/国の登録文化財  ▲ヒレかつ丼(640円/しおさい) 
かつての“税関通り”
 幕末は戊申政争の影響などで,開港がやや遅れたものの,各国の領事館も設置。新潟港の信濃川河口付近には,税関も設けられました。いわゆる運上所のことです。この運上所から新潟市内に入る通りを運上所通りと呼びました。その後も運上所市がたつなど、大いに賑わいました。いまの湊町通のこと。
 ところが当てにしていた外国船が,港の水深が浅く接岸できず,他の港に廻ることが多くなりました。信濃川の土砂の堆積が多いためです。そのうちに各国の領事館も去っていきました。今は商家や雁木のある古民家が少し見られます。 
感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 JR新潟駅から観光循環バスで歴史博物館前下車徒歩10分
 
下町(しもまち)/新潟市中央区上大川前通 
旧小沢家住宅/新潟市文化財。改装する前の小沢家住宅の写真を撮っていました。あまりの変わりように驚きました 
下町-2   
▲本町通は活気のある商店街  ▲景観を守るために見事に改装 
新潟市内にも古民家
 このあたりは空襲をのがれたせいか,古い町屋,商家,廻船問屋などの家々が点在しています。商店街のなかにも,よく見ると土蔵造りの店があったりして楽しい町です。
 上大川前通は1番町から12番町までありますが,番号の若いほうに銀行や証券会社など集中。11番町や12番町は住宅や商店が混在しています。
 下町(しもまち)という呼び方は,このあたりから信濃川河口の下流方面を指すとか。1軒で妻入りと平入が混在した建て物はそう多くはありません。また10年ほど前と比較しますと、景観が統一され、住民の景観守ろうという意思を感じます 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 JR新潟駅から観光循環バスで北前船の時代館前下車すぐ
 
十四番町(じゅうよんばんちょう)/新潟市中央区本町14番町 
長屋 
   らーめんたごさく/本町通12
▲裏道で見つけた旅館  冷し中華(580円・らーめんたごさく) 
もう遊郭の面影は見られない
 明治31年の大火で,新潟遊郭が全焼。その後,幾つかに分散してできた遊郭の一つです。通称“14番町”で知られ,旅館が軒を連ねていました。今では一般住宅に変身しており,往時の面影は見られませんが、古民家を見つけました。 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 JR新潟駅から観光循環バスで北前船の時代館前下車徒歩15分
 
沼垂(ぬったり)/新潟市中央区沼垂東 
沼垂/今代司酒造 
雁木のある商店街   金山小路/明治の初期の絵図から判明したそうです。
▲雁木のあるごく普通の商店街  ▲金山小路/金山作平の屋敷があった 
   戊辰戦争では新政府軍の本陣となりました。僧侶の愍生(みんじょう)はアゴが長かったそうです。
▲西尊寺/江戸期の塔頭が残る  ▲光照寺/新政府軍の本陣となる 
  龍は水に通じることから雨乞いの祈願所になりました。戊辰戦争では新発田潘の本陣 
▲沼垂朝市/衰退しつつあります  ▲龍雲寺/江戸期から雨乞い祈願所 
   うどんや/新潟駅地下のレストラン街にある朝の定食です。
▲白山神社/沼垂の総鎮守です  ▲和定食(500円・うどんや) 
発酵の食文化が残る
 南北朝時代からある歴史のある集落です。「のったり」とも言ったようです。江戸初期は,各藩の米蔵が集まり積出港として繁栄しました。ところが海岸の浸食が進み,集積地は次々と移転していったことから衰退。その後,堀の掘削工事などが行われましたが,次第に港の機能は失われたのです。その背後には長岡潘支配の新潟港と新発田潘支配の沼垂港の抗争があったといわれています。
 明治に沼垂駅が開業すると,一気に周辺の開発が進みますが,後に衰退。 いまは酒,味噌,納豆,醤油などの発酵食品の町で,かつては川沿いに蔵が並んだとか。 
感動度★★
 もう一度いきたい度★
 交通 JR信越本線新潟駅から徒歩20分
 
寺町(てらまち)/新潟市中央区西掘前通 
寺院群/眞浄寺 
西堀通3番町にあります。ダシが透きとおっています   
▲ラーメン(320円・こばやし)  ▲かき揚げそば(450円・新潟やなぎ庵 
今は28ヵ寺の甍が並ぶ
 永禄年間,すでに善導寺,長善寺,宝亀院,不動院が開基。さらに元亀・天正年間に眞浄寺などが開基しました。その後24ヵ寺と18の前寺,末寺が甍を並べ,明治初年の町名改正まで寺町と呼ばれていました。 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 JR新潟駅から観光循環バスで東堀通6番町下車徒歩10分
 
新津屋小路(にいつやこうじ)/新潟市中央区本町通 
 
にいがた人情横丁
 戦災復興のまっただ中、昭和26年(1951)に野菜など生鮮食料品を基本にした市場として発足。江戸時代は新津屋小路掘と呼ばれ、信濃川からの水運を利用して、野菜が運ばれたそうです。現在、飲食店を含め38軒が並びます。通称・人情横丁。 
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR新潟駅からバスで古町下車、徒歩5分
 
上古町(かみふるまち)/新潟市中央区古町通 
上古町商店街 
古民家を生かした店舗が並ぶカミフル
 同じ古町通りでも地域差が生じ,白山神社寄りの1番町~4番町は,空き店舗などができ寂れていました。そんなとき大学研究室などと提携,若者たちを中心とした個性的な店舗がオープンしました。通称“カミフル”として全国に発信。古民家を改造したオシャレな店や各種イベントが登場しました。 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通
 JR新潟駅から観光循環バスで白山神社前下車徒歩3分 
内島見(うちしまみ)/新潟市北区内島見 
 
   
▲内島見仁王堂/国の登録文化財  ▲新発田街道は集落の中央を通る 
木崎宿は新発田街道沿い
 江戸時代、新潟を舟で出て木崎から陸路で新発田に向かいました。そのため木崎は交通の要衝でした。十返舎一九や吉田松陰は、木崎に宿をとっています。いま、街道沿いや裏通りにわずかに古民家が残ります。  
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR新潟駅から新発田行きバスで木崎中学校前下車徒歩3分
 
葛塚(くずつか)/新潟市北区葛塚 
 
「葛塚市」沿いに点在
 江戸時代初期、大部分が阿賀野川自然堤防上に立地した寒村でした。つまりほとんどが荒れ地だったのです。当時、新発田藩が積極的に干拓事業を行い新田開発に力を入れました。葛塚をはじめこのあたりの村は福島潟の干拓によってできたのです。そのため交通も水路を利用した船運が中心。しかし大正時代に入ると鉄道やバスが運行されると船運も衰退。
 いま毎月「葛塚五・十の市」が開催され140軒前後の店舗が並びます。地元産の“豊里とまと”や“やきなす・丸なす”は人気。古民家もそんな「葛塚市」に沿って見ることができます。 
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR白新線豊栄駅から徒歩7分
 
嘉山(かやま)/新潟市北区嘉山 
 
   
▲DHC小黒酒造/創業明治41年   ▲古民家を生かしたレトロカフェ 
切妻型真壁が見られます
 福島潟干拓の結果、多くの村が誕生しましたが嘉山村もその一つ。江戸時代末期、相次いで酒造業が誕生したのも、新潟への水運拡充、新発田への道路整備があったからです。交通の要で、在郷町として発展。古民家は1丁目付近に集中。 
感動度★★
 もう一度行きたい度★★
 交通 JR白新線豊栄駅から徒歩12分
 
松浜(まつはま)/新潟市北区松浜 
 
裏道にも古民家が見られます
 日本海と阿賀野川に面し、江戸時代から水上交通の要衝でもありました。当然、人も集まり水産物も集まります。だから漁業の町・漁村でもありました。また漁師はもちろん農家も海産物、農産物などを持ち寄り市場が開けたのです。最盛期には現代の倍くらいの賑わいだとか。で、現代は「松浜二・七の市」と称して、毎月6回松浜本町の新屋敷通り、約400mにわたって約100店の露店が並びます。鮮魚、地場野菜が中心です。特に名物は“八つ目ウナギ”、“シジミ”、“鮭”だそうです。市のない日に訪れたため、まったく静かな町で、通行人さえあまり見かけません。商店街のなかほどに「松浜こらぼ家」という無料休憩所(写真・左端の建物)があります。古民家を再生したものです。さらに裏通りを行きますと、板壁の破風のある木造家屋が幾つも見られ、なかなか楽しいものです。 
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 クルマは空き地に停めました
 
亀田本町(かめだほんちょう)/新潟市江南区亀田本町 
 亀田本町
蔵造りの商家が散見
 旧亀田町。元禄5年(1692),当時の名主・村木善右衛門が新発田潘に町割普請を願い出ました。ところが,普請中に大亀が1匹出てきたので,それまでの中谷内新田を,将来の発展のために,郡奉行が亀田に改称。その後埋め立てなどが進み,交通の要衝となり,物資の集散地となりました。近代になって県内各地の金融機関や商人が進出。本町は中心地。
 いまは蔵造りの町屋や雁木と共に並んでいますが,改装,改築が進んでおり,かつての面影は失われつつあります。それでも通りの反対側から見ると、蔵造りの商家の様子がわかる。 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 JR信越本線亀田駅から徒歩15分
 
袋津(ふくろづ)/新潟市江南区袋津 
袋津の迷路。最初は広いのですが,そのうちクルマも通れない狭い道に入っていきます 
“迷路度”は第一級でした
 信濃川水系で小阿賀野川下流域の右岸に広がるところです。地名の由来は,かつて太古袋のような地形の湾に臨んだ港があったことからとか。
 ところで日本各地は“迷路の町”がたくさんありますが,ここはとびっきりの迷路。最初はクネクネとしていても,広い道幅でした。ところが右に左に曲がっているうちに,路地になり完全に迷いました。地図を見ていても迷うのです。古民家はそれほどありませんが,板塀のある家並みは似ています。帰りの時間も気になって、ホント焦りました……。ところで、“迷路”を町おこしの材料に使うのも、意外におもしろいかもしれません。 
感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 JR信越本線亀田駅から徒歩25分
 
 沢海(そうみ)/新潟市江南区沢海
 
   
▲北方文化博物館/旧豪農・伊藤家邸宅  ▲大栄寺/沢海藩主の菩提寺 
旧家を思わせる家屋があちこちに見られます
 江戸時代は新発田藩初代藩主・溝口秀勝の次男・溝口善勝が1万4000石で立藩。沢海村に陣屋を置き、旗本・小浜氏の知行となりましたが、小浜氏もココに陣屋を置きました。村高は300石余と少なく、幕府代官・設楽孫兵衛が市を立てて、村の繁栄を図ったがうまくいかなかったとあります。沢海の発展で欠かせないのが庄屋・伊藤家です。特に幕末から明治にかけて、土地を集積し大地主となり、ますますその力は肥大化していきました。現代は北方文化博物館になっています。集落を歩いて見ますと、北方文化博物館や大栄寺の広大さはさておき、旧家を思わせる建物が散在しています。明治42年に大火があり、大部分の建物はその後のものです。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 クルマは大栄寺の駐車場に停めました
味方(あじかた)/新潟市南区味方 
 
   
▲旧笹川家住宅の白壁の倉庫群/国の重要文化財江戸末期の建築   ▲諏訪神社/拝殿は江戸時代初期築と推定・県の重要文化財指定 
笹川家住宅の周囲に散在
 江戸時代は村上藩領で、旧味方組8か村を束ねる大庄屋が笹川家。藩から年貢の取り立て、警察、裁判権を与えられていました。市内の通勤圏にあるなかで、笹川家住宅付近に古民家が散在。古くは「味潟」と書いたとか。 
感動度★★
 もう一度行きたい度★★
 交通 クルマは旧笹川家住宅の駐車場に停めました
 
月潟(つきがた)/新潟市南区月潟 
 
角兵衛獅子の里
 歌手・美空ひばりファンならご存じかもしれません。映画『とんぼ帰り道中』で角兵衛獅子を演じて『越後獅子の唄』を歌った舞台がココなのです。「角兵衛獅子の里」として売り出しています。鉄道跡の遊歩道や歌碑、美空ひばり像などもあります。
 月潟商店街を歩きますと、各電柱に「角兵衛獅子の里」のプレートが目に付きます。天明年間(1781-89)には75軒が従事し、各地を回っていました。
 古民家は商店街のあちこちに板壁の町家、土蔵などが見られます。おしゃれな地名は、散在した潟沼が月に似ていたからとか。 
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 クルマは道端に停めました
 
新飯田(にいだ)/新潟市南区新飯田 
 
   
▲円通院/境内に良寛と有願の像  ▲表通りは雁木が続きます
円通庵周辺に古民家
 中ノ口川河畔の水運の基点、白根・吉田方面から三条に至る宿駅として町場を形成。江戸末期には、生肴、干物、塩物が行き来しかなり繁栄しました。また水害の発生で困窮者も多く出たのも事実。円通庵の僧・有願は良寛の親友で二人の像がある。 
感動度★
 もう一度行きたい度★★
 交通 クルマは道端に停めました
 
 本町(ほんちょう)新潟市秋葉区新津本町
 
あちこち点在する古民家
 江戸時代から続く宿場町。もともと本町と横町の二つに分かれていました。その後本町は上町、下町に分かれたそうです。昭和に入って幾つかの町が合併して、本町が復活しました。その意味から歴史のある町名というわけです。で、このあたりはまさに新津駅周辺での繁華街にあたります。飲食店が集中しており、今では夜の町といった感じがします。古民家は多く見られますが、点々と散らばっており、町並みとして連なってはいません。 
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR信越本線新津駅から徒歩5分
 
新町(しんまち)/新潟市秋葉区新町 
 
   
▲「新津町遊郭」と呼ばれた地域も、いまは静かな古い町を形成 
かつて石油開発で弦歌紅灯、酒池肉林の世界が誕生!
 江戸時代は宿場町・新津の6町の一つでした。いわば宿場の発展拡大にともない新しく設けられた町場なのです。それが新町の由来です。北國街道の脇往還として発展したのですが、料亭、妓楼が軒を連なる一大花街でした。明治に入って宿場制度が廃止になり、花街も一時的に落ち込みました。しかしその後の石油開削にともなう莫大な利益を背負った豪商、開発業者、政治家などが入り乱れて豪遊を重ねて、新町はまさに百花繚乱、弦歌紅灯、酒池肉林の場となったのです。
 新津川を渡り、左右の堤防沿いの狭い道を歩きました。3階建ての旧料亭、長屋風の貸し座敷などが点在。もう昔の面影は見られません。いまは鉄道の町として注目されています。 
 感動度★
もう一度行きたい度★★
交通 JR信越本線新津駅から徒歩で15分
 小須戸(こすど)/新潟市秋葉区小須戸
小須戸の町並み 
小須戸の町並み   小須戸の町並み
▲格子のある大戸と雁木が特徴  ▲明治時代の商家を残す 
   
▲下中野小路/中野家の敷地だった  ▲町屋ギャラリー薩摩屋/公開中 
連続した町屋が見られる
 長岡潘領で,信濃川の河川港として発展しました。舟運組織が作られ,150俵積の大船が3艘あったとか。明治に入っても蒸気船が就航するなどの要衝となりました。しかし明治に入って相次ぐ大火で焦土と化します。つまり現在の建築物は,明治34年大火以降の建物です。これだけの古民家群が残されているのも,幹線交通網から外れたことが幸いしました。
 連続した町屋の町並みが見られるのは,新潟市内ではココだけ。2階のガラス雨戸と戸袋のデザインに注目。ガラス雨戸っていいですね。この日は休館中の町家ギャラリーをわざわざ開けていただきました。 
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 JR信越本線矢代田駅からバスで小須戸1丁目下車すぐ
 
大鹿(おおじか)/新潟市秋葉区大鹿 
 
   
▲吉田家住宅/国の登録文化財   ▲裏道や横丁にも古い町並み
国道460号線沿いに
 江戸時代は柴田藩領。元和年間(1615-1624)、下級武士10人が帰農して開墾。幕末には家数150軒、酒造、味噌造、大工、医師などいろいろな職業の村民が誕生したとか。国道460号線沿いと裏道に古民家が広がります。旧名主ら豪農が見られます。 
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR信越本線新津駅からバスで大鹿下車すぐ
  
古田(こだ)/新潟市秋葉区古田 
 
旧名主の大型農家が点在
 古くは古田(こんだ)を再開発したことから古田(こだ)に転訛したという地名の由来があります。江戸時代、主に新発田藩領で、藩命で新田を開発したことから新田と名の付く地名が多いですが、この地も古田新田と呼びました。能代川沿いの平地ですので、水利がよく豊かな農村地帯へと発展。また幕末から明治初期にかけて、意外にも櫛(くし)の生産が行われ、近隣に出荷されていました。
 町を歩いていますと、旧名主と思われる大型の農家が点在しており、国道460号線沿いに見られます。家紋の付いた土蔵が印象的です。  
 感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR信越本線新津駅から区バスで古田2丁目下車、徒歩10分
朝日(あさひ)/新潟市秋葉区朝日 
 
   
▲農協石造倉庫(昭和17年築)  ▲朝日川沿いに立つ住宅 
古民家の減少が著しい
  古くは旭村といいました。地名の由来は集落内に旦飯野(あさひの)神社があり、その名が転訛したとか。ところで農村集落ですが、普談寺は観音霊場として知られ、近郊近在からの参拝者が多かったとか。いまは新潟市内への通勤圏でもあり、古民家の減少は著しい。 
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR信越本線古津駅から徒歩7分
 
西島(にしじま)/新潟市秋葉区西島 
 
村落の原型・塊村が見られます
 拡大した地図を見て、ひと目で典型的な塊村(かいそん)とわかりました。ひとかたまりになっていて、集落の外側は田畑になっています。塊村内には社寺、井戸などの水源もあります。名主は田中家で世襲だったとか。
 塊村は自然発生的に形作られたので、ほとんどが迷路状態です。実際に村内に一歩踏み入れると何やら異境の地に迷い込んだ感じ。土蔵や板壁の民家、真壁の美しい意匠、植栽にも目が届いています。塊村の状態がほとんど崩れずに残されているのは珍しい。なお真宗大谷派の蓮徳寺には、黄檗版一切経3563巻があり市の文化財。 
感動度★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 JR信越本線古津駅から徒歩18分
 
東島(ひがしじま)/新潟市秋葉区東島 
 
古刹・妙蓮寺周辺に散見
 隣の西島から江戸初期に分離独立。新発田藩領でしたが、後期から幕府領。村高は100石前後で、農閑期は炭や柴を町場で販売。古刹妙蓮寺の参道は、途中信越本線が横切る。踏切には警報装置がないので注意。古民家は妙蓮寺周辺に散見。  
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR信越本線古津駅から徒歩15分
 
古津(ふるつ)/新潟市秋葉区古津 
 
金津川に沿って古民家
 信濃川の右岸の丘陵地にあります。歩いていますと坂道が続きました。その後下ったあと金津川に沿って歩きますと、古民家が見られました。一部は廃屋になっていました。しかし全体として現代の住宅が多く、新潟市の郊外住宅の役割を果たしているようです。
 かつて内湾に臨む船着き場で、古い湊(津)でした。地名は新しい湊「新津」に対しての意味を持っています。江戸時代の初期は新発田藩領でしたが、その後は幕府領となりました。村高は300余石、金津川からの取水で、比較的恵まれた地勢だったといえます。 
 感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR信越本線古津駅から徒歩10分
 
割町(わりまち)/新潟市秋葉区割町 
 
旧家の面影が感じられる
 金津川に沿って歩いていますと、典型的な農村風景が広がっています。田畑が広く、戸建ての面積も広い、旧家の趣が感じられます。江戸時代初期は新発田藩領、中期から幕府領となります。石油は江戸時代初期から採掘されていましたが、そのことで幕府領となったのでしょうか。村高は80石弱と小さく、わずかな田畑で生活。石油の恩恵は少なかったとか。
 地名の由来は、鎌倉期金津氏のころ商人町の形態をなしたからという説。また村人たち共同開墾で、土地を平等に割り当てたことから、という説が有力。新潟県は“割”の付く地名が多い。 
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR信越本線古津駅から徒歩20分
 
 金津(かなづ)/新潟市秋葉区金津
 
   
▲土壁の古民家も点在します  ▲中野邸記念館/建築や美術品が多数 
旧道沿いに古民家が点在
 日本の石油王といわれた中野貫一・忠太郎親子の旧宅です。石油は江戸初期から採掘が行われていました。採掘量は微々たるものですが、明治期に本格的に始まりました。いまは旧道に沿って、土蔵や真壁造りなどが見られます。  
感動度★
 もう一度行きたい度★★
 交通 JR信越本線古津駅から区バスで金津・石油の里前下車すぐ
 
稲島(とうじま)/新潟市西蒲区稲島 
稲島宿/北國街道 
切妻破風の意匠に感動
 意外にも古民家がまとまっていることに気がつきました。また道幅が狭く,特にL字型に屈折した街道ではクルマの運転に気を付けることを除けば,宿場町らしい雰囲気を持っていました。
 この地も他の領地と同じく,多くの領主が統治し,そのまま幕末を迎えたのです。また北國街道沿いで,弥彦神社と新潟との中ほどにあたり,間宿として多くの参拝客で賑わったようです。ただ旅籠や本陣などがあったといの記録はありません。それにしても白壁の土蔵や大型の切妻破風の意匠、さらに真壁と板壁の組み合わせの美しさに感動しました。 
感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは空き地に停めました
 
福井(ふくい)/新潟市西蒲区福井 
福井の集落 
   
▲真壁造りや板目の壁が美しい  ▲佐藤家民俗資料館/旧名主でした 
美しい真壁造りが散在
 もともと地元では“ホタルの里”として知られています。格子状の柱と白壁の美しい組合せの真壁造りが散在。旧北國街道の南側に細い道が比較的碁盤の目状に通り,美しい街並みを形成しています。この辺りは、越後でも最も早く開けた地域です。 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは佐藤家民俗資料館前広場に停めました
 
和納(わのう)/新潟市西蒲区和納 
和納 
伝統的な意匠の町家
 戦国時代から続く歴史のある村でした。上杉家が会津に移封されたあと,江戸時代は越後の各小藩の領主は絶えず入れ替わっていますが,この旧岩室村和納地区も同じです。逆にいえばコロコロ替わる藩政と距離を置き、自らの力で活動する商人たちが見られます。
 集落の南北を貫く西川は舟運の要衝で,右岸域にある和納は中継点でもありました。そのため物資の集散地となって,町が発展したと思われます。今は少なくなりましたが,雁木のある切り妻屋根のある町家があちこちに残されています。伝統的な意匠の真壁が美しい。 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 クルマはJA越後中央和納支店駐車場に停めました
 
岩室(いわむろ)/新潟市西蒲区岩室温泉 
岩室温泉/北國街道 
  高島屋/江戸後期の特徴を残しています。ほかに旧米蔵,土蔵も文化財として登録されています。 
 ▲北國街道沿いの古民家群 ▲高島屋/国の登録文化財 
北國街道沿いの温泉街
 旧岩室村。閑散期に訪れたせいか,静かな温泉街でした。北國街道の宿場町でもあります。正徳3年(1713)に温泉業が正式に認可。切り傷,打ち身に効能ありとして,江戸後期から越後を代表する温泉になりました。今は新潟市の奥座敷だとか。 
感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 JR越後線岩室駅からバスで岩室下車徒歩5分
 

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