昨日・今日・明日@
2008年(平成20年
6月27日(金)
4泊5日の入院生活でした
 退院しました。4泊5日の入院でしたが,手術も含めて入院ははじめての経験でした。内臓疾患ではないので,体は元気なために,退屈で退屈でしかたありませんでした。文庫本も5冊持っていきました。テレビカードも3枚も買いました。1枚10時間使用可のカードです。大学付属病院でしたが,患者に対する応対が,「お客様」に対するサービス業に見られる応対と同じです。本当に変わったものです。また患者をバーコードで徹底管理し,投薬などの間違いを防いでいます。また教授回診もおもしろいものです。まあ,医療現場にはいろいろな問題があるでしょうが,とりあえずは退院報告とします。
6月22日(日)
再発見したい畳のすばらしさ
 日本家屋で絶対に欠かせないのが畳です。その畳の現状は寂しい限りです。特にマンションの発達で,フローリングが多くなったのが大きな原因だそうです。しかし畳の良さを見直し,本物の畳を志向する人たちも確実に増えています。そんな本物の畳を造り続けている職人をたずねました。羽毛田畳店(東京都杉並区)です。
 畳は@中心となる床材,A周囲の縁(へり),B表面の畳表の3点から成り立っています。
@床材/床材が大きく変わっています。わらだけで造ると1枚30sになるものもありますが,今では発砲スチロール,ボードなどに変わってきました。問題は発砲スチロールなどは,つぶれると回復しないという点です。わらだと押しつぶしてもゆっくりと回復します。しかし工場生産に押されて,床を造る職人が極端に減ってきているそうです。実際はわらを何層にも重ねて造るわけですが,長いわらをそろえるのが困難になってきたとか。
A縁(へり)/木綿が中心です。最近では,圧倒的に化学繊維が中心です。色や柄も豊富です。
B畳表/格安の中国産に圧されて,国産が衰退しつつあります。いまは福岡県,広島県,岡山県で造った畳表を使っているそうです。畳表の原材料は大きく変わっています。和紙,ビニールなどいろいろです。
 マンションに使われている畳の大部分は,工場で大量生産された畳です。しかし寒暖の差に応じて変化するのが畳です。畳は快適な湿度を保ち,い草特有のの鎮静効果もあって,こころを癒してくれるのです。天然素材のすばらしさを再発見したいのもです。
6月20日(金)
江戸の町造りを手本にした平成の町造りを考える
 「東京がまだ江戸時代のころは,水の都市でもありました。掘り割りがたくさんあって,河川のネットワークが完成し,水辺に市民文化が栄えました」というのが陣内秀信法政大学教授です。
 先日『江戸のまちづくり〜平成のまちづくり』というテーマで講演会が行われました。江戸は生活そのもの,祭事,商業活動,飲料水,農業,漁業など,いずれも水と関係があるわけです。しかしその水辺を壊し続けたのも,現代の東京なのです。陣内教授は,失われた水辺を再生することが,現代都市の再生になるのです,と力説されます。いま,かろうじて成功しているのが,お台場だそうです。もうひとつ,中央区の聖路加病院裏の隅田川沿いがやや成功しているといいます。
 僕自身,鳴り物入りでスタートする各開発地域も,ライバルが登場すると,急速に廃れていくのを目にします。東京駅前の新丸ビル,六本木ヒルズなどがいい例です。もし水辺だったらライバルが現れても廃れることはないのではないかと思います。
 もう一つ水辺には人が集まりやすいということがあるかと思います。全国の繁華街や飲食街など意外に川沿いに発達した例が多く見られます。酔ったあとフラフラと水辺を歩く気持ちいいものです。
 陣内教授がなげくように,東京ではあまりにも規制が強いため,水辺の利用がうまくいかないそうです。大阪や広島ではすでに水上タクシーが登場しています。江戸の河川ネットワークが,現代の都市にも再生されたら,もっと魅力ある町になるだろうと,つくづく思います。
6月18日(水)
平戸市の神浦(こうのうら)に行ってきました
 4月に3カ所の重要伝統的建造物群保存地区が選定されましたが,そのうちに一つの長崎県平戸市神浦(こうのうら)に行ってきました。実は,この集落は選定前から村を二分するくらい意見が分かれていました。
 景観の保存か暮らしの発展か,ということですが,その論争には決着がつき,重要伝統的建造物群保存地区の選定となったのです。しかし,論争はまだくすぶっているのです。なかには,「重要伝統的建造物群保存地区選定の返上はできないのか」という住民も一部にいます。今回,反対している人に話を聞くことができました。
「重要伝統的建造物群保存地区になると本当に観光客がくるのか,村の発展が止まるのではないか。だいたい空き屋だらけの家をなぜ保存するのか」まで話は進みます。やはり両者の溝は深まるばかりです。法律の網がかぶることで,生活の不便さもわかります。しかしそれでも保存はしなくてはいけないと思います。いま,両者の言い分が共存できる計画を進んでるとか。それが救いです。
神浦湾 神浦の古い町並み
▲(写真左)湾の入口に幅7mの道路橋が架かり,フェリー乗り場からの曲がりくねった臨港道路(4m前後に拡幅して,大型車を通そうという計画でした。しかし重要伝統的建造物群保存地区の選定のための調査が行われた2005年から各事業計画は中断されています。(写真右)空き屋の目立つ神浦の町並みです道幅は3m程度です
6月3日(火)
●小樽運河を守る会の峯山さんが日本建築学会文化賞受賞
 先日,NPO法人全国町並み保存連盟の懇親会に小樽運河を守る会の元会長峯山冨美さん(93歳)が出席されました。峯山さんは,1975年に「守る会」を設立。多くの人たちとともに小樽運河や周辺の町並み保存に心血を注いだかたです。その峯山さんが,このたび日本建築学会の文化賞を受賞され,表彰式に参加するために上京されたのです。
 峯山さんは懇親会の席上「運動自体なんども危機を迎えましたが,最後までやり遂げるという強い意志があれば,成功します」と断言されたのが印象的です。
 自治体の首長が文化遺産を壊して道路建設を強行する背景は,そのほとんどが首長の後援会対策です。つまり選挙で「お世話になったので」,そのお礼に道路予算をたてるわけです。選挙のさい献金のほかにポスター貼りや電話の勧誘などの人員のほとんどが,地元の土建業者に頼っているからです。情けない話です。
5月28日(水)
昭和の香りがする月島でもんじゃ焼きを食べました
 この前,何年ぶりかで月島へもんじゃ焼きを食べに行きました。ここ数年「月島のもんじゃ焼き」ということで,全国各地に広がっています。最近では,大阪にももんじゃ焼きを出す店ができたというので話題になりました。中には「月島直伝」とかという冠を付ける店も現れました。
 それはともかく,週末の夜に行ったのですが,全部(約70軒)見て回ったわけではないですが,どの店も満員で,行列ができていいました。外国人の姿も多く,いまはブームなんだ,ということを認識しました。やはりNHKの朝ドラ『瞳』の舞台になっただけに,その影響は大きいと思いました。そして,店内は有名人のサイン入り色紙でいっぱいでした。
 作り方は簡単です。ほとんどの作業を店員がやってくれます。あとは小さなコテを使って食べるだけです。それにしても週末のもんじゃ焼き店は,どこもいっぱいでした。
5月20日(火)
古民家を集めた日本民家園
 川崎市に茅葺き屋根の住宅を集めたテーマパークがあるとは知っていましたが,今回初めて行ってみました。日本各地の茅葺き屋根のある民家を23軒も移築した古民家の野外博物館となっているのです。
 全体を宿場,信越の村,関東の村,東北の村,神奈川の村の5地域に分けられています。これらの特徴はすべて移築したもので,たんに復元した民家ではありません。ほとんどが国,県,市指定の重要文化財や重要歴史記念物に指定されています。
 本来なら地元で見るべきものでしょうが,保存するにはこの方法がいちばんでしょう。
▲入園料/大人500円
▲もりそば(そば処休憩所/530円)
5月14日(水)
「昭和十五年十一月十日,東京,銀座」を写真ルポ
 清川泰次の写真展(世田谷美術館分館)に行きました。テーマは『昭和十五年十一月十日。東京・銀座』です。清川泰次は1919年,静岡県浜松市に生まれ,画家でもありますが,慶応大学時代に写真部に所属していました。11月10日,清川は朝から晩までライカVaを持って,銀座を撮り歩いたのです。当時は太平洋戦争の戦勝記念も兼ね,「奉祝2600年」の旗も見られ,銀座を歩く人々の明るい笑顔が世相を表しています。
 モノクロ写真で,混雑する銀座通り,服装やビル,商店,朝日新聞社,日劇なども見られます。清川は市電の花電車も撮っていますが,今のカメラと違って画質は落ちますが,当時の雰囲気が伝わってきました。たった1日のルポですが,スナップ写真の原点がそこにあると思いました。また戦意高揚した人々の熱気も伝わってきました。
5月6日(火)
世界の水と集落との関係トークショー
 5月3日に引き続き,4日にコニカミノルタでトークショーが行われました。今日のテーマは「世界の水と集落」でした。パネリストは原広司氏(建築家・東大名誉教授)で,豊富な現地調査とスライド上映で話されました。アフリカ,中近東,アジア,南米へと話は広がります。オアシス,井戸,貯水池はコミュニティ,さらに敵から集落を守るための「水」の位置。イランのある村では,村長が水の権利を他に売ってしまったため,村自体が崩壊した例を報告されました。壊滅した村の写真は衝撃的です。今でも続く「水をめぐる争い」の話は興味深いものでした。水くみをする女,その水くみを守る男の役割はイエメンでの話。パプアニューギニアでは,増水に備えた高床式住宅は,カンボジアのカンポンプロック村と似ている部分もありました。
 氏は札幌ドーム,京都駅ビル,梅田スカイビルなどを設計された建築家でもあります。ほかに「窓の歴史」についての話もおもしろく,あっという間の2時間でした。
5月4日(日)
住宅の美の歴史は,縄文住居の竪穴式から始まった
 昨日(5月3日),新宿(東京都)のコニカミノルタプラザで『両棲集落カンポンプロック村実測図×山田脩二の写真』のトークショーが開かれました。第一部の藤森照信東大教授の「人類の住まいの起源」は,私たちの洞窟住居に対する勘違いや思い違い,縄文住居の敷地はなぜ丸いのかなど,おもしろおかしく話されました。
 でももっとも興味をひいたのは,住宅の「美の歴史」でした。人類は,いつごろから住居に美を求めたのか,ということです。氏は竪穴式住居からだといいます。単なる樹皮で葺いた三角錐形の建物から茅で葺いた屋根に移るにつれて,美が生まれてきたそうです。茅葺きの屋根にアイリスやユリの花を咲かせる美は,今でも西日本の各地に見られますが,実は5000年の歴史があるそうです。ただなぜ花なのか,という理由は今もってわからないそうです。
 もう一つ興味を引いたテーマーは,あの硬い茅を切った道具は何か,方法は,ということです。石器では茅は切れないし,ただ倒れるだけ。鉄器が出たのはもっとあとです。この茅を切った道具は何か,ということもまだ解明されていないそうです。まだまだおもしろい話は続きました…。
「6m差もある水面に対応した住宅をカンボジアで見た」
 第二部は写真家山田脩二氏のトークショーです。いまから50年前に撮った愛媛県の佐田岬半島の一集落の生活ぶりを見ながらの解説です。なつかしい写真を見ることができました。第二部の後半はカンボジアのカンポンプロック村で撮った写真です。展示会場はには,モノクロ写真ですが,スクリーンではカラーで見ることができました。この「両棲村・カンポンプロック村」というのは,渇水期と増水期とでは水面の高さが約6m差のある村で,渇水期は水がないので,住まいは高床式になり,増水期は住まいの下半分が水没するため,水上生活となります。つまり村全体が水没するのです。
 コニカミノルタプラザと関西大学江川研究室と共催で数年にわたって現地調査をされた結果を写真と住宅の実測図を展示されたのです。道に沿った1キロに及ぶ全戸の実測図,写真は圧巻です。山田脩二氏の軽妙な語り口と藤森教授の突っ込みで会場は爆笑の連続。渇水期と増水期の6m差に対応できるように作られた住宅は,実に合理的です。自然に逆らわずに生活する村人たちのまさに生活の知恵から生まれた住宅ですが,はじめて目にする衝撃の強さは一口では表現できません。本当に驚きました。
5月1日(木)
桐生市の町作りを見学
 桐生は「西の西陣,東の桐生」と言われたくらい絹織物で栄えました。いまでも江戸時代から明治,大正,昭和かけて建てられた町家,商家,ノコギリ屋根の織物工場がたくさん残っています。とくに本町1,2丁目では,それらの文化遺産を生かした町作りが住民の手で進められています。また重要伝統的建造物群保存地区の選定に向けての取り組みも進んでいます。
 そこで,地元住民の交流会が行われました。実際には現役の織物工場見学や機織りの実際,町家の再生事例など目に触れながら伝統文化,古い町並みについて考えて見ました。
やっぱり地域住民の立ち上がり!
 実際に見学してみると,リーダーとなる人や拠点がしっかり存在していることが大事なことだと思いました。たとえば旧北川織物工場を無鄰館(むりんかん)と改名し,プロのアーティストに貸し出すことで,文化の発信地として活動。
 行政の後押しも大事ですが,なにより住民が積極的に関わりもたないといけないのです。

▲いろいろなノコギリ型工場跡
桐生
登録文化財がレストランに
4月23日(水)
重要伝統的建造物群保存地区が新たに3カ所が選定
 文化審議会が,3カ所の重要伝統的建造物群保存地区を選定しました。
・石川県金沢市主計(かずえ)町
・福井県小浜市小浜西組
・長崎県平戸市大島村神浦(こうのうら)
 です。すでに主計町と小浜西組は撮影を終えましたが,神浦は離島のためまだ撮影していませんが,近々出かけるつもりです。主計町は,料亭街で小さな町です。小浜西組は歴史的建造物がたくさん,まとまって残っています。NHKの朝ドラ『ちりとてちん』の舞台になっただけに,今回の選定は,町おこしへの追い風になったでしょう。
 九州地方の離島にはまだまだ,古い町並みが残されています。時間がとれればぜひ出かけたいと思います。
▲離島の平戸市神浦地区
▲選定された小浜市小浜西組
4月22日(火)
アーティストはオランダの水没を救うのか?!
 今年は日本オランダ年です。そこでオランダ大使館共催の「オランダの景観と文化政策」の報告会が開催されました。早い話が,都市計画に必ず「アート」専門家が加わることになったそうです。日本の場合は都市計画に建築家と行政マンが加わりますが,「アート」すなわち芸術家は加わりません。すなわち次世代の都市空間を考えて行く上に,とても参考になるのではないかと思いました。
 オランダからアートディレクターやアーティストが参加して活発なディスカッションが行われました。水上コテージの話もでましたが,地球温暖化で海面が6mも上がる(元ゴアアメリカ副大統領主演の『不都合な真実』より)という話もあるなかで,水没も可能なオランダで,もう都市計画もアートもクソもないのではないかと,思ったりもしました。
4月4日(金)
「まちエコシンポジウム」の現地からの報告
 「京都議定書」を批准した日本は2012年までのあいだに「CO2排出量の90年比マイナス6%」を達成しなくてはいけません。しかし無理でしょう。マイナスどころかプラスになっているのですから。まあ,それはさておき,先日「まちエコシンポジウム−地域から地球環境問題への道標」が経済産業省の主催で行われました。
 堅苦しいタイトルですが,これが実におもしろく,北は札幌市,帯広市,原宿,丸の内,三島市,長浜市,心斎橋の7地域からのエコに対する取り組みが報告されたのです。民間の取り組み,行政の取り組みなど,まさに本音で語られました。地域住民の無理解,役所内部のことなかれ,心斎橋の「カラス族」にまで話は発展するのです。
 周囲を説得して,一歩,一歩前へ進む様子を聞くにつれ,エコ対策が簡単にはいかないことがよくわかりました。内容はここでは省きますが,利害の伴うことが多いだけに,担当者の苦労はよくわかります。各地の報告を聞くにつれ,つきつめて考えれば,「少しでも利益があるようだったら,エコに協力しよう」というのが住民の本音ででしょうか。まだまだですね。
4月1日(火)
室内用の珍しいガス灯
 大田区山王(東京都)のY邸の築100年の洋館,和館が取り壊されることになりました。そこで,壊す前に見学会が行われました。大正時代のガラスや水洗トイレ,地下室など珍しい物ばかり。なかでも室内用のガス灯には驚きました。明治の数年だけ使われたとか。
▲はじめて見た室内用のガス灯
3月25日(火)
坂入邸 八郷茅葺き保存会の活躍ぶり
 先般,茨城県の旧八郷村(石岡市)に行ってきました。これは八郷(やさと)の茅葺き保存会との交流会が目的です。旧八郷村には今でも約70棟近くの茅葺き屋根のある民家が存在します。しかし,約10年ごとの葺き替えには,莫大な費用がかかります。そこで,できるだけ援助しようということで,茅はすべて無料で提供することになりました。多くのボランティアと一緒に茅刈りを行います。また茅葺きにも多くのボランティアが助けにでます。さらに行政もできる限りの支援体制を組んでいます。茅葺き農家保全の今後の目安になるかと思います。
▲屋根が新しく葺き替えられた坂入邸
2月21日(木
「東京」を独立させて,もうひとつのホームページを作りました
 中国に続いて,東京も独立させて一つのホームページを作りました。東京に長く住んでいて,昔の町並みが消えていくのが残念でしかたなかったのですが,意外にも各地で残そうという動きが出てきました。いい例は,品川区が品川宿を復活させようとしています。地元との調整も必要でしょうが,ぜひ成功してほしいです。
 つまり,高層ビルや高層マンションばかりではなく,大都会にも心のやすらぐホッとするような町並みができることを祈って,東京のコーナーを独立させたのです。
 東京の古い町並みはココから。
2月12日(火)
岩瀬邸 2軒の茅葺きの建物を見学
 日本民家再生リサイクル協会の見学会が行われました。2軒の茅葺きの建物ですが,いずれも最近になって葺き替えや再生を終えた建物です。
 鴫立庵は大磯町の文化財で,日本三大俳諧道場(京都・落柿舎,滋賀・無名庵)の一つと言われています。建築家とともに訪れましたが,1500万円ほどの費用がかかったとか。茅は御殿場で採集され,20〜25年ぐらいもつとか。煙でいぶすとさらに5年は伸びるそうです。
 岩瀬邸は個人のお宅で,「小田原市ゆかりの優れた建造物」に指定されたもので,1857〜1858年に建てらました。全体として,幕末期から明治初期の豪農の形態を残しています。
▲岩瀬邸(小田原市鴨宮)
鴫立庵
▲鴫立庵(大磯町大磯)
1月24日(木)
いま中国の出版界も古鎮ブームです
 いま中国では古鎮ブームです。古鎮とは古い村とか歴史ある町とかという意味です。書店の「旅游」コーナーに立つと,古鎮関係のガイドブックが並んでいます。それも何種類も並んでいるのです。省別,全国版などさまざまです。僕も何冊か買ってきました。値段は安いのですが,かさばるのでトランクに詰めるときに困りますが,やはり買っておいてよかったと思います。
 上海や北京では古い町がどんどん壊されていきます。それと反比例するかのごとく古い町並みに人が訪れるのです。上海郊外だと,大勢の上海人がやってきます。貴州省や雲南省になると,建築や民族を勉強する学生がやってきます。それも香港からやってきた学生もいました。
2007年(平成19年)
12月24日(月)
シグマ18-200ミリ 15−200ミリがほしい!!
 常時使っているレンズは,シグマ18-200ミリです。いつもこの1本だけで撮っています。予備のレンズも持って行きません。その後18-250ミリも発売されましたが,買いませんでした。望遠側に伸びるよりも,広角側に,もっと例えば15ミリとかに広げてほしい。広角側へは1ミリでも伸ばすのは難しいようですが,狭い町並みを撮るには広角はもっと広いほうがいいからです。
12月23日(日)
「谷根千」のシンポジウムに参加しました
 先日,谷根千(やねせん/谷中,根津,千駄木)に関するシンポジウム参加しました。2時間ほど町歩きをしましたが,新しい店がどんどんできているのに驚きました。古民家を改造して飲食店やギャラリーが誕生しているのです。銭湯を改造したギャラリーはユニークでした。オーナーは2軒の銭湯を経営していたが,1軒をビルに改造,残り1軒をギャラリーに改造したとのこと。
 谷根千はもともと保守的なところ。新しい住民がやってきても,どこまで入り込めるか心配する人が多いそうです。これは夕方から芸大でのシンポジウムでの発言でした。20年近く,すぐ近くに住んでいただけに,いろんな人たちの意見にとても感じ入りました。
12月5日(水)
ニコンD80 ニコンD80で撮っています
 2006年末にニコンD80を購入してから,ずっとコレで撮り続けています。なかなか快調です。ただゴミ取り装置が付いていないので,やはりレンズの交換時は気を使います。たぶん,次の新製品はゴミ取り装置付きだと思いますが…。
11月29日(木)
雪国での運転は,慣れないせいか恐怖に近いものがあります
 ここにきてどんどんUPしています。春ぐらいからの分がたまりにたまっているからです。「中国の古い町並み」を別サイトの独立させました。また「昨日,今日,明日」もそのままになっていました。これからはいろいろと報告させていただきます。
 地方ではレンタカーを借りますが,積雪や凍結が予想されると運転しません。やはり雪国の運転は慣れていないからです。慣れないというよりも恐怖に近いものを感じます。しかし雪の風景を撮るにはこれからがシーズンです。そのうちに道南地方に出かけようかと思っています。
10月28日(日)
出石町が重要伝統的建造物群保存地区に選定されました
 重要伝統的建造物群保存地区が新たに選定されました。兵庫県豊岡市の出石町です。2度ほど訪ねました。城下町の風情が残されているすてき町です。大田市の大森銀山ですが,さらに山の奥へ追加指定されたのです。やはり世界遺産に登録されたのが大きかったようです。
2006年(平成18年)
11月11日(土)
●79番目の重要伝統的建造物群保存地区が決まりました
 和歌山県湯浅町の湯浅地区が10月27日重要伝統的建造物群保存地区に選定すると発表されました。これで79地区になりました。以前に湯浅を訪ねたとき、地区のボランティアの人たちが、熱心に保存活動に力を入れていたのを見たのです。住民と行政が一体となった結果です。
9月24日(日)
日経新聞に「散策したい蔵の町並み東西ベスト5」が載っていました
 日経の昨日の土曜日版「NIKKEYプラス1」に、散策したい蔵の町並み東西ベスト5が掲載されていました。いずれも旅行関係のプロが選んだ地域です。東日本のベスト5は、@喜多方、A川越、B会津若松、C函館、D栃木。西日本は@倉敷、A日田、B内子、C津和野、D倉吉でした。いずれも大勢の観光客が訪れる土地です。いずれの町も共通しているのは、バックグランドが大きいということです。蔵だけではなく、食事のするところ、休憩のできる施設、名物やおいしいものがあるなど、プラスαがあるところです。ボクなら倉敷や喜多方、津和野、川越は選ばないでしょう。どちらかといえば、近江八幡や古川、五条、五個荘、笠島などをあげるでしょう。ただ倉敷だけは好きになれません。
9月7日(木)
●トップの写真を「秋らしさ」に替えました
 トップの写真を替えました。紅葉の写真と探したのですが、適当なものがなく、意外に撮っていないものだと、我ながら感心しました。デザインも近々替える予定です。相変わらず帰宅4qを歩いていますが、昨夜は「もう秋だ」と実感しました。ときおりひんやりした風が吹くのです。汗もそれほどかくこともなくなりました。
 医者の「体重を減らせ!」のひとことで始めたウォーキングも完全に習慣化しました。なにか歩かないと気がはれない時もあります。減量を始めて6sマイナスです。それでも81.5sあります。とりあえず70s台になるのが目標です。
8月20日(日)
●毎晩、仕事帰りの4qを歩いてます
 最近、毎晩仕事帰りに五反田→馬込(約4q)を歩いて帰っています。国道1号線(第2京浜国道)です。45分〜50分で約7500歩です。これで一気に5qの減量となりました。ところがこれが楽しくなってきたのです。はまってしまったのです。多量の汗をかきますが、汗をかくと気持ちがいいのです。なにか体内の毒素が全部出てしまうような感じなのです。しばらく続けるつもりです。
8月9日(木)
●カラーバランスを崩してしまいがちです
 最近、『四季の写真』の仕事で、多くのプロ、アマを問わず、多くのカメラマンと会っています。アマチュアでも、プロをしのぐうまさの人がいます。でも、あくまで趣味でいたいそうです。一理あります。
 ところで、ポジカラーをUPする場合、スキャンしますが、その段階でカラーバランスが崩れてしまうのです。そこでフォトショップで直そうとするのですが、ますます悪くなります。ときどき変な色の写真を見ると思いますが、さわりすぎてカラーバランスを崩した結果です。なにかいい方法がないものか、悩んでいます。
7月26日(水)
●猛暑の中を歩きました。これも減量のためと思えば…
 まもなく東京も梅雨が明けるでしょう。7月は今年に入ってはじめて1泊2日の旅に出ました。和歌山県と奈良県です。猛暑の中を歩きました。ペットボトル10本分を1日で飲んでしまうほどです。
 最近、減量のため歩くようにしています。これも医者から「体重を減らせ」と言われたからです。週2回、3.5qを夕方歩きます。2ヶ月ほどで約3s減りました。今後も続けていくつもりです。
7月6日(木)
●東京近郊にも歴史的な町並みがあります
 最近は、関東地方各地の古い町をたずねています。いままでは、遠い地方を最優先でまわっていました。というのも、東京近郊には歴史的な町並みは、もう存在しないだろう、という先入観があったからです。ところが、けっこうあるのです。それは順次紹介していきますが、ほんとうにうれしい限りです。
 ところで、最近写真の点数が多くなったせいか、このホームページ自体が少しずつ「重く」なってきました。最初にUPした写真は、かなり「重く」なっています。最近では、要領を覚えてきましたので、「軽く作る」ことができました。
●軍艦島に住んでいた人の写真展を見ました
 昨日、「青春・軍艦島」という写真展に行ってきました。写真家・大橋弘氏の作品です。長崎の沖合にある「炭坑の島」で、日本で最初の鉄筋の高層集合住宅で、その廃墟となっている島です。かつて奈良原一高氏の作品で一躍、その存在が知られてしまったのです。でも、でもです、まさかその島に住んでいた人が、写真家として存在するとは…、本当に驚きました。若い頃、軍艦島で石炭を掘っていたころの人々の生活をじつに楽しく、しかも的確に撮っておられます。廃墟の写真はたくさん見ましたが、人が大勢住んでいる写真は初めてでした。狭い一室での状況、寂しげな葬儀の写真は印象的です。数千点も撮っているそうです。写真集にもなっています。ぜひご覧ください。
6月12日(月)
●房総方面は交通の便が悪いです
 一昨日、千葉県の3カ所を回りました。朝6時半に家を出て、帰ってきたのが夜の8時でした。千葉県は東京の隣です。にもかかわらず、交通の便の悪さは言葉にできないくらいです。列車を乗り継いで行きました。これほど鉄道を利用したのは久しぶりです。当分は、神奈川や埼玉、多摩地区などを歩いてみようと思っています。
5月31日(水)
●日ハムの新庄選手が見たい!?
 もう5月も終わりです。昨夜、飲み仲間からプロ野球観戦に行こう、という誘いがありました。6月中旬ですが、ヤクルト−日本ハム戦で新庄選手を見るためだといいます。どちらのチームが勝とうが負けようが、どちらでもいいのですが、新庄選手は見たいと思います。
 今日、中国雲南省の巍山をUPしました。もっと細かく撮ればよかったと、後悔しています。引き続き、大理市もUPする予定です。それと掲示板を一時的に閉鎖しました。技術的なことですので、解決すれば再開します。
5月28日(日)
●掲示板と訪問者カウンター
 今日から掲示板と訪問者カウンターをもうけました。なぜ、と言われても困りますが、実際にどのような形で読まれているのかわからないからです。口頭でメールでいろいろ聞きます。ありがたいことですが、いま困っていることは、日向と日陰のコントラストの大きい写真をなんとか見やすいように、とフォトショップ(エレメンツ4)を使っているのですが、どうも“ド壺”にはまってしまうことです。いちばんの悩みです。2番目は写真をたくさんつかうことで、容量が少しずつ“重く”なってきたことです。
5月11日(木)
●写真展「トン族〜Dong Village」を見てきました
 昨夕、写真家・大野葉子氏の写真展『トン族〜Dong Village』(富士フォトサロン・銀座)を見てきました。今年の正月、トン族の村に行こうと思っていましたが、あまりの交通の便の悪さにあきらめた地域でした。独特の建築物や町並み、写真を見るだけで本当に行きたくなりました。貴州省や雲南省にはまだまだ「手つかず」の町がいっぱい残っています。大野氏が行かれたトン族の集落は、最奥地で少なくとも2泊しないと行けないかも知れません。来年の正月は、綿密に計画を立ててみよう、と思ったしだいです。
5月10日(水)
都心の変貌ぶりに驚かされました
 地方へ行くと過疎だけに、どう撮っても人がいないので、寂しい写真になります。ところが都会だと人が多すぎて、全体がきちんと撮れないことがあります。そこで、横浜も柴又、佃、神楽坂は早朝に出かけました。特に佃は10年ぶりぐらいですが、周囲の高層住宅ラッシュに驚きました。佃1丁目、2丁目だけが取り残されている感じです。それでも古い建物は、どんどん新しくなっていくようです。
5月4日(木)
●東京都と神奈川県の町並みを回りだしました
 このゴールデンウイークのあいだに、東京都と神奈川県の主な古い町並みをまわるつもりです。観光客の多いところもあるので、早朝が勝負だと思っています。
5月2日(火)
●都会の人たちによる古民家再生の動きを評価します
 最近の古民家復活の動きは、とても評価できます。たとえその出発点が都会人の情緒からであっても、実際の再生になっているからです。「日本の風景が消えていく…」という嘆きが聞こえてきます。老人の町になってしまい、老人たちだけでは景観維持の力はありません。行政も緊縮財政のため、わずかな予算しか組めないのが実情です。
 茅葺き屋根を葺き替えるのに、1軒あたり700万円もかかるようでは、難しいのが実情です。そこで、昨今の動きのように集落外の人たち、都会の人たち自身による再生、維持が大きな力となるのです。古民家復活が町並み再生となります。廃村も再生され、貸別荘などとして利用も可能なのです。人が集まれば、活気を帯びてきます。畑や田んぼの復活も考えられます。とにかくいまがチャンスです。そういう気運を高めることも大事です。
4月30日(月)
●木曽平沢宿に行ってきました。とても静かな町です
 重要伝統的建造物群保存地区に選定されることで、観光客が増えるのは確実です。ここ数年、なぜこの町が? という例があります。それなりに理由付けされていますが、たぶんに観光客が増えることを予想して、少しでも町を活性化したいという、願いがあるのでしょう。いまの地方の貧しさを見るにつけ、選定されるだけで、わずかでも予算がおりてきて、訪ねてくる人が増えるなら、という地域のささやかな思いが透けてみえるだけに、胸が締め付けられます。
 昨日、塩尻市の木曽平沢宿に行ってきました。隣の奈良井宿の成功例にならって、建物の補修するなど積極的に行なう動きが出ています。
4月22日(土)
●重要伝統的建造物群保存地区が5カ所選定されました
 そろそろ発表されるころと思っていた通り、4月21日、文化審議会が文部科学大臣に答申されました。正式決定ではありませんが、ほぼ100%決定といっても差し支えありません。
@群馬県六合村赤岩
A奈良県宇陀市大宇陀区松山
B長野県塩尻市木曽平沢
C佐賀県鹿島市浜庄津町浜金屋町
D佐賀県鹿島市浜中町八本木町
です。ただCとDは浜川を挟んで一本の通りでつながっていますので、実質的には、昨年と同様に4カ所の選定といってもいいでしょう。
 このなかでまだ訪ねていないのは、@の赤岩とBの木曽平沢です。
4月18日(火)
写真を大きくします
 写真が小さいという、メールをけっこういただいております。そこで、2倍以上の大きさにして、点数も増やしています。最初のころの、特に福岡県は再度レイアウトをやり直しします。ホームページを立ち上げてから10日たちました。いろいろ問題点が出てくるものですね。
4月17日(月)
●重要伝統的建造物群保存地区の発表はまだ?
 もうそろそろ、文化庁から重要伝統的建造物群保存地区の今年度分が発表されると思います。昔は、1年に1〜2カ所程度しか選定されていないのに、昨年は一度に4カ所も選定されました。なぜこの町が? というのもありますが、選定されれば、まず多くの人たちが訪れるようになります。だいたい住民も知らないことが多いのです。それにはガッカリしますが、いずれにせよ歴史的な町並みが整備、保全されるのはとてもいいことだと思っています。

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