大阪府の古い町並み

大阪府
                                        大阪市はココから

宿野(しゅくの)/能勢町宿野
能勢町宿野 田園風景が見られる
 大阪にもこんなド田舎があるのかと感心します。「大阪のチベット」という人もいます。バスも1時間に1本,多くて2本という土地柄。能勢町には新緑,満天の星空,紅葉,桜,ホタルなど自然環境に恵まれた風景を見ることができます。
 宿野のバス停から一庫大路次川(ひとくらおおろじがわ)沿いに歩き,宿野大橋を渡るとそこは久保地区に入り,入口に毘沙門堂(写真左)が目に付きます。かつてこのあたりは茅葺き屋根の民家が建ち並んでいたところですが,いまはスレート葺きに変わっており,静寂な田園風景が見られる所です。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 能勢電鉄山下駅からバスで宿野下車徒歩15分
 山田(やまだ)/吹田市山田東
  板張りの古民家群
  旧山田村。歴史のある町です。古代、中世の遺跡や古墳から多くの遺物が発掘されています。また大和(奈良県)の春日社の所領でもありました。また勝尾寺の支配下にあった時期もあります。そのためか、今でも寺院が多いいのが特徴。江戸時代は、幕府、旗本などの支配下にありました。これは交通の要衝、北部の守りの重要性などを考えてのこと。
 山田川に沿った町並みです。戦前からの建物が多く、板塀、板壁の町家、白壁の土蔵が多く見られます。長屋門のある旧庄屋、トタン葺きに改築した旧豪農など、古民家がギッシリ。 
   
 ▲長屋門も改築、増築されています ▲ 壁板は縦に張った羽目板張りが特徴です
 感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 大阪モノレール山田駅から徒歩25分
南高浜(みなみたかはま)/吹田市南高浜町
南高浜 大阪都市景観建築賞
 住宅内に入ると,ひときわ目立つのが黒く鋭利な二重の大きな屋根を持つ,いわゆる冑造りの建物が目立ちます。江戸時代の庄屋を再生した「浜屋敷」です。周辺も板塀のある古民家が続きます。大阪都市景観建築賞奨励賞を受賞。
▲高濱神社/地元の守り神です
南高浜 蔵なども残っています
▲背の高い羽目板張りが目に付きます  ▲旧庄屋と思われる蔵のある大きな屋敷です 
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 車は広い道で停めました
内本町(うちほんまち)/吹田市内本町
このあたりは旧庄屋が数軒あります 庄屋,豪農の面影が残る
 幕府は大坂との位置関係からかこのあたりを最重要視し,一貫して幕府,譜代大名,旗本らによって占められていました。特に吹田南部のこのあたりは,交通の要衝であったことから北部以上に,巨大な領主支配を防ぐための仕組みを講じていたのでしょう。
 平成21年(2009)に旧西尾家住宅が重用文化財の指定になりました。旧庄屋ですが,このあたりには庄屋が5〜6軒あったようです。5km四方で3200石の米が獲れたといいますから,豪農も多かったのです。歩いていて気がつきますが、豪壮な家の多さに驚きます。
軽〜く迷路になっています 内本町
▲江戸時代のままの地割りになっています  ▲長屋門に玄関をつけるなど改築されています 
旧西尾家住宅
▲旧西尾家住宅(重要文化財) ▲ホリデーランチ(2079円・神戸屋R) ▲きざみうどん(350円・駅うどん)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR東海道線吹田駅から徒歩15分
片山(かたやま)/吹田市片山町
旧名主と思われるN邸 板塀の続く迷路の町並み
 千里丘陵を背後に控えており「片方だけ山がある」というのが地名の由来とか。江戸時代からの農村地帯で、迷路になっているのは,地割りにあまり変化がなかったというべきです。土蔵や板塀の続く町並みで、駅から至近距離です。
▲板張りの塀や家屋が多い
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 JR東海道線吹田駅から徒歩6分
岸部(きしべ)/吹田市岸部中
岸部の町並み 美しい羽目板張りが続く
 旧石器時代から縄文時代にかけての数多くの集中的に発見されている歴史のある町(岸部北)です。中世、近世は吉志郎(きしべ)と書いていました。江戸時代は高槻藩領。
 岸辺駅のすぐ近くに,これだけの歴史的建築物が残っているのはうれしい限りです。歩いていて気がつくのは,板を縦に張った羽目板貼りの美しさです。手入れの行き届いた板貼りは,町の美観に大いに貢献します。これは岸部だけではなく,摂津地方全体にいえるでしょうか。
 漆喰塗りの白壁との組合せ,さらに高フ植栽も加わって,町歩きを楽しくさせてくれます。
長屋門
▲野口家住宅/重厚な長屋門 ▲旧中西家住宅/市の文化財 ▲大光寺/太子館は国の登録文化財
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR東海道線岸辺駅から徒歩8分
池田(いけだ)/池田市綾羽
池田市 造り酒屋を中心に形成
 江戸時代は諸街道が集まる交通の要衝で,しかも物資の中継地として賑わいました。特に酒造業は明暦3年(1657)には42軒が記録に残っています。古い町並みはこれら酒造メーカーを中心に形成されており、よく保存されています。
▲稲束家住宅(国登録文化財)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 阪急電車宝塚線池田駅から徒歩10分
室町(むろまち)/池田市室町
室町 最古の郊外分譲住宅
 明治43年(1910)に阪急電鉄(当時箕浦有馬電気軌道)が日本で最初に開発した郊外分譲住宅です。2万7000坪,200戸の規模でした。交通にも便利で自然環境も優れていました。しかも当時,各戸に電灯と水道を供給した理想的な住宅地でもありました。さらに文化的,社会的な施設も建設されています。
 歩いていますと,1戸あたりの面積が大きく,かなりゆったりと建てられています。ほとんどが建て直されており,かなりの高級住宅地としての風情を保っています。地名の由来は、呉織姫(くれむろ)・穴織姫(あやむろ)という塚が「室」になったとか。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 阪急宝塚線池田駅から徒歩10分
箕面(みのお)/箕面市箕面
箕面 一の橋付近に古建築
 箕面駅から箕面大滝(落差33m)に至る滝道は,箕面川の渓流に沿って,春の新緑,秋の紅葉と観光のスポットです。一の橋付近には明治43年建築の旅館を改装した橋本亭があり,多くの観光客で賑わっています。“猿”も有名です。
もみじの天ぷら
▲もみじの天ぷら(70g300円)
箕面 箕面
▲明治43年に建てられた旅館。現在一時休業中  ▲かつては茅葺きであったと推定します 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 阪急箕面線箕面駅から徒歩20分
萱野(かやの)/箕面市萱野
萱野三平宅 参勤交代の要衝
 古くは栢野とも書きました。旧西国街道沿いの集落です。江戸時代は参勤交代の大名が行き来する要衝。萱野家は鎌倉時代は領主でもあり,子孫の三平は赤穂浪士の一人でした。
 大阪府の史跡に指定され,萱野地区は大阪都市景観建築賞を受賞するなど、美しい町並みを形成しています。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 道の広いところに停めました
桜ケ丘(さくらがおか)/箕面市桜ケ丘
桜ヶ丘 大正末期の分譲住宅
 元もと大正11年(1922)住宅改造博覧会が開催された住宅地です。大正デモクラシーの影響で,住宅改善運動が高まるなかで,新しい生活様式を提案した洋風住宅25戸が建設,分譲されたのです。当時としてはかなりオシャレですが奇異に映ったと思われます。一般には桜ヶ丘住宅と呼ばれていました。
 80年以上たった今でも数軒が現存しています。美しく手入れされた生け垣,自然石の石積みや側溝など往時を偲ばせます。大阪まちなみ賞受賞,さらに箕面市景観形成地区に指定されています。ゆるやかなカーブに沿った美しい町並みです。 
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 阪急電車箕面線牧落駅から徒歩10分
百楽荘(ひゃくらくそう)/箕面市百楽荘
百楽荘 近代木造住宅群
 桜井地区より15年ほど遅れた大正14年(1925)から関西土地(株)が開発した住宅地で,当初は新桜井経営地といいましたが,翌大正15年に百楽荘と改名しました。
 路肩を御影石で舗装,通りの入口には碑を建てています。両側の宅地では,自然石を積み上げた石垣に,獄Lかな植栽との組み合わせが落ち着いた感じになっています。開発当初から,セットバックし,道路を広くとるのは先見性か。閑静で上品な町並みは,90年近くたっても保全されています。
 大阪都市景観建築賞受賞しました。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 阪急電車牧落駅から徒歩7分
桜井(さくらい)/箕面市桜井
桜井 明治末期の分譲住宅
 箕面有馬電気軌道(現・阪急電車)が池田市の室町に次いで明治44年(1911)に開発された分譲住宅地です。西国街道から箕面川付近まで,街路を碁盤の目状にした約5万5千坪の街並みは,1世紀たった今も環境が保存されています。日本で2番目に歴史の古い分譲住宅地です。ただ大半の住宅は現代的な住宅に改造されています。
 土蔵や板塀の続く閑静な街並みは春の桜の開花期は見事ですが,最近では桜の老化が目立ち,保護に力を入れているそうです。土蔵や薬医門などが残っているのは、他の分譲地にはない特色です。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 阪急電車箕面線桜井駅から徒歩5分
 永楽荘(えいらくそう)/豊中市永楽荘
  近代木造住宅が点在
 豊中市の北部に位置する高級住宅地です。箕面市の桜井や百楽荘などと隣接していますが、永楽荘は丘陵地のため本格的な開発は戦後になってからでした。誕生当時、街路樹として植えられ、住民に育てられてきた桜並木が咲き誇る景色は見事です。さらに生け垣や植栽なども、住民の手で守られています。そこで豊中市景観協定地区の第1号となり、町並みが守られています。
 ただ、国道171号線からは、急坂を上らなくていけないため、クルマがないと高齢者にはきつい。近代木造和風住宅も点在しており、落ち着いた町。
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 阪急電車箕面線桜井駅から徒歩25分
郡山(こおりやま)/茨木市宿川原町
郡山宿の本陣 浅野内匠頭も宿泊
 古くは高峰里山(こおりやま)とも書いたとか。京都と西宮を結ぶ旧西国街道沿いには5つの宿場があります。郡山宿はその真ん中にあります。本陣(写真)は,大名のほか宮家,公家,僧侶などによく利用されたそうです。その御成門(おなりもん・正門)の脇にあった五色の椿から「椿の本陣」とも呼ばれています。母屋は約290年前に再建されており,入母屋造りで本瓦葺きになっています。
 残された宿帳には,諸大名や赤穂城主・浅野内匠頭,明治天皇の名前が見られます。昭和23年(1948)12月に国の史跡に指定されています。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 車は道端に停めました
総持寺(そうじじ)/茨木市総持寺
総持寺/狭い路地が続く ぎっしり詰まった古民家群
 文字通り寺名が町名になっています。江戸時代は幕府から石高を与えられており,かなりの力があったようです。総持寺周辺は,迷路のような路地の両側に,下板張りの古民家が立ち並んでいます。
西国33カ所22番札所で,創建は元亀2年(1571)で豊臣秀頼が再建しました
▲慶長8年に再建された総持寺
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 阪急電車京都線総持寺駅から徒歩10分
上泉(かみいずみ)/茨木市上泉町
上泉町 まだまだ古民家が残る
 明治期に開通した茨木街道沿いの集落です。かつては東西に走る西国街道,南北の亀岡街道に接続しており,交通の要衝でした。いまは格子窓や虫籠窓,土蔵など,古民家が多数残る静かな住宅地です。
▲茨木街道沿いの旧北市場町付近
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 阪急京都線茨木市駅から徒歩15分
 安威(あい)/茨木市安威
   ●茨木街道(支線)沿い
 古文書や典籍によって阿為・安井・藍・阿井とも書いています。安威川の右岸一帯に広がる土地で、安威郷とあるので名付けられたといいますが、藍を栽培していたところから命名したという説もあります。また中臣氏系の藍氏がいたところでもあります。中世には安威荘と荘園名として記録。江戸時代は交通の要衝であるところから、幕府領、旗本領。
 一歩足を踏み入れると、古民家群のど真ん中にタイムスリップしたような感じ。明治時代からの建物が多く残っており、長屋門や白壁の土蔵などの商家、旧庄屋が見られます。
   
 ▲黒塗り壁の長屋門のある旧庄屋 ▲ 茨木街道(支線)沿いにも多くの古民家が見られます
 感動度★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 阪急京都線茨木市駅からバスで塚原口下車徒歩5分
富田(とんだ)/高槻市富田町
大きな寺社が多い
 16世紀中ごろ教行寺を中心に寺内町として栄えました。その後普門寺などの名刹も建立され,今でも静かな佇まいを見せています。さらに江戸時代初期は,紅屋を中心とする酒造業が盛んになりました。しかし江戸中期ともなると,池田,伊丹,灘などの酒造場に押されて衰退していきます。現在では2軒の酒蔵が伝統を守っています。
 普通の住宅地から突然,切妻造り,漆喰塗りの虫籠窓,格子窓の続く町並みに遭遇します。地元では「歴史の散歩道・町家・酒蔵コース」として整備しています。週末には、多くのハイカーで賑わいます。
富田 富田
板張りと漆喰を組み合わせた蔵も多い  ▲板張りの古民家が縦横に見られます 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 阪急京都線富田駅から徒歩10分
芥川(あくたがわ)/高槻市芥川町
芥川宿 古い町並みが少し残る
 西国街道は京都(伏見)から山崎,芥川を経て西宮で山陽道とつながります。文字通り,西国に直結する街道ゆえに,多くの大名に利用されました。芥川宿は17世紀にはじめに宿場として整備され,本陣,伝馬などが置かれ,旅籠も多くありました。
 近年,鉄道開通後,駅(JR高槻駅)から近いことから,古い町並みが年々衰退し,多くの町家,旅籠などが消えていきました。いまでは中2階建て漆喰塗りの虫籠窓,格子窓のある切妻造りの伝統的な町家が,若干残されています。地名の由来は、阿久刀(あくた)神社の転訛説などいろいろ。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはコンビニに停めました
梶原(かじわら)/高槻市梶原
梶原 西国街道沿いの集落
 古くは楫折(かじおれ)とも竦ワ(かいおれ)とも称したとか。京を出発して西宮の山陽道とつなぐ西国街道沿いの集落です。相国寺の高僧・瑞渓周鳳は山崎宿で食事をして,梶原を経由して有馬温泉に出かけたとか。
 地図を見るとわかりますが,名神高速,新幹線,東海道本線,阪急電車,国道171号線が狭いところに集中しており,まさしく交通の要衝でもあります。逆に言えばこれら交通幹線から取り残された地域だからこそ、ここの集落が残ったといえます。
 狭い道路を歩きますと,板塀や土蔵のある町家が残されています。ホントに田舎町です。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
上本町(かみほんまち)/高槻市上本町
繁華街の近くに城下町
 高槻城城下町の中心地・本町の上手にある所から名付けられました。ほとんどが住宅地として発展していますが,所々黒漆喰の商家など豪商らしき建物も見られます。駅前の繁華街を離れると,そこは寺院や商家,土蔵,板塀など城下町の趣が見られので散策コースが至近距離。。
▲モーニングセット(310円・ミスタードーナッツ)
▲本行寺とその周辺は小規模な寺町を形成(大手町) ▲城北町もところどころ城下町の名残が見られます
JR高槻駅前の商店街にあります
▲光松寺/永禄年間に場内から移転 ▲理安寺/城主・松平家の菩提寺 ▲ハイカラうどん(210円・八興)
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 阪急京都線高槻市駅から徒歩10分
守口(もりぐち)/守口市本町
守口宿 “堤防上”の宿場町
 京街道守口宿を歩くと気がつくのは,街道だけが高台になっているのです。これがいわゆる文禄堤です。秀吉が伏見城と大阪城を結ぶ最短距離の道として,文禄5年(1596)に毛利家,小早川家,吉川家に三家に命じて淀川左岸の堤防を改修・整備した27kmの堤です。しかしいまは度重なる改修で姿を消し,本町あたりの約700mに面影が見られます。つまり堤防の上に宿場町があるといえるでしょう。
 虫籠窓のある商家,白壁の土蔵,古民家を利用したレストランも見かけます。古くは森口と書いたとか。地名の由来は、この地に森林があり、その入口にあたるのにちなむそうです。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは100円パーキングに停めました
枚方(ひらかた)/枚方市堤町
枚方宿 京,大坂の中間で大発展
 大坂−京の中継地として三十三石船が立ち寄ったところです。年貢米,各種商品作物の集散地で大きく発展しました。宿場は延長1.5kmに及び,問屋,本陣,脇本陣,旅籠,茶屋,町家などがぎっしり。
▲目玉焼き朝食(420円・やよい軒)
枚方宿
▲格子の美しい町家が軒を並べます  ▲ 江戸時代は商人や物資の集散などで賑わいました
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 車は100円パーキングに停めました
御殿山(ごてんやま)/枚方市御殿山町 
 渚の院がその後荒廃し、十一面観音を本尊とする渚院観音寺(真言宗)を建立。しかし明治3年廃寺となり、本尊は西雲寺、本堂は和田寺に移された。 蔵が至るとこに残る
  地名の由来はいくつかあるようです。有力なのが、平安時代、文徳天皇の皇子・惟喬(これたか)親王が用いた別荘が「渚の院」といわれ、風光明媚なこの地にありました。立太子争いに敗れ、在原業平らと遊猟して憂いを晴らしました。後鳥羽上皇も泊まったとか。小高い地にあった所から渚山(現・御殿山)といったとか。京阪電車はこちらの説を採用。もうひとつは秀吉が側室・乙御前のために御殿を建てたという説。
 京街道沿いの集落で、京阪電車もほぼ街道に沿っています。妻入りの町家も見られますが、板張りの蔵が多く残る。
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 京阪電車御殿山駅から徒歩8分
茄子作(なすづくり)/枚方市茄子作
茄子作 集落全体が古民家
 交野市の山間部から淀川に向けて流れる天野川左岸の台地にある小さな集落です。古くは石清水八幡宮の支配下でもありました。江戸時代は,規模の大きな枚方宿への人馬の応援する助郷に指定されてもいました。
 地域の守護神でもある春日大社を中心に落ち着いた町並みを形成していますが,それにしても驚きました。単に道路の両側に古民家があるだけではなく,集落全体が古いのです。横道に入るとまるで迷路。
 なお地名の由来は、古くからナスの名産地だからという説がありますが、よくわかりません。
茄子作 茄子作
▲静かで落ち着いた町並みを形成しています  ▲長屋門や土蔵、板塀のある旧家が目に付きます 
茄子作 春日神社
▲土塀や白壁などが続く集落です ▲この日は春日神社の祭礼でした 
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★★ 交通 クルマは春日神社の駐車場に停めました
 招提(しょうだい)/枚方市招提元町
   ●迷路がいっぱい古民家群
 安土・桃山時代、招提寺(現、敬応寺)を中心に寺内町が形成されました。ため池を造り用水を引き、土塁、堤を築き、木戸を設けたのです。しかし寺内の人々は山崎の合戦に津田氏とともに参戦。ところが味方したはずの明智光秀が敗れたため、寺内町としての数々の特権を剥奪され、寺内町として役割は終焉を迎えました。
 いま歩いていますと、昔のままの地割りである事に気づきます。迷路のようですが、やや方形に近い感じです。板張りの壁や塀が続く落ち着いた集落で、腰板壁は、板を縦に張り付ける羽目板張りです。  
 感動度★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 京阪電車牧野駅からバスで招提口下車、徒歩6分 
穂谷(ほたに)/枚方市穂谷
静かな集落・穂谷 県境に近い小さな集落
 「えっ! ココが枚方?」とおもわずつぶやいた所です。奈良県境近くにある静かな集落。新池という“水瓶”の周囲や街道沿いに民家が集中しています。河内国から大和国へ入る道の一つで,穂谷越えと言われます。
 縄文時代の穂谷遺跡があるものの,大阪府下でも忘れられた地域でしたが,昭和42年に畜産団地が、昭和45年に府立野外活動センターなどが開設され,京阪バスも乗り入れるなど,少しずつ注目されました。
 歩いていますと、旧家と思われる比較的立派な家屋が建ち,土蔵や石垣のある民家など古民家も目につきます。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは無料駐車場に停めました
 出屋敷(でやしき)/枚方市出屋敷元町
  街道の貴重な風景資産
 地名の由来は、郡の出張所を兼任した大庄屋があった説、旧田口(たのくち)村の中心集落から外れた所にあったという説などいろいろ。また東高野街道沿いの集落でもあります。といってもかつての周囲は、田園のほかに丘陵地帯の谷間に池田池があり、カモの飛来が多かったようです。
 東高野街道は枚方市教育委員会によれば、市内に限ると、出屋敷付近のみが往時の面影を残しています。それだけに貴重な風景資産といえます。板塀や白壁、土蔵などがあり、長屋門は集落の代表者としての特権の象徴でしょう。 
感動度★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 京阪電車枚方市駅からバスで出屋敷下車、徒歩3分  
 津田(つだ)/枚方市津田元町
  旧道や丘陵に古民家
 寛政9年(1797)に大火があり、この地で防火の意味を込めて初の瓦葺き屋根が登場したとか。天和年間に大和(奈良県)からそうめん製造の秘伝を持ち帰った。また寛文年間に2軒の酒造所が登場、その後大きく発展しました。東高野街道に近く、集落は賑わい、商家や土蔵、長屋門が多く残っています。
 
 ▲モーニング(536円・サンエトワール)
 感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 JR学研都市線津田駅から徒歩20分
私市(きさいち)/交野市私市
私市 『日本書紀』にも登場する
 この私市にも古い町並みがあったとは驚きでした。どちらかといえば,大阪市内への通勤客の多い郊外住宅街だけだと思っていたからです。私市は『日本書紀』にも出てくる歴史のあるところだから,当たり前といえば当たり前か。
 地域の中心地には奈良からの磐船街道が走っており,天野川沿いに開けた集落が発展しました。道幅は狭く,静かな町並みを形成しています。白壁と板塀の古民家は,河内地方ならよく見られる光景です。大阪にも古い町並みが多いのです。
 地名の由来は、私部(きさべ)市の略で、皇后領であったことを意味するそうです。
私市 私市
▲意外に交通量が多いので、のんびり歩けない  ▲ 板塀や白壁が続きますが、道は狭い
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 京阪交野線河内森駅から徒歩8分
 私部(きさべ)/交野市私部
   ●大庄屋、豪農の屋敷
 江戸時代、京と大坂の中間にあり、枚方宿にも近いせいか、農業の生産性が高く、さらにムギ、タバコなどの換金作物も栽培されていました。しかし丘陵地であったことから井戸とため池が重要な用水源。江戸時代を通じて水争いが頻発したそうです。それはともかく、豪農が誕生したことも事実。また武士がそのまま大庄屋になることもあったようです。
 京阪交野市駅の東側は旧集落が広がります。一歩裏手に回わりますと、路地が張り巡らされ、豪農らしき屋敷が見られます。板塀、土塀、白壁が続き、風情のある町並みを形成。
     
▲山野酒造/昭和2年創業 ▲北田家住宅/国の重要文化財  ▲海鮮ミックス定食(920円・ポパイ) 
 感動度★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 京阪電車交野市駅から徒歩20分
 寺(てら)/交野市寺
  丘陵上の集落
 素朴な地名ですが、寺院名は諸説あるようですが、はっきりわかっていません。いずれにせよ室町時代から“寺”が見られます。丘陵上にある集落で、迷路のごとく狭い道が続きます。強固な石積み、羽目板張り、往時の面影が見られます。 
 宝永2年築。
▲ 山添家住宅/国の重要文化財
感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 京阪交野線河内森駅から徒歩20分
 倉治(くらじ)/交野市倉治
  長屋門、茅葺きなど散見
 江戸時代は幕府領、旗本領と変遷。京街道の枚方宿に助郷として出役していました。迷路のような集落内は、長屋門や腰板のある土蔵、かやぶき屋根、改築されたトタン葺き屋根など、ひとかたまりとなっています。旧大庄屋、旧豪農などの屋敷が見られます。
 
▲ 板壁の蔵やかやぶき屋根
感動度★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 京阪香里園駅からバスで倉治下車、徒歩5分
逢阪(おうさか)/四条畷市逢阪
逢阪/清滝街道 清滝街道沿いの集落
 生駒山地北部の山頂付近,標高245mのところにある集落です。古くから大和国と河内国を結ぶ清滝街道が,清滝川沿いに走っています。地名の由来は,河内国と大和国それぞれから大きな坂を上りきった所に位置していて出逢うことから名付けられたとか。曲がりくねった街道をクルマで走らせると,ときおり見せる屋敷群は,その落ち着いたたたずまいに魅せられます。古くは逢阪千軒とも。南北朝時代は「大坂」と書かれていましたが、江戸時代になって「逢坂」となったようです。
 土蔵造り,板張りの古民家など,幾つかの溜池や街道沿いに見られます。 
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは空き地に停めました
御領(ごりょう)/大東市御領
水郷の里 御領 河内地方を代表する水郷
 旧御陵村は河内地方を代表する水郷地帯でした。低湿地のため古くから水路が縦横に走り,運搬手段として,三枚板と呼ばれた農業用の田舟が活躍していたのです。水路沿いには,物資を直接搬入できるように,段倉と呼ばれる,一段高いところ設けられた農作物や生活用具を収容するために設けられています。いまは当時の倉がそのまま残っているのです。
 御領橋から眺めると水郷地帯であった往時を浮かべることができます。ただ水の汚濁が気になります。地名の由来は、朝廷の供御領、または室町幕府の御料所であったからとか。
御領 御領
▲旧家と思われる大きな屋敷が目に付きます  ▲旧茅葺き屋根も残されていました 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★★ 交通 車はコンビニに停めました
 角田(すみだ)/東大阪市角田
  旧大庄屋の邸宅が残る
 旧菱江村です。角田は平成に入って起立。旧陸軍測量部の古地図には、明治時代にすでに“字角田”の名が出てきます。角田を有名にしたのは、江戸末期から伝わる角田地車(すみだだんじり)です。長屋門のある旧大庄屋が散見。しかも周辺は古民家がギッシリ。 
 
▲かつとじ定食(600円・まんぷくてい) 
 感動度★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 近鉄けいはんな線吉田駅から徒歩15分
岩田(いわた)/東大阪市岩田町
岩田町 石田家住宅の猿棟
 南北に河内街道,東西に奈良街道が通り,文字通りの交通の要衝でした。歩いていますとそこかしこに,古民家,特に庄屋,豪農,問屋など商家の面影が残っています。特に江戸中期に建築された石田家住宅の猿棟(さるむね)は,猿2匹を大屋根に据え付けて,現在に至ると言われています。庄屋だった石田新兵衛は御厨村との水争いに勝った記念に造ったとか。
 河内街道は枚方の京街道から分かれ,八尾に至る道のことです。地名の由来は、石田神社の縁起によれば、水田に岩船があり、そこに三柱の神が出現されたことにちなむそうです。
河内街道/猿棟(さるむね) 岩田町/西光寺
▲板張の旧家も多く、見飽きることはありません  ▲河内街道沿いには古い寺院や土蔵なども見られる 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 近鉄奈良線若江岩田駅から徒歩12分
菱屋西(ひしやにし)/東大阪市菱屋西
樟徳館 樟徳館を中心に広がる
 長瀬川(旧大和川)沿いに位置するこのあたりは,大和川の洪水を防ぐための宝永元年(1704)の大和川付け替え後新田開発や幹線用水路の整備などにより河内木綿の一大産地として発展しました。戦後は住宅地として広がりました。樟徳館は昭和7年(1932/写真),帝国キネマ長瀬撮影所跡に建てられた木造住宅で,国の有形文化財に登録されています。
 駅から長瀬川沿いを歩くと,遊歩道が整備され,ところどころベンチが置かれています。司馬遼太郎記念館もあります。
 地名の由来は、新田開発者の菱屋岩之助の名前にちなむ
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 近鉄大阪線長瀬駅から徒歩10分
暗峠(くらがりとうげ)/東大阪市東豊浦町
暗峠 「日本の道100選」の一つ
 生駒山地を越えて大阪と奈良を結ぶ街道はいくつもありますが,この暗超え(標高452m)の奈良街道は,最短距離(約34km)でつなぎます。江戸時代に入って脇往還として盛んに利用され,物資,人の重要な通路となり,お伊勢参りの人びとでにぎわったそうです。また松尾芭蕉の最後の旅路となったところで、句が残されています。「河内屋」,「油屋」など20軒近い茶屋,旅籠がありました。
 国道308号線ですが,車1台がやっと通れる幅には驚きました。今回は奈良県側から入り,大阪に抜けました。「日本の道100選」の一つです。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 車は空き地に停めました
東本町(ひがしほんまち)/八尾市東本町 
  豪商らの商家が多数
  戦国時代、久宝寺を中心とした寺内町は圧倒的な力を持っていました。しかし久宝寺の森本七郎兵衛ら十七人衆は、同じ久宝寺御坊の下代安井氏と対立して村を出ました。その後、八尾の長瀬川沿いの荒れ地を開墾、八尾御坊大信寺と慈願寺を中心の八尾寺内町を形成したのです。その八尾寺内町の中心地がココ。
 江戸時代に入ると八尾街道など幾つかの陸路が発達。一層の商業の発達で多くの豪商が誕生しました。いま歩いていますと、土蔵や板塀が続き、虫籠窓のある商家らしき古民家も多数見られます。
感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 近鉄大阪線八尾駅から徒歩6分 
久宝寺(きゅうほうじ)/八尾市久宝寺
久宝寺 見事に残った寺内町
 久宝寺は戦国時代に寺内町として建立され,400年以上の歴史を持っています。寺内町は,浄土真宗寺院を中心に建設された町です。町の周囲に環濠や土居をめぐらし,戦国時代の戦乱を避けながら自治を行なってきたのです。寺内町としては近畿地方でも最も古いのが久宝寺といわれています。
 町割りもほぼ江戸時代のままです。環濠や土居の一部分が残っています。江戸時代の建物もそのまま残っており,重要伝統的建造物群保存地区に選定されてもおかしくはありません。現在、まちなみセンターを中心に保存活動中。
浅野家住宅(登録有形文化財) 久宝寺
▲虫籠窓のある町家などもきちんと残されています  ▲早朝にやってくると、町は静かで気持ちがいいです 
八尾市まちなみセンター 久宝寺
▲まちなみセンターが中心に保存活動中  ▲格子のある町並みも健在です 
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 近鉄大阪線久宝寺駅から徒歩10分
神立(こうだち)/八尾市神立
神立 旧奈良街道沿いに発展
 高安山麓で最も高地にある集落です。遠く大阪市内の高層ビルが一望できます。高地にあるだけに急坂になっており,その両側に石垣を築き,その上に蔵を建てたり,住居を囲ったりしています。住居の密度の高いのが特徴でもあります。
 この神立を通って奈良県の斑鳩,龍田方面へ向かう十三超・龍田道(奈良街道)は昔からの主要道でした。江戸時代以降,今も森林からの豊な水を生かした切り花の生産の盛んな所です。また日本最古の地図『伊能大図』にも神立が明記されています。地名の由来は、玉祖神社が、周防からこの地にやって来たとういう伝承からきたとか。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道幅の広いところに停めました
萱振(かやふり)/八尾市萱振町
萱振町2丁目 河内街道沿いの集落
 河内には有力寺院による寺内町を形成するところが多いですが,ここも文明2年(1470)に恵光寺が建立され,萱振寺内町を形成しました。その後河内の本願寺門徒の有力寺院として成長。さらに織田信長と本願寺が戦った石山合戦では,本願寺派の最前線になりました。寺内は米をはじめ物資が豊富で,かなりの財力が蓄えられていたとか。
 河内街道沿いの集落ですが,一歩なかに入ると,昔ながらの路地と羽目板張りの町家や土蔵が散見できます。地名の由来は、祭りで萱を束ねてタイマツを造り、振りかざしたから。
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはファミリーマートに停めました
恩智(おんぢ)/八尾市恩智中町
土蔵や格子窓,土塀の町
 南北朝時代に合戦があり,地頭の土屋宗直が北朝方,恩智神社を氏神とする恩智氏が南朝方として戦ったとか。
 江戸時代に入ると綿作が盛んで,河内木綿の一大産地となりました。その質の良さは貝原益軒が『南遊紀行』で,「山根木綿」が京都で評判の木綿であると紹介しているほどです。
 このあたりは八尾市の「史跡の道」に指定されています。東高野街道が南北に通り,木綿の流通,参拝客などで大いに賑わったそうです。土蔵,格子窓のある町家,土塀のある商家など,歩きながら見つけることができます。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは加津良神社境内の駐車場に停めました
藤井寺(ふじいでら)/藤井寺市藤井寺
藤井寺 古代歴史の発祥の地
 この町は史跡や古墳が多く,古代文化発祥の地ともいわれるくらいです。葛井寺(ふじいでら)は百済系支族で7世紀に建立されました。戦国時代には,観音信仰の普及期に西国霊場第5番札所でもありました。
 周辺には和泉の第4番札所・槇尾寺とも結ばれていた巡礼街道沿いの町並みでもあります。また平野から竹ノ内街道につながる古市街道の一部も通り,街道集落として栄えました。
 板塀と白壁の蔵造りは,当時の面影を残し,歴史を感じさせます。藤井寺といえば、プロ野球・近鉄バッファローズの本拠地であったところです。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 近鉄南大阪線藤井寺駅から8分
今町(いままち)/柏原市今町
三田家住宅(重文) 国の文化財2軒が輝く
 平城京以降の旧奈良街道に沿った南北に細長い街道沿いの集落で,歴史のある町でもあります。江戸時代以降は,柏原船営業の商家が栄えました。柏原船営業というのは,寛永13年(1636)から始まった旧大和川洪水の被害地復興のため,平野川に荷船を通して大坂と結び,その収益で荒れ地を開発して収益を得るというものです。最盛期には,70人の商人が活動
 三田(さんだ)家(写真左・重文)は大坂から移り住んだ商人で,明和3年(1776)当時の建物です。また寺田家は地域の庄屋を務め、「北条屋」として柏原船を営業していました。
今町 寺田家住宅(重文)
▲旧奈良街道/道幅も往時のままです  ▲寺田家住宅/国の登録文化財(江戸中期築)
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR関西本線柏原駅から徒歩10分
 古町(ふるまち)/柏原市古町
  川沿いの風情ある旧商家
 大和川の氾濫の被害はとてつもなく大きく、農業への影響は甚大でした。しかし大阪と結ぶ水運は重要でもあります。そこで大和川に流れ出ていた小さな平野川を荷物の運搬ができるように大幅に改修。いわゆる「柏原舟」の運航でした。
 JR柏原駅を出て右に行くと今町、左に行くと古町。古町筋は今町同様、旧奈良街道沿いの集落ですが、一部は平野川に沿って軒を並べています。格子窓、虫籠窓、蔵など旧商家が、黒の本瓦とともに往時を感じさせてくれます。地名の由来は、市内でも大和川に近く、早くから発展したからとか。
感動度★ もう一度行きたい度★★ 交通 JR関西本線柏原駅から徒歩10分 
布忍(ぬのせ)/松原市北新町
布忍 わずかな古建築
 布忍神社周辺は早くから開け,古代難波と飛鳥を結ぶ交通の要衝地でもありました。大阪に近く,文化的交流が盛んでもありました。それにしても古建築は山門前だけです。
▲正油ラーメン(600円/元)
感動度★ もう一度いきたい度★ 近鉄南大阪線布忍駅から8分
太平寺(たいへいじ)/柏原市太平寺
太平寺2丁目 ギッシリ詰まった古民家群
 寺院名ですが,今はありません。聖武天皇や孝謙天皇が礼仏した智識寺の支院とされていますが,確証はありません。ただ室町時代までその存在が確認されています。江戸時代,綿や甘蔗,ぶどうなどの産地で,近くに東高野街道も通り,流通の便は良かったとか。また大和の信貴山から河内平野に出る最も南の重要ルートでした。
 一つの地域に古民家がぎっしり詰まっており,実に充実した散策でした。この地方独特の羽目板張りと漆喰の白壁が路地に似合い,清涼感を覚えました。なお同じ町内で営業する柏原ワインの貯蔵庫は,国の登録文化財です。
太平寺 太平寺/蔵に水切りが付いている
▲板を縦に張り付けた羽目板が特徴です  ▲蔵の水切りが珍しいです 
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★★ 交通 クルマはスーパーニューフレッシュ万代に停めました
長野(ながの)/河内長野市長野町
長野町 街道に寺院や造り酒屋
 平安初期,霊場・高野山に通じる京,大坂,堺を起点にした複数の道が,高野街道と呼ばれ,この河内長野で一本に合流します。その街道はここから西に迂回したあと三日市を通って紀見峠に向かいます。
 街道沿いには,江戸時代の末期創業の造り酒屋。さらに山岳信仰の霊場として有名な金剛寺,観心寺があります。このように,当時を偲ばせる建物が多く残っています。特に室町時代建立の長野神社には,樹齢300年のクスノキなどがあり,かつての街道の面影が残ります。
 地名は、細長く伸びた(長)、ゆるやかな傾斜地(野)に由来。
長野町 長野町
▲今も造り酒屋が残ります。虫籠窓が印象的です  ▲東西の高野街道が合流する交通の要衝 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 近鉄長野線河内長野駅から徒歩7分
三日市町(みっかいちまち)/河内長野市三日市町
三日市町 天誅組の最後の集結場所
 各高野街道が長野町で一本に合流して,いよいよ最後の旅程の紀見峠を越えるわけですが,その峠越えを前にした宿場町です。
 このあたりはゆるやかなカーブが左右へと続きます。街道筋には中2階虫籠窓や格子戸,漆喰の白壁,板塀など,かつての面影を見ることができます。
 駅を出てすぐに宿場入口が目に付きます。ゆるやかな下り坂をのんびりと歩きます。この宿場は,幕末に天誅組が大和の五条陣屋を襲撃する前に集結したところでもあります。
 地名の由来は、毎月三日に市が開かれたことにちなむ。
三日市町 三日市町
▲石積みのある旧家など旧豪農や商家が続きます  ▲街道はゆるやかな坂道を上ります 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 南海高野線三日市町駅から徒歩5分
滝畑(たきはた)/河内長野市滝畑
滝畑集落 山奥に重要文化財が1軒
 各家の規模があまりにも大きい。石垣をめぐらした民家は豪華そのものです。このあたりは庄屋や村年寄りなど,有力農家が住んでいました。小百姓の訴えや集落同士の争いも絶えなかったようです。やはり大豆,粟,蒟蒻玉,凍豆腐などが中心。また藩主の鷹狩り場で,比較的優遇されていたようです。
 江戸時代中期の民家の遺構をそのまま残しています。特に重要文化財の左近家住宅は特筆されます。ただ滝畑ダム(昭和56年竣工)の建設により,79戸が水没しました。
 地名の由来は、瀑布が多数存在する、すなわち滝の畑のようである、とか。  
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは滝畑ふるさと文化財の森センターに停めました
北旅籠(きたはたご)/堺市堺区北旅籠町西
北旅籠町西 格子窓や虫籠窓
 堺市の大半は戦災を受けましたが,旧紀州街道の通る北旅籠町の一帯はのがれました。街道の西側の狭い道路に面して軒の低い町屋が残ります。
 堺はかつて全国一の鉄砲の産地で,鉄砲鍛冶屋敷(写真左)井上家は,堺市の指定文化財に指定されています。
 堺鉄砲の技術は,その後も世紀を超えて絶えることなく引き継がれ,自転車や和包丁に変わり,今に引き継がれています。いま、週末となると多くの観顧客で賑わいます。格子窓や虫籠窓のある町家が連なり,古い町並みを形成しています。地名の由来は、旅籠があったことにちなむ。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 南海本線七道駅から徒歩5分
金岡(かなおか)/堺市北区金岡町
竹内街道・金岡 竹内街道沿いの集落
 堺から奈良県橿原市まで続く竹内街道は,遣唐使や遣隋使も通った,日本最古の官道といわれています。金岡が東方(大和方面)に転じる起点でもあります。道標は至るところ設置されてて,迷いません。地名は金岡神社にちなむとか。
▲金岡神社
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマはコンビニの駐車場に停めました
百舌鳥(もず)/堺市北区百舌鳥梅北町
西高野街道・百舌鳥 西高野街道沿いの集落
 奈良時代からの歴史のある町です。日本書記には仁徳天皇が百舌鳥で猟を楽しんだことが明記されています。また、鹿が走り出てきて倒れ、その耳からモズが出てきて飛び去ったとか。百舌鳥を一躍有名にしたのは,やはり仁徳天皇陵を含む70基に及ぶ大小の百舌鳥古墳群でしょうか。
 百舌鳥は西高野街道が通っています。西国からの参拝者は,堺港に上陸後,竹内街道と重なりながら,現代の国道310号線にほぼ沿って高野山に向かいます。このあたりは閑静な住宅地が続いており,ところどころ古民家が見られます。
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました
黒山(くろやま)/堺市美原区黒山
黒山 板塀と白壁が美しい
 鎌倉時代の黒山は隣接する旧河内の丹南群一帯は貨幣鋳造の地として知られており,河内鋳物師を輩出しておりました。小豆島(香川県)の長勝寺の鐘や滋賀県の金剛輪寺の鐘にも黒山郷下村在住と明記されています。なお鎌倉時代の黒山は上村,下村の2村に分かれており、河内鋳物師の本拠地。
 いまは府道から北側に広がる小さな集落ですが,路地を歩いていますと、両側の土蔵と板塀が落ち着きを与えてくれます。また医院や旧郵便局も残っています。川口邸には堺市指定の高さ13mの保存樹木・楠(写真)が塀越しに見られます。 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは道端に停めました
浜寺(はまでら)/堺市西区浜寺昭和町
浜寺 国の登録文化財が3軒
 浜寺公園は明治初期に開設された海水浴場とともに、大阪近郊のリゾート地として知られています。明治40年(1907)に南海本線が電化されましたが,そのときに建てられた駅舎は今でも使われており,国の文化財に登録されています。大正10年代に海浜別荘地帯として発展し,昭和に入り高級住宅地として人気を集めました。
 かなり広い敷地に,和館や洋館が点在し,高級感のある独特の雰囲気を醸し出しています。近江岸家住宅と阪之上が登録文化財になっています。 地名の由来は、浜寺(太雄寺)にちなむとか。
浜寺 浜寺公園駅
▲板塀と見越しの松が似合います  ▲国の文化財に登録されている浜寺公園駅 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 南海本線浜寺公園駅から徒歩5分
羽衣(はごろも)/高石市羽衣
羽衣 かつて都市近郊の別荘地
 堺市の浜寺から高石市の師浜まで続く海岸線は,いわゆる「白砂青松」の風光明媚な景勝地でした。それは幕末期の植林,さらに明治に入って防風林の役割を果たしていたのですが,明治6年(1873),自然保護のため浜寺公園になりました。
 その後南海電車の開通とともに,南海土地建物(株)が設立。別荘地,高級住宅地として開発されました。いまは自然海岸は失われたものの,浜寺公園の豊かな松の高借景とした住宅地は,閑静な雰囲気を醸し出しています。地名の由来は、南海電鉄が駅名に羽衣を使用。南海は、名所の羽衣松からとか。
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 南海本線羽衣駅から徒歩5分
泉大津(いずみおおつ)/泉大津市本町
泉大津市 古民家の博物館のよう
 旧紀州街道に平行して走る浜街道沿いには,多くの町家建築が残されています。それもいろいろな時代にまたがっているのです。なかには毛布発祥の地としてふさわしいノコギリ型屋根工場が幾つか残っています。実際に使われていたり貸しホールになっている工場もある
 虫籠窓,出格子,白や黒の漆喰塗りの壁面のある古民家がぎっしりと詰まっています。さらに鐘楼門のある寺も幾つか点在し,町全体が古民家博物館のようです。十分に重要伝統的建造物群保存地区の資格がありますが…。ところで地名の由来は、古くからの地名の大津に、和泉を意味する泉を付けた
泉大津市 泉大津市
▲防火壁を意味するうだつも見られます  ▲虫籠窓や出格子の続く町並みです
ノコギリ型屋根 ノコギリ型屋根
▲紡績工場が乱立していた時代のノコギリ型建築  ▲現代でも稼働している工場もあります 
強縁寺 喫茶店に改造
▲鐘楼門が珍しい寺院も見かけます  ▲古民家を改造して、各種店舗として利用されています 
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 南海本線泉大津駅から徒歩10分
和泉府中(いずみふちゅう)/和泉市府中町
和泉府中 旧熊野街道沿いの町並み
 和泉の地名の由来となった和泉清水のある泉井上神社を抜けると旧熊野街道に出ます。平安時代には多くの上皇や貴族が熊野詣でに通ったという街道です。また「小栗判官・照手姫」の伝説に由来して小栗街道とも呼ばれています。なお、御館山と称されるあたりに、和泉国の国府が置かれていたとか。
 街道沿いには,壮大な屋敷が点在しており,歴史的な雰囲気を漂わせています。文化財というほどの名のある建物ではありませんが,歩いているだけでホッとするような町並みでもあります。この日は通学時間にぶつかったせいか,とてもにぎやかでした。
旧熊野街道 沿道に多い歴史的な見所
 沿道には熊野九十九王子のうち3王子(篠田王子,平松王子,井ノ口王子)の跡があったり,小栗判官笠懸松,照手姫腰掛石,葛葉稲荷神社などの見所も多いようです。やや地味ですが、歴史があります。
▲きつねうどん(泉大津そば/310円)
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 JR阪和線和泉府中駅から徒歩15分
 伏屋(ふせや)/和泉市伏屋町
  長屋門や土蔵が点在
  父鬼街道沿いの集落です。和泉と紀州を結ぶ街道の一部を父鬼街道と呼んでいます。宝永7年(1710)、万町村の大庄屋・伏屋氏によって開発され、「伏屋新田」と呼ばれました。以前は上野原山といわれていたとか。ところが、伏屋氏が借金をかたに、坪井村の澤氏に伏屋新田を売却。その後大正15年(1926)に自作農創設組合に7500円で売却。やっと実際に耕作する農民の土地になりました ややゆるやかなカーブに沿った漆喰と板張の組み合わせた塀が続きます。旧家と思われる立派な長屋門も見られます。旧街道沿いは静かでした。
感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 泉北高速鉄道光明池駅から徒歩18分  
 池田下町(いけだしもちょう)/和泉市池田下町
  旧家がそのまま残る
 池田谷を流れていた槇尾川の下流域だったのが町名の由来とか、諸説あります。大坂の陣が終えたと、幕府領、土浦藩領、旗本領、さらに一橋家領など関東勢所領でした。いま高橋家を含め旧家と思われる町家が至る所に見られます。 
 
▲高橋家住宅(国の重要文化財) 
感動度★★ もう一度行きたい度★ 交通 泉北高速鉄道光明池駅から徒歩25分 
和田(わだ)/和泉市和田町 
  旧道沿いに古民家群
 歴史のある集落ですが、江戸時代は幕府領、旗本領、下総の関宿領と関東近辺の旗本や譜代に支配させています。村高も300石弱とそれほど多くはありません。人口の250人前後。ただ槇尾街道と父鬼街道が交差するところだけに、交通の要衝といえます。
 旧道に沿って歩きますと、古民家が軒を並べていますが、一歩裏手に入りますと、ノコギリ型の旧繊維工場が目に付きます。さらに歩きますと、辻林酒造場の大きな建物があります。さらに槇尾川にかかる川中橋まで古民家が続きます。歩いていて楽しい町並みです。 
   
▲旧道の裏手にはノコギリ型の工場群がひっそり  ▲辻林酒造場の大きな蔵が目に付きます 
感動度★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 泉北高速鉄道光明池駅から南海バスで和田南下車、徒歩10分 
 三林(みばやし)/和泉市三林町
  幾つも見られる長屋門
 江戸時代はほぼ幕府領でした。槇尾川の中流に位置しますが、父鬼街道から外れているため、交通量も少なくノンビリと歩けます。集落の鎮守でもある春日神社の境内林の一角に20基近い円墳があり、古墳群を形成しています。江戸時代の村の石高は500石弱で人口も300人前後とか。農閑の山仕事もあったようです。
 旧家と思われる立派な長屋門や土蔵など幾つも軒を並べています。中には黒漆喰の豪壮な入母屋造りも見られます。この辺りはハイキングコースになっており、春や秋になると多くのハイカーで賑わうそうです。 
感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通  泉北高速鉄道光明池駅からコミュニティバスで三林町下車、徒歩5分
 黒石(くろいし)/和泉市黒石町
  長屋門が至るとこに点在
 一歩、集落に入ったとたん長屋門が見られました。それも至る所に立っているのです。なかには新築のピカピカ長屋門もありました。新築の長屋門ははじめて見ました。また黒漆喰の土蔵はかなりの“贅沢品”。旧家が多く、旧庄屋や旧豪農の面影も見られます。
 町の歴史は古く、古代においてすでに集落が形成されていました。南北朝時代、南朝方の岸和田氏に同調。また早くから土地の開発が進みましたが、傾斜地が多く、稲や麦はわずかですが煙草、農閑期は山仕事が多かったようです。西福寺を中心に古民家が散在しています。
 感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 泉北高速鉄道光明池駅から南海バスで黒石道下車、徒歩10分
 平井(ひらい)/和泉市平井町
  大津街道沿いの集落
 バスを降りて、まず高野山真言宗羅漢寺を目標に歩きました。初めての集落の場合は、まず中心となる神社、寺院を目標にすると、意外にも道沿いや目標近くに古い町並みや古民家が存在することに気づきます。
 今回もやや急な坂道を上り、ゆっくりと路地の奥なども眺めながら歩きました。長屋門や土蔵、梁と白壁の組み合わせた真壁(しんかべ)造の古民家。なかなか風情のある町並みです。全体としてこぢんまりしています。江戸時代は、村内の中央を、大津街道(泉大津−河内長野)がほぼ中央に通り、交通の要衝だったことがわかります。 
感動度★★ もう一度行きたい度★ 交通 泉北高速鉄道光明池駅から南海バスで平井下車、徒歩5分 
 納花(のうけ)/和泉市納花町
  多種多様の古民家群
 歴史の古い集落です。鎌倉時代は僧侶・重源(ちょうげん)によって築かれたといわれる谷山池(たにやまいけ)がありますが、その中ほどの中島に重源を祀った御影堂がありました。現在は本堤防上に、重源を祀った祠(ほこら)があります。
 江戸時代は旧納花村で、ほぼ幕府領。村内には南北に大津街道が貫き、かなりの賑わいを見せていました。いま歩きますと、蔵や長屋門、板張の町家、虫籠窓や格子のあり商家など多種多用の古民家。地名は、かつて施福寺の花畑があり、四季の花々を寺に納めていたからとか……。
感動度★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 泉北高速鉄道光明池駅から南海バスで南池田小学校前下車徒歩5分
本町(ほんまち)/岸和田市本町
本町 「手づくり郷土賞」受賞
 岸和田といえばだんじり祭りがあまりにも有名なために、ほかの名所は完全に無視されています。しかし岸和田にも古い町並みがあるのです。観光パンフレットには「本町の街並み」と記されています。
 旧紀州街道沿いで、瓦葺き2階建てで出格子のある町家や商家がずらりと並んでいます。藩政時代、城下町の中心地となっていたところです。地元の人たちは、歴史街道にふさわしい景観づくりを行っています。そこで建設省(旧)より「手づくり郷土賞」を受賞しました。NHKの朝ドラ『カーネーション』の舞台となったところです。
感動度★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 南海本線岸和田駅から徒歩15分
寺町(てらまち)/岸和田市五軒屋町
寺町 本徳寺が見もの
 商店街からやや横に入ったところに寺町筋があります。円教寺や本徳寺などいくつかの寺が集まって寺町を形成しているのです。特に本徳寺には明智光秀の子として伝えられる南国和尚が開いたといわれています。そのでいか光秀の位牌と肖像画が残されています。
 岸和田は3回目の訪問です。おすすめは、だんじりの事故やトラブルばかりを集めたテープが売られています。これはおもしろい! といっても悲惨な事故集ではなく、おもわず笑ってしまいます。だんじりは毎年9月中旬の土日に開催され,多くの観光客がやってきます。
感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 南海本線岸和田駅から徒歩7分
阿間河滝(あまかだき)/岸和田市阿間河滝町
大阪まちなみ賞受賞・旧本通り 階段状に配置の長屋門
 大阪まちなみ賞を受賞した旧本通りを探すのに苦労しました。かなり奥まったところにあります。この通りは狭い急な坂道になっていて,両側に石垣を積み重ねられ,黒い本瓦葺きのしころ建てという伝統的な建物です。また入口は重厚な長屋門になっており,階段状に配置されているのです。この重厚な建物のつながりが大阪まちなみ賞・奨励賞を受賞したのです。
 阿間河滝はここだけではなく,旧庄屋(写真下右)や土蔵なども残されており,時代を超えて町並みを守り続ける住民の強い意志を感じます。奇妙な地名の由来は、旧阿間河荘で、雨降りの滝のそばに位置していたからだそうです。
阿間河滝町 天然記念物・椋の大木
▲土塀や美しい植栽が歩く人をホッとさせます  ▲旧庄屋宅で長屋門も健在です 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは道幅の広いところに停めました
積川(つがわ)/岸和田市積川町
土塀が続きます 別世界の200mの散策路
 乗用車が1台がやっと通れる道が約200mほど続きます。土塀や白壁,板塀,蔵などが周囲の光景にマッチし,しかも道の横には,水路がさわやかな音をたてています。静かでまるで別世界にいるようです。交通の便の悪さがこれだけの状況を残したのでしょうか。
 このあたりは牛滝川と宮川が合流するところで,積川とは川の名前ではなく,川の集合を表しています。一般に川の合流点は「落合」と名付けられますが、ここでは違うようです。町内には積川神社がありますが,井戸の神様を祭っています。そのせいか水がとてもきれいでした。
▲古い倉庫や工場なども見られます  ▲土壁と板塀の組み合わせが懐かしい 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマはローソンに停めました
貝塚(かいづか)/貝塚市北町
貝塚 江戸時代末期の町家
 大阪湾の臨海地区は、かつて第二次世界大戦の空襲で全滅したのかと思っていましたら、残っていたのです。地元では通称、貝塚御坊・願泉寺の寺内地区と呼ばれています。16世紀にすでに寺内町らしい構成が見られるようになったそうです。江戸時代は高度な自治機能を持った町ですが,実際は岸和田潘の監視機関といえます。それでも紀州街道は貝塚御坊を除けて通っていました。
 区割りも江戸時代のままになっており、そのなかに出格子や虫籠窓のある町家、黒板壁で囲まれた土蔵などが残っています。のんびり歩きたい。
貝塚 貝塚
▲出格子や虫籠窓のある町家が続きます  ▲白漆喰と板壁の蔵が至る所で目に付きます
感動度★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 南海電鉄貝塚駅から徒歩10分
水間(みずま)/貝塚市水間
水間 故作家今東光氏が住職
 水間寺は天平年間(729〜749)聖武天皇の勅願により厄除けのために,行基が建立されたといわれています。中世には多くの宿坊があったことが確認されています。豊臣秀吉の兵火に合いましたが,その後岸和田藩主の岡部氏によって再建されたのが,現在の堂塔であるといわれています。
 水間観音駅を出て右側に行くと街道があります。商家,町家などの歴史的建造物が多く見られます。作家今東光氏がこの寺の住職であったことは有名で,映画『悪名』シリーズの原作者で、勝新太郎、田宮二郎(いずれも故人)が銀幕を飾りました。
水間 水間
▲旧街道沿いには古民家が集中しています  ▲旧家と思われる立派な町家も見られます 
水間寺 水間駅(登録文化財)
▲水間観音/お夏清十郎の墓もあります ▲平成21年に水間観音駅に改名、国の登録文化財 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 水間鉄道水間駅から徒歩5分
紺屋(こんや)/熊取町紺屋
紺屋の町並み 中家周辺に古民家が集積
 江戸時代の中家は七人庄屋の筆頭を務めました。中家自体は泉南地方の平安時代から続く旧家でもあります。いま中家周辺には,門構えの屋敷が多く,閑静な町並みを形成。中家は繭の生産・販売も行ったことから、藍染め携わったことが地名の由来とか。
そば屋の老舗「砂場」は大阪が発祥の地ですが,現在の大阪市西区新町にあたりますが,中家一族が開いた店だそうです
▲国の重要文化財・中家住宅
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは煉瓦館駐車場に停めました
 栄町(さかえまち)/泉佐野市栄町
  駅北口に“昭和の香り”
 南海泉佐野駅北口周辺は、戦後の2階建て棟割長屋がそのまま残り、まさしく“昭和の香り”のする飲食店を形成しています。一部、立ち退き等で櫛の歯が抜けたような所もありますが、いずれは再開発の対象になるかもしれません。  
 
▲トーストセット(399円・カフェロンドン) 
 感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 南海本線泉佐野駅から徒歩3分
泉佐野(いずみさの)/泉佐野市元町
さの町場 一歩なかに入ると迷路
 このあたりを「さの町場」と呼んでいます。泉佐野市の北西部に広がる旧市街地です。また戦災にあわなかったため,古い住宅がそのまま残っています。同時に一歩裏道に入りますと,路地が入り組み迷路になっており,由緒ある寺院や商家を見ることができます。
 江戸時代は海運が盛んで,食野(めしの)家,唐金(からかね)家などの豪商が現れ,泉州地域では一番の商業都市になりました。大正,昭和の時代には,タオル産業が日本一の規模を誇りました。地名の語源は、狭い原野を表す「狭野(さの)」が佐野になったと推定。
さの町場 町家は2階建の長屋形式
 タオル産業も格安の中国産に押されており,町も衰退しつつあるようです。町家は木造2階建ての長屋形式が多く,庶民的な雰囲気の町並みです。住んでいる人も「昔から何も変わらないよ」といわれました。
▲しょう油ラーメン(600円/偏骨ラーメン)
さの町場 さの町場
▲改装はされていますが、美しい板張の町家  ▲2階建ての棟割り長屋が続きます 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 南海本線泉佐野駅から徒歩10分
 土丸(つちまる)/泉佐野市土丸
  土蔵や長屋門が見られる
 室町時代は槌丸、鎚丸とも書きました。また槌丸城という眺めの美しい山城がありました。江戸時代は岸和田藩領。古民家は街道と樫井川との間に集中。土蔵や長屋門、板張の家や塀などが残されています。集落のはずれに旧向井家住宅あり。 
 
▲旧向井家住宅/市の指定文化財 
感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 南海本線泉佐野駅からバスで土丸下車、徒歩10分 
大木(おおぎ)/泉佐野市大木
  大阪初の重要文化的景観
 大木集落は荘園・日根荘(ひねのしょう)のころ、隣の土丸集落と合わせて、九条政基(くじょうまさもと)が1501年から4年間滞在したと言われています。現在の景観を構成するため池、水路、農地、寺社などは中世の日根荘に由来するもので、地元民が長い間暮らしの変化のなかでも景観を守ってこられました。
 和歌山へ抜ける粉河街道、さらに貝塚市から犬鳴山への参道としての水間道が通っています。この2本の街道が交わる辺りに古民家が多く見られます。旧茅葺き屋根のある農家、入母屋造の本瓦葺きなどギッシリ。平成25年に大阪府初の重要文化的景観に選定。 
 感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 南海本線泉佐野駅からバスで中大木下車、徒歩10分
 樫井(かしい)/泉佐野市南中樫井
  「白漆喰」と「羽目板壁」
 『明月記』などに登場する歴史のある集落です。古くは籾井(もみい)と記され、籾井城がありました。南北朝時代、北朝の拠点になったとか。もちろん今は往時の面影はありません。上部白漆喰の下部羽目板壁で、本瓦葺きの建物が続きます。 
 
▲奥家住宅/国の重要文化財 
感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 南海本線吉見ノ里駅から徒歩25分 
尾崎(おざき)/阪南市尾崎町
尾崎 寺院,商家,町家が混在
 貝塚市の中心地からさらに南に位置するのがココ尾崎の街並みです。浜街道の沿いにあって、寺院、商家、町家などが混在しています。とくに核になるのが、西本願寺尾崎別院(尾崎御坊)です。そのため近郊近在から多くの人々が集まって、たいへんな賑わいを見せます。
 どちらかといえば門前町ですが,漁業の町でもあります。その証拠に,江戸時代は隣接する村々と漁業権に関してしばしば争いが生じています。
 虫籠窓や出格子のある町家が多く,保存してほしい町。地名の由来は、男里(おのさと)の崎であることにちなむとか。 
尾崎 尾崎
感動度★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 南海電鉄尾崎駅から徒歩5分
山中(やまなか)/阪南市山中渓
山中宿 紀州街道沿いの宿場町
 山中川上流に位置し,紀州街道沿いの宿場町です。街並み細長く,狭い道の両側に点々と古民家が建っています。いまは山中渓という桜や紅葉の名所として府民に知られています。
 紀州徳川氏は,参勤交代を紀ノ川沿いの街道から変更し,元禄時代から山中宿を利用するようになりました。最盛期には旅籠が20数軒にまで増えたそうです。そのうちの1軒「とうふや」が昭和後期まで残っていたとか。
 宿場町として発展する一方,周辺の村々は助郷となり,その負担に苦しめられてそうです。地名は、文字通り山間の地であることに由来するそうです。
感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道端に停めました
富田林(とんだばやし)/富田林市富田林町
富田林-1 南河内地方の経済の中心
 大阪にもこれだけそろった古い町並みも珍しいものです。一種の宗教自由都市を形成した寺内町でもあります。寺内町は中世末期に近畿地方各地で作られましたが,江戸時代に入って,特権的な地位を失なっていくのです。
 それにしても,歩きながら「大阪にもこんな町があるのだ」と感慨にふけりました。町家でもありますが,規模が大きすぎます。周辺は農村で綿や菜種,油屋,酒屋など商家,問屋なども混じっているのです。河内地方の経済の中心地であります。地名の由来は、富貴な田地を意味する「富田(とんだ)」という地名は戦国期に好まれたとか
旧杉山家住宅(重文) 重文指定の旧杉山家住宅
 杉山家(写真左・国の重要文化財)は寺内町創立以来の江戸時代から続く旧家です。貞享2年(1685)に酒造株を取得した後は,造り酒屋として成功。農家の造りで,煙返しなどの技法も見られます。質の高い大規模住宅です。
▲きつねうどん(650円/八町茶屋)
富田林-2 富田林
▲白漆喰と羽目板の組み合わせた落ち着いた町並み  ▲豪壮な商家が連なる中心地は見応えがあります 
感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは富田林警察署の駐車場に停めました
吉見(よしみ)/田尻町嘉祥寺
嘉祥寺 嘉祥寺を中心に発展
 集落は嘉祥寺を中心に発展した町ですが,同時に,古くから半農半漁で生計を立てていたそうです。漁業では遠く房総沖(千葉県)方面にまで出かけたという記録が残っています。また農業ではタマネギが特産品。
 迷路のような路地を歩くと,長屋門を備えた重厚な入母屋造りがどっしりと構えているのが見られます。黒の本瓦葺きが美しく,白壁と対照的です。
 集落を抜けると埋め立て地には,近代的な集合住宅やりんくうタウンが建っており,新旧対照的でもあります。
 地名の由来は、宝亀年間に吉見小佐治が開墾したためと言われています。
感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマはは道幅の広いところに停めました
信達牧野(しんだちまきの)/泉南市信達牧野
熊野街道 重厚な古建築が特徴
 古くは熊野街道,江戸時代は紀州街道の宿場町として発展しました。後鳥羽院や徳川家の参勤交代で通行しました。
 入母屋造りの妻入りという重厚な建物が軒を並べていて,板塀の本瓦葺きの家屋も多いのが特徴です。
▲コーヒーとトースト(450円/レモン)
感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 JR和泉砂川駅から徒歩8分
幡代(はたしろ)/泉南市幡代
幡代 重厚な家並みが続く
 もともと熊野詣での人々で賑わった集落です。もっと昔は幡代遺跡が見つかっており,中世から近世にかけて大きく発展したとあります。その遺跡から砂糖の精製に使われた土器も発掘されており,砂糖が当時の特産物であったと思われます。
 江戸時代には綿糸などの生産が盛んで,和泉木綿の産地でもありました。
 幡代は往時を思われる重厚な建物が多く残っています。路地に面して,門構えのある入母屋造りで本瓦葺きで,とても静かな町並みです。地名の由来は「畑をこしらえたところ」で、新開の畑地と推定されます。
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道幅の広いところに停めました
太子町(たいしまち)/太子町山田
竹内街道 日本最古の官道
 飛鳥の都(大和)から難波(大坂)を官史が往来した日本最古の官道・竹内街道がココ。この先を行くと奈良県葛城市竹内(奈良県参照)につながります。
 バス停を降りてゆるやかな坂道を歩きます。ハイキングを楽しむ人たちも何人か見られます。10分ほど歩くと、古い建物がちらほらと見ることができます。出格子のある町家や土蔵などが残されています。道幅も往時とほとんど変わらないといわれています。
 地名の由来は,聖徳太子の墓所と、これを守る叡福寺があるからとか。官道とともに歴史のある町並みです。
竹内街道-2 竹内街道-2
▲格子窓や虫籠窓などに歴史を感じさせます  ▲土蔵にも水切りが見られます
感動度★★★ もう一度行きたい度★★★ 交通 近鉄喜志駅からバスで六枚橋下車15分
大ケ塚(だいがつか)/河南町大ケ塚
大ケ塚 大念寺を核にした寺内町
 小高い台地に形成された集落で,竹内街道や舟運で大坂にも通じる石川も近く,交通の要衝として発展しました。その後寺内町として発展しましたが,江戸時代後半は寺内町の色が薄れ,地域農産物の集散地として町場化して市場も立ちました。元禄年間には約500軒以上の民家や商家があったとされ,“商売繁盛の地”とか。
 当初の町割りの骨格が残っており,ところどころに虫籠窓のある商家,板張りと漆喰塗りの蔵が見られます。地名の由来は、源左衛門など4人が開墾時の塚に似ている説、根来寺の大河将監の墓・大河塚説
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは大念寺の無料駐車場に停めました
森屋(もりや)/千早赤阪村森屋
森屋 街道集落として発展
 南河内と大和を結ぶ道は古代から物資交流として重要視されていました。富田林から水越峠を越える富田林街道や千早峠を越える千早街道が頻繁に使われいたのです。これらの街道は,この森屋で分岐します。
 江戸時代は大坂に通じる石川の東部一帯の米,菜種,木綿等の集散地として栄えました。大ケ塚に市が立つと開催日について森屋と激しい論争が行われました。結局、10日に大ケ塚、森屋は20日開催で決着。江戸末期には,寺子屋もあったというから,その発展ぶりがうかがえます。街道集落として栄え,漆喰塗りの蔵が散見。
森屋 森屋
▲街道沿いには旧家が見られます  ▲土蔵には水切り用の庇がもう一つあります 
感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは道幅の広いところに停めました
 淡輪(たんのわ)/岬町淡輪
  迷路と化した町並み
 歴の古い町で『日本書紀』には、「田身輪邑」(たみわむら)の記述があり、いまの淡輪を指しているといわれています。鎌倉から室町にかけて「淡輪庄」としてその名が見られます。
 江戸時代は常陸・土浦藩領で、陣屋が別所地区に置かれていました。村高は1800石余とかなり裕福ですが、年貢は600石近くも課せられたそうです。一方漁業が盛んで、産物として搬出。また料理屋、旅館が林立し、泉南の一大遊興地として発展しました。いまは迷路と化した町並みは、長屋門、土蔵、白漆喰と板壁の古民家がギッシリと集まっています。 
 感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 南海本線淡輪駅から徒歩15分
 深日(ふけ)/岬町深日
  板塀、板壁のある町並み
 『万葉集』をはじめ、多くの歌集、名所図会などにも登場する古くからの景勝地です。とはいうものの、現代において深日を一躍有名にしたのは、紀淡海峡から引き上げられたナウマン象の化石1000余点が、駅前の宝樹寺に保存されてからです。住職が化石大好きだそうです。そのため関西地方では“化石の寺”として知られています。
 漁村で古来、風待ち港でもありました。で、とりあえず深日御坊と言われ、顕如も滞在した古刹・金乗寺を目標に歩きます。板塀や土蔵、板壁の町家が見られます。また曲がりくねった路地に漁村らしさが見られます。  
 感動度★★ もう一度行きたい度★ 交通 南海多奈川線深日町駅から徒歩15分 

大阪市の古い町並み