昨日・今日・明日⑩
2012年(平成24年)
12月24日(月)
早野勘平幽霊姿で登場した早野勘平
 江戸時代の絵師・歌川国芳の『誠忠義心伝』全50点を全部揃えた展覧会を初めて見ました。普通四十七士で47点のはずですが,3人増えているのです。それは吉良上野介と浅野内匠頭で,もう1人早野勘平です。もちろん仮名手本忠臣蔵の中に登場する架空の人物です。
 実物を見ていると足が薄く画かれています。つまり幽霊で登場しているのです。他の絵と比較するとその濃淡がはっきりとわかります。早野勘平の絵は多くの絵師たちが描いていますが,幽霊姿は国芳だけではないでしょうか。
12月16日(日)
世田谷ボロ市ものすごい人出の世田谷ボロ市
 世田谷ボロ市に行ってきました。初日は雨に降られて,人出は良くなかったそうですが,2日目は暑いくらいで,ものすごい人出でした。相変わらず骨董品店が多いですが,着物やアクセサリーなどの雑貨店も目に付きます。それにしても昨年よりもさらに規模は大きくなっているような気がします。食べ歩きも多いのですが,他の人にベターッと付くのではないかと気が気ではありません。約700店舗の参加だそうですが,その周辺の歩道にもこぢんまりと出店している人たちもいます。とにかくスゴイのひとこと。
12月12日(水)
冷やし山菜そば(380円・釜家)文京区白山寒い日に冷たいそばを食べた!
 何を狂ったのか,このクソ寒い日に冷やしそばを注文しました。メニューを見ていて,冬でも冷やし系が置いてあるのだ,と感心したからです。さすが店員も,確認する意味で「冷やしですね」と念を押していました。寒い日に冷たい物を食べると,その冷たさが心にしみます(笑)。でも意外においしいものです。冬にアイスクリームを食べることと同じ意味(?)。
12月8日(土)
奈良の若草山に,今度はケーブルカーを敷設したいそうです
 奈良県知事が昨年,「若草山にロープウエイを敷設したい」といったとたん猛反対にあい,もうあきらめたのかと思ったら,今度はケーブルカーを敷設したいといいます。バリアフリーのためだそうです。1000余年に及ぶ歴史のなかで,明治時代には牛の牧場になったり,グラススキー場になったり,昭和16年に軍の焼夷弾の燃焼実験場に選ばれたりと,数々の歴史に翻弄されてきました。しかし,いずれもケーブルカーで上ろうなどとは考えもしません。多分,この県知事はケーブルカーの“敷設工事”がほしいのでしょう。知事選で勝った御礼を土建業者にしたいというのでしょうか。かつて静岡県知事の空港工事がほしい,という同じパターンです。
東大寺二月堂の回廊なら遠くまで見ることができます
 確かに奈良県は,建築基準でも全国で最も厳しい高さ制限があります。高いところから奈良市内を見渡したいという考えがあるのも事実です。だからといって,ケーブルカーを敷設するというのは歴史に対する冒涜です。どうしても高いところから見たいのなら,東大寺二月堂の回廊がいいでしょう。大仏殿の鴟尾と奈良市街地,そして生駒山が遠くに見えます。夕景もきれいです。
 山焼きついでにケーブルカーも燃え尽きるかもしれません。
12月2日(日)
「復元」と「復原」は違う!?
 先日,青学で『東京駅「復原」物語』をテーマにした講演会が行われました。重文のため文化庁とのやりとりや,工事や設計に関する裏話など,おもしろい話しが満載,という感じでした。そこで出た話が「復原」と「復元」は違うということでした。JR東日本の大内田史郎さん(東京工事事務所助役・工学博士)は「復元」はオリジナルが全く残っていない状態で造ること。「復原」はオリジナルの一部でも残っている建物を造る場合のこと。そこで東京駅は「復原」にあたるとのこと。「メディアはこのことを考えずに,いろいろな文字を使っている」と苦言を呈する。いわゆる文化財用語ですが,ちょっと間違って使っていたかも知れません。
▲「復原」された法務省(霞ヶ関) ▲三菱一号館(丸の内)は「復元」
11月24日(土)
「上野動物のサル山も近代建築の一つ」(?)
 『上野の山を彩る歴史的建造物』というテーマの講演会で,文化庁の文化財鑑査官・大和智さんが上記の言葉を言いはなったのです。東博の大講堂は爆笑,でも昭和8年建築となれば,立派な近代建築です。房総半島に住む野生ザルの住みかを模して造ったようです。半ば冗談半分で言ったようですが,半ば本気(?) 
11月7日(水)
古本祭り久しぶりの古本祭りでした
 久しぶりに神田神保町の古本祭りに出かけました。たいへんな混雑ぶりを見せていますが,古本探しは楽しいものです。とはいっても,偶然に見つけた,というほうが見つかりやすいと思います。目当ての本を探しきれるものではないからです。結局,前から欲しいと思っていた『北京地名典』を書店で買い求めました。わざわざ古本祭りで買うこともなかったのですが。
10月25日(水)
東京駅常時1000人が取り囲んでいます
 いま東京駅の丸の内側が大変なことになっています。3階建てに復元してからというものは,多くの野次馬(?)が殺到し,丸ビル側の歩道は携帯やカメラを構えた人たちで満員です。常時1000人ぐらいは取り囲んでいる状態。で,一緒になって撮っていました。
10月22日(火)
空白県は宮城,山形,神奈川,東京,静岡,熊本……
 新しく重要伝統的建造物群保存地区4カ所が選定されました。下記の写真の地区です。石川県が8カ所目という多さです。多分,観光に大きく貢献していると判断したのでしょう。ところで以前,文化庁の高官が「最低,県に一つは選定するようにしたい」といっていたのを思い出しました。残るは,宮城県,山形県,神奈川県,静岡県,熊本県そして東京都が空白県となりました。気になるのは東京都です。重要伝統的建造物群保存地区に選定されるような所があるとは思えないのですが……。あるとすれば伊豆七島か奥多摩か。
富山県高岡市金屋町 石川県金沢市寺町
▲富山県高岡市金屋町 ▲石川県金沢市寺町
岐阜県郡上市郡上八幡北町 兵庫県篠山市福住
▲岐阜県郡上市郡上八幡北町 ▲兵庫県篠山市福住
10月20日(土)
狂った果実のポスター昔の鎌倉駅にちょっとガッカリ
 最後は弟(津川雅彦)が兄(石原裕次郎)と兄に奪われた恋人(北原三枝/実は外国人の妻)をモーターボートでひき殺すのだから,製作された1956年当時としては,かなり斬新なストーリーなのでしょう。日活映画『狂った果実』は石原慎太郎原作・脚本です。フランス映画でも見ているような感じがしました。
 それはともかく,鎌倉駅が主人公たちの無賃乗車や待ち合わせシーンによく出てきます。昔の鎌倉駅は,単に古くさい感じがして,歴史的な感じがしませんでした。ちょっとガッカリ。 
10月13日(土)
この日は朝から,警察の黄色い立ち入り禁止のロープが張られ腕章を巻いた刑事,制服の警察官が警戒をしていました。何やら事件があったのか……。と思ったら俳優の館ひろしが現れました。渋谷の飲んべえ横丁にご一行様
 東京は国際通貨基金・世界銀行総会の開催で,約2万人のスタッフや報道関係者,その家族などが集まったとされています。そこで例によって訪日外国人向けに東京都内や近郊への日帰りツアーや短時間のツアーを行なったようです。そのうちの一つのコースに飲んべえ横丁があります。もちろんファッションを含めた渋谷を回ろうというわけでしょうが,なぜ飲んべえ横丁なのかわかりません。しかも新宿と違って,昼間は閉めているので,あまりおもしろくないかもしれないのに。
10月5日(金)
東博は「譲渡,購入,寄贈」以外に“寄託”も公開しています
 東京国立博物館は現在約11万件の文化財を所蔵していますが,これらの収集は①譲渡,②購入,③寄贈で成り立っているそうです。調査研究課課長によれば近年,寄贈に力を入れており,収蔵品の40%を占めるそうです。人数にすれば3000人以上で欧米人からの寄贈もあるとか。寄贈の内容も超レアもので,重文,国宝に当たるものも少なくないそうです。さすが東博!
 実はもう一つの収蔵分野があります。正式には収蔵ではありませんが,寄託という分野です。これは,例えば地方の小さな寺院が防火,防犯など財政上保管しきれないので,一時的に東京国立博物館で預かってほしい,ということでいわば一時預かりという形になっていることです。所有者はあくまで地方の寺院で,預かり期間の更新をしながら保管しているそうです。これらの寄託品ももちろん公開するようにしているそうです。
9月30日(日)
泥だらけの純情『泥だらけの純情』を見ました
 今年は日活映画創立100周年ということで,いろいろなところで記念行事が行われているようです。そこで『泥だらけの純情』(1963年)を見ました。ストーリーは単純で,外交官令嬢(吉永小百合)とヤクザな男(浜田光夫)との恋愛で,最後は雪の中で心中するという悲劇的な結末を迎えるのです。ただ吉永小百合の代表作といってもいいでしょう。
 監督は中平康で,ほとんどが実写です。新宿,渋谷,上野などが出てきますが,うれしいのが大田区の馬込「三本松不動産」(かつて実在していた)が出てきたのにはビックリ。東横線や横須賀線なども出てきて,楽しくなってきます。1960年代前半の東京の様子がよくわかります。
9月27日(木)
和太鼓の演奏集団・鼓童和太鼓の迫力で携帯がブルブル
 和太鼓の迫力にはスゴイものがあります。ショルダーバッグに入れておいた携帯電話がブルブルと小刻みに震え,着信の合図かと思い,何度も間違えました。それくらい体にズシーンと迫ってきます。国立東京博物館創立140周年記念の一環として実施されたもので,和太鼓集団・鼓動の演奏を本館の正面玄関で行われました。ほかに法隆寺宝物館前ではWASABIの邦楽演奏会,平成館では歌手・植村花菜さんの弾き語りが連続して夜10時まで行われ,東博が夜遅くまで賑わった光景を見たのははじめてでした。蚊がけっこういました。
9月11日(火)
市民からのおくりもの展のチラシ昭和29年の東京空撮写真は傑作
 この展覧会はけっこうおもしろい。一般家庭に,意外にもお宝が眠っている証拠だそうです。江戸東京博物館では昨年度は約3000点を収蔵したそうです。学芸員の話だと,だいたい週に2件の問い合わせがあるそうです。そのなかでも電気スタンドに関するものが多く,残念ながらほとんど収蔵しているとか。
 今回,特におもしろいと思ったのは,昭和29年(1954)に撮った東京空撮写真です。モノクロですが,すごく鮮明なのです。それも当たり前で4×5判で撮っているからです。銀座や日本橋,渋谷,新宿など200点を寄贈されました。撮影は佐藤翠陽氏で建築写真の専門家です。戦後の繁栄期に突入する寸前の東京の様子が写し出されています。数寄屋橋も日本橋も上空からはっきりと見えます。建築写真を撮ってるだけに,建造物の輪郭がきちんと出ています。また地上の人物や看板まで見える写真もあります。当時,これだけの大型カメラを駆使して空撮できるのは,並大抵ではないと思いました。
9月8日(土)
東京スカイツリー相変わらず混んでいるスカイツリー
夕方,ちょっと寄って見ました。開業してから一度もたずねていないので,どんな様子かなと思ったのです。とにかくめちゃめちゃ混んでいて,ショッピングセンターにも入らず,すぐに帰りました。周辺にはおしゃれな店がポツンポツンとできていました。でも昔からある飲み屋街は変わらず,取り残されたように立っていたのがうれしかったです。
 電車も東武鉄道,東京メトロ,都営地下鉄,京成電鉄の4社が乗り入れているのですが,特に都営地下鉄(京成との相互乗り入れ)の押上駅は狭くて最悪です。事故が起きなければいいがと思います。
9月6日(木)
正岡子規記念球場上野に正岡子規記念球場あり
 上野公園の片隅に野球場があることは知っていましたが,まさか「正岡子規記念球場」という名前だったとは知りませんでした。野球,打者,走者,直球などと訳した言葉は今でも使われています。子規と上野との関係は野球が紹介されたころ,明治19年から明治23年ごろにかけて上野公園で野球を楽しんでいました。特に明治23年3月21日,博物館横の空き地で試合を行っており,このときは捕手だったそうです。
8月18日(土)
多摩川花火大会音の迫力に圧倒されました
 2年ぶりに多摩川花火大会が開かれました。いままで会場が混むので,あまり出かけたことがありません。しかし,今度はマンションのベランダから目の前で花火の競演が見られました。それにしても迫力があります。“爆発音”がいまだに耳に残ります。
8月12日(日)
円タク市内均一料金1円のタクシー
 東京のタクシーは大正元年(1912)に営業を開始,昭和初期には市内は均一1円の料金でした。そこで「円タク」と呼ばれていました。一人1円で,乗車人数が増えると割り増しになります。また深夜料金は5割増しで,庶民にとって高嶺の花でした。
 昭和10年(1935)の統計では,タクシーの車種の44%がフォード,27%はシボレー(GM)だったそうです。両社は大正末期以降に日本工場を設置し,日本人向きに右ハンドル車を生産し,フォードだけでも年間1万台のクルマを市場に送っていました。そんな時代があったのです。
8月5日(日)
二条城展のチラシ豪華絢爛の障壁画群が見ものです
 徳川家康が築きあげた二条城は,朝廷に対して幕府の権威を見せつけるための道具でした。そして幕末に徳川慶喜は大政奉還を決意したのがこの二条城でした。徳川幕府の最初と最後の舞台となったと言えます。今回の展覧会で重文や国宝クラスが多数展示されていますが,やはり狩野派の障壁画群には目を見張ります。特に二の丸御殿も大広間四の間の松鷹図(重文)は圧巻でした。
 関東地方の学校の修学旅行で必ず見学する所らいしいそうですが,まだ二条城自体見学したことがありません。何やら上洛した折りは,二条城に足を運ぶべきでしょう。
7月29日(日)
上野公園がよみがえりました
 かつて敷地の半分がホームレスの“憩いの場”となっていましたが,これでちょっと住みづらくなったことでしょう。噴水の周囲がウッドデッキになり,歩きやすくなっていました。何より驚いたのが,かなり広いスターバックスなどのコーヒーショップが2軒新設されたことです。両方ともテラス席があるので,秋や春は気持ちいいかもしれません。
7月26日(木)
青山杉雨(さんう)展のチラシ劇画風の杉雨の書を見ました
 久しぶりに書展に行きました。書はそのときの気分を表すともいいます。青山杉雨(さんう)は劇画風の書もあれば繊細な書もあります。その多面性がいいのです。特に『黒白相変』は力強いのですが,劇画の吹き出しを見ているような気にさせます。『去駐随縁』,『金剛不壊』なども好きな書です。
 東博の企画は常に数十万人もの観客を集めるのですが,今回の企画では館内はガラガラでした。多分,東博職員にとっても骨休め企画なのでしょう。展示品も個人所有と東博所蔵品,さらに大学などの研究機関で,比較的集めやすい。それはともかく,杉雨の書をこれだけたくさん見たのははじめてでした。
7月17日(火)
西村京太郎展西村京太郎氏のご尊顔を拝しました
 推理作家の西村京太郎氏の講演会に行きました。10数年前,30冊ぐらい読んで飽きてきたので読むのをやめました。最近はテレビの2時間ドラマを見る程度です。作品の印象は“軽い”,“東京-大阪間の片道で読み終える”,“中身がない”などの酷評されています。全くその通りですが,西村氏もそのことを認めておられました。81歳の高齢で,左半身が不自由,杖をついての登壇となったのです。「もっと,中身を濃くしたいのだがねえ」と苦笑されていました。
 いまだに印象に残る作品は,プロ野球選手たちが新幹線で移動する途中で,全員がそっくり消えて“誘拐”されるというトリックです。屈強な男たちが誘拐されるという,前代未聞のストーリーに驚かされたことがあります。
 いまもすごいハイペースで作品を生み出していますが,これは各出版社の西村番の編集担当者がある程度のストーリーを考え,資料を集めて取材するシステムを作りあげているのです。また年に一度,すべての出版担当者が西村邸に集まって,年間スケジュールを組みます。ですから,新規の出版社が割り込むことはできないのです。
 発行点数もすでに520冊を超え,「将来は635冊を目ざす」そうです。スカイツリーの高さを超えたいとか。月に5冊の連載を抱えており,文字通りの売れっ子作家といえます。また発行部数2億冊を突破したのは,赤川次郎氏と共に二人目。京都に20年住んだそうで,いまは湯河原在住。
 ヨタヨタと歩かれているのかと思いましたが,意外に元気なのに驚きました。635冊を目ざしてほしいですね。 
7月15日(日)
会場に展示された明暦の大火以前の古地図(複製)明暦の大火以前の江戸地図を見ました
 ビックリしました。江戸時代,明暦3年の大火(1657)で江戸市中の7割が焼け出され,江戸城をはじめ,多くの古文書,典籍も焼失しました。その明暦の大火以前の江戸の様子を詳細に描いた地図が大分県で発見されていたのです。
 今回,江戸東京博物館で溜池遺跡にまつわる展示が行われていたのですが,そこに明暦の大火以前の地図(複製)が展示されました。彩色絵図で外堀が寛永13年(1636)に完成してまもない初期の江戸城下町の様相を知ることができます。この地図から見ると,溜池は江戸城の南西に位置し,豊かな水量をもち,外堀をつなぐ人工池でありました。ちなみに本物の地図は臼杵市教育委員会が所蔵しているそうです。
7月7日(土)
王丹さん王丹氏の中国人留学生は役立たず?
 中国・天安門事件のリーダーの一人で,民主化運動活動家の王丹さんが初来日,東工大で橋爪大三郎教授(社会学)との対談を聞きました。天安門事件以後の一連の流れは,いろいろなメディアで報道されており,ここでは述べません。
 おもしろかったのは,「明治時代,多くの中国人留学生が日本で学び,そして中国に帰って役立つことを考えていましたが,今の留学生はどうですか?」の問いに,「今の留学生は中国に帰って国のために役立とう,という考えを持っていません。できたらこのまま住み続けたいと思っています」といわれます。多分,米国の中国人留学生の経験を話されているのでしょう。会場には各メディアのほか,中国人留学生も多く駆けつけてきましたが,彼らのあいだから苦笑いのような声が聞こえてきました。
7月6日(金)
『NHK紅白歌合戦』を研究対象にした豪州の研究者
 10年前,NHKの『紅白歌合戦』を研究論文の対象にした外国人(当時大学院生)が,今年10年ぶりに来日,その論文はさらに進化していました。シェリー・ブラント氏(豪州/ロイヤル・メルボルン工科大学専任講師)は,そこに日本人的なものが凝縮しているといいます。美空ひばりからジェロにいたるまでの出演者の足跡も同時に辿っています。
 氏はまずポピュラー音楽の年間行事の頂点に君臨している番組であるとを認識することから始まります。「歌合戦」という敵同士の無慈悲な争いとはほど遠い,競い合う二組の間の一体感を描写しているといいます。また弟のマフィアとのつながりで叩かれた美空ひばりも,いつのまにか肉親の涙の愛情に替わります。米国のおばあちゃんの応援で演歌歌手になった黒人のジェロも,会場に駆けつけた母の涙に感動させます。同時にカメラを通して全国に写し出され,日本人は一晩だけ一体になるのです。それは作り出された伝統としての紅白歌合戦に期待される象徴的,儀式的な機能を明らかにしているのです。
 日本人研究者なら見過ごしてしまいがちな研究対象ですが,外国人から見るとおもしろく日本人の象徴的な事象かもしれません。視聴率も一時下がりましたが,いまは40%を超える程度を推移しています。
7月3日(火)
復元工事中の東京駅まもなく東京駅の復元工事が終了
 いま東京駅の丸の内駅舎が3階建てに復元工事中です。今年中に完成するそうです。でもいまだに思うのですが,従来のままで良かったのではないかと。ずいぶん前から復元計画があったそうで,耐震化工事と合わせて行なっているそうです。
6月29日(金)
市河たばこ店/幟が林立しています発売枚数が多ければ当然です
 静岡県富士市の東海道吉原宿で見つけたお店です。つまり静岡県下でも有数の宝くじの当たる店として知られているのです。市河たばこ店といい,過去に21人もの億万長者を生んでいるそうです。東京・有楽町の宝くじ売り場では徹夜で並ぶ人たちがいます。
 でもだまされてはいけません。発売枚数がケタ違いに多いのです。発売枚数が多ければそれだけ当たる確率は高くなるのです。だから店ごとの発売枚数を発表すれば,一気に熱が冷めるかもしれません。まあそれでも当たる,と言われている店で買いたくなるかもしれませんが……。
6月26日(火)
銀座の恋の物語のポスター昭和の夜の銀座がふんだんに出てきます
 石原裕次郎と牧村旬子のデュエット史上最大のヒット曲を1962年に映画にしました。一説に,今まで累計500万枚のレコードが売れたとか。この映画は昭和30年代の銀座が,実写でふんだんにでてきます。朝日新聞社や日劇,松屋デパートが見え,銀座4丁目の賑わいのなかを浅丘ルリ子と一緒に歩くシーンは,周囲の通行人の驚く表情まで,撮りこんでいます。
 銀座通りをスタジオに再現させた日活の力が最高潮のころです。スタジオと実写を織り交ぜながら撮った,若き日の蔵原椎繕監督の代表作といえましょうか。夜の銀座がふんだんに出てきます。
6月22日(金)
災害の時の必需品東急沿線の帰宅困難者向け小冊子を受け取る
 東急電車の改札口付近で,東急社員が『震災時安全ハンドブック』(88ページ)を無料で配っていました。受け取るのに乗客の行列ができるほどでした。内容は,かつて昭文社が発行した『震災時帰宅支援マップ 首都圏版』(2005年発行/累計100万部を超える)をベースに,東急沿線に絞ったものになっています。はやい話が,災害で東急電車が止まった場合,どのルートで歩いて帰ればいいかということです。
 飲み水,休息所,公衆トイレ,コンビニ,ベンチ多数なども明記されているのです。なかには東急駅ビルのガラスが危険,というマークまで入っています。無料で配るとは,なかなか太っ腹! 
 実は東急沿線住民を含め,鉄道利用客の衣・食・住を丸ごと東急グループ全体で抱え込むという戦略を数年前から実施しており,その一環だと思えます。うがった見方をすれば,イメージアップを狙った東急グループの宣伝と思えば安いか。
6月19日(火)
アジサイが咲く飛鳥の径(みち)春は桜,初夏はアジサイの飛鳥山
 北区(東京都)にある飛鳥山公園は,江戸時代から続く桜の名所として知られています。八代将軍綱吉が,江戸庶民に桜を楽しんでもらおうということで植えたとか。いまは650本の各種桜が植えられています。また上野台地のはずれにあたり,公園からの眺めもいいものです。
 そんな桜の名所が初夏にはアジサイの名所になります。飛鳥山の麓,JR線側の小径約350mに沿って,約1300株ものアジサイが植えられているのです。いろいろ品種のアジサイがあって,見ていて楽しくなります。今回は偶然に見つけたアジサイで,歩いていると何かにぶつかるものです。
6月17日(日)
ドナルド・キーン展のチラシドナルド・キーン展がおもしろいです
 評論家でエッセイスト,文化功労者でもあるドナルド・キーンの展示会を見ました。とういうのも先ごろ90歳で日本国籍を取得した記事を読んだからです。老い先短い氏の新たな国籍取得は,彼の軌跡を知ることが第一と思ったからです。北区の西ヶ原のマンションに40年近く住み,窓から見える旧古河庭園の木々の綠は「私の財産」だそうです。
 で,日本国籍取得のきっかけは東日本大震災ではないだろうか。日本人との“連帯”を表そうとしたのか。これはあくまで推測です。
 会場には,きら星のごとく名を連ねる文豪たちとの交流の証が展示されています。谷崎潤一郎,川端康成,三島由紀夫,司馬遼太郎,安部公房,永井道雄……。また直筆の往復書簡も興味をそそります。キーン氏の日本語による文字は,実に丁寧できちんと書かれています。能を演じたり,ピアノを弾いたり多彩な方だけに,まだまだ何かが起こりそうな感じがします。
6月14日(木)
チラシ水中遺跡・蒙古襲来がよみがえる
 毎年楽しみにしている展覧会です。いま年間8000回もの発掘調査が全国で行われています。ほとんどが数年にわたって掘られている調査です。わずか数㎝のミニチュア土器が多数発見された上宮田台遺跡(千葉県)では,土偶や各種壺などですが,こんな小さな土器の造られた目的は愛玩用,催事用などいろいろな説があるようです。
 2度にわたる蒙古襲来で沈んだフビライ汗の軍船が,本格的に調査され引き揚げられました。鷹島神崎遺跡(長崎県松浦市)です。国からの史跡に指定され,水中遺跡の代表となりました。軍船からは中国産の陶磁器が多数発見されているのも特徴です。
 そのほか考古学会を二分した遺跡や山陰地方最古の前方後円墳,西南戦争遺跡からは,田原坂の銃弾飛び交う様子も詳細に判明しました。いずれにせよ今回はトピック的な20カ所を紹介していました。 
6月13日(水)
江戸時代の井戸や下水溝を再現はじめて水道歴史館に行きました
 東京に水道歴史館というのがありました。水道局が造ったもので,東京の水道の歴史を見やすくわかりやすく展示している所です。井戸でも上水井戸というのもあって,かなり衛生状態はいいようです。さらに路地の中央にある下水溝も再現しています。玉川上水の歴史も詳細に説明されていました。館内はガラガラの状態でしたが,帰りに「東京の水」というペットボトルをもらいました。「東京の水」というのは,はやい話が水道水なので「かならず冷やして飲んでください」と念を押されていました。
6月11日(月)
ハイカラうどん大阪で「ハイカラうどん」を食べた
 大阪にはハイカラ○○○というメニューがたくさんありますが,うどんははじめてです。早速,注文すると丼一面に天かすが敷き詰めた状態で出てきました。東京流にいえばたぬきうどん。ネギもたっぷりのっています。で,違うのはおろし生姜が真ん中にのっていることです。実はこのおろし生姜が味わい深く,うどんの薄口味と合っているのです。店員さんは「ハイカラの味がするやろ」といいますが,なぜこれがハイカラなのかはわかりません。これで210円は安い!(210円・なんばうどん/難波))
6月9日(土)
植民地時代の日本の商業ポスター
 戦前,中国が日本の植民地だったころ,日本企業の中国での商業ポスターはどのような内容だったか,というシンポジウムが行なわれ,姫路市立美術館学芸員の田島奈都子さんが詳細に報告されました。
 海運会社や酒造会社が製作した欧米向けのポスターは,芸妓を中心にした「美人画」ポスター。しかし中国でのポスターは,中国人が制作したかのようなデザインになっているのです。これは「郷に入っては郷に従え」方式で中国に進出したとか。明治乳業,アース製薬など具体的な多くのポスターが紹介されました。
 また縦書き,横書き,英文を少し入れたり,さらに年を追うごとに,民間企業もプロパガンダを担うようになってきたのも事実だそうです。そして日中戦争が始まるとともにポスターも消えていくのです。印刷枚数,デザイナー,印刷工場など知らなかったことも多く,実に興味深い研究報告でした。
6月1日(金)
船底にある冷蔵庫横浜・氷川丸の船底を見学
 横浜・山下公園の一角に接岸展示している氷川丸は,昭和5年(1930)に建造された貨客船です。内装設計はフランス人のマルク・シモンさんで,設計・施工は現在の三菱重工です。
 今回,船長の金谷範夫さんの特別な計らいで,見学コースから外れた船底を案内していただきました。足もとや天井に頭をぶつけないように,狭い通路を歩きました。わずかな電球の明かりしかありませんが,ちょっと不気味な感じがしたのも事実です。さらに別の船底にある昔の冷蔵庫も見ることができました。天井の高さ2.5m,木枠で囲まれており,パイプがむき出しになっていました。昔はここに食物などを保存していたとか。
 ところで氷川丸は固定されているのではなく,ちゃんと浮いているのです。台風の時は,かなり揺れるそうです。
5月25日(金)
NHK放送技術研究所が配る小冊子超大画面のスーパーハイビジョン
 今年もNHK放送技術研究所の研究内容が公開されました。放送界では世界ナンバーワンの技術力を持っています。いろいろな技術がありますが,やはりメガネ無しで見られるインテグラル立体テレビ(3Dテレビ)はどうなっているのか気になりました。今年の映像は相撲をテーマにしており,昨年よりも一段と進歩していました。完成は2030年を目標にしているようです。
 もうひとつすごかったのは,スーパーハイビジョンの映像です。3300万画素の高精細な映像と22.2マルチチャンネルの大迫力の音響の組み合わせが将来の放送技術を示していました。
 そのほか放送原稿から即CGで手話を写し出してしまう技術はクリーンヒットでしょうか。照明や検索技術など難しいことはわかりませんが,いつもながら感心してしまいます。
5月19日(土)
重要伝統的建造物群保存地区5カ所を発表
 重要伝統的建造物群保存地区が発表されました。いずれも以前に行ったところばかりで,ほぼ予想通りでしたが,伏兵が1カ所ありました。福岡県うきは市の新川・田籠(にいかわ・たごもり)地区です。おもしろいのは,隈上川流域の2つの地域(7集落)で,川沿いに細長く選定されました。棚田100選に選ばれた地域や重要文化財に指定されている住宅などもあります。ずいぶん前に訪れましたが,近々また行ってみたいと思います。
 残りの選定地区は栃木市の嘉右衛門地区,安芸市の土居地区,加賀市の白峰地区,桐生市の本町(一部天神町も含む)地区の4カ所です。一度に5カ所は,結構大盤振る舞いですね。
5月10日(木)
あの色っぽい土偶(国宝)の実物を見てきました
 今年新に指定された国宝,重要文化財(重文)の合計48件を一度に公開された展示会を東京国立博物館で見てきました。『ボストン美術館~』は大変な込みようですが,こちらの日本美術はガラガラの状態で,ゆっくりと見られました。写真でしか見たことがなかった山形県の“色っぽい”土偶(国宝指定)は,今まで見てきた土偶とは全く違った芸術性を感じました。縄文時代の山形県に天才がいたのでしょうか。また鎌倉時代の木造十二神将立像(重文指定)で,1体ごとに表情が豊かで,12体が並ぶ姿は圧巻でした。また『明月記』の自筆本(重文指定)が展示されました。本当に驚きました。
5月5日(土)
連休は高値,混雑! ならば家に居るべし!
 日本は5月の連休です。中国も大型連休です。中国は1日のメーデーを中心に1週間近く休みます。そのため,各地の宿泊施設や入園料はかなりの高値になり,批判を浴びているようです。日本でも宿泊施設や航空運賃や宿泊施設が上がります。しかもすべてが超混雑,渋滞ならばどこへも行かず自宅に居ようと決め込んで,どこへも出かけません。たまりにたまった2時間サスペンスの録画を一気に見ようと思いましたが,ちょっと飽きました。連休も明日で終わりです。これだけ家に居続けたのは何年ぶりでしょうか,あまり覚えていません。
5月1日(火)
明日は明日の風が吹く昭和30年代の木場が登場しました
 たまにCS放送で石原裕次郎の映画を再放送しています。できる限り録画しておいて見るようにしています。というのも,ほとんどがスタジオ撮影ですが,ときたま昭和30年代の東京の実写風景が写し出されるのです。今回の映画『明日は明日の風が吹く』は下町の木場(きば)が登場します。
 木場にある侠客一家の次男役が裕次郎です。新興のやくざに圧されながら抗争を繰り返し,家族ともども次第に足を洗うという筋立てです。いまではすっかりなくなりましたが,木場の祭りや職人たちの様子などの「民俗芸能」が登場します。昭和30年代の東京は知りませんが,昭和の風景が写し出されるのはとてもうれしいものです。これだから日活映画はやめられないのです。
4月29日(日)
日本美術の至宝パワー全開の曽我簫白の作品
 こんど日本初公開となった曽我簫白(そがしょうはく)の『雲龍図』(右の写真)を見たさに行ってきました。江戸時代中期の絵師ですが,日本ではあまり知られていません。実際に見て,あまりの迫力に気が動転するくらい,衝撃を受けました。江戸時代からすでに「異端」,「狂気」の異名を与えられるほどですから,力のあるのは当たり前でしょう。
 筆のタッチが荒々しく,当時の他の絵師の作品を見ても,その差は歴然としています。今回,11点もの大型作品がズラリと並んだ様子は壮観でした。簫白の作品を見られただけでも価値があると思います。
4月28日(土)
白峰(白山市),福住(篠山市),本町(桐生市),嘉右衛門町…
 今年も新たな重要伝統的建造物群保存地区が決まりそうです。いろいろと噂はありますが,有力候補に石川県の白峰地区(白山市),群馬県桐生市,栃木市の嘉右衛門町,兵庫県篠山市の福住地区などがあります。しかしとんでもない伏兵がいたりして,なかなかおもしろいものです。昨年のシンポジウムで,ある街づくりの専門家が「今後は離島の集落に注目」といいました。過疎対策,町おこしに重要伝統的建造物群保存地区を利用しようという首長が多くなってきたのでいい傾向かもしれません。
4月18日(水)
これが東京の大阪うどん上野で「大阪うどん」を食べました
 上野駅前の立ち食いそば屋に「大阪うどん」(430円/つるや)というメニューを見つけました。今年の2月1日付けのブログに「東京にはない大阪のうどんメニュー2つ」を書きました。「きざみうどん」と「昆布うどん」です。上野で見つけた大阪うどんは,その二つを合体させた内容でした。きざみというのはきつねの油揚げを細切りにしたもので,昆布はとろろ昆布のことです。でも注文する人は少ないようです。上野という場所柄,透明感のあるダシは受け付けないかもしれません。それとこの内容で430円はちょっと高めかも知れません。
4月16日(月)
中身は万延元年遣米使節のことでした咸臨丸の乗員は船酔いで倒れていた
 万延元年(1860),日本政府は日米修好通商条約批准の交換のために,2隻の船で日本を出港しました。1隻は旗艦のパーハタン号と随行船の咸臨丸でした。咸臨丸の船長はいわずと知れた勝海舟です。
 咸臨丸は警護と代役の役割を受け持っています。全部で91人が乗船,内61人は下働きする乗組員。で,格好よく浦賀を出港したのですが,ほとんどがシケで船酔い。同行していた米国の乗組員に助けらながらサンフランシスコに到着しました。ところが不運が続き,咸臨丸が補修のためにドック入り。サフランシスコに52日間も滞在して無念の帰国。
 一方の主力のバーハタン号はパナマ運河を通過し,ワシントン,ニューヨークと周り,コンゴ,喜望峰,ジャカルタ,香港と寄港し,約10ヶ月の旅を終えて無事に帰国。役目を終えたのです。
 咸臨丸乗員の船酔いは惨めですが,訓練を積んだアメリカ人も乗船していたのは知りませんでした。もちろんは帰路は船酔いはなかったそうです。
4月11日(水)
太陽の塔/黄金の顔太陽の塔の「黄金の顔」を見ました
 大阪万博(1970年)で展示された岡本太郎作・太陽の塔の黄金の顔のオリジナル版が東京で見ました。万博公園での展示品は,1992年ステンレス製にリニューアルされましたが,予備の黄金の顔は長らく倉庫に眠っていました。目玉部分のキセノンライトは2011年にLEDに交換し,今回の展示となったのです。常時ガードマンが警戒していて,ものものしいですが,近くで見るとあまりにもでっかい。これが地上30mの所に展示されていたのです。「でっかい」以外,特に感慨はわきませんが,でも懐かしいものです。
4月9日(月)
再現した奥山浅草奥山と五重塔とスカイツリー
 江戸時代の浅草の繁華街・奥山を再現したというので,見に行きました。「浅草奥山風景」というのですが,単なるお店と実演販売の店。奥山の絵図や古文書などから見える元来の「奥山」とは少し違うのではないでしょうか。ちょっとがっかりしながらも歩いて見ました。それでも奥山を再現するとしたら,やっぱり浅草しかないでしょう。東京スカイツリーと五重塔と奥山が並んで見えるのは,けっこうおもしろいものです。
4月7日(土)
上野公園の2匹のネコ桜とネコの意外な組み合わせ
 花見全開の上野公園ですが,桜の木に2匹のネコがのんびりと居座っていました。その姿がおもしろいのか,大勢の花見客がレンズを向けていました。ネコの首には,布で造った花輪が巻かれており,誰かが注目(?)してもらうために置いたかもしれません。桜とネコの意外な組み合わせがおもしろかったのでしょうか。
3月27日(火)
笑えない碑日光街道沿いに笑うに笑えない看板
 先月あたりから,日光街道,例幣使街道,水戸街道の各宿場を歩いています。幸いなことに,日光街道と例幣使街道は東武鉄道と平行している部分が多いので気軽に行けます。夕方になると,その日最終の宿場の駅前でいっぱい飲んで帰るというわけです。
 で,いろんなものを目撃しますが,ほとんどが笑えるものです。駅前でそばやコーヒーが100円という店もあります。でも,石碑に看板を接着剤で貼り付けた店は笑えません。日光街道のある宿場の光景です。元もと何が書いてあったか気になります。
3月6日(火)
涅槃図(ねはんず)/駒澤大学所蔵年に1度の公開・涅槃図を見学
 駒澤大学(曹洞宗系)で年に1度の涅槃図の公開があるというので見に行きました。涅槃図は奈良時代からあると言われ,仏教伝来とともに伝えられたとそうです。奈良県の法隆寺や和歌山県の金剛峰寺などの涅槃図は国宝指定です。駒澤大学の涅槃図は江戸時代,京都の絵師・望月斎富文が描いたと裏書きに明記されています。
 釈尊の周囲には多くの民衆,動物,鬼神などがが集まっており,釈尊の死を嘆き悲しんでいます。仏教画というのは,人間の生き死にを超えたところにおもしろさがあるようですが,まだわかりません。
2月20日(月)
2種類のおでんそば発見!!!
 同じメニュー名・おでんそばと名付けていることに気がつきました。値段はどちらも400円です。具材は圧倒的に梅もとの勝ち。7点も入っています。しかしかまくらそばは,大きな薩摩揚げが1枚のみ。これは勝負になりません。ところが味が全く違いました。梅もとは薄味でおでんのダシ味でした。おでんだけなら問題ないのですが,どうもそばとは合わない感じ。うどんにすれば良かったと思いました。でもお腹いっぱいになります。一方のかまくらそばの味は,深みがあってコクがありました。でも具材の数がちょっと寂しい……。難しいものです(笑)。
▲東海道線戸塚駅構内のおでんそば(400円・かまくらそば) ▲神田神保町交差点近くのおでんそば(400円・梅もと)
2月18日(土)
山東京傳江戸時代からあった「大江戸」
 「大江戸」と言う言葉は,何やら現代人が作ったと思われています。ところが江戸時代中期の天明9年(1789)に出版された『通氣粹語傳』(つうきすいごでん/山東京傳著)に出てくるのです。この本は読本『忠義水滸伝』をもじってつけた京傳が,『水滸伝』のあらすじを元に洒落本風に書いたものです。だから「大江戸」は今に始まった言葉でないことに気がつきました。
2月16日(木)
両国駅3番線ホームへ向かう階段両国駅3番線の階段にひな人形
 最近,階段にひな人形を並べるイベントが全国的に流行っているそうです。鴻巣市役所の庁内にもばかでっかいひな壇があるとか。で,両国駅3番線ホームへ向かう階段にズラリと並べられたひな人形。なぜ両国駅なのか,よこの壁面に貼られたポスターを見て納得しました。
 勝浦(千葉県)で行われる「ビッグひな祭り」のイベントの宣伝を兼ねていたのです。両国駅の3番線は,特別なイベントがない限り,ふだんはシャッターが降りていて入れませんが,この日は階段下まで行けました。
2月12日(日)
ポスター日活映画は,近代建築が見られます
 石原裕次郎の映画を久しぶりに見ました。60年代日活黄金時代の映画『憎いあンちくしょう』(1962)です。ストーリーは単純で熊本の無医村で働く若い医者に,東京に居るその恋人から診療用に使う中古のジープを陸送してほしい,と頼まれるのです。そこで裕次郎は東京から熊本までジープを運転しながら陸送するのですが,途中の62年の風景が流れるのが,実におもしろかった。
 夜の箱根越え,大阪駅前の風景はだだ広く,阪急梅田駅も健在。宇高連絡船も登場,尾道の海岸沿いの低い屋根,広島,関門トンネルと風景は続きます。まだ高速道路のなかった時代です。国道2号線も未舗装があったりと,画面に引きつけられました。
 日活映画の楽しみは,銀座の町はスタジオのセットですが,それでも下町やビジネス街の建築,各地の家並みなどが見られることです。当時の狭い東海道を中古ジープを運転する裕次郎の後を追って,浅丘るり子がジャガーで飛ばす映像は見ものでした。B級映画ですが,なかなかおもしろくできあがっていました。 
2月9日(木)
とんかつラーメンを食べました
 まさか中国(貴陽市)でとんかつラーメンに巡り会うとは思いませんでした。場所は代表的な繁華街(噴水地)の交差点角の2階です。それも回転寿司屋です。「深圳元禄回転寿司チェーン」の1軒。
 元もと中国の回転寿司は,10年ほど前に衝撃的な光景を目撃をしてから,全く食べていません。例えば,回っている寿司を直接指で押さえて固さ具合を確認したり,ネタを指でめくってわさびの量を確認したり,取った皿をまたラインに戻したり,やりたい放題でした。
 今回は夕方ごろだったので,寿司自体はまだ回転していないだろうと予測して入店しました。予想通り混まずにガラガラでした。よかったのは注文制をとっていたので,メニューの写真を直接指して注文すると,目の前の職人(?)が握ってくれて,皿に一括して出てくるというシステムでした。だからちょっと安心しました。
 さて,このとんかつラーメンですが,スープはとんこつ風,あとはちょっと不明なものがのっていました。麺は日本のものと変わらず,おいしく食べました。値段は26元(約328円),日本酒の熱燗が18元(228円)でしたが,すごくぬるかったです。
2月1日(水)
東京にはない大阪の立ち食い店メニュー2つ
 東京にはない大阪の立ち食いそばの代表的なメニューに“赤天うどん”がありました。これは紅ショウガだけを細かく刻んで天ぷらにしたもので,好きなメニューでしたが,最近では東京でも売り出されています。しかし写真の“きざみうどん”と“昆布うどん”は,大阪ではレギュラーメニューですが,東京の立ち食いそば店では見かけません。
 きざみうどんは,細く切り刻んだあぶら揚げを単にまぶしただけで,あの大きなキツネうどんの“揚げちゃん”が食べられないと言う人向きです。そして昆布うどんは大阪名物のとろろ昆布をたっぷりのせたというだけの,シンプルなメニューです。いずれも大阪ならどこの店でも必ずあるというメニュー。
▲きざみうどん(350円・駅うどん)吹田駅 ▲昆布うどん(300円・福寿司)九条駅前
1月12日(木)
4時間待ちもあるそうです2時間待ちで『清明上河図』見てきました
 いま大変な人気の展覧会に行ってきました。朝9時半の開場とともに入りましたが,それでも2時間も並びました。会場から出た昼ごろは,210分待ちの表示があったのですからスゴイ。場内で年配の男性が過労からか大きな音をたてて倒れたり,緊急地震速報の通報で,会場内の携帯がアチコチからガーガーと音をたてたりと,実に印象に残る展覧会でした。
 さて,中国人でもなかなか見ることができない清明上河図の内容は,専門家でも意見が分かれています。この前のシンポジウムでも,日中双方の専門家の見方が幾つにも分かれていて,とてもおもしろかったのが印象的でした。長さ5m,幅24cmの絵巻物のなかに,中国の田舎や都市に生きる人々をおもしろおかしく描かれているのです。緻密で事実に即したテーマで描かれていても,場所,作者などは不明です。だからよけい推理したくなり,学者たちの考察意欲が湧いてくるのでしょうか。人々の表情が生き生きしているのがうれしくなりました。
1月8日(日)
上野公園で昼食難民になりました
 週末,東博に行きましたが,お昼の食事に困りました。ものすごい人出なのに,レストランが超満員でどこも入れなかったのです。結局,上野駅まで
出てしまいました。いま,上野公園はかなり広い区域で工事中で,お弁当を広げる場所がないことから,レストランがすぐに満員になるのでしょうか。平日でも時間をずらせば,問題ないのですが。
1月1日(日)
元旦の富士山/朝8時過ぎに撮影(ニコンD90)元旦から富士山が見られました
 天気予報では曇りで初日の出は見られないといっていましたが,朝8時頃に色は薄いですが,かろうじて見ることができました。
 特に祈念することはありませんが,やはり健康でいたいとつくづく思いました。それと少し痩せないと………。
2011年(平成23年)
12月30日(金)
発掘現場江戸時代の神田上水が発掘
 都内で遺跡の現地説明会に出かけたのははじめてです。江戸時代の神田用水が発掘されたのですが,特に白堀はフタをしないで,そのまま流れている状態のことで,灌漑,飲料水,池泉用水などに使用しました。その白堀の状態のままで発見されたのです。
 巻き石状のフタをしたのは明治に入ってからですが,明治34年飲料水としての役目を終えて,工業用水,池泉用水としてのこるのですが,それも昭和10年ごろに終えたそうです。今回,旧第五中学校の敷地内で発見されたので,壊されずにすんだのでしょう。
12月21日(水)
茶室・転合庵東博の裏庭に茶室が5棟
 東京国立博物館(東博)の庭園は,いろいろな樹木が植えられていることで,専門家たちの間では知られています。もうひとつ5棟の茶室が池を中心に散在しているのも特徴のひとつです。もともと5棟の茶室はすべて地方にあったもので,いろいろな事情で東博に移築されてきました。
 東博の収蔵品で国宝・重要文化財の大部分は地方にあったもの。都道府県別の収蔵品の数は,京都,奈良に次いで,東京が3番目になっていますが,東博が大部分を占めています。地方の小さな寺院では防火,防犯のための設備に投資できないことが大きな理由です。そこで東博に預かってもらうことになります。預かり書も発行されます。
 茶室は預かり物ではないのですが,5棟とも数奇な歴史を持っています。都心とは思えない静けさのなかで,十分に堪能しました。
12月19日(月)
岩手銀行中ノ橋支店岩手銀行が記念館に変身
 重要文化財の岩手銀行中ノ橋支店が新店舗に移り,100年の歴史に幕を閉じました。明治44年(1911)にJR東京駅を設計した辰野金吾が設計した建物です。このあと記念館として一般公開するそうです。
 この写真を撮るのに朝早く起きて,クルマの通らない時間帯をねらいました。盛岡でも交通量の多いところだけに,例え早朝でも苦労したのを覚えています。
12月17日(土)
ボロ市世田谷ボロ市に行きました
 やはり噂通り,めちゃくちゃ混んでいました。やはり,衣類,食器類が圧倒的に多かったようです。神棚,臼,玩具,ゲームソフト,古本,飲食類,植木,まな板,レコードもありました。
 430年前は,別のところで開いていたのですが,殿様が新しい街づくりのために大山街道沿いのココで開かせたそうです。東京都の無形民俗文化財に指定されています。ただ欲しい物はありませんでした。古書を3冊ほど買って帰りました。
12月11日(日)
絵で楽しむ忠臣蔵展浮世絵で描かれた忠臣蔵
 12月に入ると忠臣蔵に関する話題が多くなってきます。『忠臣蔵』という名前は,浄瑠璃・歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』の略称です。『絵で楽しむ忠臣蔵』では,全11段を絵師・歌川広重などいろいろの浮世絵を約80点近くを展示しています。傑作なのはパロディコーナーでは,『提灯蔵』では,提灯が四十七士の顔になっていて,討ち入り場面を描いているのです。
 またベストセラーは,歌川国芳の『誠忠義士伝』(全50点)で,1点に付き最大8000枚も刷るなど当時としては異例の人気だったそうです。これは義士の顔を歌舞伎役者などに替えたためともいわれています。それにしても実におもしろい忠臣蔵展でした。
12月8日(木)
街頭テレビなつかしい「テレビ湯」
 街頭テレビが登場したのが,昭和28年(1953)で都内29カ所に設置されました。最終的には200カ所にふくれあがったとか。一番遠いとこは柏崎市(新潟県)で,本当に写ったかどうかわかりません。当時17型テレビが29万円(松下電器)の時代で,庶民には高嶺の花。その後1インチ1万円の時代に入っていきます。
 思い出させるのは当時「テレビ湯」というのがありました。銭湯の2階の大広間にテレビを置いて,入浴のあとの客に見せるのです。連日満員で,テレビを見たさに銭湯に行くという人が多かったのも事実です。
 翌昭和29年のテレビ受信契約数1万を突破し,ラジオが1200万突破したというニュースが流れました。もちろんテレビは買えず貧しかったけれど,希望のある時代といえるでしょうか。
12月4日(日)
ミステリー作家宮部みゆきさんのシンポジウム『文学と東京』
 
宮部さんはずっと深川に住んでおられますが,どうしても下町から抜け出せないそうです。時代小説でも下町を描いていますが「世の中の動きを下町から見た書き方になります」と自分自身でも言われます。東京の下町は,山の手と違って歴史の層の厚さが全く違います。文化的遺伝子とでも言いましょうか。その違いは皇居を中心にして東西に分かれるのではないでしょうか。東側に位置する新宿や池袋,渋谷の歴史の層は薄っぺらです。西側を描くことから時代小説のおもしろさがあるものと思います。
 宮部さんはさらに「地縁に関係のないところを描くのは苦しい」と言われます。逆に言えば,それが宮部作品の限界であるかもしれません。しかし1カ所にとどまり続けているにもかかわらず,作品に普遍性があるのは,すなわち書き手の構想力の強さであると思いました。
 幼い頃,お父様は湾岸沿いにある三菱系の工場に勤務し,夕方になると会社のバスで送られて帰ってきたそうです。昭和2年生まれで,東京大空襲も経験したと言われます。家族共々,ズーッと深川に住み続け,美容院も近所にあって家族が昔から通っている所だとか。宮部さんの東京は「下町・深川」なのです。 
12月3日(土)
中国の観光地図にもスカイツリーの文字が見える中国語で「東京天空樹」
 中国人向けの日本のガイドブックに,すでに東京スカイツリーの完成予定日が記載されています。で何と書くのかというと「東京天空樹」と書きます。ツリーを樹木に例えたあたりが心憎いです。やはり漢字の国です。
 ちなみに東京タワーは,単純に「東京塔」と書きます。
12月2日(金)
法然と親鸞のチラシ親鸞の自筆文が残されていました
 「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏をとなえるだけで救われるという法然の考え「専修念仏」を受け継いだ弟子・親鸞は,2人とも既存の宗教団体から反発をくらい,時の朝廷から流罪を言い渡されました。当時の仏教界は,信者を金持ちや公家,高級官僚などを対象にしたことから,超大金持ちだったわけです。既得権益を守るためにも,法然や親鸞を仏教界から追放する必要があったのもうなずけます。
 それにしても今回の『法然と親鸞』展を見て,親鸞の自筆書が残されていることにはじめて知りました。とてもダイナミックな文字を書く人だなと思いました。法然は後世の弟子たちが書き写したもの文書ばかりです。
11月27日(日)
日本で最初のテレビ情報誌は旺文社
戦陣を切った旺文社のテレビ情報誌 テレビ情報誌なるものは,まず買うことがありません。しかし正月前になると書店の店頭に山のように積み上げられた雑誌を見るとついつい手にとって買ってしまいます。
 テレビ情報誌って,数えてみれば休刊,廃刊を含めて50誌近くあったものと思われます。で,日本で最初に登場したのが,『週刊テレビ時代』で,旺文社が創業30周年を記念して鳴り物入りで創刊しました。昭和30年(1955)4月30日のことです。創刊当時注目された記事に都内23区の主婦380人アンケートがありますが,アンケート記事のはしりと言えます。
 いずれにせよ初の出版社系の週刊誌として『週刊新潮』が登場したのが翌昭和31年(1956)ですから,いかに早すぎたかがわかります。結局その年の8月に休刊となりました。
 昭和32年(1957)の白黒テレビの普及率が7.8%で,1世帯当たりの実収入は3万2664円の時代です。休刊になるのも無理はありません。しかし「これからはテレビの時代がくる」と断言して,果敢に挑戦した意欲はすばらしいと思います。
11月23日(水)
                    ●陶芸に初挑戦
生まれて初めての作品
 地元の教育委員会が主催した陶芸初心者講習会なるものに参加して,はじめて陶器を造りました。道具も全部揃えられているので,作業用エプロン,上履き,手ぬぐい,スーパーのレジ袋を用意するだけです。週1回で3回通ってできました。
 いわゆる手ひねり成形という方法で,手で粘土をこねまわすというもの。紐状に粘土を造り,それをグルグルとまわしながら積み上げていくのです。釉薬も3種類用意されていましたが,仕上がり状態がイマイチ読めないので,適当に塗りました。で,仕上がりが写真です。どうもやみつきになりそうな気配なのが自分でも怖い……。
11月22日(火)
あたり前田のクラッカー/100円あたり前田のクラッカーが健在!
 何十年ぶりに商品棚から前田のクラッカーを見つけました。驚きました。まだ健在なのです。かつて1960年代,テレビ番組『てなもんや三度笠』で,主演の藤田まことが「俺がこんなに強いのも,あたり前田のクラッカー!」というフレーズが爆発的に人気を得て,地方の小さな菓子メーカーが一躍全国に躍り出た瞬間だったのです。その後TVCMも見なくなって,会社経営が行き詰まったのかな(失礼)と思って,すっかり忘れていました。
 最近,100円ショップの棚に並んでいる光景に感動! 健在だったのです。翌日,また買い求めましたが,売り切れていました。これって,人気があるのかな?
11月21日(月)
歌手・八代亜紀さんの公開シンポジウム『演歌と夜汽車』
 先日,明治学院大学で歌手・八代亜紀さんの公開シンポジウム(対談形式)がありました。テーマは『演歌と夜汽車』。対談の相手は政治学者で明学大教授で,しかも鉄道オタクの原武史氏です。
 八代亜紀として,最初の2年間は地方周りが続くのですが,夜汽車での移動が当たり前の時代だったそうです。ある日,目が覚めると通勤ラッシュに遭遇,ボックス席を一人で爆睡していたのにも関わらず誰も起こしてくれない心の温かさに,あとで感動したそうです。その後も夜汽車の思い出を話されます。
 またテレビの10週勝ち抜き番組で,10週勝ち抜くのですが,最後まで「へたくそ」と言い続けたのが,あの演歌嫌いの歌手・故淡谷のりこさんだったりとか,名曲『舟歌』や『愛の終着駅』など,おなじみの歌の誕生したころのことなど話題は尽きません。
 ところでJR東日本の天敵とも言われる原教授は,「震災と鉄道」に話しが及ぶと,JR東日本に怒りまくり,「首都圏で目茶苦茶もうけているのに,なぜそのもうけを震災にあった鉄道の復旧にそそがないのか」と。八代亜紀さんも,たじろぐ場面も見られました。明学大もいきなイベントをやるものです。 
10月24日(月)
重要伝統的建造物群保存地区に石川県から2カ所を選定
 伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)が新規に2カ所決まりました。一つは,金沢市卯辰山麓で,39の社寺,町家,藩政以来の町割り,街路が残されています。
 もう一つは,加賀市の郊外で,山中温泉荒谷町,今立町,大土町,杉水町の4カ所を含めた通称・加賀東谷(ひがしだに)地区です。炭焼きを主な産業であったせいか,赤瓦葺きに煙出しを備えた特徴的な民家群が残るそうです。ほかに石積や水路,旧道などが歴史的にも価値があるとか。かなり山の中にあるだけに,積雪を待たずにすぐ行くべきか,雪解けの来春に延ばすべきか迷っています。
10月23日(日)
赤札屋・四谷店カウンターはメニューでいっぱい
 いろいろな飲み屋がありますが,カウンター全面がメニューというのも珍しい。「今日のおすすめ品」などは,醤油差しや胡椒のビンを除けないと,文字が読めないのです。店内は活気があって,サラリーマンでいっぱいです。このような雰囲気っていいなあ。四谷の赤札屋です。
10月22日(土)
最後の青函連絡船/羊蹄丸船上にて青函連絡船・羊蹄丸の行方?
 お台場にあった船の科学館が休館(事実上廃館)し,青函連絡船・羊蹄丸を売却するとのこと。船の科学館には全く未練はありませんが,羊蹄丸はどこへ行くのか興味があります。昭和63年(1988)3月13日が最後の航海となったのです。前夜クルマで青森まで飛ばし,クルマを県営駐車場に入れてから青森駅でズーッと並びました。すごい人出で,乗れるかどうかわかりませんでしたが,やっと乗れたのが羊蹄丸(写真)でした。青函連絡船は最初で最後の乗船で,この機会を逃すと一生乗れないと思うと,眠気も吹っ飛びました。帰りは函館から開通まもない津軽海峡線に乗車,なにやらあっという間の出来事でした。こんなことから船の科学館につながれている羊蹄丸の行方がやっぱり気になります。
10月20日(木)
日光東照宮と将軍社参ダラダラと歩いた将軍の行列!
 将軍社参というのは,江戸時代の初期,朝廷からまだ宮号をもらっていないことから,日光東照社といわれていました。それはともかく,目からウロコが落ちたのが行列の様子です。大名と違い将軍の行列です。事前の警備を含めて数万人が動員されるそうです。臨時の架橋もあって,かなり大がかりというのは理解できます。
 ところが行列自体はダラダラと歩いているだけなのです。随行している武士団も景色が良ければあちこちよそ見したり,私語も盛んで,とても緊張感はなかったそうです。これらはいろいろな文献や絵で判明しています。
 しかし行列も日光の最も手前の宿場・鉢石宿の入口(今のJR日光駅付近)にくると,行列全体が襟をただしきちんと整列して,粛々と歩いたそうです。よく考えてみれば,何十kmも緊張しながら歩けるはずがないということです。これは大名の参勤交代も同じではないでしょうか。
10月19日(水)
宮形霊柩車が少しずつ消えて行く運命にあります
 最近,葬儀に参列することがあって気がついたのは,霊柩車が従来の宮形ではなく,ワンボックスタイプであったことです。これはこれでいいのですが,その理由を聞いて驚きました。宮形霊柩車が葬儀場に出入りされると困るという,住民の反対があるからだそうです。なぜ困るのか,いろいろ理由をあげているようですが,大きな理由は周辺地域の資産価値が下がるからだそうです。商店の経営者は,店前を霊柩車が通過するのは困るという。まったく理解できません。葬儀場の建設反対運動というのもあります。なぜ反対なのか,やっとわかりました。
 人は必ず死ぬものです。死者を冒涜するような気がします。反対する人は,私は死んでも絶対に葬儀場は使いません,といえるのでしょうか。
10月16日(日)
世田谷線-300系10年数ぶりに世田谷線に乗車!
 都内で路面電車として残っているのは,都電の荒川線と東急世田谷線です。先日約10年ぶりにこの世田谷線に乗りました。車内は明るく,しかもカラフルでなんと10編成すべて色を変えたそうです。段差なしで乗れるのは,荒川線と同じで利用しやすくなっています。以前は玉電と呼ばれた車両は深いグリーンで,それはそれで趣がありました。
 最近,各地の路面電車で,低床式の車両を導入するケースが増えてきたようです。運賃が安く,ゲタ履きで乗れる気安さは低床式の良さだと思いま。
10月11日(火)
ドアの上に直径1mの壁時計が浮き上がっています東博・本館の壁時計が浮いてる
 東京国立博物館・本館の中にある壁時計が浮き上がっているというのです。正面入口を入ると大きな石段があります。なるほど上った所の頭上に直径1mの壁時計がありますが,やや浮き上がって見えました。元々はJ.コンドルが設計したのですが,関東大震災で被害を受けました。そこで昭和天皇の即位を記念して設計を公募,渡辺仁による東洋風をイメージして昭和13年(1939)に完成しました。
 壁時計は真っ平らにすると,へこんで見えるそうで,逆に少し浮き上がるように設計したそうです。壁時計の真下に行って見上げると,ホントに小山のように浮き上がっています。いままで全く気がつきませんでした。
 ところでTBSのドラマ『南極大陸』の舞台になったところで,大蔵省内の場面に使われていました。
10月8日(土)
多摩川の花火川崎市の多摩川花火大会
 今年の多摩川花火大会は,川崎市側のみで行われたためか,花火の量も人出も例年の半分以下だったそうです。時間も40分ほどで,アッというまに終わりました。でも商店やスーパーは,弁当や酒のつまみ,飲み物など店頭に大量に並べていました。かなり売れ残ったと予想します。ただ来年は,いつも通りに8月に世田谷区も一緒になって盛り上がるでしょう。
10月6日(木)
ヴェネツィア展のチラシヴェネツィアの黄金時代を一気に展示
 ヴェネツィアという呼び名はどうもなじめません。やはりベニスといったほうがわかりやすいのです。昔の小説や映画ではベニスといわれていたものですから。ヴェネツィアは,温暖化の影響で水没するのではないかといわれています。水の都が水中の都になりかねません。
 それはともかく,13世紀はヴェネツィア共和国の黄金時代といわれており,黄金期に宮殿などに飾られた絵画,陶磁器などの装飾品140余点が展示されています。ひとくちでいえば豪華絢爛,スゴイのひと言です。まさに文化的成熟度の高さを見て取れます。会場は江戸東京博物館ですが,外国人の観客の多さに驚きました。やはりヴェネツィアの黄金時代を見てみたいというべきか。140点もの展示は,日本でははじめてだとか。ちなみに東映の持ち込み企画だそうです。
10月3日(月)
東京駅丸の内北口/尖端のドームが見えていますドーム尖端が見えてきました
 東京駅の復元改修が,あとわずかの期間となりました。囲いの頂点にドームらしきものが見えてきたのです。2階建てだった駅舎を元の3階建てに戻そうというわけであります。
 46万枚のスレート瓦のうち約3割りに宮城県の雄勝産と登米産を使う予定でしたが,東日本大震災の津波で3万2000枚が現地で流されたのです。そこで使える瓦を回収したら,全体の2割に使えることになったとか。残りはスペイン産うぃ使うそうです。完成は来年の6月です。
10月2日(日)
殿ゲ谷戸庭園(とのがやと ていえん)殿ケ谷戸庭園が国の名勝に指定
 JR国分寺駅前にある殿ケ谷戸庭園が,国の名勝に指定されました。名勝は建築物でいうと重要文化財にあたります。ちなみに特別名勝は国宝にあたります。
 この庭園は,大正2年(1929)ごろ江口定條(さだえ)が造り随冝園(ずいぎえん)と命名しましたが,昭和4年(1929)に三菱の創業者・岩崎弥太郎の孫,岩崎彦彌太が買い取りました。戦後になって廃園になり商業地になりかけましたが,熱心な市民運動で残すことが決まり,東京都が40億円で買い取ったのです。
 園内は150種,2500本の樹木が植えられていますが,モッコク(300本),イロハモミジ(180本),アカマツ(100本)の3種で全体の4分の1を占めているのです。岩崎彦彌太の趣味なのか,やや華やかさに欠ける,渋い庭園といえるでしょうか。

大西脩平の昨日・今日・明日①
大西脩平の昨日・今日・明日②
大西脩平の昨日・今日・明日③
大西脩平の昨日・今日・明日④
大西脩平の昨日・今日・明日⑤
大西脩平の昨日・今日・明日⑥
大西脩平の昨日・今日・明日⑦
昨日・今日・明日⑧
昨日・今日・明日⑨