昨日・今日・明日③
2009年(平成21年)
3月11日(水)
鞆の浦佳境に入ってきた鞆の浦
 鞆の浦の開発か保存かの動きが活発化していますが,国交省が開発に「待った」をかけてきました。開発一辺倒主義の役所だけに驚きました。細かいことは省きますが,多くの著名人の反対運動も影響したと思います。開発推進派の市長は,開発のための専門部署を設けて,反対派の住民の切り崩しにかかるそうです。
 ただ開発賛成派の意見も無視できないのは,朝夕の通勤通学ラッシュをどう解決するかです。道路が狭いために,子どもたちは命がけの通学を行っています。このことをぜひ解決しなくてはいけません。反対派はトンネルを提示しています。このほうが埋め立てよりも安くできます。いずれにせよ住民の生活を犠牲にするわけにはいきません。なんとか知恵を出し合うことが必要だと思います。
3月8日(日)
世界遺産登録を目指す工場群
 今,群馬県桐生市が熱い。昨年の12月に「ノコギリ屋根博覧会」を開催して,2000人以上の人を集めました。このようにノコギリ屋根を観光資源として生かせないかと,市の観光事業の担当者はいいます。かつて「東の桐生」,「西の西陣」といわれたくらい絹織物業栄えました。市内には約200以上のノコギリ屋根工場が残っています。
 合資会社後藤の木造ノコギリ屋根工場は登録文化財に指定されていますが,工場として現役で頑張っています。桐生市は,重要伝統的建造物群保存地区の選定を目指しますが,その先は「ノコギリ屋根織物工場群」で世界文化遺産登録を狙っているそうです。
▲登録文化財に指定された後藤
▲後藤の工場はまだまだ現役だ
3月6日(金)
電気舟で日本橋川を遊覧
 『都心の水辺でエコツアー・日本橋川コース』(約1時間30分)の無料体験ツアーに参加しました。乗船した千代田区所属の舟は電池で動く「電気舟」(10人乗り・トイレ付き)で音がしません。隅田川から日本橋川に入るととたんに静かになります。それぞれの橋に趣が感じられますが,高速道路の橋脚だけは本当に邪魔でした。なんとかなりませんか。
▲隅田川の勝ちどきマリーナーから出発します。大型船の波に影響されて大きく揺れます。でも静かなので話し声がよく聞こえます。電気舟ははじめて乗りました。軽いせいか波に弱いようです。
▲日本橋です。水面から見たのははじめてです。とても美しい橋です。さすが日本を代表する橋だと感動しました。近年,このあたりの高速道路を別に移すという計画があるようです。ところで日本橋川は意外にきれいで,においはまったくしませんでした。 ▲ここは霊岸橋(れいがんばし)です。古文書の勉強していると,この霊岸橋近くの酒問屋衆が,奉行に対して闇の酒造りを取り締まってほしい,という嘆願書を読んでいた所でした。この先に当時,上方の灘から運ばれてきた酒樽の荷揚げ場があります。
3月5日(木)
『ピカソとクレーの生きた時代』
 この展覧会はドイツの近代美術を中心にコレクションしているノルトライン・ブエストファーレン州立美術館が改修工事のために休館する機会を捉えて,すばらしいコレクションを一気に紹介したものです。
 ピカソやクレーを含む23人の作品を公開されたのですが,20世紀前半60点近くの名作に圧倒されました。ピカソの新古典主義を代表する裸婦像の実物を見たのははじめてで,ボリューム感にピカソのもう一つの側面を見ました。もちろんシュールリアリズムを代表する作品も見飽きません。抽象絵画の大家でもあるクレーは,ナチスに追われますが,晩年の作品は独特の作風に感動。
▲ピカソとクレーの生きた時代のポスター
3月3日(火)
旧安田楠雄邸 旧安田家の永徳斎のおひなさま
 安田財閥・創始者の孫に当たる安田楠雄氏の旧邸宅で,代々伝わるおひなさまが公開されました。長女と次女のお内裏さまを一緒に飾っています。東京のど真ん中で名家の雛飾りがそのまま残っているのは,きわめて珍しいそうです。7段飾りで,2畳分の広さで,作者は京仕込みの職人・三代目永徳斎です。すばらしいのひと言です。
▲昭和初期の製作といわれる
2月26日(木)
「ナニコレ! 珍百景」…白い鳥居
 鳥居の色を見てビックリしました。真っ白なのです。それも二つ重なって並んでいるのですから。白いペンキで塗っています。しかもきちんと名前もあります。「玉川弁天堂・水神社」というそうです。無人の小さな神社です。近所の人に聞いても,なぜ白いのかわかりませんとのこと。
▲大田区羽田で見つけました
2月24日(火)
茅葺き屋根200軒以上の美山町
 京都府の美山町には多くの茅葺き屋根の民家がたくさん残っています。はじめて見たときの驚きはいまでも忘れません。「よくぞこれまで無事に残っていてくれたか」と。いまでは多くの観光客が訪れています。
 こんなとき,地元の茅葺き職人の西尾晴夫さん(38歳)が美山町と隣の日吉町に存在する茅葺き屋根を徹底調査をしたそうです。その結果,美山町には茅葺き屋根が183棟,トタン覆いが504棟。日吉町には茅葺き屋根が29棟,トタン覆い屋根が323棟で合計1039棟もあったそうです。
 本来,行政が行なうべき調査を一職人が自費で行なったとか。おかしい!
▲183棟の茅葺き屋根が存在
▲山あいに佇む茅葺き屋根の民家
2月23日(月)
格安で使える工場アパート
 工場アパートというのを知っていますか。少子化で空き屋になった学校を,事務所などに貸す出したりするのですが,それをもっと大がかりにしたものです。「テクノFRONT森ヶ崎」は,騒音や振動の出る工場向きに部屋を貸し出しているのです。家賃は4万円からで,格安です。明るく清潔なのがいいですね。零細,中小企業向き。
▲明るく清潔なビル内
2月22日(日)
篤姫の愛した薩摩焼も多数出展
 昨年の秋,鹿児島に行ったので懐かしくなって薩摩焼展(江戸東京博物館)に行きました。それと以前,白薩摩焼の茶碗(1個3000円)でご飯を食べていたら,手を滑らせて割ったという苦い経験があったからです。
 これでもか,これでもかと200数十点もの薩摩焼が並ぶと圧巻です。篤姫の愛したものや,島津斉彬の造った黒薩摩は珍しいと思いました。また現代陶工の沈壽官氏の焼き物も多数展示されており,十分に堪能した感じです。
 薩摩焼に陶磁器があるのも,今回知ることができました。
▲薩摩焼展のポスター
2月21日(土)
D滑走路と桟橋 羽田D滑走路の建設現場展望台
 現在,羽田空港の4本目のD滑走路を建設中というのは,ご存じだと思います。総工費約650億円(滑走路部分),長さ2500mで,桟橋構造と埋め立ての複合構造になっています。もちろん滑走路だけではなく,連絡橋,国際ターミナル,新駐機場,さらに京急とモノレールの国際線用の新駅も合わせて新設されます。
 ということですが,実はD滑走路建設現場展望台を昨年秋ごろ,国土交通省が設置していたのです。このことは地元の人すら知らないという隠れた「名所」になっています。
 建物はプレハブ3階建てで,1階は事務所,トイレ,2階は展示室,3階はビデオ上映室,そして屋上となっています。目の前は,D滑走路の桟橋部分が見え,右手にはA滑走路へ進入する旅客機が大きく見えるところです。解説するボランティもいて,技術的なことや,将来のことなどしっかり説明してくれました。もちろん無料です。
 それにしても展望台を造っていたとは知りませんでした。華やかな旅客ターミナルとは違って,殺風景な場所ですが,間近に建設現場を見られるのはいいものです。
▲沖合が建設中のD滑走路。手前が工事作業員上下船用桟橋
▲建設現場展望台の屋上
▲プレハブの建設現場展望台
2月19日(木)
大田市場の見学会に参加
 日本で最大の東京中央卸売市場・大田市場の見学会に参加しました。あまりの大きさにめまいを起こしそうです。大田市場は勤務する人は5380人,関係者7630人の計1万3000人,車は1日に1万4500台が出入りするとか。
 大田市場は今年で20周年を迎えています。魚介類は築地と同じように新鮮で格安で買えます。正式には毎月最終土曜日を一般開放しています。でもふだんでも買えるようです。築地市場より空いているので買いやすそうです。バスも大森駅や品川駅から市場の中まで入っています。
▲青果棟の仲卸売馬
▲水産棟では一般人も買えます
2月18日(水)
ブータンの人口は約60万人!
 東南アジアなどの農業経済が専門の河合明宣さん(放送大学教授)の話を聞く機会を得ました。特にブータンに強い関心を持っておられるだけに話は尽きませんでした。
 GNP(国民総生産)ではなく,独自の尺度であるGNH(国民総幸福)を強調する国でもあります。傑作だったのは,実際の人口が60万人だったということ。以前は200万人と標榜してはず。実は国連機関やインドから援助を受けるために,適当に答えたそうです。統計などのない国だから当然かも。ところが2008年の総選挙のために,徹底した人口調査を行ったそうです。
 ブータンの歴史を知ると,チベットは侵略者として登場するのも意外でした。
▲第8次5カ年計画のポスター
2月15日(日)
没後45年目の「第1回瓢々祭」
 東京の大田区には馬込文士村と言われるぐらい,多くの文豪が住んでいました。その中心的な作家に尾崎士郎(1898~1963)がいます。代表的な小説に『人生劇場』がありますが,この小説は,大河小説とよばれるくらい,壮大な時代背景と緻密な構成で成り立っており,約20年の歳月をかけたそうです。
 今日,大田区にある尾崎士郎記念館で,尾崎士郎を偲んで「第1回瓢々祭」が行われました。瓢々とは,人生劇場の主人公・青成瓢吉(あおなりひょうきち)から命名したそうです。今回はNPO法人馬込文士村継承会を中心にした実行委員会主催で行われたのですが,来年も開催したいとか。
▲尾崎士郎記念館
▲庭から見た客間
2月12日(木)
庶民の目線にたった現代イラン考
 「ペルシャ文化と現代イラン」というテーマで岡田恵美子(東京外国語大学名誉教授)さんの講演が大田文化の森(東京都)で開かれました。さらの地元在住のイラン人2人も参加したおもしろいイベントでもありました。庶民の目線にたった話だけに爆笑することもあって楽しいものでした。
 特にイランのかつての宗教ゾロアスター教からより戒律の厳しいイスラムに変わったのは7世紀以降。それまでは酒も各種肉もOKだったそうである。チャードルの下は何を着ているのか。答えはブランドものの洋服。戒律はゆるやかだそうだ。
▲絹100%手織りのペルシャ絨毯
2月6日(金)
風邪にかかるとダイエットができる????…
 熱はないのですが,からだがだるくちょうど風邪のひきはじめのような感じなので,病院に行きました。まあインフルエンザではなかったので,一安心です。でも咳が止まらないのは,つらいものがあります。さらに食欲が衰えているせいか,1日で体重が1・.2kgも落ちました。風邪にかかるとダイエットができる…。
2月2日(月)
「ぽち袋と袱紗」展がおもしろい
 関西地方ではぽち袋は知られていますが,関東では祝儀袋と呼ばれています。折りたたんだ紙幣や硬貨を入れて手渡す祝儀袋のことです。手ぬぐいや半纏など「和もの」を蒐集している豊田コレクションが協力して展示されました。その豊田満夫氏(代表)の「小僧時代」の話が傑作で,質疑応答も爆笑。
▲大田区区立博物館で開催
1月29日(木)
ショッキングな「牛が肉になるまで」
 井の頭自然文化園(武蔵野市)で『牛と人』のゼミナールが開催されました。特に内澤旬子さんの「牛が肉になるまで」の講演は,ショッキングな内容でした。牛の殺し方から内蔵の取り方,現場での狂牛病の防ぎ方まで微細に説明。「命を食べている」ことを実感しました。
▲乳牛の乳搾りも体験しました
1月28日(水)
初体験! 機内食におかゆが…
 たぶんファーストクラスやビジネスクラスでは当たり前かも知れませんが,エコノミークラスでおかゆが出たのです。はじめての体験でした。中国東方航空の昆明→上海間です。
 味もまずまずでしたが,本当にビックリしました。国内線なので,全体としては簡素な感じでした。
おかゆの機内食
▲中国東方航空の機内食・おかゆ
1月22日(木)
遺跡公園(多摩市) 縄文人は右利きだった!!
 1970年後半,寺地遺跡(新潟県)で発掘作業を手伝っていた阿部朝衛氏(現帝京大学教授)は,出土した石斧(せきふ)の「右下がり」傷を見て,ふと疑問に思ったそうだ。他の石斧も右下がりの傷が付いている。それから10年,東日本の遺跡から出土した石斧を調査して,ある結論を得る。「縄文人は右利きだ」と。
 右利きは79.1%,左利きは3.2%でその他両使い,判読不能などがあります。
 出雲大社,住吉大社,伊勢神宮などのしめ縄は,人間が通常使う縄のよりは逆のねじり方になっています。これは神様が神殿内に悪の侵入を防ぐためではないかといわれます。縄文人はすでに縄を使っているので,利き手とは逆にねじったことになります。
 図の左端の手が右利き,次が左利きとなります。結局,縄文人も現代人も割合は,ほとんど同じということがわかったとか。おもしろいですね。
▲縄文時代の復元住居
東京都埋蔵文化センター
▲東京都埋蔵文化センター
▲石斧の握り方と動かし方(図表)
1月16日(金)
篤姫の乗った「珠玉の輿」展を見ました
 NHK大河ドラマ『篤姫』はたいへんな人機のうちに終わりましたが,その余韻のさめやらぬうちに,というわけではありませんが,江戸東京博物館で開かれた「珠玉の輿」展を見てきました。
 13代将軍家定の生母・本寿院の乗り物・輿が展示されていました。そしてそれと比較するように,篤姫の乗ったとされる駕籠がてんじされているのです。細かな金粉を含んだ梨子地(なしじ)で仕上げた,豪華な乗り物です。内側は源氏物語の絵巻物になっており,あまりのグレードの高さにビックリです。まさに動く御殿といえるでしょう。
江戸東京博物館の看板
1月12日(月)
日本風食品を装う中国製品
 中国に行くと必ず市場やスーパーマーケット(超市)に行きます。缶ビールを買ったり酒の肴を買います。ご存じのように最近の日本の食料品は安心,安全ということで,価格は高いけどとても人気があるのです。
 ところが,日本製,もしくは日中合弁企業製ではない,純粋な中国製品でも,日本製らしく装う製品が,やたらと多くなりました。特に袋入りの食料などに多く,表面に日本語,特にひらがなが印刷されています。文意は意味不明です。
 裏面を見ると完全な中国製であることが明記されています。違法ではないものの,なにやら変な気分になって,文字校正したくなってきます(笑)。
▲右端の日本文の意味がわかりますか?
1月5日(月)
変質する世界遺産の麗江
 5年ぶり2回目の麗江(中国雲南省)でした。驚きました。轟音と色と喧噪で,麗江の夜は大きく変わっていました。メインの東大街と新华街の間に疎水沿いの無名の小路がありました。その疎水の両側にクラブがぎっしりと並んでいりのです。生演奏に合わせて,ボーカルとそれに合わせて踊りまくるという寸法。各店は窓を大きく開けているので,外に音が飛び出すのです。全部の店が生演奏なので,歩いていると,轟音のなかを歩くようになります。
 約100mほどの距離ですが,静かな麗江をを求めて行っただけに驚きです。ちなみにビール大瓶は40元(約560円)で,町の10倍以上の値段。とにかく「ヘド」の出そうな町に変質していました。
疎水沿いは酒吧一条街と命名
▲踊っている人が丸見えです
2008年(平成20年)
12月22日(月)
不気味なセロテープアート
 その昔セロテープ芸というのがありました。顔面にセロテープを貼り付けて物まねするというお笑いです。ところが,セロテープを使った前代未聞のアートが登場したのです。何度も重ね張りして具象化していくのですが,ちょっと不気味な感じです。なにやら胎児のような感じです。作家は瀬畑亮氏で1974年生まれの若手です。
▲開催された練馬区立美術館
12月10日(水)
川越の歩行者天国化は無理!
 川越は小江戸と呼ばれていますが,年間約200万人(市の発表)の観光客が訪れます。唯一の欠点は,交通量が多く車と観光客との接触事故が避けられないということです。せめて土日ぐらいは歩行者天国にすれば…,と思いますが,市の担当者は「住民の生活道路だけに絶対に無理!」と断言。危ない思いをしながら観光するしかないか…。
▲一番街は生活道路でもある
12月9日(火)
寡占化? ジャンジャン横丁
 大阪・新世界にあるジャンジャン横丁は,NHK連続テレビ小説『ふたりっ子』以来観光客が殺到して,以前からの「くらい」,「こわい」,「汚い」の3Kを一気に消し飛ばしました。私も「新花月」のあった時代を見ているだけにまさに夢のような変わりようです。
 ジャンジャン横丁にも変化が出てきました。串カツ専門店の2強『八重勝』と『てんぐ』のうち,八重勝が向かいに支店を開店。さらに大手の『大西屋』がはじめて進出,居酒屋の『やまと屋』3店舗と資本力のある店がどんどん進出。10年程前に大興寿司本店がすぐそばに支店を開店して「おっ,若ダンナもやるな」と思いました。
 高齢化で店を手放したり,客足が途絶えて閉店したりと,さまざまな問題をかかえるジャンジャン横丁ですが,それでもあの混沌とした雰囲気は大好きです。とらやの「立ち飲みカラオケ」なんてあるくらいです。このとらやも代が変わっていました。
 大手がどんどん進出すると,個性的ないろんな店が集まってできていた独特の雰囲気がなくなるのでないかと心配する昨今です。
▲「八重勝」が向かい側にも開店
▲人出の多いジャンジャン横丁
▲目立つことが一番の新世界周辺
12月7日(日)
鬼平犯科張の舞台
 両国の軍鶏鍋専門店『かど家』に行ってきました。ドラマ「鬼平犯科張」に出てくる「五鉄」のモデルになった所です。ドラマでは鬼平が配下の密偵と打合わせしたりしています。
 軍鶏(シャモ)は鳥取県の大山から取り寄せたもので,八丁味噌で煮込みます。小鉢に特注のといたタマゴに付けて食べます。柔らかくてとてもおいしいです。
▲「かど家」は文久2年の創業。軍鶏鍋コースは1人前7500円から。
12月4日(木)
ユニークな江戸東京たてもの園
 江戸東京たてもの園に行ってきました。ユニークなのは,近代建築の著名な建築家の初期の作品を展示していることです。山の手通りに面してちょっぴりおしゃれな建物が見られます。そのせいか建築家のタマゴと見られる若者たちがノート片手に熱心にメモをとっている光景が見られます。日本のモダニズム運動を提唱した堀口捨己の設計した小出邸や近代建築の発展に寄与した前川國男の自宅などが見ものです。
 下町ゾーンには,東京銭湯建築を代表する子宝湯,さらに醤油店,和傘の問屋,生花店,交番,文具店などを移築再建しています。特に居酒屋で先代の「鍵屋」は懐かしく,2代目の経営する「鍵屋」も台東区根岸に存在します。
 それと紅葉のきれいなところでした。
▲左から和傘問屋,醤油店,銭湯
▲小出邸(左)と前川國男邸
12月3日(水)
東京都のカラスは「捕獲」か「捕殺」か!?
 最近,カラスをあまり見かけなくなったなあ,と思っていました。マンションのベランダで見かけた糞もありません。やはり,餌となる人間の出す生ゴミが不景気のせいか量が減ったのだろう,具合いに考えていました。ところがどっこい,そうではなかったのです。
 東京都が平成13年度から毎年5000~6000羽前後のカラス捕獲していたのです。捕ったあとは炭酸ガスで殺すわけです。
 この捕獲について「捕殺」だという人たちがいます。カラスの迷惑行為は,むしろ人間側の問題であると。その通りです。人間のゴミ出しの方法の問題なのです。しかし,カラスの迷惑に困っている人もいます。僕もやっぱりカラスは減ってほしいです。むかし礼文島に行ったとき,わざわざカラスに餌をあげている人がいて驚いたことがあります。地域によって考え方が違うのでしょう。
 餌となる生ゴミを出さないようにすればいいのです。鳩や野良猫の対してもそうです。すべて人間側の問題です。
11月26日(水)
江戸・東京フォーラムが川越で
 第180回江戸・東京フォーラムが川越で開催されました。川越は蔵造りの町並みのある所として,全国に知られています。またメインの一番街を歩きますと,重厚な蔵々が観光客を圧倒します。
 今回の開催理由は,歴史的建造物の活用です。これだけの建造物が,立派に活用されているのにまだあるのか,と思いましたが,まだあるのです。そこで非公開の歴史的建造物を地元の建築家や行政の都市計画担当者に案内していただきました。
非公開の歴史的建造物3軒を見学
 織物市場(写真①)は明治43年(1910)開場,日露戦争後の深刻な不況を救うために商工会議所が設置を決めたわけです。マンション建築で壊される寸前を川越市が購入しました。
 写真②の旧山崎家別邸は,亀屋山崎茶店の所有で,これも川越市が購入。今後の使い道は決まっていません。
 旧鶴川座(写真③)は,芝居小屋から映画館,さらに各種イベント小屋へと変身してきました。現在は,近くの蓮馨寺の所有ですが,どのように生かすかはまだ決まっていないとのこと。
 今回のフォーラムでこれらの活用にいろいろな意見が出されたのです。
 
①明治時代の川越織物市場跡
②旧山崎家別邸は和洋折衷
③歴史の変遷を見る旧鶴川座
11月22日(土)
徳川慶喜の「謹慎」が,外国による日本の租界化を防いだ?
 徳川時代最後の将軍・徳川慶喜の功績は,あの「謹慎」にあるというのが,上野・寛永寺執事長の浦井正明さんです。鳥羽・伏見の戦いに敗れた慶喜は,大阪城を密かに出て海路で江戸に帰る訳ですが,翌日には朝敵となり慶喜追討令が出されます。その後,上野寛永寺で謹慎,さらに水戸,駿府と移動させられ,謹慎が続きます。
 会津,長岡,函館と内乱が続きますが,このとき,イギリス,フランスが「兵を出して協力したい」と薩長側,幕府側にそれぞれ申しいれますが,双方とも断固断わっています。
 慶喜が謹慎することで,幕府側の抵抗がそれほどの広がり見せなかった理由は,朝敵にされたうえに将軍自ら謹慎していることで,反乱軍は2重の汚名を着せられたということです。そして少しずつ戦う理由が失せていくのです。日本中を巻き込んだ内乱にならなかったことと,外国軍の介入を防いだことが後の日本を大きく救ったことになります。
 外国軍が介入していたら,イギリスかフランスのどちらかの国による香港のような租界地ができていたことでしょう。
朝敵だった慶喜が明治政府から数々の勲章をもらうという皮肉
 と,いうのが慶喜の謹慎が,後にくるであろう「日本の危機」を救ったのでありました。セミナーでの浦井正明さんの講演内容です。NHK大河ドラマ『篤姫』は今まさに慶喜の謹慎シーンを放映したところでした。
 それにしても,朝敵といわれた慶喜は晩年,明治政府から数々の勲章をもらい,薩長側の西郷隆盛の晩年は朝敵にされて西南の役で自害するのです。歴史は皮肉なことするものです。
11月21日(金)
200以上あるノコギリ屋根工場
 ノコギリ屋根を見るとなにやら懐かしい気がします。桐生市(群馬県)には約200棟以上のノコギリ屋根が残っていると言われ,その活用法はないか,と昔から叫ばれていました。現在,美容院,豆腐料理店,洋菓子店などに使われいるとか。
 先日,大阪・泉南地方へ行ったときも,ノコギリ屋根の工場が残っており,利用法を探っていると聞きました。桐生市との共通は,いずれも繊維産業が盛んな土地柄であったことです。
『ノコギリ屋根博覧会』開催
 さて桐生では,そんなノコギリ屋根工場の歴史,製品などを紹介する『ノコギリ屋根博覧会』(12月6~7日)を旧金谷レース工場(写真①)で開催します。現在はベーカリー店に生まれ変わり,なおかつ国の登録文化財に指定。
 市内には登録文化財に指定されたノコギリ屋根工場は,ほかにも後藤織物工場(写真②)があります。ここの絹織物はアメリカ映画『SAYURI』にも登場しました。今から楽しみです。
①レンガ造りの旧金谷レース工場
②国の登録文化財・後藤織物工場
▲後藤織物工場の内部
11月20日(木)
五島美術館 「古渡り更紗」展に行きました
「更紗」とは、木綿に草花・鳥獣・人物などの模様を、型や手描きによって染めた布のことです。特に、18世紀初期までにもたらされたインド製更紗の一群を「古渡り更紗」といい,江戸の人々は,細かな模様と色使いに驚いたでしょう。「彦根更紗」を含めて400点以上の更紗は圧巻でした。
▲五島美術館
11月19日(水)
軍艦島が来春公開されるのか?
 長崎市の沖合に端島(はしま)という小さい島がありますが,軍艦(戦艦・土佐)に似ているところから軍艦島と呼ばれています。島の周囲を観光船で回ったのは数年前です。
 いろいろな写真家たちの写欲をかきたてた被写体でもあります。その島が2008年9月26日に文化庁が「九州・山口の近代化産業遺産群」として世界遺産暫定リストに登録しました。
 かつて炭坑集落でもあり,5000人以上の人が住み,病院,学校,食堂,寺院,銭湯などを備えた都市でもあったのです。特に鉄筋の高層住宅は,日本でも最初の建築物といわれています。
 現在,長崎市は立ち入り禁止にしていますが,いよいよ来春(2009年春),一般公開される予定だそうです。護岸,見学路の整備を進めているとか。公開されたらぜひ見にいきたいと思います。
 
11月18日(火)
関東大震災,東京大空襲…
 先日,墨田区の横網町公園に行ってきました。ここには関東大震災と東京大空襲でなくなった身元不明の人たち約10万人が納骨されています。
 もともと陸軍の用地でしたが,震災後多くの人たちが持ち込んだ家財道具に火が移り,一気に焼死者がでたそうです。ここだけで3万8000人が死亡とか。
▲東京都慰霊堂
11月15日(土)
「関東の中世の城郭に石垣はない」の定説が崩れだした
 それにしても,戦国時代の城郭はおもしろいものです。特に戦国時代前半の城郭の定説がことごとく崩れているのです。たとえば群馬県太田市の金山城はその典型です。「関東の中世の城郭は石垣がない」というのが,学会の定説でした。ところが1469年に築城された金山城には,立派な石垣があったのです。それも何回も何回も補修していたのです。これも発掘してわかったことです。
 中世の城郭研究は,始まったばかりです。文献などの資料はほとんどないだけに,発掘して出てくる生活品などから分析して年代を判定します。中世の城は山城がほとんど。生い茂る草木の中に崩れた土や石のかたまりを見て,判断に苦しむのが実際です。やはり発掘しなければ,詳しいことはわからないようです。
11月12日(水)
何年ぶりかで正倉院展を見ました
 毎年秋に開催されているのですが,なかなか行けなかったのです。元々奈良は生まれたところだけに,勝手知ったるところ。奈良公園や博物館付近は何十年も変わっていません。
 今回の出展数は69点で,おもしろくユニークなものや,美しいものまで多種多様なものが展示されていました。特にペルシャから伝わった白瑠璃碗(はくるりのわん)のカットグラスは実に美しい。また「スプーン」や「包丁」などは,奈良時代の食生活の一端が垣間見られた感じです。また聖武天皇の一周忌法要で使われた天蓋(てんがい),テンのミイラなどもビックリ。超国宝級が見られたので幸せな気分でした。
奈良国立博物館本館
▲奈良国立博物館
本館の裏に続く新館
▲新館で正倉院展を開催
11月11日(火)
気品のある永徳齋の人形35点を見てきました
 明治から昭和にかけて皇族や財界人など著名な人たちから好まれた人形師・永徳齋(えいとくさい)の人形展を見てきました。35点も一挙に展示されたのは画期的だそうです。今回は永徳齋3代にわたっての作品で,初代から少しずつ表情が変わってきたそうです。浅草の人形店・吉徳の学芸員の林直輝さんが,詳しく説明してくれます。
「初代は皇族の方々とのおつきあいがあったせいか,上品な顔立ちが特徴で,2代,3代となるにつれ,愛嬌が出てきています」という。武者人形をはじめとして,気品にあふれた人形は,みやびと粋の両方を感じさせるのでした。
11月6日(木)
4年連続,インフルエンザの予防注射を受けました
 今年もインフルエンザの予防注射を受けました。4年連続です。まあ気休めかもしれませんが,一度もインフルエンザにかかっていません。ただ新種のインフルエンザには効きめは無いそうです。いわゆる鳥インフルエンザが人にうつることがあるかもしれないという。
 中国にはよく行きますが,市場に行くとニワトリが売られていますが,その数たるやすごいものです。羽をバタバタさせると,ものすごいホコリが立ちますが,糞も一緒に立ち上がっていると考えると,おもわず口を押さえてしまいます。
 インフルエンザの予防注射も気休めかも知れませんが,1年に1回,3000円も安心料と思うことにしています。

大西脩平の昨日・今日・明日①
大西脩平の昨日・今日・明日②