昨日・今日・明日C
2009年(平成21年)
5月29日(金)
夏目漱石のカバンを見ました
 だからどうなのだ,というわれると困りますが,たかがカバンを見たくなったのです。カバンは江戸東京博物館の『市民からのおくりもの2009』展で展示されています。この展覧会は,この1年寄贈されたものをできるだけ早く公開しようという企画からはじまっています。
 漱石が1900年(明治33年)にイギリス留学に持参したもので革製です。衣類や文具,俳句集,梅干し,福神漬けなどを詰め込んだとか。
 この鞄は,もともと夏目家に出入りする植木屋に,不要品の処分を頼んだそうです。この植木屋は,漱石に許可をもらって自分のカバンにしたそうです。そのカバンがめぐりめぐって江戸東京博物館にやってきたというわけです。
5月28日(木)
ゴミ資源化の最先端を見学
 東京湾の埋め立地の一画に,リサイクルを専門にした企業が操業しています。今回その幾つかの企業を見学しました。驚いたのはリサイクルの目標を90%以上に設定していることです。産業廃棄物,医療廃棄物などの資源化,食品の飼料化など,まさに環境分野の最先端を見ました。これらは埋め立地の延命化から始めました。
▲OA機器を粉々して分類する
5月27日(水)
鑑真和上展のポスター鑑真和上御廟(奈良市・唐招提寺にて)
奈良の『鑑真和上』展はラッキー
 最終日ギリギリに奈良国立博物館で開催れていた『鑑真和上』展を見に行きました。さすが最終日だけにかなり空いていたのは,とてもありがたかった。たくさんの国宝や重文が展示されるので,東京での阿修羅展のようにすごい混雑するのではないだろうか,と予想していただけにラッキーでした。
 それにしても,仏像というのはこうも美しいのでしょうか。鑑真和上座像のほかに,おなじみの四天王立像,釈迦如来立像など,国宝12件,重要文化財36件を含む74件が公開されたのです。いずれも表情豊かで,じっと見つめているだけで心底感動します。
仏像たちを送り出した唐招提寺はからっぽ!?
 ところで74件の国宝や重文などを送り出した肝心の唐招提寺はいったいどうなっているのでしょうか。ひょっとしてからっぽ?! そこで唐招提寺に行きました。拝観料はさすがに1割引きですが,『鑑真和上』展の半券を見せるとさらに1割引きになるのです。よくよく考えてみれば当たり前か!?
 さっそく収蔵館である新宝蔵に入りました。今回は無料(当然!)です。薄暗い館内は,それでも幾つかの仏像が残っていました。しかしそのほとんどが,腕や足が無かったり,顔半分が壊れていたりと,ちょっと怖い感じの仏さまばかりでした。もちろんいずれも国宝や重要文化財です。やはり見かけのいい仏像だけを選んで送り出したのだなあ,とよくわかりました。「仏像も見かけが大事??」(苦笑)
5月26日(火)
鉄道員のチラシ久しぶりに見た『鉄道員』に感動しました
 イタリア映画『鉄道員』を見ました。初老の鉄道機関士の家庭に起こる夫婦愛や葛藤,家族愛や友情などをテーマに.旅情的な音楽と共に大ヒットした作品です。いつごろ見たのかが覚えていません。多分テレビの再放送で見たのでしょうか。
 ただセリフ入りの音楽が爆発的にヒットしました。いわゆるサウンドトラック盤です。いまサウンドトラック盤の音楽のみが大ヒットすることはあまりありません。
 もうひとつ,末っ子のサンドロ坊やが,幼いながらも家族のことを心配するのです。長女の予期しない妊娠,長男の粗暴,父親の死,常に家族を思っていた母親の死…。バラバラな家族がまとまっていく成り行きは,感動的でもあります。
5月14日(木)
今ごろになって,やっと映画『おくりびと』を見ました
 やっと映画『おくりびと』を見ました。導入部の会話が淡々と描かれており,聞き耳を立てないと聞こえてこない感じがしました。こういう感じ,ていうのはとてもいいです。もちろん後半に向かって盛り上がっていくのですが,全体としてはかなり抑制のきいた演技ではなかったでしょうか。また感動のあまり泣ける場面もたくさんありました。
 さらに背景が山形県酒田市の普通の場所で撮影。何度も行っている酒田市ですが,まだまだ知らないところがありました。あの銭湯は,廃業寸前だったのを,映画のおかげで客がくるようになったそうで,オーナーは「もうすこし続けようか」と言っているそうです。
 納棺師そのものを,周りの人たちが理解すると同時に,感動が盛り上がっていきます。これで納棺師を希望する人が増えるのではないですか。
5月10日(日)
飛鳥米で茶がゆをおいしく食べたい
 いま奈良県が力を入れて売っているのが,飛鳥米という米である。奈良県明日香村で作られたヒノヒカリという品種です。米は全国各地に強力なライバルがいるだけに産地間競争に勝てるかどうか楽しみ(?)。
 それにしても奈良県の名物といえば,何があるのか考えてみました。昔からあるもので,茶がゆ,奈良漬け,そうめん,柿の葉ずし,吉野のあゆずし…。名前をあげていると悲しくなるくらい貧相な感じです。戦前,そして戦後まもなく農林作業の合間に熱い茶がゆをかき込んだせいか,奈良県ではしばらく食道がんの発生率が高いとされた時期もありました。こんどはこの飛鳥米で茶がゆをおいしく食べたいものです。
▲飛鳥米みやげ用
(200g/210円)
5月9日(土)
せんとくん日本橋にせんとくんが現る
 東京にもついに,というべきかあの「せんとくん」が登場しました。奈良県が運営するアンテナショップ,奈良まほろば館の入口に立っているのです。このまほろば館は日本橋(三越前)に4月4日オープン。1日に3万人,4月だけで約30万人が訪れたそうです。
 実際にせんとくんを見るのははじめてです。かなりインパクトがあります。いろいろと物議をかもしたキャラクター選びも,やはりせんとくんでよかった(?)。
5月5日(火)
深川江戸資料館こぢんまりした江戸深川資料館
 前々から見に行きたいと思っていた資料館で,しかも約1年間改装のために休館するとあって,この連休中にでかけたのです。常にボランティアの方がいて,江戸の野菜や下水道設備など詳しく説明されていました。
 深川の町並みを復元されたのですが,江戸時代の後期なので,町人や商人たちも力を持ち始めていました。だから室内の調度品も結構,充実している感じです。このような歴史の一断面がわかるのでおもしろいです。
5月3日(日)
上から目線の美女『忘れえぬ女』
 どうもロシアのリアリズムは重苦しくて,何点も見ていると疲れます。これだったら写真のほうがいい,と叫びたくなります(笑)。確かに「重厚」な感じがいいと言う人もいます。今回の『忘れえぬロシア』展では,ロシア帝国が弱体化するなかで,従来のリアリズムから少しずつ印象主義的な要素がプラスされてきたのです。
 宣伝用チラシ(写真右)で見た『忘れえぬ女』(イワン・クラムスコイ)の実物を見たいと思ってBunkmuraザ・ミュージアムに出かけました。いつも思うのですが,この「上から目線」が気になるのです。いやそんなつもりはないのでしょう。作者の屈折した思いからか……。
 今年のゴールデンウイークは美術館や資料館巡りをしようと思っているところです。
5月1日(金)
箱根駅伝ミュージアム箱根駅伝ミュージアム
 箱根町(神奈川県)にある箱根駅伝ミュージアムにはじめて行きました。こぢんまりとした資料館で,なおかつ華やかな感じに展示されています。館内は幾つかのゾーンに分けられていて,ひと目でわかるようになっていました。往年の名選手が着用したユニフォームやシューズなども見ものですが,やはりおもしろいのは第1回大会からの歴史でしょう。さらに,往復10区間のなかで各区間の特徴やランナーの紹介などきめ細かく紹介されています。そのせいか,ときどきむかし参加したという元部員などが訪ねてくるそうです。

テレビの生中継で環境が大きく変わってきた
 箱根駅伝が部分的にしろ,テレビで生中継されたのは1987年の第63回からです。私は,日本の男子マラソンがダメになった理由の一つに,箱根駅伝のテレビの生中継化だと思っています。その前まではNHKラジオだけで地味に生中継していました。だから大学関係者もほとんど「無視」状態でした。
 テレビ中継することで,出場する大学にとって大きな宣伝になると考えるのも無理はありません。例えばそれまで無名だった山梨学院大が世間に知られるようになると,大勢の入学者が押し寄せ,偏差値も上がっていきます。

徹底的にハーフマラソン向きに作られる選手のからだ
 さて話しはこれからです。大学の意向と,選手の意識,監督の名誉欲にかられて練習法が駅伝向けに構成されていきます。ご存じのように箱根駅伝は往復合わせて約200km10区間。1区間の平均は約20kmです。つまりハーフマラソンの距離です。成長期にある20歳前後の若者が,徹底したハーフマラソン向きのからだに仕上げられていくのです。そして大学の名誉のために,練習はますます熾烈になっていきます。

卒業後,フルマラソン向きのからだに改造するのは不可能!?
 そんな完璧なハーフマラソン向きに作られたからだで,フルマラソンの国際大会に出場しても勝てるはずもありません。ほとんどがダメになって消えていってしまっています。むしろ箱根駅伝,すなわち加盟している関東学連以外の陸上部員で,実業団に入った選手の方が伸びているのです。
 よくフルマラソンは30kmからとか35kmからが勝負といいます。しかし若いころハーフマラソン向きに作られたからだを,その後フルマラソン向けに改造するのは容易ではありません。何年もかかります。だから箱根駅伝出身の選手がレースに出ても30km過ぎたあたりから脱落,棄権していくのです。

男子フルマラソンの将来は絶望的かもしれない
 このことはずいぶんまえから,陰で言われてきました。私がある雑誌で市民マラソンを取材していたころ,陸連関係者からもずいぶん聞きました。またある新聞社系週刊誌がコラムで問題点を指摘したこともありました。しかし日本陸連や関東学連が,いまさら日本テレビやスポンサー相手にケンカすることはできないのも事実です。今や高視聴率,収入増のためにすべての人たちが沈黙しています。

高校陸上部の優秀な選手はどんどん引き抜かれます
 全国の優秀な高校生も,関東の大学に引き抜かれていきます。「箱根駅伝に出してやる」が殺し文句になっています。
 箱根駅伝が関東学連のいちローカル大会で納まっていたならば,選手たちのこんな無茶なからだ作りはしなかったと思います。将来,フルマラソンで活躍したいという選手の希望は,実際は難しいのではないでしょうか。幸い女子には「箱根駅伝」がありません。女子はこれからも国際大会で活躍するでしょう。 
4月27日(月)
西村酒造住民の70%賛同というハードル
 宇和島市(愛媛県)の岩松地区は古い町並みが美しく,西村酒造(写真右)の建物を中心に古民家や商家が整然と残されています。2007年11月に訪れましたが,ひと気があまりなく,やや寂しい町でしたが,このたび岩松町並み保存会が,重要伝統的建造物群保存地区選定を目指そう,という運動を始めたそうです。
 文化庁への報告調査書はできあがったそうですが,問題は住民の70%の賛同を得なければいけないということです。どこの町もそうですが,重要伝統的建造物群保存地区に選定してもらう最大のハードルは,住民の協力です。この70%賛成というハードルの高さに苦労するのです。やはり粘り強い説得しかありません。
4月25日(土)
古民家はどのような気持ちで受け継がれていくのか
 先日,住宅総合研究財団の主催で『継承の知恵/保存・再生・無意識』のシンポジウムが早稲田大学で開かれました。

80年前の名もなき普通の民家がどのように継承されたか
 1部/建築家・大嶋信道氏は,古民家を再生する場合の新しい部材と古い部材と色違いをどうするかは建築家によって違う。だいたい黒っぽい深い色にするか,色違いのまま,すなわちどの部材が新しく使ったかが,わかるままに再生するかで,何を継承していくが問われるといいます。
 同じく1部では,早稲田大学の中谷礼仁教授の報告はおもしろく,90年前の建築家・今和次郎の著書『日本の民家』(1922年刊)に描かれた普通の民家がその後どうなっているか,すなわちどのように継承されているかを探るために,学生たちと一緒に日本中をまわったときの報告がおもしろかった。四国では80%残っていたそうですが,そのほとんどが住民によって使いやすいように改造,増築されていたそうです。
 同教授によれば,日本の民家が戦後大きく変わった転換期が2回あったそうです。昭和30年代に消防法の改定で,茅葺き屋根が無くなったとき。もう一つが東京オリンピックだそうです。

京都の町家が建築基準法の厳格な適用で危機的状況に
 2部/青井哲人氏(明治大学)の台湾の町家は5×30mの地割がそのまま継承されていく,という報告がとてもおもしろかった。1枚の壁が隣家と共有するというのは,日本の町家も同じです。
 もう一人,京都から参加された建築家・梶山秀一郎氏は,京町家の復権をかけており,「完全に元の姿に戻すべきである」と断言。青井氏の「町家は時代とともに変わるべきである」との主張と対立しました。それはそれでおもしろいのですが,もう一つ京町家が国によって危険にさらされていると報告。
 これは現在の建築基準法では京町家はすべて違法建築になるからです。そのために改造する場合,許可がおりないのです。
 防火面では法律上,軒裏にはモルタルなどを使った構造が求められていますが,これだと木目の美しさが消えてしまうのです。また耐震性では,筋交いを入れて壁を補強することになっていますが,京町家は昔から柔構造になっていて,柱がしなるなどで揺れを逃がす特性が備わっているのです。逆に筋交いを入れると,壊れやすくなるといいます。
 梶山氏たちは,建築基準法の適用外の項目に目を付けて,適用外を求めて運動しており,京都市も賛同しているそうです。
 それにしても,1000年以上の歴史を持つ京町家の建築法が,現在の家屋を対象にした法律で失っていくとうのは残念でなりません。 
4月23日(木)
手塚治虫展行ってきました
 生誕80周年を記念しての展覧会です。一歩ブース内に入ると,ものすごい量の展示品に圧倒されます。宝塚市の手塚治虫記念館をも上回る量です。しかも作品だけだはなく,小学生時代の遺品や家族の様子,8mmシネに残された子ども時代の映像。多くのアニメ作品も各ブースで紹介されています。
 そんな手塚治虫は60歳で亡くなるまでに,700タイトル,15万枚もの量の作品を作ったのです。ブラックジャックが大好きでしたが,私自身それほど手塚作品を読んでいません。あまりにも「教訓」めいていたからかも知れません。それよりも白土三平作品に夢中になっていたのを覚えています。

でもなぜ江戸東京博物館で開いたのかがわかりませんでした…
 それはともかく手塚治虫の偉大さを思う気持ちは変わりません。でもなぜ江戸東京博物館で開催するのか,がわかりませんでした。手塚作品のなかに,江戸時代を舞台にした『陽だまりの樹』(ビッグコミック連載/1981〜86年)があります。曾祖父の手塚良庵医師をモデルにしたと言われています。実はその時代背景の考察,時代考証などがすばらしく深く,竹内誠館長は「手塚さんは歴史学者ではないか」と驚嘆したそうです。まあそれでも疑問は残りますが,あまり難しく考えることはないかなあ,と思っています。 
4月22日(水)
いよいよ旅順の外国人立ち入り禁止が全面的に解かれます
 いよいよ旅順(中国大連市旅順口区)がこの夏から本格的に開放されることが決まりました。思い出すのは1996年7月11日の朝刊各紙です。「旅順が対外開放される」といっせいに報道されたのです。しかしそれはほんの一部地域でした。それから13年,やっと全面的に開放されることになりました。つまり外国人の立ち入り禁止がなくなるのです。もともと対外開放には中国海軍が反対していたのですが,今回は軍事施設のある地域を除いての開放です。

これで堂々と旅順の町なかを一人歩きができます
 確かに今まで日本人が観光できる所と地元中国人の回れる所は違いました。私は両方を回りましたが,その違いはかなり大きいものです。特にロシア軍の遺物や日本の関東軍の施設は見ることができません。特に日露監獄跡には,ロシアのあと日本軍が引き継いで,現地の住民をスパイ容疑で拷問した道具や部屋がたくさん残っています。とても生々しいですが,目を背けることはできません。それでも古い町並みを歩けるのは楽しみです。
大連市旅順口区
▲旅順には古い建物が多く残っています。旧やまと旅館や旧日赤病院など ▲ロシア軍が旅順を占拠しているときに設けた電岩の5門の砲台
4月21日(火)
ナショナルトラスト40周年を迎えたナショナルトラスト
 (財)日本ナショナルトラストが誕生して40年を迎え,その式典とシンポジウムが東京国立博物館の大講堂で開催されました。発足した1968年は古都保存法や文化庁が発足した年でもあります。当時は(財)観光資源保護財団としてスタートし,1992年に現在名に変わったのです。
 新幹線開通,大阪万博開催で世の中は開発で行け行けドンドンの時代でした。古い町並みや文化財がいとも簡単に壊れていく時代にあって,すこしでも保護して後世に残す事業は有意義だと思います。
 ただイギリスなどのトラスト運動と比べて財政基盤が弱いのが弱点です。イギリスの場合,年間の予算が500億円で資産が1000億円もあると言われているそうです。日本の場合は年間予算が1億円弱,職員が4人でオンボロ事務所で活動しています。
 いままでの事業の成果や数えたら切りがありませんが,今後は財政基盤を強固にすることが一番だと思います。そのためにオリジナル商品の開発販売に力を入れていくべきでしょう。
4月19日(日)
東京都港湾局所属の視察船に乗りました
 先日,東京都港湾局が持っている視察船・新東京丸に乗船する機会を得ました。視察船というのは,外国から賓客や国内の議員や港湾関係者などを,案内するためのものです。竹芝の専用埠頭を出港して約1時間半,コンテナ埠頭や埋め立て地などをめぐるコースです。コースはあくまで東京港だけです。東京港はハブ港としての役割を終え,いまでは釜山,上海,シンガポールに抜かれてしまいました。
視察船って本当に必要なの?
 係員は,東京港は土地が狭く,もう広げるスペースがないからだといいますが,それよりも港の利用料が高すぎるのです。国と地方の天下り団体が乱立。今回,案内してもらったのは都の職員ではなく東京都港湾振興協会です。このような天下り団体が,港の利権をめぐって数え切れないほどあります。これら天下り団体を維持するための経費が膨大なためです。
 これは東京港だけの話です。実際に乗っていながら,こんな視察船は必要なのか,と疑問に思いました。維持費だけでもたいへんです。港湾局の傘下に東京都観光汽船(株)があります。東京港の観光を独占している会社です。職員たちは昔から「みやこかんこう」と呼んでいます。一応,株式会社になっていますが,いまでも蜜月の仲です。で,視察が必要なら,みやこかんこうからチャーターすればいいのです。視察船などはもういらないのです。
 それにしても東京都はお金持ちだとつくづく思います。
新東京丸 会議室
▲東京都港湾局所属の視察船・新東京丸 ▲1階は会議室になっています
4月18日(土)
伝建地区に石川県輪島市黒島と福岡県黒木町が選定
 今年度の重要伝統的建造物群保存地区に,石川県輪島市門前町黒島町黒島と福岡県黒木町黒木の2カ所が選定されました。黒島は小高い岡の上にある集落で,日本海が見渡せます。駐車場の少なさが難点です。一方の黒木町は蔵の町で,期待しないで行っただけに予想以上に蔵が残っていただけに驚いたのを覚えています。ちなみに女優の黒木瞳さんの出身地でもあります。これで伝建地区は全部で85カ所になりました。
▲日本海がすぐそばの輪島市黒島 ▲蔵が数多く残る黒木町黒木
4月17日(金)
国立東京博物館国立東京博物館





阿修羅展に行きました
超混雑している阿修羅展に行ってきました。というのも4月19日までで展示を終えるのが,八部衆のうち2点,十大弟子のうち1点の計3点があるからです。
やはり全部揃っているところで会いたいからです。阿修羅の持つ聡明さ,荘厳さは感動を覚えますが,それよりも八部衆,十大弟子や四天王は,ゆっくり見られたせいか,背筋がキューンとしました。
 今回展示された仏像や遺物は75点もありますが,そのうち国宝,重要文化財は70点と豪華でもありました。阿修羅像の前では,5分くらいで時計回りで見学するので,ゆっくり見ることはできませんでした。しかし今秋,今度は奈良・興福寺のお堂で阿修羅,八部衆,十大弟子が一挙公開されます。そのときにもう一度行ってみようと思います。
4月16日(木)
軍艦島が4月22日から開放! 一人4300円とは高っ!!
 長崎市の沖合に浮かぶ軍艦島(端島)の公開がいよいよ決まったようです。4月22日から一般公開されますが,その前に旧島民約20人を招待して完成披露会を催されます。
 さて,問題はいくらくらいの費用がかかるかですが,「軍艦島周遊上陸コース」(約3時間)だと,船賃が4000円,入場料300円が必要になるそうです。結構高いぞ。
 見学コースは,長さ230m,幅2mで途中3カ所に見学広場があって,車いすでも見学できるように,段差は造らなかったとか。案内は旧島民がボランティア活動の一環として行ないます。なお1日に臨時便を含めて2〜4便運行するそうです。ほかに上陸しない「軍艦島沖合周遊コース」(約2時間,3300円)もあります。
4月15日(水)
イノシシカレーの「猪の一人言」に笑う
 とうとう噂の「イノシシカレー」(735円)を入手しました。いまどきあらゆる食材を使ったカレーが全国各地で販売されています。イノシシぐらいで驚くな,という人もいるでしょう。 しかしイノシシの北限といわれている宮城県丸森町の名物で,なおかつこの「美しい」デザイン。食欲をそそるけばけばしいまでの色使い。何よりも裏面の「猪の一人言」が泣かせます。「野山の田畑を何回も荒しました。そして華麗(カレー)に料理されてしまいました。罪ほろぼしに食ってけろ!!」だとさ。
▲これが噂のイノシシカレー
4月14日(火)
仙台発白石行きを撮りました
 東北地方はこれからが花見のシーズンです。白石川に沿った堤防には桜並木が続いています。その白石川に沿って東北本線が通っており桜と鉄道を組み合わせた写真の撮れるところ。さらに平行してして走る県道50号線には「鉄ちゃん」がズラリとカメラを構えていました。たまたま撮った写真は,渋滞中の車の中から撮ったもので,仙台発白石行きの普通電車でした。鉄道を撮ったのは数年ぶりです。いいものです。
 今の時期,白石川堤防や船岡城址公園ではものすごい混雑ぶり。このまま桜前線は北上を続け,ゴールデンウイークには青森から北海道へ上陸するのでしょうか。
4月10日(金)
実在する東京湾岸警察署
 フジテレビ系ドラマの『踊る大捜査線』の舞台になったのが湾岸警察署。そのドラマを地でいくような警察署名が東京湾岸警察署で,発足して1年を迎えました。
 本物の警察署とは知らずに,中に入って写メする人が多いとか。またロケ用に造られた建物,と思い込んでいる人もいるようです。知名度から言えば,警視庁に次いで知られた警察署です。なお,「湾岸警察署」は,フジテレビの商標登録名です。
4月8日(水)
羊蹄丸船内に昭和の町並
 青函連絡船最後の日(1988年3月13日)に乗ったのが羊蹄丸(ようていまる)でした。その羊蹄丸は,いまお台場の船の科学館に保存されています。船内は一部改造されており,戦後の町並みが『青函ワールド』と称して再現されているのです。かつてどこかで見たことのある,商店街です。わずかな距離ですが,裸電球の明かりと共に往時の世界が甦ってきます。
4月6日(月)
地道で気の遠くなるような作業が続きます
 多摩市にある東京都埋蔵文化センターに行ってきました。もともと多摩の開発に伴って発見される遺跡の調査保存のために設置されたものです。すでに約1000カ所もの調査を終えたそうです。先日「多摩ニュータウン72遺跡」の調査報告がまとまり,その説明会が開催されたのです。縄文時代の出土品からどのような生活をしていたかが判明。今は年代の測定技術も発達しているそうです。ところで出土した土器の破片は,どんな小さな破片でもひとつ一つ番号を付けるそうです。気の遠くなる作業でした。
4月2日(木)
●翌日も飲み放題!
 上野公園は春休みに入ったせいか花見客も含めて,たいへんな人出です。そんななかで休憩するのに耳寄りなお話を一つ。
 上野動物園の正門に向かって右側の『サボイア』という飲食店ではコーヒーを含めた飲み物はすべて飲み放題です。と,いっても「今さら飲み放題なんて珍しくない」といわれるでしょう。珍しいのはずーっと飲み放題なのです。
 例えばコーヒー(250円)を飲んだあとの紙コップ(写真右)を持っていけば,ズーッとその後もコーヒーが飲めるのです。翌日もOKです。こんな飲み放題を体験したのははじめてです。もっとも何度も使っていると,紙コップ自体の劣化も考えないといけませんが…。
4月1日(水)
隅田公園で夜桜見物
 浅草近くの隅田公園で,夜桜見物を行ないました。いつもの人混みは見られませんでしたが,そこそこ賑やかでした。なかには工事現場でよく見かける大きな電源を持ち込んで,大型の照明器具,モニター付きのカラオケ,段ボール箱を連ねた即席のテーブルを設けたナゾの大集団も愉快でした。桜は5分咲き?
▲夜はまだまだ冷え込みます
3月31日(火)
江戸時代の南町奉行所と北町奉行所の碑を見つけました!
 大岡越前守といえば南町奉行所,遠山の金さんといえば北町奉行所。時代劇ファンならずともほとんどの人が知っている有名人です。その有名人の職場の南北両奉行所の跡地を示す碑が,きわめて貧弱なのです。

南町奉行所は有楽町駅前の丸井の前
 南町奉行所は,有楽町駅前の今の丸井の建っているところにあったとされています。跡地を示す碑(銘板)は,丸井の向かいの地下階段側の側面に貼り付けられています。また地下広場の片隅には,奉行所跡地から掘り出された木片などが展示されています。地価の高いところだけに,これだけでもありがたいかな,とも思います。

一方の北町奉行所跡地を示す碑を探すのにひと苦労しました
 ところが北町奉行所跡地の碑を探すのにとても苦労しました。東京駅八重州を呉服橋側へ歩く狭い通用口の下面に銘板が貼り付けてありました。狭いのでしゃがんでも読めません。なにか仕方なしにはめ込んだという感じです。歴史に対する愛情などひとかけらも感じないのです。これは東京都指定の遺跡でもあるのです。なさけない限りです。
▲南町奉行所跡の銘板(有楽町駅前) ▲北町奉行所跡の銘板(東京駅)
3月30日(月)
東京駅が建設当時の3階建てに復元されます
 現在東京駅丸の内側は改装復元工事のために,ぐるりと白い塀で取り囲まれています。記念写真を撮る人たちのあいだからため息が聞こえてきます。
 関東大震災でも生き残った東京駅が,第二次世界大戦で3階部分が焼失,戦後は2階建てで閉業してきた。2014年に開業100周年を迎えるにあたり,ふたたび建設当時の姿を甦らせようという狙いがあるのです。屋根の現在の応急造りではなく,建設当時の王宮風に復元するとか。待ち遠しいものです。なお2003年に重要文化財に指定されています。
▲東京駅の復元完成図(看板より)。3階建てになっています左右(北口と南口)の屋根の形にも注目!
3月28日(土)
東京国立博物館の「保存と修理」の現場を見てきました
東京国立博物館の修理の現場を見てきました。古い本館の地下にあって,温度,湿度などを管理しながら細かい作業を行なっていらっしゃいました。保存修理課が直接の担当で,さらに各専門部署ではそれぞれお話を聞くことができました。
 文化財の劣化の原因のほとんどが,光と空気中の有害物質だと言われます。特に紙類,今回は浮世絵でしたが,波打った紙,破れ,虫食いなどたいへんな状態になっていたりします。さらに今後の長期保存のための箱を特別に作ったりと,工夫しながら作業をされていました。例えば掛け軸が永年丸められて保存されている場合は,芯自体の劣化が紙に伝染するそうです。
 刀剣保存室では,刀剣自体と白さやも修理の対象になるそうです。現在,東京国立博物館には約1000振りの刀があるそうです。研ぎ師が独特な姿勢で刀を研いでいますが,きめ細かい仕事に感動すら覚えます。古代の出土品の修理の現場は見たことがありますが,浮世絵などははじめてでした。
3月27日(金)
朝から夜に向けての場所取り
 久しぶりに上野公園に行ってきました。午前中ですが,すでに花見の場所取りは終了で,のんびりとした雰囲気でした。しかし,上野公園自体はかなりの混雑で,中国人の声がひときわ大きいのが印象的でした。春休みなので,家族連れでいっぱいです。離れたとこrではホームレスに対する炊き出しも見かけました。桜はまだ五分咲き!
▲夜の宴会に備えて朝から場所取り
3月22日(日)
シンポジウムのプログラム四万十川流域が重要文化的景観に選定
 『四万十川流域の重要文化的景観選定記念シンポジウム』が政策研究大学院大学(東京都港区六本木)で開催されました。参加者は,高知県知事をはじめ,四万十町長,環境省の文化財調査官,四万十川流域に関わった学識経験者,民宿経営者などが,それぞれ基調報告,パネルディスカッションが行われたのです。
 ところで文化的景観というのは,単なる美しい風景ではなく,人々の生業,流通,交通,生活などを含めて景観と定義しているのです。ゆえに景観は変わってしかるべきであるともいうのです。もちろん江戸時代の景観をそのまま守れというのは無理。時代とともに景観は変わるのは仕方のないことです。

間伐材を使った砂防ダムが登場
 だから今回の重要文化的景観のなかに,「美しい風景」ということばでてきません。だから文化的景観にマッチしていれば,ダムの建設も可能ということになるのです(中越信和広島大学大学院教授)。ただ,実際にできている砂防ダムは,コンクリートではなく間伐材を使っているところが目新しいと思います。間伐材を使うことで,森林を保護し,雇用を生むことになるとか。「壊れればまた作る」を繰り返すのです。知事をはじめ,行政側はなんとか町おこしに利用して,今の経済状況を打破したいという思いが強く出ていました。文化的景観という言葉に迷わされることなく,今後もしっかりと四万十川を見つめていくことが必要だと思いました。
3月21日(土)
105件の建造物が文化財として登録されました
 3月19日に文化審議会が105件の文化財(建造物)を登録するようにと,文科省に答申しました。登録された105件の建造物の一覧表を見ますと,まだまだ魅力ある建物が残っているものだ,と感心しました。特に旅館金波楼本館(熊本県八代市)の木造3階建ての迫力に驚きました。よくぞ残っていたものだと思います。
 また大阪という大都会のなかに,戦災にも遭わずに江戸や明治の建物が数多く登録されたのも良かったと思います。早い話が「これで壊されずにすむ」と思うからです。
 関西にはまだまだ古い建物が残っています。いずれも相続の問題や集合住宅への立て替えなどで,登録を拒否する持ち主が多いようです。難しい問題です。次は重要伝統的建造物群保存地区選定の発表のみです。
3月18日(水)
野球のWBCは,不調のイチローに代打を送るべきでしょう
 野球のWBCの放送に釘付けになっています。今日,ついに韓国に負けました。明日のキューバとの敗者復活戦で勝てば,準決勝に進めます。それにしてもイチローの不調は目に余るものがあります。明日の対キューバ戦でイチローを外すくらいの英断を期待したいですね。いつまでも復調を待っていられないからです。原監督はイチローと心中するつもりなのでしょうか。
3月17日(火)
真壁町と五條市は重要伝統的建造物群保存地区に当確か!?
 まもなく文化審議会の重要伝統的建造物群保存地区の選定作業が終わり,新年度(4月以降)に入りますと発表されると思います。各地域によっては,町おこしの一環として熱心に取り組むところもあります。やはり地名が一躍「全国区」に躍り出るわけですから,発表されるまでするドキドキでしょう。
 今年は多分,予想ですが真壁と五条が選ばれる可能性が高いと思われます。前々から保存活動に熱心なこともありますが,いずれも住民と行政が一緒になって積極的に文化庁に働きかけていることもあるようです。
▲茨城県桜川市真壁町 ▲奈良県五條市新町
3月16日(月)
軍艦島が黄金週間から公開へ
 長崎市の沖合に浮かぶ端島(軍艦島)がいよいよ4月下旬(ゴールデンウイークに合わせて)に一般公開されます。数年前に観光船で島の周囲を回っただけなので,なんとしても上陸したいと思っていました。入場料などの詳細は,正式には決まっていないそうですが,今からとても楽しみです。
▲日本最初の高層住宅群でした

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