昨日・今日・明日E | |
●2009年(平成21年) |
11月29日(日) |
●両陛下と儀装馬車 まさかナマで天皇皇后両陛下を拝見できるなんて夢にも思いませんでした。今年は御即位20年記念「儀装馬車運行」が皇居で行われていますが,その運行にぶつかったのですが,たまたま両陛下が見物されるという現場に立ち会ったわけです。 まさに幸運というべきか,元気なお姿を見るにつけ,感動を抑えることはできませんでした。 |
11月28日(土) |
●地域活性学会の文化・観光研究部会キックオフ会議が開催 全国から大学や高校の教員や国や地方自治体,民間会社,NPO法人,メディアなどから多くの人たちが集まりました。自己紹介のあと簡単な討論などが行われましたが,実におもしろい意見が出ました。 いずれにせよこれから1年,さらに分科会を作って,研究を重ねることになります。 |
11月26日(木) | |
●かちどき橋の機械室や電気室を見学してきました 隅田川下流にかちどき橋がありますが,開閉を中止して来年で40年を迎えます。そこで,ちょっと記念にということで見学に行ってきました。ヘルメットはもちろん,4m下の橋の中にあるピットに入るための安全ベルトを着用するなどものものしい格好で見学。 運転室にある電気配盤はまさに文化財級の“古さ”です。戦前の昭和15年に完成しただけに,モーターやネジなどもさび付いています。なにより橋脚部の支点にあたるピット内は,隅田川の水面下にあるためかひんやりとします。 平成19年に国の重要文化財に指定され,さらに「稼働できないのか」などの意見がでるなど,注目されていました。 ところでかちどき橋は,明治38年の日露戦争の勝利を記念して,築地と月島簡に新たに設けられた渡し「かちどきの渡し」に由来しているそうです。 |
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▲かちどき 橋の資料館 | ▲水面下にあたる橋脚部の支点内部 |
▲発電設備も建設当時のまま | ▲見学はヘルメット,安全ベルト着用 |
11月23日(月) |
●奈良・藤原京をCGで再現 平城京の前に飛鳥近くの藤原京が短い期間,都でした。いまではただ広いだけですが,発掘調査で少しずつ実態がわかってきました。しかし建物に関する情報が全くないのです。 そこで橿原市と京都産業大学が共同で,藤原京をCGで再現することになったのです。かなり雄大な都で,少し人物も描かれています。屋根,柱,壁など文献から想像するしかなかったそうですが,良くできているの驚きました。 |
11月22日(日) |
●小石川後楽園に行ってきました 東京に長く住んでいながら一度も行ったことのない小石川後楽園をのぞいてきました。水戸藩の中屋敷(後に上屋敷)として,水戸頼房が造ったもので2代藩主・光圀によって完成した庭園です。庭園は回遊式築山泉水庭ですが,渡月橋や龍田川,木曽川に鳴門,挙げ句の果てに中国・西湖堤まで命名。なんとも趣味の悪い庭園としか思えません。 見どころとしては,神田上水跡が園内を流れています。また当時の姿をそのまま残しているのが円月橋と得仁堂です。この3カ所を見れば300円の入場料は安いと思います。また紅葉と池の組み合わせは,都会のなかの風景としてはすばらしいのひとことです。 |
11月19日(木) |
●モンマルトの歓楽街のにおいがする 19世紀末リトルグラフやポスターの制作者として,あるいはパリの夜のにおい,というか酒場のにおいをさせる画家というべきなのでしょうか,ロートレックの展覧会を見てきました。タイトルにコネクションとあるように,マネやドガ,そしてモンマルトの画家たちの作品も見ることができました。 ムーランルージュのポスターはあまりにも有名ですが,同時にパリの印象派の絵を久しぶりに見ることができて,ちょっと幸せな気分になれました。たまに絵を見るのもいいものです。 |
11月18日(水) |
●八王子のマンション建設現場で人骨を発見! 1989年5月,八王子市のマンション建設現場から人骨が発見されました。建物の1〜2階は山側で開口部が全くないという急斜面の建設現場なのです。すぐに110番通報され,所轄の八王子警察署から捜査一課と鑑識の担当者が飛んで来ました。鑑識課員がひと目でかなり古い人骨とわかり,さらに持ち帰って調べると,中世の骨とわかりました。 八王子署は,段ボールに入った骨の処分に困り,早速,教育委員会の文化財に電話を入れ,何とか引き取ってくれと要請しました。引き取った文化財課がさらに発見現場を詳しく調べると火葬された人骨片も発見。さらにショベルカーでひとかきすると,板碑8基が出てきました。世にいう大和田山根遺跡3号墓の誕生です。 貴重な板碑8基も続けて発見されました 人骨は横穴から発見されており,石を敷き詰めた上に置いた火葬骨と判定。板碑は年号が銘記されており,鎌倉時代のもの思われる貴重な板碑とわかりました。 周辺調査,撮影などすべての調査を終えて,やっと建設作業が続行さました。現場の作業員もやれやれと言いながら,シャベルで掘り出すとまたまた人骨3体が出てきました。これでまた作業がストップすると嘆いたそうです。以上は八王子市教育委員会文化財課学芸員・新藤康夫さんの話しです。 |
11月17日(火) |
●中国の反体制作家・王力雄のことば 中国の反体制作家・王力雄氏の『現代中国文学と文化の再構築』というテーマで,話しが聞けるというので東工大に行きました。しかし,オバマ大統領の訪中と重なったために聞くことができませんでした。その代わりにDVD(字幕付き)による出演となりました。 王さんは北京在住ですが,中国では全く出版できない状態で,すべての著作は海外で発表しています。王さんが注目されたのは,1991年に発表した『黄禍』です。ニューヨーク公立図書館が選んだ20世紀に世界で最も影響を与えた本ベスト100冊の41位を獲得してから一気に注目されたのです。最近作では,ウイグル人社会の危機を予言したといわれる『私の西域,あなたの東トルキスタン』(2007年)があります。 “毛沢東とケ小平”は文化と自然の破壊者 毛沢東の文化大革命で中国の伝統文化を破壊し,ケ小平は,経済の破壊から自然の破壊へと進んだ,と言われます。つまり2人の指導者が「中国の文化と自然を破壊した」というのです。王さんの父親は文革で自殺するまでに追い込まれたそうです。 「いま儲けないと,いつまで儲けられるかわからない」という心理 いまの中国人の拝金主義は「いま儲けないと,いつまで儲けられるかわからない」が基本にあるそうです。このことを聞いて,なるほどと納得がいきました。いつ体制が変わるかわからないからです。そして王さんの「ほとんどの中国人はアメリカ人になりたがっている」の言葉にますます納得しました。私も何度も中国に行きましたが,中国人のアメリカ好きには度し難いものがあります。 今回もっといろいろな話しが聞けました。始めて聞く内容もありました。やはり本人の口から直接聞きたいと思いましたが…。 |
11月15日(日) |
●考古学会の台風の目・炭素14年代法を少し理解しました 炭素14年代法は,1950年代から実用化されていました。しかし得られた年代が従来の年代感と合わないことから,大きな議論となったのです。それはいまもかわりません。国立歴史民俗博物館の研究グループが,弥生時代の開始年代の発表に次いで,今度は縄文時代の開始年代が大きく変わると発表したのです。 今回,国立歴史民俗博物館でその中心メンバーの坂本稔准教授による講演会が行われました。自然界の放射能を利用した炭素14年代法について詳しく解説されましたが,なにやらやっと理解できたような気がしたのです。 理系出身者の新たな視点で,絶対年代を判定 坂本さんは東大の理工学部出身で,考古学出身ではないのです。年代をきちんと測定したいという,理系出身者の考えが後に考古学会,歴史学会を大きく揺るがすことになるのですが,まさかこんなに大きな反響があるとは予想しなかったそうです。 今でもそうですが,年代判定は文字資料,物資料,類例などから決定しますが,文字資料のない古代は,相対年代による測定を行ないます。どちらが古いか新しいかなどです。中国大陸との比較,ヨーロッパの考古学との比較,地層,出土品などの他地域との比較など,「常に比較しながら」判定していくのです。つまり「いい加減な年代判定」だったのです。 新たな町おこしの手法と似ている部分があります そこで相対年代ではなく絶対年代というものを考えるために,本格的に炭素14年代法を使ったのです。詳しい解説は省きますが,理系出身だから成功したと思います。つまり違った目で考古学を見ることができたのです。 この手法は町おこしと同じです。従来の建築系と土木系の専門家だけで作られた計画は完全に行き詰まっていました。そこで,文系の歴史系,芸術系の専門家が加わることで新たな町おこしが可能になったのです。 ますます目が離せなくなった日本の考古学がおもしろい 東大理学部で化学専攻だった坂本稔さんが考古学会に新たな旋風を起こしたことは間違いありません。いま考古学会は大揺れですが,当分続くでしょう。まったく目が離せません。 |
11月12日(木) | |
●雅な世界が広がる800年の伝統・冷泉家 東京都立美術館で『冷泉家』展が開催されています。また聖徳大学言語文化研究所では,『冷泉家の伝える王朝文華』と称して公開学術連続講演会が始まりました。いずれも藤原の定家,俊成の血を引く冷泉家の御文庫に保管されていた典籍,古文書についての催しです。 定家自筆『明月記』など国宝5点,重要文化財が数百点,全体で約2万点ともいわれている数々の典籍,古文書が,よくぞ保管されていたと,多くの専門家が賞賛しました。 明治維新で,天皇が東京へ移ったため,多くの公家たちも一緒に東京へついていきました。しかし冷泉家は京都に残ったのです。それがために,関東大震災,東京空襲にもあうこともなく,典籍が無事に残ったといえます。また歴代の冷泉家当代たちが,懸命に守ったことも大きな理由の一つでしょう。東京に移らなかったのも,御文庫があったからといわれています。 最近,東京で講演を行なう機会の多い冷泉家当代夫人の冷泉貴実子さんは「国はいままで何もしてくれなかった」といわれています。個人でこれだけの典籍を保管するのは並大抵のことではありません。まさに冷泉家だけのものではなく,国の宝でもあるのです。 |
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▲冷泉家展 | |
▲学術連続講演会 |
11月11日(水) |
●明学大の『知の現場から』シリーズが実におもしろい いま明治学院大学の公開セミナーで『知の現場から』というおもしろい対談シリーズを行なっています。司会を兼任するのは明学大教授の原武史氏で,今回の相手は東大教授の御厨貴氏です。いずれも政治学者で天皇制についての研究者です。話しはもちろん天皇のこと。 皇室はいま大きな危機を迎えているとのこと。天皇と憲法の関係で,大きく乖離しだしていること。原教授は憲法の改正も視野にいれるべきといわれます。これは宮中祭司のことを指します。また天皇,皇后のふたり一緒,という動きが目立つようになると,憲法にも皇后のことも明示すべきであると。 それと現天皇の健康悪化に伴う崩御と業務を次期天皇にうまく引き継げるかどうかということだそうです。とにかく公務激化はすごいそうで,宮内庁はなんでもかんでも引き受けてしまうのです。そして最大の問題点は,次期皇后になられる雅子紀は宮中祭司に全く興味を示さないこと,いまは愛子さま一辺倒。もしそうならば,宮内庁はそれに対応しなければいけないわけです。 そして宮内庁の官僚群のことなかれ主義。警察庁,外務省,厚労省の天下り二軍官僚が天皇の信頼を失っていること。まず宮内庁の改革と民主党政権が危機感を持つこと,をあげています。 |
11月10日(火) |
●難波宮(日本)から百済(韓国)へ送った荷札の背景が判明 1998年に百済(韓国)の国から日本人名の記した木簡『那尓波連公』(なにわのむらじのきみ)が出土されました。当時朝鮮日報などで大きく報道されましたが,日本ではほとんど話題になりませんでした。それは,その理由などの背景がまったく不明だったからです。ところがその後,国立歴史民族博物館の平川南館長らが調査,韓国や日本各地の出土木簡や文献,古文書などから,難波(なにわ)から百済(くだら)に送った物品の荷札と判明したのです。そしてそのことが先日,国立歴史民族博物館で研究成果を発表されました。 『日本書紀』,『日本霊異記』,『続日本記』や木簡からの分析など資料は多岐にわたったそうです。結果,5〜6世紀ごろ,日本と韓国とは人や物の往来が盛んであったことの証明となったわけです。 日本の古代の城も百済の城と酷似している? また,秋田城跡や多賀城跡は百済の都と酷似しており,古代日本と百済とが濃密な関係であったことがわかるとのことです。 最近,古代史がおもしろくなってきました。特に炭素14年代測定法は未だに賛否両論があります。また邪馬台国論争も過熱してきました。おもしろくなってきました。 |
11月5日(木) |
●教室にヒット曲を流しながら父・阿久悠を語る息子・太郎氏 先般,明治大学のお茶の水キャンパスで開かれた阿久悠展に行ったといいましたが,今度は同じく和泉キャンパスで,国際日本学部の公開講座『父・阿久悠の詩づくりを語る』が開かれました。担当の吉田悦志教授の司会で,インタビュー形式でヒット曲を次々教室で流しながらの授業となったのです。これは,長男・深田太郎氏が詩を作っている父・阿久悠を語るという内容ですが,これはこれでなかなかおもしろいものです。曲はデビュー曲の『朝まで待てない』(歌/ザ・モップス)から『津軽海峡冬景色』(歌・石川さゆり),『UFO』(歌/ピンクレディ)など16曲が教室に流れました。 過激な歌詞で放送禁止になった『ざんげの値打ちもない』の4番 深田氏による父・阿久悠の数々のエピソードがたんたんと語られました。『白い蝶のサンバ』(歌/森山加代子)は当時で最速のテンポだったとか,『ざんげの値打ちもない』(歌・北原ミレイ)では歌詞が5番まである物語風なのですが,4番の歌詞があまりにも過激なので削られて,世に出なかったとか。その内容は「細いナイフで人を刺し,獄中から思いを寄せる」といった感じです。『北の宿から』では,歌手の都はるみさんは最初,気に入らなかったそうです。この歌ではこぶしが生かされないからと判断したからだそうです。でもレコード大賞を受賞したのですからわからないものです。 ほかにも明治大学学生時代の頃,広告代理店宣弘社のころなどおもしろいエピソードがいっぱいでした。担当吉田教授は「いずれは文芸史のなかで阿久悠研究をしなくてはいけないと思う。1970〜80年代を駆け抜けた作家・阿久悠の足跡は偉大だった」ということです。 |
11月3日(火) |
●浅草寺本堂の一部解体修理 浅草寺本堂は,2010年12月まで解体修理を行なっています。いまはテントで覆われていて,ちょっとガッカリです。ただ本堂のなかは従来通り,参拝もできます。 今回の主な修理は,大屋根の瓦をチタン製瓦に,大扉を銅製からアルミ製に交換します。全体として軽量化し地震に備えるそうです。施工は清水建設。 |
11月2日(月) |
●1968年の混沌とした時代を考察 いま各大学で学園祭が盛んに行われています。その多くは屋台などの模擬店の出店です。しかしなかにはおもしろいシンポジウムを行なっている大学もあります。そのなかで明治学院大学で『1968年と2009年』というシンポジウムが開かれました。 パネリストに文芸評論家の加藤典洋,作家の島田雅彦,雨宮処凛,高橋源一郎の各氏が参加,司会は政治学者の原武史氏です。これは小熊英二(慶応大学教授)著の『1968〈上〉〈下〉』という2000ページにもなる1968年の混沌とした時代を切り取る労作です。この著作を元にしながら,1968年とはなんだったのかを考え,2009年との違いや繋がりを考えてみようという狙いです。各氏の細かい話しは省きますが,最近になって1968〜1970年ごろの政治状況を歴史学者が検証するという動きが見られます。今後は映画や文学,芸術の分野でも検証されるものと思います。それにしても実におもしろいシンポジウムでした。 |
11月1日(日) | |
●中国の戦後のまともな政治家は周恩来だけ!? 現代の中国でまともな指導者は故周恩来首相ではなかったかと思います。毛沢東は晩節を汚し,江沢民は反日政策に狂乱し,そして軍備増強に突っ走る胡錦涛など中国指導部は,何かもがいている感じがします。 そんななかで早稲田大学で『周恩来と日本』というテーマで,シンポジウムが開かれました。パネリスト1人毛里和子早大教授は,「周恩来は現実を重視し,しかも戦略家でもあった」と分析します。例えば,アメリカのキッシンジャーとの極秘会談で,日本の悪口をさんざん言いあって,翌年,ケロッとして日中国交回復を指示するのです。このことがアメリカの文書から発見されています。毛里教授は1950年代の日中関係を再度見直すべきだといいます。まだまだ未発見のデーターが出てくるようです。 中国の戦後政治家で研究対象になるのは,今のところたぶん周恩来だけではないでしょうか。余談ですが,今から20年ほど前蘇州から上海まで,ディーゼル機関車「周恩来号」に乗りました。やたらと大きかったという記憶が残っています。 |
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10月30日(金) |
●長さ4.5kmの暗闇トンネルの見学 真っ暗闇の中,係員の持つ懐中電灯の明かりだけが頼りの地下トンネルを訪れました。ここは東京都杉並区・環状七号線下の地下トンネルです。 神田川サミットの人たちと一緒に見学することができました。都市型豪雨から,神田川沿いの住宅地の洪水を防ぐために造られたものです。テレビではタレントさんたちが訪れて奇声をあげたりしている映像を見ていました。実際に見ると,水と一緒に流れ込んでくる土砂も残っていたり,独特のにおいもしたりと不気味な感じでした。 直径12.5m,長さ4.5kmで付帯施設を含めて1000億円以上をかけていますが,実際に洪水の被害は極端に減っています。それなりに効果があったといえます。 |
10月27日(火) |
●韓国の金泳三元大統領の講演を聴く 対日強硬派でも知られる韓国の金泳三元大統領がいま来日中で,話が聞けるというので,早稲田大学小野講堂に出かけました。早大の名誉教授でもあるそうで,世界中で講演するなかで,「早稲田大学」での講演が最も多いそうです。遠くから見てかつての威勢のいい姿はなく,丸みの帯びた好々爺といった感じでした。 今回のテーマは,「54年ぶり,日本の政権交代について」です。民主党誕生に「私は身震いするほど感動を覚えた」といわれ,これは日本人が自らの手で歴史を変えた最初であるといわれます。まさにベタホメであります。30分のほどの講演でしたが,後の質疑応答で,その反共魂をのぞかせるのです。 沖縄の米軍は「共産主義の砦だからガマンすべき」発言にガッカリ 女子学生が米軍の沖縄駐留についての感想を聞かせてほしいと質問すると,元大統領は「沖縄の米軍は,共産主義から守るためであって,沖縄県民はがまんすべきです」という。このへんの現状認識が全く甘いというか,東西冷戦時代の亡霊でも見ているような気がしました。米中「同盟化」が進み,台湾は政治的に孤立化し,日本もアメリカ同様中国なしには経済が成り立たない状況になってきています。逆に中国自身もアメリカや日本なしに経済が成り立たないのです。そんなときに「共産主義が攻めてくる」という認識にガッカリしました。「反共主義」はいいのですが,ここ10年でアジアはどんどん変化しています。失礼ながらやはり,過去の政治家になりつつあるのでしょうか。 |
10月26日(月) |
●作詞5000曲,小説,エッセイ100冊以上 2007年8月1日に歌謡曲の作詞家阿久悠氏が亡くなりました。5000曲以上,小説,エッセイは100冊以上と,日本の歌謡史に残した業績は大きいものがあります。その偉業を偲ぶための小さな故人展が,母校の明治大学図書館(お茶の水)で開催されました。 都はるみ,八代亜紀,沢田研二,森進一,石川さゆり,ピンクレディなど,1970〜80年代にかけて多くの歌手の詩を作り上げました。小さな展覧会ですが,片隅にはヒット曲が聴けるようになっています。また主要曲のリスト眺めていますと,あまりのすごさに驚きます。でも直木賞だけは欲しかったそうです。なお2010年1月末日まで開催しています。 |
10月25日(日) |
●「救おう千年の桜/世界遺産吉野からのメッセージ」東京で開催 奈良県吉野地方の桜は約3万本ともいわれています。そのほとんどがシロヤマザクラと呼ばれる品種です。だから全山ピンクに輝く,というのではなく白く輝くというのが正確な言い方でしょう。そのシロヤマザクラがいま危機に瀕しているのです。そこで『救おう千年の桜 トークショーin東京』が東京国立博物館平成館大講堂で開かれました。パネリストは浦井正明さん(寛永寺執事長),田中利典さん(金峯山寺・金峯山修験本宗宗務総長/きんぷせんじ)と司会・宮崎高ウん(千葉商科大学大学院教授)の3人。 上野の桜は元もと吉野からやってきたのが最初だそうです。話しは吉野と上野のつながりを訴えながら,歴史はどんどん遡っていきます。かつて奈良時代の日本人は花といえば梅でした。これは中国の影響からです。しかし平安時代に入って桜に変わっていきます。 シロヤマザクラの傷みの原因を京大に依頼 また明治政府のとった廃仏毀釈や神仏分離などので,上野寛永寺や金峯山寺は,急速に衰えていくのです。そのため桜の管理自体も手薄になっていくのですが,その後奈良県や吉野町など行政の手に移っていくのです。近年のシロヤマザクラの傷みは,原因がわからないため2年前から京都大学に原因究明を依頼しており,結果がでるのはもう少し先になりそうです。 それにしても明治政府の欧米志向の話しは,とてもおもしろかった。精養軒を上野に持ってきたのは,大久保利通が日本でも欧米風のレセプションができますよ,と見せつけるためだったそうです。とにかく話題満載でした。なおトークショーは,来年は大阪で開くそうです。 |
10月20日(火) |
●愛媛県・宇和町が伝建地区に 重要伝統的建造物群保存地区に愛媛県の宇和町卯之町が選定されました。まさか秋にも発表されるとは思いませんでした。2回ほど訪ねましたが,観光客も少なくとても静かでいい町並みでした。見どころは中町(なかのちょう)通りです。 |
10月19日(月) | |
●押上駅近くの京成橋がいい 東京スカイツリーの姿が少しずつ現れてきました。それにつれ観光客(?)が増えてきています。団体客も記念写真を撮っているところも見ました。カメラを持ってくるアマチュアカメラマンも多くなりました。 現在170m近くまで伸びているそうです。見学場所としては,下から上まで全体が見渡せる京成橋がいいそうです。地下鉄押上駅から徒歩3分と近いだけに,日曜日などはたいへんな賑わいです。 |
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▲ラーメン(550円/千成飯店)押上駅前 | ▲京成橋からの東京スカイツリー |
10月18日(日) |
●東京,奈良国立博物館の12日が無料! 東京でも正倉院の御物が展示されます。11月12日〜29日まで,東京国立博物館で開催されます。『皇室の名宝』展の後期部分です。一方,奈良国立博物館の正倉院展は11月12日まで開催されます。 で,よく見ると11月12日だけが京都も東京も日程が重なっています。この日は天皇陛下ご即位20年を記念して入館料が無料になるのです。朝早く奈良に行って,午後東京で見ることも可能です。頑張ってください。 |
10月16日(金) |
●宮沢賢治の『ひかりの素足』を能楽の世界で表現 能というものを始めて見ました。能は文楽や歌舞伎などよりも早く,ユネスコの世界の無形文化財に登録されており,外国人にも人気が高い芸能です。約600年の歴史を持ち,江戸時代では武士のたしなみの一つともされていました。 能の物語の古いものは室町時代,新しい物でも江戸時代に完成されています。しかしあまりの古さに現代人たちが付いていけないというのも事実です。そこでオリジナルな新作を舞台にかける意欲的な能楽師が出てくるのも当たり前です。そのなかの一人,観世流シテ方・中所宜夫さんの「能楽らいぶ」を東工大で見たのです。 『ひかりの素足』という宮沢賢治の精神世界を表現した舞台です。言葉も耳をすまして聞くと,現代語でわかりやすく,例の「雨ニモ負ケズ〜」のフレーズもでてきます。中所さんは後の対談で「能楽の世界と宮沢賢治の独特の精神世界は,ピッタリとあいます」といわれます。そして「能楽の持つ形式美はきちんと保ちたい。なぜなら形式美は,最も力強いからです」と断言。 今回は,大学の中での公演だったせいか,観客も若い人たちが圧倒的に多く,見る方も緊張しているせいか館内がシーンしていて,張り詰めた感じでした。 |
10月14日(水) | ||
●チラシにレアもの登場 2点の写真はどちらも第61回正倉院展のチラシです。2種類作ったようですが,帝塚山大学教授の関根俊一氏によれば,左のチラシの方が刷り部数が少なく,レアものになっているそうです。ちなみに関根教授も持っていないとか。紙が厚く豪華な感じ。 |
10月12日(月) |
●平城遷都1300年祭の応援歌が登場! 「とうとう」と言うべきか「やはり」と言うべきか,平城遷都1300年祭の応援ソングができました。まだ発売前ですが,奈良まほろば館(東京・日本橋)で披露されました。A面が『古都旅情』で作詞が小椋佳,作曲が尾崎和行の豪華コンビ。詩の内容は恋に破れた女が一人,奈良にやってきて,古い町並みや万葉歌,美しい自然に触れながら,立ち直って行く様子を歌っています。B面は『お水取り』です。お水取りが歌のタイトルになるのは珍しいです。 |
10月10日(土) | |
●行田名物のB級グルメは「フライ」「ゼリーフライ」 行田市(埼玉県)にフライという,地元民が昔から食べているB級グルメがあります。行田市民は東京の人も食べているとかたく信じていました。しかし中高校時代に東京へ遊びに出て,フライというと「えびフライ?」,「アジかカキのことか?」と逆に聞かれてショックを受けるというのが,行田市民の一般的な体験となります。先般,『秘密のケンミンSHOW』(日本TV−読売TV系)にも取り上げられ,笑われながらも全国銘柄(?)になったようです。 フライにも2種類あって,単なる「フライ」は,小麦粉を溶いたものにネギや肉,卵などの具を入れて鉄板で焼きます。ソース味と醤油味があります。 もう一つの「ゼリーフライ」は,豆腐のオカラにジャガイモや野菜のみじん切りなどを混ぜて油で揚げます。そのあとソースにくぐらせて食べます。こちらの味は大阪名物の串カツに似ています。 現在,行田市内に36軒の販売店があり,喫茶店,そば屋,肉屋,豆腐屋,各種レストラン,さらにフライ専門店までいろいろです。 で,なぜ行田にフライが登場したのか,というと足袋製造業に働く女工さんたちのおやつ代わりだったそうです。一時は行田の足袋は,全国で70%の生産シュアを占めていたとか。行田に行ったときはフライをぜひ食べてみよう。 |
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▲喫茶店やそば屋でも販売しています | ▲ゼリーフライ(100円/忠次郎蔵) |
10月8日(木) |
●小学校6年生の教科書が基準 小学6年生の教科書を基準にした江戸時代の様子を展示解説しています。江戸博でこのような催し物は珍しいのか,結構混んでいます。ちょっと眺めてみましたが,実にわかりやすく,人物もすべてルビがふってあり,誰もが知っている人たちばかりでした。 「江戸時代の前」から始まり「大政奉還」までざっと流れがわかります。また「江戸のくらし」では,さまざまな職業の人たちが,文献や絵巻を使って解説。江戸の人々は物を再生しながら,生活していたということがわかります。おもしろい企画展です。 |
10月2日(金) |
●鞆の浦の開発がストップ! 万葉の時代のままの風景が残っている鞆の浦の開発計画が,広島地裁によってストップがかかりました。当たり前といえば当たり前ですが。 すでにトンネルによる代替案などが出されています。県外ナンバーのクルマは乗り入れ禁止など,やれることはいろいろあります。リムジンバスを導入し,あとは徒歩で楽しむ,等々。 土木,建築系の町おこしは終焉をむかえたのです。道路を拡幅したり,海を埋め立てたり,駅前に第三セクターによるビルを建てたりした町おこしはすべて失敗しています。石見銀山の古い町並みでは,約2kmの道のりを観光客は歩いています。すべて住民のための生活道路とするのです。それにしても時代は変わったなあ,と思います。これは政権交代と関係があるのでしょうか。 |
9月29日(月) |
●全体像が見えた羽田D滑走路 羽田国際空港の4本目のD滑走路の全体像が見えてきました。先日,飛行機に乗ったら,晴れていて空港がよく見えたので写真に撮りました。多摩川の河口(左)部のところだけを,流れをせき止めないように桟橋構造にしてあるそうです。つまり埋め立て部分と橋脚部分が一緒になったハイブリッド構造という,空港としては世界初めての方式。 完成は2010年10月を予定しているそうです。 |
9月27日(日) |
●知らなかった新版画 「新版画」って何かわかりませんでしたが,展覧会を見て,大正から昭和初期に輝いた木版画のことだそうです。『よみがえる浮世絵』ではなんと250点もの新版画が展示されていました。明治時代以降,衰退する浮世絵や木版画技術に対して,海外での浮世絵の人気は高くなる一方です。 そこで,渡辺庄三郎が輸出向けの木版画を制作販売するようになったのです。そこから,橋口五葉など新しい作家が登場します。作品を眺めていますと,大正時代のモダンイズム,昭和の香りがプンプンするのです。 またアメリカの収集家ロバート・ムラーは4000点以上もアーサー・M・サックラー・ギャラリーに寄贈。今回はそこからも出品されているのです。ただその後の新版画は,平成に入るとともに消滅してしまいました。本当に残念です。 |
9月15日(火) |
●行政との関わりが問題です 村上市(新潟県)の黒塀プロジェクトは,町づくりに携わる人たちに知られた運動です。始まった当初は,黒塀1m分1000円運動でしたが,最近は1枚1000円に変わってきました。 先ごろ「国際景観会議2009村上 東京会議」に出席しましたが,黒塀運動の話しのほかに,都市開発型市長と景観町づくり派のやりとりを聞くにつれ,市長を説得するのはたいへんだなあ,つくづく思いました。しかも説得に成功したと思ったら,次の選挙で落選,そんなことが何度も続いたそうです。対市長もそうですが,町づくり運動の問題に,対行政に対してどうするか,ということがあります。 行政におんぶにだっこでは,まったく前に進みません。このことは蔵の町・栃木市でも同じです。市民が,町のリーダーが積極的に動かなくてはいけないことはいうまでもないのです。村上市の黒塀プロジェクトは,全く行政はタッチしていないそうです。知らん顔だとか。 ただし行政には行政しかできないこともあります。いつもそうですが,行政との関わり方が問題にされるのです。 |
9月11日(金) |
●「2030年の渋谷を考える」に,渋谷の都市災害の項目がない 渋谷で『第20回渋谷コロキウム』が東京都市大学主催で行われ,2030年の渋谷はどうあるべきか,どうなっているかのシンポジウムが行われました。コロキウムはラテン語で対話という意味だそうです。パネリストは新設された都市生活部の学部長をはじめ教員の皆さんです。 細かい内容は省きますが,内容が浮世離れした脳天気とでもいおうか,ちょっと夢物語的でした。地方の町おこしを考えるにつけ,渋谷はとても恵まれています。一日に数十万人が訪れるといいますから,空き屋対策など関係ないというべきでしょう。もちろん競争が激しいだけに栄枯盛衰の物語は聞かされていますが…。 新ハチ公広場と称して,ハチ公は3Dで空中にあってもいいのではないか,などという話しですが,「バブル渋谷」全盛を思わせます。欠けているのは,渋谷の歴史や都市災害の項目です。特に水害(ゲリラ豪雨)や火災,地震などの話しも聞きたかったです。 |
9月10日(木) |
●台湾も古い町並みや古民家を生かして町おこし 最近,連続して台湾の古い町並みについて,専門家から聞くことができました。やはり古民家を生かして町造りは日本と同じだそうです。またこのままの状態が続くなら,ますます古い町並みは壊滅していくとか。 だがそのまま残すのではなく,町おこしは古民家も生かしながら実施しないと,あとあと多くの人たちの共感を得ることができないのです。どこの国も同じです。 |
9月6日(日) | |
●奈良時代の天皇が食べた宮廷料理を復元,試食しました 現在万葉の宮廷料理を作れるのは,奈良パークホテルに在籍する尾道龍男さんだそうです。今回,奈良まほろば館で宮廷料理について解説されました。素材や調味料,天皇に贈るための素材,手紙などを記した木簡が多くの遺跡から出ています。仏教とともに中国から伝わった料理法なども出土されています。また天武天皇は牛,馬,猿,犬,鶏の食の禁止令を何度も出しますが,それはおいしいので禁止令を破る人が多いからでしょうか。 調理法や調理器具,貯蔵具,漁法,狩猟法,食事作法,食事の様式などいまでは細かくわかってきました。また穀類,肉類,野菜類,水産物,キノコ,果物,香辛料,油,酒なども膨大な量の木簡が出土していますが,味付けは推定しかないようです。この日は薄味で天日干したサメ,牛乳を10分の1まで煮詰めたチーズを試食しました。現代人向けに味付けされているせいか,とてもおいしいものでした。 |
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▲奈良パークホテルで出している宮廷料理「天平の宴」。素材,調味料も吟味しているとか。 | ▲三枚におろしたサメ(左)を薄味,天日乾燥したもの。牛乳を10分の1までに煮詰めた古代のチーズ(右)。 |
9月5日(土) |
●町おこしの活動グループによる報告会に我が意を得たり 町おこし,町づくりに携わるNPO法人など,市民グループの活動報告会が開かれました。幾つかのグループは,その町の持つ歴史,文化などを基礎に町おこしに成功しました。その見事な例が示されたのです。常々その町の「歴史,文化」を加味しながら,町づくりをすべきだ,と思っていただけに,おもわずニンマリ。その後の懇親会でもいろいろな人たちと話しをしましたが,我が意を得たりという感じでした。 地方も都会も空き屋対策が重要な問題になりつつあります もうひとつ空き屋が続出し,できるだけ住んでもらおうという活動をしている尾道のグループの報告がありました。空き屋は地方だけではなく,東京都心の商店街でも発生しつつあります。東京の場合は,後継者がいないというのが大きな原因ですが,商店街そのものに魅力が失われてきたという理由もあるかと思います。人口減少,高齢化に対して町づくりは難しい段階に入っています。しかし手立ては必ずあります。 |
9月4日(金) |
●裕次郎がしみじみとした青春映画にも 石原裕次郎の初期の作品『乳母車』(1956年)を見ました。監督は,巨匠の田坂具隆です。裕次郎の初期の作品といえば,派手なアクション映画ばかりと思っていたら,しみじみとした青春映画にも出ていたのです。原作は石坂洋次郎です。『若い人』も同じで原作者。 ストーリーはあえて書きませんが,東急電車や舞台の一つになった九品仏(浄真寺)や九品仏駅が登場します。未舗装の道を主人公たちが走ったり,緑濃い境内を歩いたり,昭和30年前後の東京の姿が写し出されています。ヒロインの芦川いづみもすてきでした。 |
8月31日(月) |
●第2.4日曜日が歩行者天国 小江戸といわれている川越市の蔵造りの町並みは,年中クルマで混雑していましたが,とうとう第2,4日曜日が歩行者天国になりました。あれだけ「生活道路だから無理だ」といっていた役所が,覆したのが,川合市長のツルのひと声だったそうです。 バスを運行する東武バスや商店街を説得してすすめたそうです。結局,歩行者天国にすることで,商店の売り上げは約2割伸びたそうです。そうなると他の商店街から,「なんであそこだけ歩行者天国にするのだ」という怨嗟の声が出てきているとか。クルマと観光客との接触事故が多かっただけに,できるだけ観光客が安全に歩けるようになれば,さらに訪問者も増えるでしょう。 とりあえずは8月と9月のみですが,イベント等によっては再度,実施してほしいものです。 |
8月30日(日) |
●おもしろい,江戸時代の猫の生活 とくに愛猫家ではありませんが,江戸時代の猫はいったいどうしていたのか興味がありました。江戸の人々の生活の中に深く入っていたのですが,犬と違って気味が悪いという人もいたようです。また浮世絵にも猫が点景として描かれています。そんな浮世絵がいっぱい展示されていました。 また文学や彫刻にも猫が登場しますが,夏目漱石の『我が輩は猫である』や朝倉文夫の猫の彫像はまるで生きているかのようです。江戸時代の猫を描くなどは,学芸員の目の付けどころが違うと,感心しました。 |
8月28日(金) |
●伝建地区に真壁が内定? 茨城県桜川市真壁町の古い建物(写真左)は,104棟もの国の登録文化財に指定を受けています。この数は一つの町のなかでは,驚異的な数字でもあります。 そこで前々から重要伝統的建造物群保存地区に選定されるという噂は絶えませんでしたが,いよいよ実現することになりました。 今年9月にほぼ内定し,来年(平成22年)2月にほぼ決定,3月に本決まりということだそうです。そうなると茨城県では初の重要伝統的建造物群保存地区になりますので,他の地域も考えるのではないでしょうか。例えば常陸太田市の堀町地区にも多くの歴史的建造物が多く残っています。 茨城県は小規模ですが,各地に歴史的建造物群が残っています。その多くは保全のための資金不足や道路拡幅によって,消滅する運命をたどろうとしているからです。 |
8月26日(水) |
●呉越同舟の大会 全国町並みゼミ「佐原・成田大会」プレゼミナールが,成田市・香取市からの両市長を迎えて開催されました。 こういう大会に参加していて,危惧するのは,純粋に古い町並みを守りたい人たちのグループと古い町並みを守れば観光客が多くなってソロバン勘定があう,というグループに分かれるということです。いまのところ,古い町並みを守ろうという目標が同じなので,問題は起きていません。しかし地元の商工会が加わっている場合は,安心できません。道路の拡幅,容積率のアップなどが関わってくると,簡単に寝返ります。 今回も観光客をいかに滞留させるか,そのためにはどうするかなどの技術的な取り組みばかりを報告した団体がありました。そこには古い町並みの良さなんかどうでもいいといわんばりです。儲かりさえすればいいのです。まさしく呉越同舟の大会でした。 |
8月22日(土) |
●川越はNHK『つばさ』一色です 埼玉県の川越市内は,いままさに『つばさ』一色です。NHK連続テレビ小説の舞台でもあるのです。レストラン,駅構内,飲み屋,土産物店等々…。 みやげものにも芋まんじゅうが多いですが,アイスクリームや珈琲などにも使われています。 |
8月20日(木) |
●いま50年前の『伊勢湾台風』を問う ほとんどの人が忘れているか知らないという,あの5000人以上の死者をだした伊勢湾台風が,今年で50周年を迎えます。だからといって大きなイベントがあるわけではありませんが,被災者や関係者にとって忘れられない出来事です。 筆者の岡邦行さんは,愛知県飛島村の住人,名古屋地方気象台,災害対策本部,中部日本新聞社などの動きを重ねることで,「伊勢湾台風」の全ぼうが浮かび上がってきました。3年間にわたって,100人以上の人たちに取材を重ねた渾身のノンフィクションです。私の親族にも多くの被災者がいるためか,とても人ごととは思えません。ぜひ多くの人に読んでほしい一冊です。 |
8月12日(水) |
●温泉カレーがなんと200円 温泉入りの食べ物っていろいろありますが,温泉カレーライスを亀戸天神参道(東京都葛飾区)のお店(MK CAFE)で食べました。福島県の温泉地から温泉を運んでもらっているそうです。ご主人が福島県で温泉宿を経営していたのが,ダメになって東京に出てきたとか。 何より驚いたのが200円という価格です。あまりの格安に驚きました。カレーは具の形が崩れるほど煮込んでいます。味はトゲのないまろやかな感じです。量も普通にありますし,大盛りは100円増しです。サラダも100円です。楽しいカレーライスでした。 |
8月11日(火) |
●「震度3! 10秒前,9,8,…」 自宅に緊急地震速報受信装置なる機械(親機と子機が1セット)を設置して3年ほどになりますが,実際に作動したのは,4回でした。いつもいきなり大きな機械音で「震度3! 10秒前,9,8,7,6……」ではじまります。本当にいきなりです。しかもボリュームを目いっぱいに下げていても,大きな声です。最後は轟音ともいうべき警告音が親機から,そして子機からも鳴り響くのです。スゴイです。おまけにOFFというスイッチがないのです(爆笑)。 10秒間あれば,けっこういろんなことができます 最近,その10秒間でいったい何ができるのか,と考えます。まず,マンションの玄関ドアを開けます。さらにベランダのガラス戸も開けます。リビングの倒れそうな飾り物も,最初に倒します。あとは揺れそうな家具を手で押さえながら揺れを待つのです。一応,地震に備えて転倒防止法を気づく限り施しています。突っ張り棒はいたるところで使っています。またテレビなども転倒防止の敷き物も使っています。だからそれほど慌てることはありませんが,それでもいきなり「震度3!」と機械が叫ぶとドキッとします。とても心臓に悪いです。 「40秒前!…」なんて聞いていないぞ この前の8月9日の地震は「震度3! 40秒前!…」から始まりました。40秒前なんて聞いていないし,冗談かと思いました。でも10秒間でやるべきことを40秒でやるのだから,余裕です。最後の10秒間は何をやろうか考えているうちにグラグラときたのです。 それにしてもよくできた機械です。初期微動(P波)と速度の遅い大きな揺れの(S波)の差で,到達時間を割り出して知らせてくれるのです。だから自宅にいる限り,事前に起こされているので,物が落下してケガをするということがありません。結果として導入してよかったのかなあ,と思ったりもします。 |
8月10日(月) |
●ハヤシライスの元祖争い ハヤシライスは大好きです。食べていて気になるのが例の元祖争いです。丸善カフェ,上野精養軒,銀座煉瓦亭,最近では京橋ドンピエールが参戦。 まあ食べ物の世界だからどういうこともありませんが,いずれも洋食界では老舗です。丸善カフェは例の初代社長・早矢仕有的(はやしゆうてき)さんが明治時代に考案したそうです。上野精養軒は,日露戦争のころ林さんというコックがまかないとして考案。銀座煉瓦亭も明治時代にコックがまかないとして考案したものがメニューに載ったとか。京橋ドンピエールはいまいちわかりません。 明治時代に生まれた食べ物の元祖争いは魑魅魍魎! いずれの店の言い分は正しいでしょうが,だからといって「ウチが元祖です」のことばを信用しません。考案した人の名前が「ハヤシ」だからといって,明治時代の新聞に載ったからといって,そう簡単には信じません。食べ物の世界の元祖争いは魑魅魍魎としています。特に明治時代に生まれたとされる食べ物は特にそうです。かつて旅行雑誌で食べ物の取材したときに痛切に感じました。ただ丸善カフェも上野精養軒も煉瓦亭もハヤシライスはとてもおいしいです。それで十分ではないかと思ったりもしますし,決着のつける必要はないと思います。 |
8月9日(日) |
●ダイアナ元英国皇太子妃 タダ券をもらったので,興味本位で日本橋の三越本店をのぞいてみました。会場内は,年配の女性陣だけで超満員。訪問国別に写真を分類されています。いちばん人気は,実際に着用した豪華なドレス群の展示です。 36歳という若くして亡くなっただけに,惜しいという気がしてなりません。美しく,愛らしいまなざしが,私たちに語りかけてきます。ちなみに最後となった交通事故の写真は,展示されていませんでした。 |
8月8日(土) |
●都市開発,再生には土木や建築以外に歴史など文系も加われ おもしろいシンポジウムが東大工学部で開かれました。『都市フィールドワークの開拓/陣内秀信先生にうかがう』がテーマです。東京フィールド研究会が主催で,この4月に発足したばかりです。東京フィールド研究会というのは,東大工学部稲垣研究室を中心に,土木,建築の研究者も加わっているそうです。 陣内秀信氏は現在法政大学教授で,東大稲垣研究室の出身でもあります。陣内氏の持論は,都市の開発,再生は,建築や土木だけではもうダメですでに行き詰まっている。インフラを整備する場合,その町の歴史などフィールドワークを行ない,歴史,考古学なども加味する必要がある,といいます。そのために都市の開発,再生には文系の研究者も入るべきであると主張するのです。 『東京の町を読む』と『東京の空間人類学』 そこで初期の代表的な著書でもある『東京の町を読む/都市・建築の構成原理に関する史的考察』(1980年),『東京の空間人類学』(1985年)などを若き研究者が読み解き,その結果,陣内秀信先生に質問するという形式。延々4時間にわたって話しが続きました。 鞆の浦だってもっといい解決法があっただろうに 内容は省きますが,全くその通りだと思います。広島県,鞆の浦の開発も建築や土木の連中だけが集まって再開発を決めたために,目茶苦茶なことが行われようとしているのです。ここに歴史,民俗などの研究者も加われば,もっとましなことができたでしょう。 |
8月7日(金) |
●2度目(?)の『嵐を呼ぶ男』 『嵐を呼ぶ男』(1957年)は,その後渡哲也,近藤真彦らによって2度リメイクされています。それでもやはり石原裕次郎主演の最初の作品がずば抜けておもしろいと思います。 親戚のおばさんが,私の小さい頃,南都劇場(奈良市)に連れっていったことがあるというのです。全く記憶になく小学生にもならないころだと思います。そんなこんなで,世の中の若い女性たちを虜にしたこの映画をいつかは見なくてはいけないと思っていたのです。だから今回で2度目(?)というわけです。 日活青春映画の黄金期を代表する映画だと思いますが,後に俳優の藤竜也と結婚する芦川いづみが出ているのに注目しました。彼女も日活黄金期を支えた女優でもあります。 手足の長い裕次郎の不良じみた役柄があっていたのか,その後戦後最大のスーパースターとして歩んでいくのです。 |
8月2日(日) |
●広告に「旅順全面開放」 中国旅行の新聞広告を見ていますと,ここにきてやっと「旅順全面開放」の文字が躍るようになってきました。いままでは,バスで指定された観光地以外では下車することができませんでした。それでもうれしくなって出かけたものです。当時は中国人ツアーに紛れ込み,公安の監視を気にしながら,外国人の立ち入り禁止地区や建物などに入って,こっそり写真を撮ったものです。 まだ軍の管理地域は入れませんが,そのほかは一人で町を歩くことがやっとできるようです。当時は町外れの外国人専用ホテルに泊まりましたが,いまは都心の便利なホテルに泊まれるようです。今度こそ町歩きがしたいものです。 |
8月1日(土) |
●ゴミをアートに変える!? 渋谷にある国連大学でユニークなイベントが行われました。題して『アートと環境との対話』といい,ゴミをアートに変えるアーティストたちや学者たちが集まって報告会が行われたのです。 特に淀川テクニック(大阪府)の2人組のアイデアに驚きと賞賛の声があがりました。淀川河畔に流れ着いたゴミを集めて展覧会を行なったりしているのですが,靴にラップをかけ,バーコードも貼り付けてスーパーの店頭で売られているような形にすると,いかにも売り物に見えるというおもしろさ。ほかにもいろいろありますが,美術家の藤浩志さんの活動もユニーク(写真)でおもしろいものでした。 会場ではアーティストだけではなく,学者の基調講演が行われたり,海外の活動も紹介されたりと,なかなかおもしろいイベントでした。 |
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