昨日・今日・明日H
2011年(平成23年)
9月30日(金)
豪徳寺・広大な井伊家の墓所広大な井伊家墓所が世田谷に
 先日,世田谷区教育委員会の主催の「世田谷の歴史再発見」に参加する機会を得ました。幾つかの寺院をまわったわけですが,そのなかで豪徳寺に行って驚きました。豪徳寺は彦根藩の菩提寺ですが,墓所の広大さに絶句。ここは藩主,正室,側室,家臣やその家族など江戸で亡くなった彦根藩関係者が眠っている所です。だから桜田門外の変で暗殺された井伊直弼も埋葬されています。もちろん国元には清涼寺(彦根市),永源寺(東近江市)といった菩提寺があります。それらは平成20年に国指定の史跡になったとか。
 あまりの広大さに目を丸くしましたが,江戸時代の世田谷は超田舎,逆にこんな田舎に墓があると,墓参もたいへんだっただろうと,同情もしたくなります。
9月24日(土)
両国駅3番線両国駅3番線の賑わい
 JR臨時快速「白い砂」の両国駅3番線の入線風景です。白い砂がなぜこんなに人気があるのかわかりません。房総半島への海水浴客用の臨時列車だそうです。それよりも,3番線に人があふれている光景を見たのははじめてです。驚きました。
 房総方面へは,東京駅の地下ホーム京葉線に移動してからというものは,両国駅はすっかり寂しくなりました。きっと久々に両国駅発着の列車なので,鉄ちゃんたちは気が動転したのでしょうか。
9月20日(水)
重要伝統的建造物群保存地区の選定を目ざす7カ所
 景気回復の手段の一つに,地元の財産・古い町並みを生かそうという自治体が急に増えて来ました。特に重要伝統的建造物群保存地区の選定を目ざして,地元住民の理解を得るための動きを見せています。石川県加賀市の東谷地区をはじめ,下記の6カ所が積極的に動いているようです。重要伝統的建造物群保存地区はコンスタントに観光客がやってきているからでしょうか。
▲秋田県横手市増田町 ▲群馬県桐生市本町 ▲群馬県伊勢崎市境島
▲金沢市・卯辰山麓の寺院 ▲岐阜県郡上市八幡町 ▲広島県福山市鞆
9月15日(木)
空海と密教美術展のチラシ仏像曼荼羅の世界に浸りました
 しばらくレンタカーで四国をグルグル回っていたので,四国に縁のある弘法大師空海の美術展に行ってきました。展示作品のほとんどが,国宝・重要文化財で構成されています。眺めていて,スゴイのひと言です。しかも大変な混雑ぶりで,ここまで弘法大師の人気があるのか,と改めて感心しました。
 現存する空海自筆の書5点がすべて広げて展示されています。さらに京都・東寺の五仏,五菩薩,五大明王など21体のうち8体が展示されており,薄暗い空間で仏像曼荼羅が体感できるのです。ところでこの東寺,2万数千点の重要文化財,200余点の国宝がある,かなりの「財産持ち」でもあります。また神護寺や高野山からの出展もあって,会場は重文だらけということになったのです。
 会場はひどい混雑だったので,じっくりと観賞することはできませんでしたが,それでも曼荼羅の世界に浸ることができました。
9月12日(月)
すでに来年のカレンダーが店頭に並んでいます
 町を歩いていますと,もう,と言うべきか来年のカレンダーが店頭に並んでいます。どちらかというと,手帳は早々と買ってしまいます。今週中には手帳を買うつもりです。そして,いまわかっている予定を書き入れてしまうのですが,特に長期旅行の日程を検討するのに手帳は必需品です。カレンダーにはさすがに手が出ません。
8月30日(火)
卑弥呼は中国朝廷の使者と会うときは男装した!? という説
 先日,東京新聞フォーラム『卑弥呼の実像』に関するシンポジウムが開かれました。そこで服装史や女性史を専門とする大阪大学大学院教授の武田佐知子さんが,「中国からの王朝使者に対して卑弥呼は男装して面会した」という説を発表されて,満員の場内はオーッ,という声があがりました。
 当時,男尊女卑でもあった中国朝廷と官僚機構は,女王をいただく倭の国(日本)を見下すだろうから,朝廷の使者に対して男装したというのです。服装も類推されており,実におもしろい説でした。
8月29日(月)
平均年齢70歳代後半,人口40人弱の限界集落の再生に挑戦
 「限界集落の再生」を実際に取り組もうという人たちがいます。いままで町並みの再生とか,シャッター通りを無くそうなどというグループはたくさんあります。しかし限界集落に挑戦するというグループの存在をはじめて知りました。グループ名はNPO法人循環の島研究室。場所は新潟県佐渡市安養寺地区です。世帯数16軒,人口40人弱,平均年齢70歳代後半という「まさに再生するには絶望的な限界集落」です。ちなみに佐渡島には200近い集落のうち約40が限界集落と言われています。

〈佐渡島〉牛で田んぼを耕す無農薬の「牛耕米」作りを目ざす
 まず最初にやったことは,拠点となる場所を造ること。これは廃屋だった旧公民館を生かすことにしました。家屋の修復,電気の引き込み,簡易トイレの設置,いろりの復活など。情報発信はココから行うのです。
 安養寺地区の特色に県の文化財の一つに能舞台があり,毎年夏に薪能が催されます。このときは東京からも大勢の若者や研究者もやってきます。佐渡には約30カ所に能舞台があるそうです。さらにもう一つ牛耕具の保存状態がいいことです。昔の写真をヒントにして,昔のように牛で田んぼを耕すことで「牛耕米」が作れないか,というアイデアが出たのです。牛の糞で米を作る無農薬米を思いついたのです。安養寺地区は沢沿いの集落で,豊富な清流が常にあるということも大きな理由です。これでうまくいけば「安養寺牛耕米」のブランドが確立できるかもしれない。まだ端緒についたばかりで,果たしてこれからどうなるのかわかりませんが,「(財)住まい・まちづくり担い手支援機構」からの補助金もあって,本格的にスタートしました。
 これが成功すれば,全国各地の限界集落再生のヒントになるでしょう。息の長い取り組みになるだけに,なんとか成功してほしいものです。
8月27日(土)
チラシ家康の直筆や橋口五葉の版画など
 毎年1回開かれる「市民からのおくりもの展」は,意外に好きな展覧会の一つです。重文クラスに匹敵するような文化財は出ませんが,庶民に密着したユニークな品物が出てきます。
 今回,1595年,徳川家康が秀吉の姉の子ども秀保にあてた直筆の書状が出てきました。内容は健康を問うものですが,この後,日本は激動の時代へと突入するのです。
 昭和初期のタクシーのメーターもおもしろいです。関東大震災や東京空襲にも生き残った,焼き焦げた電柱というのも寄贈されました。元もと7mあったそうですが,3m50cmにまでに焼け焦げてしまいました。橋口五葉の版画やゆかたの型紙10組,江戸時代後期の上流階級の女性用の着物,和宮江戸下向絵巻などは圧巻です。
 もう一つ,江戸図絵(地図)も展示されています。現在,日本で江戸図絵を数多く持っているのは三井文庫ですが,2位は340組の江戸東京博物館です。学芸員の話によれば,まもなく江戸博が1位になるとか。
 とにかく版画から土人形,着物まで市民が秘蔵されていた貴重な文化財が展示されるので。「今年は何が出てくるのかな。掘り出し物はあるかな」など考えながら見ていると,実におもしろいです。
8月26日(金)
亀戸香取勝運商店街亀戸に昭和の町が誕生
 亀戸の香取勝運(かちうん)商店街が昭和30年代をイメージして,商店街を造り直そうとしています。元もとスポーツの神様として信仰の厚い香取神社の門前町でしたが,参拝者のほとんどが素通りする状態。そこで江東区,東京都,商店街が3億円集めて,改装したというわけです。
 ほとんどが看板建築だったので,改装しやすいという理由もあったようですが,それで町おこしができれば言うことありません。また東京スカイツリーまで歩いて20分という地の利も生かしたいようです。
8月20日(土)
卯辰山寺院群卯辰山山麓寺院群が伝建地区へ
 金沢市の卯辰山山麓に39の寺社が集まっていますが,これらひとまとめにして重要伝統的建造物群保存地区に選定されることになりました。昨年の秋に,卯辰山山麓をブラブラと歩きました。寺院群はすばらしいですが,寺院のすぐそばには,ごく普通の一般住宅がひしめき合っています。その数は約800軒。その800軒を含めて重要伝統的建造物群保存地区に選定するそうです。前代未聞の数になります。このあとに続く各地の町並みに,いい前例となるといいですが。
8月16日(火)
ビルに写ったスカイツリースカイツリーが壁面に反射
 スカイツリーの注目度が高まっていますが,見え方にもいろいろあるようです。一つに,アサヒビール本社の黄金色(ビール色)の壁面に反射するスカイツリーの姿もおもしろく,ガイドさんたちが案内しています。船上からも,対岸の公園からも撮れますが,角度の関係で見られる場所が限られています。浅草寺の境内からの写真は,結構見ることが多くなりました。いずれにせよ東京の新しい風景写真となるのでしょう。
8月15日(月)
高校野球のおもしろさはエラーにある,と思います
 やはり高校野球はおもしろい。プロ野球の中継はめったに見ることはありませんが,甲子園だけは実におもしろい。なぜなのか,とよく考えますが,「高校野球のおもしろさはエラーにある」と思います。どんなに練習してこようと,エラーは付きもの。選手たちには気の毒ですが,このエラーがどこで出るか,ドキドキしながら見ている自分に気がつきます。つまり未完成の野球に魅力を感じるのではないでしょうか。特別に応援するチームはありませんが,どの対戦を見てもドキドキしてしまいます。
8月13日(土)
とうとう本郷館の取り壊しが決定されました
 築100年を越す木造3階建ての下宿屋「本郷館」(東京都文京区)がいよいよ8月末から取り壊しとなりました。いろいろ反対運動がありましたが,所有者には通じません。文化財としての価値も高いだけに残念であります。
8月7日(日)
銀座でドアの開閉を手でおこなうエレベーターに乗りました
 銀座界隈の古いビルのなかには,ドアの開閉が手動式というエレベータがあるらしい,という噂は以前からありましたが,とうとうその手動式のエレベータに出会いました。エレベータの横に黄色の張り紙には,「エレベータの使用について」とあり,細かく説明しています。エレベータの動きを示す掲示板は時計のような半円の針式で,乗り降りは手でドアを開けます。2重になっていて,1つでも閉め忘れるとブザーが鳴って動きません。上下動の運転は自動式ですが,それでもドアを手で開け閉めするという経験ははじめてです。

昭和7年築の近代建築で,歴史的遺産です
 奥野ビル(銀座1-9-8)は昭和7年(1932)に建てられた鉄筋で,当初は「銀座アパートメント」と呼ばれ,トイレ共用,風呂は地下に共同風呂がありました。当時は近くに「銀座湯」もありました。戦後になって,少しずつ事務所に転用されるようになり,いまでは画廊ビルといわれるくらい,多くの画廊が入居しています。建物といいエレベータといい,まさしく歴史的遺産といえましょう。
▲鉄筋6階建て(7階は後で増築)の奥野ビル ▲ドアの開閉が手動式
8月4日(木)
アンテナショップができた有楽町に大阪のアンテナショップ
 早速行ってきました。店内はたいへんな混みようで,レジは行列ができていました。大阪水道局の大阪の水「ほんまや」,ひとくち餃子,名物カレー,お好みソースなどB級グルメがずらり。「おもしろい恋人たち」には泣かせられます。泉州の名産・水ナスは東京では手に入らないだけに貴重。たこ焼きやイカ焼き,例の喫茶店の味「みっくちゅじゅーちゅそーだ」もありました。大阪のB級グルメがぎっしり詰まった店でした。
8月1日(月)
ちはら町並み美術館巣鴨のちはら町並み美術館を見学
 千原さんは横浜国立大学の建築学科を出て,大林組に入社。そこで歴史的建造物の復元などに携わりました。ところが52歳のとき原因不明の難聴になり,趣味もゴルフなどから「視覚的な作業」に切り替え,古民家や古い町並みのスケッチと紀行文の執筆に力を入れだしました。著作には3年分をまとめた『関東路拾遺図絵』(近代文芸社刊)があります。
 展示室は1階で,全国47都道府県の古い町並みの絵が展示されています。細いカラーペンを使った絵で,線の1本1本がきちんと書かれており,元建築家の片鱗を見せています。
7月31日(日)
都電6086形車窓から昭和の風景が広がる
 8月1日に都営交通100周年を迎えるそうです。そこで早速,100年博に行ってきました。実に懐かしい光景です。上京して,すぐ都電に乗ったことを覚えています。
 ところで今回の展覧会を見ていて,交通局は都電にかなり力を入れていることがよくわかります。函館からササラ電車を里帰りさせたり,実物大の模型を造ったりと…。バスや地下鉄はどちらかといえば付け足しのような展示ぶりでした。やはり,職員にも都電に対する思い入れが大きいのでしょうか。
 実物展示の背景が,来春3作目が公開される『ALWAYS三丁目の夕日’64』の実物セットなのです。車窓から眺めると昭和の風景が見えるのです。かなり凝った造りです。
7月25日(月)
神谷バーの重傷は浅草1丁目1番1号浅草の神谷バーが有形登録文化財に
 「デンキブラン」という名で知られているカクテルの生みの親でもある浅草・神谷バー本館が,国の有形登録文化財に指定されました。デンキブランは,ブランデーをベースにしたカクテルで,完成した1921年ごろは,電気がまだまだ珍しくハイカラものとして評判が高かったことと,ブランデーというハイカラな洋酒を組み合わせてカクテルを作って一気に人気が上がったとか。今では瓶詰めで販売しており,どこでも買えるようになりました。
 バーといってもテーブル席で,1杯260円,価格は10年間据え置きだそうです。和食,宴会場などの複合ビルになっていますが,階段や1階のレトロなデザインは,文化財の価値があります。関東大震災,東京空襲をもくぐり抜けて生き残った建築物への最大の贈り物です。
7月20日(水)
江戸安政地震でも埋立地の液状化現象が起こりました
 江戸東京博物館の5階常設展示場の片隅に安政江戸地震(1855年)に関する小さなコーナーがあります。じっくり見ていますと,いまの地震をめぐる状況とよく似ていることがわかります。
 安政といえば幕末,地震の2年前にペリー提督がやってきた(1853年)時期です。江戸時代は大名小路(いまの丸の内周辺)や深川など多くの町は埋め立てられて造られていきました。『地震ならびに出火細見記』(1853年刊)では,「地中より泥砂が吹き出す」とあります。イラストには地中から煙のようなものが吹き出し,家屋が壊れていく様子が描かれています。

江戸の復興で材木商,各種職人が潤ったそうです
 当時,地震の原因は,ナマズ伝説や天罰説が多かったようです。そこで幕府はヨーロッパに使節を送り,最先端の考えを習得させました。それが,「地中に電気がたまり,限界点に達したときに地表に噴き出し,それが地震となる」でした。『地震予防説』(1856年刊/宇田川興斎訳)に記されています。
 ただマイナス面ばかりではなく,復興にあたり材木商や家屋や家具の職人はかなり潤ったようです。一方,大損したの芝居関係の人たちだそうです。ちなみに死者を弔うための棺桶が足らず,遺体をむき出しのまま運んだという記述も見られます。 
7月19日(火)
最近の東京スカイツリー進化する東京スカイツリー周辺
 久しぶりに東京スカイツリーをたずねました。周辺の街並みは少しずつ変わりつつあります。道路が一方通行に変更されたり,簡易トイレが設置されていたりといろいろあります。週末は見物客が多いので,そのためか店もどんどん増えており,オシャレなカフェの登場には驚きました。また今まではガスト,マクドナルド程度しかなかったチェーン店も,すき家やコンビニなども増えていました。今後もどんどん進化するでしょう。
7月17日(日)
墓参りのあと必ず寄る中華料理店/東東(とんとん)冷やし中華700円墓石も“耐震化”されてるの?
 今年はじめての墓参りに行きました。先の大震災で墓石がバタバタ倒れているのではないかと思いましたが,まったく正常でした。最近の墓石は,“耐震化”がなされており,簡単には倒れないとか。猛暑の中,帰りはいつもの中華料理店で冷やし中華(写真)を食べて帰りました。
7月13日(水)
猛暑,酷暑,どっこいしょ! ああ…
 この暑さ,ものすごい! 猛暑だ! 冷たい飲料水ばかりを飲んでいて,とうとうお腹を壊したようです。さすがにずっと歩き続けていたウオーキングもしばらくやめています。夜はクーラーの効いた部屋で,昼間録画をしておいたTV番組を見ながら,ビールを飲むのがココしばらくの楽しみです。外を歩くのが本当にいやになります。電車の冷房はゆるめで効いていない。あの窓の開かない車両を考えたのは,どのような理由からだろう。設計者にたずねてみたいものです。
7月11日(月)
松本清張珍しいテーマの「松本清張と東アジア」
 松本清張は世界各地を舞台にした作品を発表しています。なかでも中国,韓国,北朝鮮,東南アジアを舞台にした作品は読み応えがあります。やはり陸軍衛生兵の体験,作家となってからの朝鮮戦争,ベトナム戦争,中国「林彪事件」など,ジャーナリストとして向き合った結果だからでしょうか。
 第一部が「清張の描く東(南)アジア」で,『北の詩人』や『熱い絹』等の紹介。第二部は「清張と東アジア」,歴訪した各国で思うこと,作品の紹介など。第三部は東アジアで読まれる清張で,中国語や朝鮮語などに翻訳され,地元の書評などとともに紹介されています。偉大な作家の足跡が,改めて認識させられました。
7月7日(木)
歌人・穂村弘の「短歌の読み方と詠み方」に行ってきました
 先日,歌人・穂村弘の講演会に行ってきました。現代短歌を詠み,若者たちの圧倒的な支持を得ています。数々の賞ををとっていますが,鋭い視点を持ち合わせながら,作風はホンワカムードで柔らかく楽しい歌でもあります。会場の7割が女性客に驚きましたが,最後の質疑応答では,人生相談風になってきたのも驚きました。
 かつて俵万智が登場したときは,世間に驚きを持って迎えられましたが,いまはそれが「標準短歌」になりつつあります。短歌の新たな時代を予見すると同時に,すでに後継者も多く育っているようです。
7月6日(水)
夜の節電は,チャンチャラおかしい!
 世の中節電ばやりですが,昼間の節電はわかりますが,なぜ電気の余っている夜にまで節電をしなくてはいけないのでしょうか。全くおかしな話しです。東電は,『午前8時〜20時までの15%節電』を訴えており,夜は普通に電気を使ってもいい,というのです。街灯まで消していますが,夜遅く町内会のパトロールが(パトカーに模した乗用車で青灯の点滅)始まりました。だいたい夜の節電の理由がわかりません。夜は電気がいっぱい余っているのです。
 そこで夜は電気を使うことにしています。昨年の夏同様,クーラーをガンガン使っています。夜の節電は,無意味です!!! 
7月2日(土)
発掘された日本列島のチラシ毎年楽しみな『発掘された日本列島』
 毎年行われている展示会です。昨年度は全国で約8000軒近くの発掘が行われたそうです。その中で,奈良市橿原市の四条古墳群から出土した板形の埴輪です。つまり革製の盾を模した埴輪で,やや湾曲しており,埴輪にもいろいろあるものだと思いました。また楯に矢を入れる筒を合体した盾形埴輪もありました。
 古代庭園として,昨年特別名勝に指定された平城宮東院庭園も,今回は模型で展示されています。考古学の世界の一端に触れた思いがしました。
6月26日(日)
横浜中華街の歩行者天国中華街はテーマパークの一つ
 先日,何年ぶりかで横浜の中華街を訪れました。中華街大通りは午前中を除いて,常時歩行者天国になっていました。石畳を敷きつめ,大勢の人で賑わっています。またますます広域化しており,土産物店も増えているのです。そしてなにより新参組は,ますますケバケバしく飾り立てています。
 中華街は一つのテーマパークだと捉えています。中華街と隣の山下公園,港の見える丘公園や山手の洋館通りを含めると,東京ディズニーランドを越える多くの人たちが訪れているはずです。テーマパークとしては最高の舞台装置を備えているのです。
6月21日(火)
立教大学第一食堂大学の学食は多種多彩
 最近いろいろな大学に行くことが多くなりました。で,必ず寄るのが学食です。一般人でも自由に利用できるのですが,まさしくB級グルメと言ってもいいのではないかと思います。
 しかも特色ある学食もあって実に楽しいものです。立教大学の第一食堂(写真)は2階建てのレンガ造りで塔屋付き。大正7年築の近代建築で天井が高く,格調の高さが自慢のようです。東京工業大学は本館(昭和9年築)の第二食堂は夜6時以降になると,ジャズの生演奏が入ります。東京外国語大学では,好きなものをとって,量り売りという仕組み。東大は,あの安田講堂の下にあります。景色のいいのは明治大学で,遠く東京スカイツリーが見えます。成蹊大学では,売れ残ると半額にダウン。古い建物を見るついでが,いつの間にか学食にもはまりつつあるようです。
6月13日(月)
あの首切り地蔵が震災でこわれまたし
 3回目の千住宿の訪問でした。最後はいつもの通り,江戸時代の2大刑場の一つ「小塚原の使置場」の,刑死者,無縁者を供養するための延命寺に行きました。しかしながら,悲しいかな首切り地蔵が無いのです。今回の震災で,左腕が落下,さらに胴体部分が左右に大きくずれたために,やむなく分解して一時保存することになったそうです。それにしても驚きました。あるはずの地蔵がないというのは,ショックです。今回の地震であちこちの文化財が壊れたそうですが,東京でもあちこち被害がでているようです。
 今後は地元の荒川区教育委員会や文化財審議委員会と協議して修復するそうです。同時にひとくち500円の浄財を募集をしています。
▲首は左下に置いてあります ▲在りし日の首切り地蔵
6月7日(火)
大正15年築の山手111番館山手地区は“モーガン博物館”?
 先日,「NPO法人旧モーガン邸を守る会」の人たちと横浜の山手地区のモーガン設計の洋館を見てまわりました。現存する作品の大半が山手に現存するとあって,見ごたえのあるツアーでもありました。
 アメリカ生まれ(1868年)のモーガンは,全国各地の洋館を手がけましたが,半分は横浜に建てられました。そのため横浜最後の居留地建築家ともいわれたとか。山手111番館(写真)のほかに,ベーリック邸,山手聖公会等々,さながら“モーガン博物館”のようでした。また,外人墓地の門塀もモーガン作で,現在はその墓地で眠っています(1937年没)。
5月30日(月)
写楽のチラシ写楽展,国内では過去最大数の140点
 写楽展に行ってきました。今回写楽だけで140点を展示したそうで,この数は国内の展示会としては最大数だそうです。一時,地震や原発問題で,海外の貸し出す美術館は渋ったとか。いずれにせよ5月1日から始まったのです。
 それにしてもなかなか迫力があります。写楽を1期から4期に分割しています。おもしろい試みとして,同じ歌舞伎役者を写楽,歌麿など作者を並べて展示しているコーナーです。さすが“東博”といえます。
 4期の作品群は,素人目にも劣化しているいえます。つまりへたくそなのです。わずか10ヶ月でこんなに腕が衰えるものなのか,と疑問がわきます。そこで,いろいろなミステリーじみた噂がでるのでしょう。「4期の作品は写楽ではない」という専門家もいます。写楽の正体は十辺舎一九だけが知っている,といわれています。正体は徳島の武士で斎藤十郎兵衛だとか,歌舞伎役者や能役者だとか…。そんなことを考えながら見ていました。
5月27日(金)
HNK技研メガネなしで見られる3Dテレビを見た!
 NHKの研究機関であるNHK放送技術研究所が,今年も開発技術を一般に公開しました。放送に関するかなり専門的な技術ですが,そのなかについに,というべきか,メガネなしで見られる3Dテレビを今年も発表したのです。
 最近,3Dテレビの売れ行きがパタッと止まってしまったそうですが,面倒なメガネをかけることが原因の一つでしょう。やはり予想したとおり,第3次の3Dブームもとうとう終焉を迎えたようです。
 そこで,NHKの3D技術は,インテグラル立体像というもので,画面をどこから見ても人物が浮き上がって見えるのです。2009年から発表していますが,今回は60秒の動画を見ることができました。すでにパナソニックやソニー,任天堂などが,メガネなしで見られる立体画像の開発に取り組んでおり,遅くとも2025年までには,店頭に並ぶそうです。
5月23日(月)
イモサラダとポテトサラダの違いを聞かされました
 ポテトサラダは大好物のひとつです。関西では,ときおりイモサラダと明記する店もあります(特に大阪のおばちゃん経営の店)。しかし,スーパーでもコンビニでポテトサラダといいます。ところが先日,久しぶりにメニューに堂々と「イモサラダ」と明記した居酒屋にぶつかりました。『朝小』(あさこ・愛知県西尾市)という名の居酒屋です。
 ひょっとしてポテトサラダとは違う料理かと思い,ワクワクしながら注文。出てきたのはやや黄色を帯びたポテトサラダです。早速,質問「これはポテトさらだでは?」と聞くと,店主は「カボチャやリンゴも入れておりイモサラダです」と断言。マヨネーズであえており,カボチャ色しているからイモサラダ,という風に聞こえました。なるほど,ポテトサラダとイモサラダの違いをはじめて聞かされました。この三河地方だけに通用するのかも知れません…。値段は400円でした。
5月19日(木)
増上寺の三門(重文)はじめて増上寺に参拝しました
 いままで何百回となく遠くから眺めたり,前を通過したりしていましたが,はじめて境内に足を踏み入れました。なんとなく冷ややかな印象を得たのは,すべて鉄筋コンクリート製だからかもしれません。空襲にあい,そのほとんどを焼き尽くされたのです。かろうじて三門(写真)が残されました。また五百羅漢の仏画も残ったのです。いまNHK大河ドラマ『江』で注目を浴びつつあります。
5月16日(月)
震災で1ヶ月延長された五百羅漢展のチラシ100幅の絵が全部揃うのははじめてです
 一挙に100幅を一般公開したのは,はじめてだそうです。なぜかといえば,それだけの広い会場がなかったからです。ただし2008年,NHKがハイビジョン放送のために,スタジオに100幅並べたことはありました。今回の企画を担当した橋本学芸員は「100幅展示したのを見たことのある専門家は,明治時代以降10人程度だと思います」という。それほど珍しいのです。
 会場に入ると100幅の絵が林立する様子は,圧巻でもあります。縦1m30cm,幅90cmですが,表装は縦3mにも及びます。そして1点1点眺めながら歩いていると,疲れてへとへとになります。なかでも,地獄絵図は,怖いくらい迫力があり,表情も真剣そのものです。なお,川越市の喜多院に五百羅漢の石仏があります。
5月4日(水)
築106年の本郷館本郷館がいよいよ取り壊し?
 文京区(東京都)本郷にある下宿屋・本郷館がいよいよ取り壊されそうです。いろいろな団体が反対運動を行ないましたが,所有者には通用しないようでした。築106年の木造3階建ての下宿屋で,下宿人たちのほとんどが出て行ったそうです。文化財としての価値は十分にあるだけに残念です。 
4月16日(土)
萩市長は新伝建地区・佐々並集落は町おこしの起爆剤
 今年度の重要伝統的建造物群保存地区(伝建地区)は3カ所選定されました。愛知県豊田市の足助地区は,今や一大観光地で大勢の観光客がやってきています。また福島県南会津町の前沢集落は,東北地方農家独特の曲屋が残っており,茅葺き屋根のある建物もたくさん残っています。
 さて3カ所目が萩市の佐々並集落です。江戸時代,萩と防府を結ぶ街道・萩往還の途中にある宿駅で,商家や旅籠,石垣などが残されています。実は,昨年の11月10日に伝建地区制定35周年記念シンポジウムが東京で開催されました。参加した野村萩市長はその場で「現在,4つめの制定を目ざしています」といわれていました。その大きな理由の一つに,伝建地区は町おこしの起爆剤になると断言されていたのです。「もし伝建地区というものがなかったら,萩の経済は悲惨なことになっていたでしょう」と壇上から叫ばれていたのを記憶しています。不景気でも伝建地区は一定の観光客が訪れているという実績があるからでしょう。 
▲豊田市足助は一大観光地 ▲前沢集落は曲屋が残っています
4月12日(火)
上野公園勇気(笑)を出して注文!
 世の中にはいろいろな食べ物がありますが,カレーそうめんというのは,ふつう家庭でのまかない料理といえるのではないでしょうか。そうめんやカレーが余れば簡単に作れることができます。そんな家庭のまかない料理をメニューに加えました。値段は600円。
 勇気を出して注文しました。ありふれたそうめんに,ありふれたカレーでした。可もなく不可もなし,といったところです(笑)。
4月7日(木)
「震災前の自宅の写真が写っています」…
 岩手県からのメールです。もちろん知り合いがいるというのではありません。「陸前高田市に住む友人が,震災以前まで住んでいた自宅の写真を探しています」と言う内容で,思い出の自宅が私のホームページに掲載しているということでした。早速送りましたが,よく考えてみれば自宅の写真をきちんと撮っている人は意外と少ないと思います。いつもの当たり前の風景だけに,今回のように無くなってから「写真がない」ことに気づきます。自宅前の記念写真でも,家屋全体が写っていることはまずないでしょう。たとえマンションでも,部屋を撮っておくといいかもしれません。一通のメールで改めて気づかされました。 
3月31日(木)
花束を受け取る山口教授山口博教授の退官講演会
 平安時代の文学から万葉集,古事記など古代文学の研究者でもある山口博聖徳大学教授の,退職記念講演会に出かけました。新潟大学,富山大学でも教鞭をとり,教員生活50年という長きにわたりました。最近の研究では古代の大麻をテーマにするなど幅広く,そして実におもしろい。御年83歳というが,背筋がピッとしており,折り目正しい研究者という感じがしていました。
3月29日(火)
浦霞の白壁土蔵群「浦霞」の白壁土蔵群は大丈夫
 塩竃市(宮城県)も地震,津波の被害を受けましたが銘酒「浦霞」の白壁土蔵群は,瓦や壁が崩落し,さらに製品が津波の影響で水に浸かるなどしただけで済んだそうです。そしてすぐに再建に立ち上がったとか。なにやら救われたような気がします。
3月25日(金)
今年の流行語大賞候補に「計画停電」が入る???
 東北・関東大震災は大きな被害をだしていますが,一方その被害ぶりを冷徹な目で眺め,金もうけを企んでいる人たちもいます。今後は復興に移っていきますが,インフラ整備に莫大な国家予算がおります。それに群がる企業群が,すでに水面下で活発に動いているとか。そしてその周辺に投資家たちも,いま低迷している株価を静かに見つめています。他人の不幸で金を儲けるのも,これまた資本主義の一面です。
 そこで冷徹な目になって占いました。今年の流行語大賞候補に「計画停電」が入る可能性があります,と…。
3月23日(水)
志津川南三陸町の志津川地区も壊滅
 未だに人口の半分も安否がわからない町が南三陸町です。昭和35年(1960)のチリ沖地震の津波被害の出たところです。そのときも古民家は流されましたが,今回の地震で,根こそぎ流されてしまいました。三陸沿岸の静かな町だっただけに,残念です。 
3月20日(日)
真壁地区真壁地区も大地震の被害
 茨城県桜川市の真壁地区は昨年6月に重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのですが,東北・関東大震災に遭遇しており,かなりの被害が出たと報じています。江戸時代から明治,大正時代の見世蔵,洋風建築など約200棟,そのうち77棟が国の登録文化財です。
 屋根瓦や土蔵が崩落しており,復旧するまでには,かなりの時間を要するでしょう。でも必ず再建することを祈っています。
3月18日(金)
コンビニの棚にも食料品が並び出しました
 コンビニにもやっと食料品が出回わりました。今日,ちょっとのぞいて見ると,食パンやタマゴ,菓子パン類がぎっしりと棚に並んでいました。牛乳はまだでしたが…。都心はやっと平常にもどりつつあるようです。それにつけても余震が相変わらず多く,寝不足になっています。
3月17日(木)
気仙沼や陸前高田から古い町並みが消えていきました……
 海岸沿いの古い町並みが軒並みに壊滅状態だそうです。本当に残念です。町おこしで古い町並みを生かそうとしている人たちも,大自然の猛威にただ佇むだけです。陸前高田市気仙町の今泉地区は,平入りと妻入りが交互に建ち並ぶ珍しい建築群でした。気仙沼市の魚町は,まさに気仙沼港に面した古民家群で戦前の建物が多く残っています。三陸沿岸には古民家群が残っていただけに,ほんとうに惜しい気がします。
▲岩手県陸前高田市の今泉地区 ▲宮城県気仙沼市の魚町1丁目
3月16日(水)
地震の影響がいろんなところにまで波及しています
 8年間,一度も故障しなかったスキャンが,地震でラックから滑り落ちて,あえなくダウン。早速,新宿のキヤノンサービスセンターに持参しました。途中,地下鉄が地震で一時ストップするというおまけ付きでした。1週間ほどで修理できるとのこと。修理代は7,350円でした。
 それにしても大小合わせて,かなりの数の地震を体感しています。困ったのは,緊急地震警報装置が昼夜を問わず,何度もがなり立てるのですが,半分くらいは空振りです。おかげで睡眠不足に悩んでいます。
 コンビニの棚から食料が消えてしまいました。食パンが消えたのはつらいですが,まあほかのめん類でも食べればいいことです。それにしても菓子類まで消えているはどういうことでしょうか。近くの国道1号線のガソリンスタンドは4軒ありますが,うち2軒は閉店,残り2店にクルマが殺到して,長〜い行列です。いすれにせよ,被災地の悲惨さに比べれば,どういうことはない。
3月11日(金)
緊急地震警報装置が「震度3, 50秒前」と警報! 震度3はウソ書類が散乱するわが室内 それにしてもこれほど強い地震を体験したのははじめてです。この日はたまたま家にいたため,緊急地震警報装置が作動し,50秒前からカウントダウンが始まりました。このときの音声は「震度3,50秒前」でしたが,到達時刻は実に正確でした。しかし震度3なので安心していたら,あまりの揺れの長さと強さに「3」ではないと直感しました。
 地震対策でつっかい棒をあちこちに取り付けていたので,室内での被害は比較的少なく,本箱は全く倒れませんでした。しかしそれ以外の所は花瓶が割れたり,書類が散乱したり,テレビが倒れたりと「これは震度3じゃない」と思いました。
 まだ揺れはおさまっていませんが,まあ,これ以上の大きな地震はないでしょう。  
3月10日(木)
北アフリカ,中東問題のシンポジウムが盛んになっています
 北アフリカのチュニジアで始まった騒動が北アフリカ,中東へと広がり,革命へと変化していくにつれて,日本ではいろいろなところでシンポジウムが開かれています。今年に入って上智大学,東京大学,東京外国語大学など,それぞれ各大学の研究機関が独自の切り口で実施しているのです。ここしばらくは,北朝鮮や中国に関する内容が多かったのですが,中近東,イスラム地域というのは珍しい。
 いずれのシンポジウムに参加しましたが,専門家によっては見解が分かれるところが実におもしろい。エジプトなどは「革命だ」という人と,「体制は変わっていない,首のすげ替えだけ」という人などいろいろです。いずれの会場も超満員で,専門家の意見をまとめて聞けるというので,メディアも多く参加していました。
3月9日(水)
上野公園(向こうに見える建物は東京国立博物館)上野公園,都立美術館は改装中
 ただいま上野公園は,改装工事中です。大噴水もなく,白いテントで囲まれています。完成は来年の春ですが,その後次々と他の敷地部分も改装工事に入るそうです。都立美術館も改装工事中で,展覧会開催は来春まで中止になっています。寂しい限りですが,店などはパンダの菓子類で賑わっており,パンダが一般公開されれば行列ができるものと思います。
2月28日(月)
浅草寺浅草寺大屋根の姿を現しました
 浅草寺の本堂の修復が終わり,工事用の板囲いもなくなって,すっきりした姿を見ることができました。特に本堂の大屋根には,チタン製の瓦を使用,全体を軽くて丈夫になったようです。また鳩対策も施されているとか。そういえば,境内から鳩が消えていました。“空飛ぶネズミ”とも呼ばれる鳩だけに,かなり苦労されたとか。
 江戸時代,最大の行楽地でしたが,今もその光景は変わらないようです。特に外国人には,町全体の屋根が低いので,かなり受けるようです。
2月21日(月)
運慶のチラシ力強い運慶の作品を間近で見ました
 鎌倉時代の仏師・運慶の作品を集めた展示会が横浜の金沢文庫で開かれました。もともとこぢんまりした建物に大勢の人が詰めかけたせいか,めちゃめちゃに込んでいました。運慶の作品6点のほか,装飾金具や典籍など20点余を見ることができましたが,それにしても込んでいてゆっくり見ることができないのが残念でした。それでも優しさのなかにある力強さは抜群で,おもわず手を合わせました。
 帰りは隣の称名寺により,広い境内をのんびり歩きましたが,こちらも人々でした。
2月15日(火)
3年ぶりの積雪東京は3年ぶりの積雪
 早朝からTVニュースでは3年ぶりの積雪で,通勤,通学の足もとの注意してほしい旨のコメントが流れています。5cmの予報が出ていたのですが,実際の積雪は2cmですでに雨に変わっていました。実は朝5時に起きたのですが,道路はすでにアスファルトの黒色がむき出しになっていたので,撮影はあきらめました。
2月10日(木)
旧古河庭園洋館(旧古河邸)・J.コンドル作(大正6年建築)「手作り感」の大正時代の建築
 大正時代の建築は,明治時代の建築とどう違うのでしょうか。大正時代はわずか15年間,その15年間で特徴がでているのです。
 明治の建築は,できるだけヨーロッパ建築に似せた感じで造られました。しかし大正時代はヨーロッパ風の建築でも,いたるところに日本人らしい特徴が見られるのです。それは「手作り感」とでもいいましょうか,明治の建築家がみれば,やり直しを命じたでしょう。洋館なのに和室があったり,和風庭園を併設したりと,いたるところに「日本的」なるものが見られます。
 もう一つ,関東大震災の影響が大きい。絶対に壊れない建築が至上命令となりました。そのため質実剛健とでもいいましょうか,日本の耐震建築の発展は,実質的には大正時代から始まったといえます。そして大正デモクラシーの波は建築界にも及びましたが,少しずつ変わり昭和前半の洗練された近代建築へとつながっていくのです。
2月9日(水)
今年の東京は雪が積もるのでしょうか
 雪の東京,特に近代建築を撮りたいのですが,なかなか撮る機会がありません。このところ雪の予報が出ていますが,積もることはないのが残念です。雪国の人から見ると,おかしな話しでしょうが,都会での雪風景はなかなか見られるものではありませんので。
2月6日(日)
横山松三郎のチラシ幕末期に江戸城や正倉院を撮り続けた
 横山松三郎は激動の幕末期に荒廃する江戸城を撮り続けました。もちろん天守閣は明暦の大火で焼失していましたが,その周辺の二の丸喰違門や和田倉門,半蔵門などを撮り,それらを『旧江戸城写真帖』にまとめました。なによりすごいのは,ガラス板ネガが残されていることです。もちろんこれらは重要文化財に指定されています。
 また横山は奈良東大寺の正倉院の御物も撮影していることです。炎天下でバック祇を敷き,その上に御物を置くなど,今では考えられませんが,カメラ自体の感光が弱いためだったからでしょう。これら一連の撮影は明治政府から文化財の一覧作成を依頼されからです。

 50p四方の写真(白黒)が1点100万円だった時代
 また,松山はより写実的表現するために,写真油絵を考案してのめり込んでいったそうです。写真油絵は商家の主から依頼が多かったようです。
 当時一般的な写真(白黒)の値段は,小さいもので1枚2万円程度。50p四方に大きく伸ばすと,約100万円。地方公務員の1ヶ月の給与が2円50銭でしたから,超高額だったわけです。
 ところで会場を見てまわりますと,自画像(セルフポートレート)が多いのに気がつきました。学芸員のかたに話しによれば,横山はかなりのナルシストで機会のあるごとに自分を撮っていたそうです。実際に若い頃から年をとってからの写真が至るところに展示されています。 
2月4日(金)
黒田記念室−昭和3年建築の近代建築で国の登録文化財です黒田清輝の『湖畔』を見ました
 見に行こうと思いながら,なかなか見られないのがこの黒田記念室です。週2回の開館でしかも午後1時から4時までという“超難関”美術館だからです。
 いわずと知れた教科書にも登場する画家・黒田清輝の作品が展示されています。女性が水辺に佇む『湖畔』(重要文化財)はあまりにも有名な作品です。ほかにも『智・感・情』(重文)も展示されています。なにしろ1週間6時間しか開館されないので,常設展示にも関わらず結構混んでいました。
 ココには黒田清輝の油絵,デッサンなど約300点が保存されています。なお平成19年(2007)に東京国立博物館に移管されました。
2月3日(木)
国技館横のテレビ各局の中継車不潔で吐き気がします
 両国の大相撲国技館には報道関係者がギッシリと詰めかけています。テレビもNHKを含め全局の中継車が勢揃いしました。
 それにしても実に不潔な力士たちです。吐き気がします。解雇を言い渡される前に自ら身を引くべきでしょう。10年以上前から週刊ポストや週刊現代各誌などで八百長問題を報じていました。裁判で負けたりしましたが,とうとう物証が出てきたのです。いろいろいわれたりしますが,週刊誌報道もいい加減ではなかったということです。
2月2日(水)
太陽の季節石原裕次郎の映画を続けて見ています
 最近石原裕次郎の旧作を見ています。幸いにもCS放送(チャンネルNECO)で毎月何本か放映されています。まさしくB級映画の最高峰といってもいいでしょう。共通する登場人物に,やくざ,チンピラ,親分,兄貴,親父さんといった人たちです。当時の世相を反映しているのでしょうか。裕次郎の煙草を吸うシーンが多いのも特徴です。クラブ,バー,ヤク,クルマ,銀座などがでてきます。銀座の街並みをスタジオで大がかりに再現したそうです。当時の東京は知りませんが,ガラガラの首都高が映ると思わず見入ります。
 東映の時代劇映画,日活の青春映画全盛時に大量生産されたB級映画に拍手を送りたい気持ちです。でも裕次郎の歩く姿ががに股で,あまりきれいではないのです。また早口なのかセリフがわかりづらいのはご愛敬か。
2月1日(火)
鉄道博物館鉄道博物館の0系新幹線
 懐かしい鉄道車両がいっぱいです。さすがそのへんの遊園地とは違い,鉄道会社の博物館です。蒸気機関車も現役時代に乗ったことがありますが,思い出といえばやはり新幹線0系でしょうか。東京へ行くのに,あまりにも高価な運賃に,買うことができず鈍行で往復したことを覚えています。熱い青春時代です。鈍行でも全く苦になりません。やはり東京に行けるといううれしさが勝っていたのでしょう。0系新幹線に乗れるのはズッとあとでした。
1月28日(金)
時代劇映画史展のチラシ市川右太衛門や市川雷蔵,大川橋蔵…
 早稲田大学の演劇博物館は昭和3年に建築された近代建築で,新宿区の文化財に指定されています。廊下や部屋の床は油の敷いた床貼りです。そんなすてきな博物館で,こぢんまりとした往年の時代劇史展が開かれました。
 市川右太衛門の帽子や眼鏡,「旗本退屈男」の衣装,市川雷蔵の楽屋暖簾,長谷川一夫の楽屋化粧台と化粧道具一式。なにより驚いたのが,大川橋蔵の色紙「雀の図」や溝口健二のデスマスクなど,どうして早稲田大学にこんなものがあるのかが不思議なくらいでした。
 小さな部屋にビックリするような宝物がギッシリ詰まっているのです。貴重な博物館です。
1月27日(木)
絵本の黄金時代のチラシアメリカと旧ソ連の絵本を展示
 主に戦前のアメリカとソビエト(現ロシア)の絵本文化を展示・解説をしています。どちらも多民族国家だけに,子どもたちへ教育はかなり神経を使っています。そのなかで絵本作家たちは,独自のジャンルを築きあげていきます。アメリカからは優れた画家,作家などが育ちますが,ソビエトはロシア革命前後は,文人の流失にあい,ほとんどの作家,芸術家はフランスに移住していきます。しかし革命後,新たな作家たちによる新しい社会の役割と希望を伝える手段に,絵本が利用され興驍迎えるのです。
 日本は絵本が大きく変わっていくのは大正時代ですが,このあたりの記述が少ないのが残念です。でもなぜソビエトを取り上げたのかがわかりません。会場にはロシア人の姿が多いように思えました。
1月25日(水)
スポーツの交渉代理人・ダン野村さんのジャーナリズム論
 アメリカ・スポーツの代理交渉人(エージェント)のダン野村さんの話しを聞く機会を得ました。ダンさんは1995年,近鉄の野茂英雄のメジャーリーグ移籍時に,代理人として登場しスポーツ新聞紙上大騒ぎになったことがありました。徹底的に叩かれたわけですが,野茂がドジャースで大活躍すると,マスコミは手のひらを返したようにコロッと変わり,絶賛の嵐に包まれたのです。当時,私は近鉄バファローズのファンだっただけに,よく覚えています。ダンさんは,そのとき以来,スポーツジャーナリズムというものを全く信用しなくなったそうです。その気持ち,わかるような気がします。私もはるか昔からスポーツ新聞を一切買いませんし,読むこともありません。
 そこで,ダンさん最近ではブログやツイッターを利用して,本当のことや感想を書いているそうです。例えば楽天・岩隈選手のメジャー移籍問題をきちんと話していただきましたが,それをツイッターやブログでも書いたそうです。「今回は,珍しくスポーツ新聞にたたかれませんでした」と苦笑されていました。ちなみにダン野村さんの母親は,あの野村沙知代さんです。
1月24日(月)
拡張するジャズのチラシ『スイングジャーナル』誌の休刊で…
 ジャズ評論家の草分けと言われる油井正一(1918〜98)のアーカイブ(資料室)が慶應義塾大学アートセンターにオープンしました。その記念に菊地成孔,中川ヨウの両氏を招いてのシンポジウムが開かれました。油井の偉大さをFM東海(FM東京の前身)の録音されたDJを聞きながら話しは展開していきました。
 でもおもしろかったのは,菊地成孔による昨年休刊になった『スイングジャーナル』誌の裏話です。菊地氏によれば,つぶれて当然で,いつのまにか権威化し常に上から目線で批評し続けていたからだといいます。販売部数と広告収入の低下の結果ですが,油井の批評のような率直さと謙虚さを兼ね備えていれば,休刊することもなかったろうに指摘されていました。かつての愛読誌だっただけになるほど…。
1月21日(金)
スケルトンドミノ在来の「壁構造」から脱却した新住宅構法
 フラッと東京芸大の陳列館に入りました。陳列館は昭和4年に建築された日本を代表する近代建築のひとつです。たまたま日本の木造建築の新たな建築構法を紹介する展示会を行っていました。戦後の欧米から入ってきき格安の木材を使った壁構法の住宅と違い,黒川哲郎研究室が提唱する差し鴨居を大胆に使った構法です。
 日本の木材を使うことで,国産木材の自給率を高め,林業の活性化を狙った住宅です。製材,乾燥の段階から規格化していくというものです。1/100の模型を見ていると,「不必要な壁」はなく,開放的な感じのする住宅でした。ただ12軒というのが少ないですが,これからの住宅だと思います。
1月20日(木)
今年のノーベル賞受賞者は次の5人の中から選ばれるかも?
 昨年は2人の日本人ノーベル賞受賞者がでましたが,果たして次回は受賞者が出るのかが興味がわきます。一般に論文の引用数で決まるとも言われています。そこでアメリカのトムソン・ロイター引用栄誉賞受賞者が,ノーベル賞の受賞確率が高いといわれ,実際に20年間で25.3%で,4人に1人はノーベル賞受賞しています。
 そこで国立情報学研究所の孫媛さんの報告書によれば,次の5人から選ばれるだろうと予測します。
@審良(あきら)静男(大阪大学教授/医学・生理学)
A小川誠二(東北福祉大学特任教授/医学・生理学)
B山中伸弥(京都大学教授/医学・生理学)
C北川進(京都大学教授/化学賞)
D清滝信宏(プリンストン大学教授/経済学賞)
 ちなみに日本の国立情報学研究所には,世界の論文約1200万件を収容しているそうです。そんな研究所が主催する市民講座は,第一線の研究者がわかりやすく解説してくれるので,私もよく出かけます。いずれにせよ,最も予測の難しい分野だけに,あとは神頼みといったところかもしれません。
1月15日(土)
バスの運転手平均走行距離は100万km!
 高速バスに乗りました。乗ったバスの運転手は「今日,はじめておろした新車ですよ。走行距離はまだ600km」とうれしそうに語ります。確かに新車特有のにおいがしました。乗客は私一人だけだったので,いろいろ話しました。そのなかで,バスの走行距離がおもしろかったです。だいたい1台の平均走行距離は100万kmで200万kmも使い切るバス会社もあるそうです。
 普通,乗用車の場合10万kmも乗れば「かなり乗った感じです」。バスはあまりトラブルはないようです。それにしても100万kmとは驚き!
1月13日(木)
南極観測船しらせ南極観測船しらせの見学会
 見学会といっても参加者よりも案内するスタッフのほうが多いという贅沢な内容でした。引退したしらせは,宗谷,ふじにつぐ3代目。現在運行中の観測船は新しらせにあたります。
 かつて宗谷の記録映画を見て感動した覚えがあります。現在保存されている宗谷は,観光船のように改造されており,東京ガッカリ名所に推薦したいくらいです。しかししらせは,そのままの状態で保存されており,急階段などは並みの急ではありませんでした。甲板も広く,しらせの周辺で獲れた魚を飼育しているのが印象的でした。居住区や艦橋,食堂,観測室,格納庫など約2時間ゆっくりと見てまわりました。それにしても船室のベッドは狭い。
 現在,しらせは(株)ウエザーニューズが所有しており,千葉県船橋市の京葉岸壁に係留しています。
1月7日(金)
江/姫たちの戦国展のチラシNHK大河ドラマ『江・姫たちの戦国』展
 まだ放映前だというのに展覧会を見てきました。江(ごう)は伯父に信長,義兄に秀吉,義父は家康,そして2代将軍・徳川秀忠の妻,息子は3代将軍・家光,娘は明正天皇の母となる。とにかく戦国時代のスーパーセレブなのです。
 放映前のせいか,担当の学芸員S氏は「まったく苦戦しています」と正直に告白。ただ篤姫のときもそうでしたが,テレビの影響力は大きく,しばらくすると多分殺到するでしょう。
 S氏は続けて「江(ごう)の資料がほとんど存在しない,というのも痛い。かろうじて江が触ったのではないか,という遺物が2点展示しています」という。確かに戦国時代の資料は,甲冑や刀,自画像などが中心です。女性たちの資料不足は仕方のないことかも知れません。そのため,今回は江を取り巻く人々で展覧会はわかりやすく構成しています。
1月6日(木)
飲んで食って,見てのダラダラ正月でした
 正月をダラダラと過ごしました。暗くなると正月から開けているなじみの居酒屋でグタグタと言いながら飲んでいました。あとは酔った勢いで小さな寺に初詣,ガラーンとしていて静か過ぎる。翌日から録画し過ぎたビデオをただひたすら見ました。こんな正月もあっていいかな。
1月1日(土)
自宅から見た富士山(200ミリで撮影)今日の富士山はとてもきれい
 新年を迎えました。ベランダに立つと富士山がきれいに見えます。富士山に祈願しながら,今年はどんな年になるのか多少ワクワクしています。昨年も全国各地,あちこちに行きました。最後は金沢,輪島でしたが,今年は四国の離島を中心にまわることからスタートしたいと思っています。
2010年(平成22年)
12月31日(金)
大晦日を静かに迎えましたが,初詣に行くのもいいかな
 大晦日です。静かな夜ですが,ここ10数年初詣というものに行ったことがありません。もっとも正月は海外で過ごすことが多かったからですが,今年は近所のお寺にでも行ってみようかという気になりました。お店も結構開いているようです。
 初詣が一般的に広がったのは明治に入ってからと言われています。東京,大阪の私鉄が沿線の社寺に,客を呼び込むために宣伝したのがきっかけだそうです。その昔,明治神宮に行って,あまりの混雑ぶりに「2度と初詣なんぞは行くまい」と心に誓った覚えがあります。 
12月29日(水)
モネとジヴェルニーの画家たちジヴェルニーに行って見たくなる絵画展
 パリから約80km離れたセーヌ河沿いの小さな村・ジヴェルニーに多くの画家が集まってきました。1883年のころです。英語を母国語とする画家たちで,主にアメリカ人です。理由はモネに会いたいためですが,日本人も児島虎次郎ら数人いたそうです。
 100年以上前のジヴェルニーを,モネ以外の多くの画家が描いていますが,いまの様子を写真で同時に展示されています。その写真を見てみますと,多くの観光客で賑わっているようです。積みわらも今ではロール形のワラ巻きに変わっていますが,ポプラ並木はほぼ同じです。ちょっと現地に行って見たくなる絵画展でした。
12月27日(月)
暮らしのうつりのかわりのチラシ庶民の生活が見えてくる公文書
 国立公文書館の催しって,意外と好きです。無味乾燥な公文書の展示ですが,政府の公示した一つの法律文書を読み解くと,そこに国の施策と同時に庶民の生活がはっきりと見えて来るからです。
 大正11年公布の「治安維持法の改正」は,それまで女子,未成年者の政治集会の参加を厳しく制限していましたが,「女子」のみを削除した改正案が帝国議会を通過しました。同じく11年,「未成年者飲酒禁止法」が酒造業界の大反対のなかで成立したのです。
 関東大震災の発生時,山本新内閣は組閣を終えていませんでした。発生の翌日の9月2日に成立するわけですが,そのときの「関東大震災についての処置の閣議書」が,なぜか生々しく見えて来るから不思議です。
12月13日(月)
林芙美子と東京放浪のチラシ林芙美子没後60年,『放浪記』出版80年
 今年は『放浪記』出版してから80年,林芙美子没後60年目を迎えました。昨年は森光子主演の舞台『放浪記』も2000回を迎えたのです。
 都内を愛人を変えながら転々したさまもおもしろいですが,むしろ職業放浪のほうがリアリティがあっておもしろく感じました。女給もそうですが,株屋の事務員というのが最高の給与をもらったそうで,1ヶ月30円といいます。当時としては高学歴なのに女工や事務員などの職業についたのは,女子の就職難もあるでしょうが,本人の職業感もあるかと思います。原稿料は惜しげもな「放浪」に使い,ヨーロッパにまで行っています。晩年になって家を新築しますが,林芙美子の生涯は「男らしさ」を感じました(笑)。 
12月12日(日)
中田正子展のチラシ「日本初の女性弁護士」中田正子展
 日本初というキャッチフレーズにひかれて見学しました。全くの偶然ですが,明治大学中央図書館の企画展示にぶつかったのです。昭和13年(1938)に中田さんを含む女性3人が高等文官司法科試験を突破したのです。たいへんな努力があったのでしょうが,女子に高等教育を受けさせる資力と理解が当時の家族にあったとも言えます。
 それにしても,いま女性の弁護士の数は4670人となり,隔世の感があります。
12月10日(金)
昭和の家族展のチラシ両親を思い出し胸が熱くなってきました
 ちゃぶ台が出てきたり,たき火,原っぱでの遊びなど昭和の風景を人形で描いた展覧会です。創作人形作家・安部朱美さんの,温かく表情豊かな人形が,しゃべり出しそうです。お母さんが乳児におっぱいをあげる姿はどこにでいました。たき火や縁側での家族団らんも思い出します。
 「昭和の家族」の絆をテーマに開催。人形を見ていると.昭和という時代を懸命に生きた両親を思い出し,胸が熱くなってきました。
12月6日(月)
最後の忠臣蔵のチラシ涙々…の『最後の忠臣蔵』を見ました
 秘密の使命を受け大石内蔵助の部下・瀬尾孫左衛門の忠義と苦悩を描いた感動作です。今までの忠臣蔵を想像して見たら,とんでもない肩すかしを喰わされます。日本人は仇討ちの精神が脈々と受け継がれています。だから死刑容認論に賛成する人が多いのもうなずけます。
 大石の隠し子を育て上げた孫左衛門が使命を果たしたとして自害するのですが,なんとバカな男か,といいたくなります。武士道とはこのようなものなのか,底の浅さを感じます。
12月2日(木)
メタボ気味という判定で,1日7000歩を目ざす…
 忘年会などの飲み会が多くなる月です。毎年の健康診断の結果,メタボ気味ですという判定が出ました。半年で4s減の目標を立てました。といっても保健所の認定した管理栄養士の元に立てた計画です。いちばんきついのが1日7000歩という目標です。かなり歩かなくてはいけません。忘年会の帰りは歩くことはできないでしょう。今日からスタートしましたが,達成不可能かも…。
12月1日(水)
土地の歴史を無視した結果,町が崩壊するのもあたりまえ
 とうとう今年も師走がやってきました。ブログは2007年の4月ごろからはじめてまもなく4年になろうか,というところです。不況が地方経済を疲弊させていますが,そんな所でも古い町並みはそこそこの人出があります。八女福島(福岡県八女市)にいたっては,伝建地区と隣り合わせの町内は,完全にシャッター通りとなり,その差が歴然としています。土地の歴史を無視して古い町並みを壊してきたのは,地元住民です。その住民の先頭に立ったのが商工会です。いまそのツケを支払わされているのでしょう。
 かつての高山市も伝建地区を拡大しました。石見銀山・大森地区(島根県)も倉吉市も伝建地区を拡大します。さらに萩市では市内に4つめの伝建地区の選定を目ざして準備をしているそうです。いずれも景気をよくするための手段です。地方都市の駅前にビルを建てたり,道路を拡張したところで景気は良くなりません。やっと古い町並みの良さが理解されつつあるようです。

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